あずまクラブ(越前の守)です。正しい心の探究をします。

”人間は夢とロマンを持つから動物とは決定的に違う”から始めます。正しい心の探究です。

「病の時に読む言葉」53 両手があって、物がつかめることすら、幸福なのだ。

2024-05-11 09:45:09 | 日記
箴言集 「病の時に読む言葉」 大川隆法 著

「病の時に読む言葉」53 両手があって、物がつかめることすら、幸福なのだ。

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 道具をつかんで使う事ができるのは人間だけです。猿の中には物を掴むのがいるが、棒を握って振るうのが精一杯でしょう。
また、道具そのものを作ることもできるのだ。さらには手のない人が足で絵を書いたり道具を使ったりしている人もいるのです。
要するに心で思ったことで、両手を動かして物を作ったり動かしたりすることができるのです。両手があってこそ実現できるのがこの世であります。
あの世では、思ったことがそのまま物を作れ、思った場所へ瞬時に移動できるし、思ったことが言葉を使わずに相手に伝わる世界です。
魂が人間の体に宿ると(この世に生まれること)、なかなか思ったことがそれほど自由ではないですが、工夫して考えること(=考えることが幸せなのです。)で全てではないですが実現します。
この世で体の一部である両手を使えることは、物質世界で物を創造する喜びの元なのです。人間だけの特権が与えられているのです。
この特権を当たり前と考えてはいけません。神様に感謝しましょう。
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「病の時に読む言葉」52 事故に遭って、人生に大変革が起きる人もいる。

2024-05-10 22:48:17 | 日記
箴言集 「病の時に読む言葉」 大川隆法 著

「病の時に読む言葉」52 事故に遭って、人生に大変革が起きる人もいる。

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 守護霊と同じような考えでいると、波長同通の法則により危険を知らせてくれる場合や、事故に遭っても命が助かることをしてくれる場合があります。
「あ!守護霊に守られたのだ!」と守護霊の存在を強く信じることになり、さらに精進に励むことでしょう。あの世はあるのだと確信し、他の人々に伝える行動をするようになります。

また肉体への衝撃で、霊界と通信ができたり、霊が見えたりする能力が身につくこともある。この場合は人生の生き方がガラリと変わりますね。

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「病の時に読む言葉」51 死ぬ人がいるから、新しく生まれ変わってくる人がいる。「転生輪廻」を信じよう。

2024-05-09 11:28:16 | 日記
箴言集 「病の時に読む言葉」 大川隆法 著

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 人は必ず死ぬ。死ぬためには老衰もあれば何らかの病気が原因で死ぬことになります。死んだら終わりと考えている人は死ぬ恐怖でいっぱいとなります。
死後の世界が本当になければ、全て無になり問題はないが、もしあったならば無いと考えている人は驚愕するであろう。
保険と同じで、もしあったときのために死後の世界を勉強することが必須です。なにも勉強しなかった人は、幽霊となって彷徨うのです。信じていなくても実際にあるのだから、死んでも「まだ行きているのだ!」と頑張るから幽霊になるのです。幽霊になりたい人はあの世を信じないことです。

実際には、死後の世界があるから幽霊もあり、死後の世界を見てきた人の話もあるから、厳然としてあるのです。そして、人はまた別の肉体に宿って生まれてくるのだ。これを「転生輪廻」といいます。
 もし、今の病気で余命宣告されたならば、また生まれ変わってこれるのだと思えば、死を恐れなく迎えることができますね。
どんなにあがいてもやがては死ぬのですから、死後の計画を立てるのも楽しいものですね。
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「病の時に読む言葉」㊿ 病気前の自分の健康管理、体力づくりは、何点だったかな。

2024-05-08 09:27:34 | 日記
箴言集 「病の時に読む言葉」 大川隆法 著

「病の時に読む言葉」㊿ 病気前の自分の健康管理、体力づくりは、何点だったかな。

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 健康なときには、健康のありがたみがないどころか、当たり前であると思って、体に感謝していないものだ。また体の各部分は使わないと役に立っていないと感じて退化するものである。例えば、骨折などで寝たきり入院を1週間続けると歩けなくなります。使わない筋肉は衰えるのです。
適度な刺激を各器官に与えて、役に立ってほしいと言い聞かせ、良く働いてくれていると感謝の思いを伝えると、病気になることはないでしょう。もし病気になる場合は、その器官が警告を与えてくれているものであると思います。

