あやめな日々 in OSAKA

広島女学院同窓会大阪支部の活動をゆる~く報告&プライベートを気ままにひとりごと

明智光秀最後の城、ガラシャ輿入れの城、勝竜寺城公園へ行ってきました~

2021-01-31 16:43:53 | 京都へのお出かけ

大河ドラマ「麒麟がくる」も残すところあと2回となりました。

とても楽しみに毎週見ていましたが、

光秀が出世してからの坂本、丹波、福知山などは、

猛スピードで話が進んでいってしまいました

ナレ死じゃなくて、ナレ数年?

せめて、もう半年あれば、馴染みの地域がじっくり描かれたのかもしれないのに、

残念です。

もうすぐ本能寺の変。大河ドラマでは。

山崎合戦で敗走して勝竜寺城に退却した光秀は、

ここで最期の夜を過ごすこととなりました。

わりと近いので、いつでも行けると思っていたら、大河が終わってしまうではないですか。

さっさと行ってきま~す

と言うことで、長岡京市の勝竜寺城公園へ行ってきました。

 

JR長岡京の東口からガラシャ通りを南へ10分歩きます。

案内板も幟もあり、迷いようがありません。

途中、土塁と空堀跡がありました。

 

ここが勝竜寺城の入口のようです。

 

勝竜寺城土塁・空堀跡

とてもきれいに整備されています。

 

敵兵めがけて射撃する土塁への階段

 

 

右手がお城側で、敵兵は左手真ん中から土橋を渡って虎口へと攻めてきます。

一段と小高くなった土塁から一斉射撃します

 

もう少し歩くと勝竜寺城公園が見えてきます。

お城など現存する建物はありませんが、

勝竜寺城跡を公園として整備し、無料開放されています

 

細川藤孝の居城に思いを馳せて。

 

公園入口

 

管理棟2階には歴史ミュージアムがあります。

 

細川忠興と玉(ガラシャ)像

 

ガラシャおもかげの水

 

 

 

石落としもありました。

 

狭間もあります。

細川藤孝と忠興の家紋入り瓦。

 

いわゆる搦め手でしょうか?

 

 

とてもきれいに整備された公園でした。

440年前、ここで何が起こっていたのでしょうか?

今、私たちが知っていることはごく一部の大きな出来事だけです。

何を話し、何が暗躍して、どのような面持ちであったかなど知る由もありません。

見たこともないことを見たように書く偉大な小説を読むか、

あるいは、そう、妄想にふけるか。

管理棟1階は、上等な木のカウンター席やベンチがあり、

お庭を眺めながら古への思いに浸れる最適な場所でした。

 

それではまた~

 


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