石森則和のSEA SIDE RADIO

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バードランドに帰りたい⑤

2007-02-12 | Weblog
僕のフェンダーのジャズベースが
20年ぶりに外気に触れた。

上京して何年かすぎた頃、
故郷とも音楽仲間とも離れ、
「東京の人」になっていく暮らしの中で見つけた。

池袋の楽器店の奥から
「呼ばれた」気がしたのだ。


16、17歳の僕が、遠い背中を追いかけたベーシスト
「ジャコ=パストリアス」と同様の
フレットレス・モデルが、店の一番奥で輝いていた。

ちょっと無理して買ったんだ。
バンドももうないのに。

それから、すっごく、すっごく、いろーんなことがあって、
大学卒業して放送局に入って、で、フリーになって
人生を変える人々に、出会って分かれて、また出会い(笑)
「あの頃の僕」から、すっげー遠く離れたつもりでいた。
せっかく買ったベースも殆ど弾くことはなくなっていた。

そんな日々の中で、キーボードの原田先輩の結婚をきっかけに
ただ一度だけバンドが復活した。
全国に散らばったメンバーが、本番にむけ
ただ一度だけの練習に向かう朝
高速を飛ばす原田先輩の車の中で僕は不安だった。

スタジオは4時間分借りているが、
その間に人に聴かせられる演奏にできるのか、いや
そもそも音が合うのか?なにしろ20年以上が過ぎているのだ。

ドラムスの「田中先輩」は今や大学教授。
お忙しくて練習する暇もないだろう。

サックスの「りょーすけ」さんは
高校の頃は興に乗ると「ぴょんぴょんうさぎ」という
「謎の舞踏」を披露して皆をトランス状態に導いてくださったものだが
さっきの電話は後輩に接するというより、
「きちんとした責任のある社会人(そうだけど)」の会話に思えた。

譜面を追うことができたとしても
あの頃のように「呼吸」を合わせることができるかどうか。

そうこうしているうちに
石森と原田先輩だけ先にスタジオに到着。
メシを食ったあと楽器を搬入する。

先に音を合わせていると重い扉が開いた。
・・・懐かしい声がする。
「なんだよ!着いてたのか。
外で待っていたのに、電話してもつながらないし」
僕らは携帯を車に置いてきてしまったのだ。
あのころはケイタイなんて無かったぞ。

なんと外見は皆、殆ど変わっていない。
(微妙に老けたけど)
とりあえず合わせてみる。
一応各自で自主練習はしてきた筈だ。
まず1曲めは「バードランド」


おっかなびっくりの演奏が終わる。
・・・皆、なんとも言えない表情だ。
しいて言えば竹中直人さんの芸のひとつ
「笑いながら怒る人」を彷彿とさせる。

「バードランド音頭・・・だな」
「練習以上、余興未満・・・。」
「あの頃、こんなだっけ?」
「もしかしたら、
俺達は、あの頃の演奏を
思い出の中で美化してしまったのかもしれん」
「あの当時の録音を聞いてみたいが
もはやカセットデッキを持っていない」
「・・・うーむ」


そんなん言っててもしゃーないので
そこから、ひたすら反復練習に入る。

2曲目は「夏の思い出」のピアノトリオ(ジャズ)バージョン。
原田さんによれば、当時、ライブで演奏したらしいのだが

まーったく覚えてへんの。

自主練習では難しい「バードランド」ばっかやってたし。
そこで譜面を睨みながら演奏・・・
しかしミストーン連発。
「♭と♯が多すぎるんじゃ!取っちまいたいです。」
「寿司のさびぬきじゃないんだから」

この2曲をひたすら繰り返すが
徐々に曲と曲のインターバルが長くなってきた。

「うー、しんどい」もう17歳の僕らではないのだ。



冬なのに暑く、クーラーフル回転。
「おわ。窓ガラスが真っ白」
「これ。俺達の体が発した湯気か?」
「これ拭いてその雑巾絞ったら、
びちょびちょびちょって汁がでてきたりして」
「おわ!おやじ汁だ」
どうにも例えがきもちわるいのである。

(↑疲労困憊の図)


しかし、何度もやっているうちに
なんとなく演奏が合うようになってきた。

不思議なもので家での練習のときには
譜面をみながら「やっとこさ思い出していた」バードランドが
みんなとあわせた途端に指が勝手に動く。
知らないうちに指が覚えていたのだ。

しかも、長年、音楽を聴いてきたせいか
あの頃には出せなかった「感じ」も、ちょっとは出せる。

何より「せーの」で音を出しただけで
僕らは「17歳の僕ら」に戻れた。

なんの比喩でもなく
言葉を並べて記憶を辿る必要など無かった。
音楽は不思議だ。

17歳の自分から、闇雲に遠くまで走って
どんどん皆から離れてしまった気がしたけれど
同じ時代を「並走していんだ」と当たり前すぎることを思った。

帰りの車の中で、原田さんが
「不思議だな、こうして会うと高校生の俺達に戻るんだな」と
僕の思ったことと同じことをつぶやいたのがおかしかった。

実はこれまでの人生で何度か
「もう一度あのメンバーでバンドをやりたい」と思ったことは、
僕にもあった。

・・・でも荒唐無稽な考えだと自嘲した。

それぞれの暮らし、それぞれの仕事、それぞれの事情。それぞれの悩み。
なんだかんだいっても「僕らは大人になった」んだから。

それが急転直下、突然、実現するなんて。





もう会えないと思っていたんだ。




メールで写真を送ってくださった、りょーすけさんが
その件名に書いたタイトルは





「冬の思い出」だった。