 健康管理は無理をせずに使い、体力づくりは適度な刺激を与えることが採点になるでしょう。さらに加点になるには各器官の労いや感謝の思いが必要であります。なぜならば、各器官には小さな魂があるからである。その小さな魂は(使命を持って)主人であるその人の心に忠実でありつづけるのです。だから懸命に従うのですが、従いきれない場合は怪我をしたり病気になったりして本人に警告を出すだと思います。そんな魂が本体から感謝されたら、どれほど嬉しいことか!
限界以上の働きをすることであろう。
健康が当たり前と思っている本体の小さな魂は文句は言わずに従うのみですが、元気はなくなりますね。そして体の不調は本体の心に多大な影響を与えます。こんな考えでは、健康管理や体力づくりの採点には、必ずマイナスの点数がされるでしょう。
さらに神様から作られ与えられた各器官への感謝がなければ減点になります。
それは、感謝を忘れた傲慢な人間であると、神様から判定されますね。
病気になって考える事柄に、反省する心と体への感謝を追加してみましょう!
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「病の時に読む言葉」㊾ 学歴を自慢や、自分の不幸の原因にしているなら、他の病人たちのことも考えてみよう。

2024-05-07 09:27:49 | 日記
箴言集 「病の時に読む言葉」 大川隆法 著

「病の時に読む言葉」㊾ 学歴を自慢や、自分の不幸の原因にしているなら、他の病人たちのことも考えてみよう。

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 他の病人たちをみていると、学歴に関係ないことに気づくことであろう。
学歴が高ければ優越感に、低ければ劣等感にしている人間は、人の判定に1つの物差ししか持っていないことになる。
自分を含め、相手の本当の姿を見ていないのだ。つまり愛を見ていないのである。
親切や人の役に立つ事に喜ぶ姿を見ることができないのである。
 劣等感は自分をいじめるし、優越感は相手を無視するもので、どちらも造物主エル・カンターレから頂いた人間の仏性に違反する考えであるから、病気の原因になっている。
 考え方に間違いがあったのではないかと、気付かされるのが病気である。
すると病気になったことに感謝する気持ちが出てくる。
不思議なことに、反省したその時から回復に向かうのである。
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「病の時に読む言葉」㊽ 「お金」のことしか考えていなかったのなら、「心」のことも考えてみよう。

2024-05-06 09:32:42 | 日記
箴言集 「病の時に読む言葉」 大川隆法 著

「病の時に読む言葉」㊽ 「お金」のことしか考えていなかったのなら、「心」のことも考えてみよう。

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 「お金」は皆が欲しがるものである。さらには「お金」を得るためには多少悪いことであっても実行する人もいる。すると、その人の周りには、同じ考えを持っている人達ばかりになり、悪の増長する世界になってしまう。それは「心」が苦しむ状態になり、不幸な人生を歩むことになる。
 そんな「お金」だけが全てと思わずに、人を幸福にする手段に過ぎないと考えて、「心」が喜ぶにはどうしたらよいかを考えてみよう。

 本来は「お金」は感謝を形にしたものなのだ。(あの世には「お金」がないのだ。あるのは感謝の心=与える愛か、悪の心=奪う愛である。)だから感謝が感じられないのは、欲望が「お金」の形になった場合であろう。
「お金」は対価であるが、対価以上の部分が、善なのか悪なのかを判断してみようではないか。善の循環になるか、悪の循環になるかの違いであろう。


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「病の時に読む言葉」㊼ 今さら取り返せない人間関係については、神仏に許しを願おう。

2024-05-05 09:40:12 | 日記
箴言集 「病の時に読む言葉」 大川隆法 著

「病の時に読む言葉」㊼ 今さら取り返せない人間関係については、神仏に許しを願おう。

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 病になって考えることが多くなリますね。
何気ない言葉で人を傷つけても、また思い込みや勘違いで人を傷つけたことがあると自覚できても、プライドが邪魔をして謝る態度ができない人は多いのではないでしょうか。
*プライドが邪魔をしたままあの世に行くと、良心の呵責から地獄行きを自分で選びます。地獄行きを避けるならば、行きている間に反省して本人に謝るべきですね。
 また、誤りたくても、相手がこの世にいなくなっている場合や、病に伏せて会えない場合には、直接「許してください」と謝ることができなくなり、一生の負い目となる場合の、救いの言葉です。

