岡崎からの帰り道、白川橋から少し下ったところにある
明智光秀の塚へ行ってきました。
正確には首塚でしょうか。
光秀は、山崎の合戦で敗れた後、坂本城へ逃れる途中で討たれます。
討たれた山科区には、胴塚があります。
粟田口で晒された首は数日で埋葬され、塚が築かれたそうです。
そして、江戸時代の中期にこの地へ移され、弔う場所となっています。
京都風情の残る岡崎白川沿い
案内板もあり、わかりやすいです。
明智光秀の塚
路地にひっそりと佇むと、よけいに哀愁を誘います。
日光東照宮や豊国神社などが思い浮かんできて、
歴史の勝者と敗者の違いを見せつけられているようでした。
この地が明智光秀の塚となった由縁が書かれています。
こんなに小さな祠なのですが、
それでも次から次へとお参りに来れれる方がいます。
訪れる方もいるのだと思うとほっとするのは、
滅びる者へ魅せらるゆえでしょうか。
光秀饅頭の餅虎
こちらの和菓子屋さんが、代々「梅宮社」、明智光秀の塚のお世話をされているそうです。
残念ながら、コロナ禍の影響でしょうか、連休になっていました。
あ~、残念。
それでは、気を取り直して、
地下鉄で東山へ来た時にはよく寄る和菓子屋さん、祇園饅頭へ行きましょう。
祇園饅頭
南座の隣にある,1819年創業の祇園饅頭の工場です。
町の和菓子屋さんっぽいところが好きです。
水無月としんこを買って帰りました。
我が家はただいま、絶賛水無月狂想曲中
娘が水無月が大好きで、
この時期、あっちの和菓子屋さん、こっちの和菓子屋さんで
水無月を買っては食べ、買っては食べを繰り返しています。
この時期しかない!と、それはもう必死で、
だいたい1回に一人分6個買います。
ほんとうは当日食べるのが一番美味しいのですが、
次の日、少々固くなろうがそんなことお構いなく、いえむしろこの方も好きなようです。
私なんて、ぜっったい冷蔵庫に入ったのは避けたいのですが。
水無月
娘宅のも含め大量買い。
あ~、重たい
先ほど明智光秀の塚では、哀愁をおびた面持ちで歩いていたはずが、
水無月としんこで重くなったエコバッグを持って現実に引き戻されました。
やれやれ。
それではまた~
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