1992年4月17日
池田大作全集80巻
どんなに強く言っても
言いすぎることはない
卑怯にも権力の弾圧を恐れ、
率先して数々の謗法を犯したばかりか、
学会の殉難すら迷惑顔で
保身に狂奔(きょうほん)したのが、
宗門である。
(学会幹部が検挙されはじめるや、
宗門は、牧口会長、戸田理事長らを
登山禁止の処分に処した。
″学会とは無関係″というために、
投獄された者を信徒として除名せよとの意見まで出たと言われる。
さらに、牧口会長の投獄後、
宗門の僧侶が会長の家族を訪れ、
特高警察に従って謝罪し
″退転″するよう会長に勧めるべきだと迫った事実も明らかになっている)
その宗門を、私どもは、
ただ「広宣流布」を願って、
赤誠せきせいの限りを尽くし、
守りに守ってきた。
正法の尊貴さを民衆に教えるために。
そして大聖人、
日興上人への御報恩のために。
しかし、私どもの真心は
無残に裏切られた。
あまりにも手厚い外護(げご)をよいことに、
宗門は戦前・戦中以上に
謗法と欲望まみれに堕落し、
大聖人の仏法を、
真っ向から否定する邪教と化してしまった。
邪教とは、
断じて戦わざるをえない。
大聖人は、
正法破壊の僧侶について
「彼等が頸をゆひ(由比)のはま(浜)にて切らずば
日本国必ずほろぶべし」
─彼らの首を由比ケ浜で切らなければ、日本国は必ず滅びるであろう
─とまで仰せになっている。
(「頸を詰」との言の真意について、
「立正安国論」では
「其の施を止む」
すなわち悪への供養を止め、
悪僧として生きていけなくすることにあるとされている)
大慈大悲の大聖人が、
それほどの厳しい表現をされるくらい、
悪僧の害毒は深く、
恐ろしいのである。
その怖さは、
どんなに強く言っても言いすぎることはない
─このことを、
そして悪の根を断つ″精神″を教えられていると拝される。
絶対に甘く、
簡単に考えてはならない。
「仏法は勝負」であり、
勝負に中途半端はない。