 子供を傷つけたらその子の親に謝ることがあります。
 そうです、人類を作くられた魂の親であるエル・カンターレに許しをねがうのです。肉体はなくなっても魂は永遠に存在してますから、魂の親に許しを願えば、子である魂に届くのです。
もちろん口先だけではだめですね、心の底からの反省が必須です。でなければ神仏には届きません。形だけで世渡りをしている人の特徴です。あの世は形ではなく心の世界ですから、効き目はまったくないどころか、罪を重ねることになり、もっと深い地獄へと投げ込まれます。

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「病の時に読む言葉」㊻ 学生としての勉学やスポーツ、大人としての社会への還元について振り返ってみよう。

2024-05-04 09:15:12 | 日記
箴言集 「病の時に読む言葉」 大川隆法 著

「病の時に読む言葉」㊻ 学生としての勉学やスポーツ、大人としての社会への還元について振り返ってみよう。

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 大人になる条件は、まず働いて報酬をもらい、自立できることである。
そのためには、未熟である自分磨きをするのであるが、未熟とは他の手助けが必要とされる時期である。一人前になる前の自分作りをするしかない。
未成年で働く人の場合は指導者に頼りつつ学ぶことになる。働きながら学ぶのは、学生のバイトと同じである。
働いたり学べたりできることに感謝しなければならない。
学生として勉学やスポーツができるのは、学友を得たり、学問以外の学びもできる時期である。
これらの自分づくりを経て大人として自立できたならば、周囲へのお返し、例えば自分の働きで周囲の利益を増やす努力をせねばならない。(初心者の場合は、周りの仕事に負担を掛けているのである。)
後輩を指導できるときは、ようやくお返しのできる自分になった証明である。
さらにお返しの発展には、自分以外への貢献=伴侶を得て子供を作り家庭を築くことであろう。
このお返しができるようになれば、そこには生きがいややりがいが芽生え、人の役に立つ喜びが得られるでしょう。
この社会への還元まで行って、利自即利他になるのである。
自分も利するし、周囲も利する、すなわち発展してゆく社会へ貢献していることになる。
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「病気の時に読む言葉」㊺ 家族の一員として、自分は立派に使命が果たせたか。

2024-05-03 09:13:50 | 日記
箴言集 「病の時に読む言葉」 大川隆法 著

「病気の時に読む言葉」㊺ 家族の一員として、自分は立派に使命が果たせたか。

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 家族の一員としての使命とは、個人の能力を公平にみて、その能力に応じた役割分担を担うことである。
各人の能力は年齢に応じて変化するし、社会人出るとその中での役割分担ができているかによって、家族への貢献度が変わってくる。
その根底に与える愛があるということは、相手には優しく、自分には厳しくしていることである。そして、自分の責任範囲を超えて行動したならば、その使命は立派に果たした事になります。

 ま、凡人であるから、自分の使命を果たせたかなんて思わないのである。
それも立派に果たせたか、まで思いを発展させられるか。
でも、考える時間が与えられたら=病気になったならば、しばし考えることはできると思います。

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「病気の時に読む言葉」㊹ 見舞いに来てくれる家族にも、見舞いに来てくれない家族にも、心の中で感謝しよう。

2024-05-02 12:25:52 | 日記
箴言集 「病の時に読む言葉」 大川隆法 著

「病気の時に読む言葉」㊹ 見舞いに来てくれる家族にも、見舞いに来てくれない家族にも、心の中で感謝しよう。

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 いざ、入院生活が始まると、日頃会う人々がいなくなります。すると淋しくなり、見舞客が来てくれることを期待します。健康なときには、それほど関心がなかった人々への様子が知りたくなるものです。
この期待が大きいほど、見舞いに来てくれない事に不満を持ち始めます。
見舞いに来てくれる事が当然と思っていた自分を発見することです。
そして、自分も病人を見舞っていなかったことを反省しましょう。
忙しさにかまけて見舞いに行けなかったと言い訳している自分を発見しましょう。
さらには、健康なときには、家族への感謝をしていなかった自分を発見しましょう。
全ては、奪う愛をしていなかったか?と反省するべきです。
与える愛とは、日頃の家族や皆様に感謝の思いをするべきです。
これが、愛の種=原因となって、見舞い客万来になるはずです。
今からでも遅くはない、見舞いに来てくれた家族はもちろん、来てくれない家族にも感謝することです。よき種(原因)をまいておきましょう。!
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