宮城県亘理郡山元町。
この町では637人が東日本大震災による津波の犠牲になりました。
何もかもが流された沿岸部は、砂を巻き込んだ強い風が吹き荒れる荒野。
その一部には大規模な農地が開発され、
内陸部に移設された常磐線の駅の周辺には
見違えるような復興団地が広がります。
この町の状況に触れた小説があります。「希望の地図」。
作者は「流星ワゴン」などの作品で知られる直木賞作家の重松清さん。
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震災の翌年にりんごラジオなどを取材した重松清さんは
その後「希望の地図 3・11から始まる物語」という小説の形を借りたルポルタージュを執筆したのです。
文化放送では2017年、重松清さんと共に山元町を訪れて取材し、報道特番を放送しました。
では、あれから山元町のかたがたはどうされているのか。
家族が学校、失われた命の大切さを慈しむ様に描いてきた
直木賞作家、重松清さんと
もう一度、山元町を歩きました。
まず訪ねたのは
退職後、終の棲家として山元町に移り住んでいた
東北放送の元アナウンサーの高橋厚さん(東京出身)と
奥様の真理子さん(仙台出身)。
「臨時災害FM局」は大震災後、東北3県で計24市町で開設されたものの
被災地の助けになった臨災局は、免許の更新をせず閉局する局が相次ぎました。
しかし「りんごラジオ」は、町長以下行政側の復興についての話や
町民の声を届ける等、地域の事は、地域でやる目標で町内の復興に向け放送による活動を続けたのです。
厚さんは2014年に脳出血で倒れ、言葉に軽い障害が残りましたが
真理子さんが献身的に支え、番組に復帰しました。
しかし、文化放送特番が放送された2017年の3月31日をもって
閉局したのです。
このラジオは高橋夫妻の人生を大きく変えました。
人前にでることなど考えたこともなかった真理子さんは
アナウンサーとしてマイクに向かい続けたのです。
その経験を生かして
このほど町議会議員選挙に当選、町のために尽くそうとしています。
また厚さんは健康問題を抱えながらも、
高校生に就職の面接の指導をするなどお元気なご様子でした。
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その次に重松さんが訪ねたのは、大久保三夫さん、恵子さんご夫妻。
去年8月28日夜、山元町に近い太平洋沿岸で
震災以来探し続けてきた娘の真希(当時27歳)さんの骨が発見されました。
遺骨は下あごと歯の一部とみられ、
山元町にある磯浜漁港の東約6キロで
漁船の刺し網に引っ掛かっているのが発見されたのです。
その後、宮城県警が歯型やDNA鑑定を行い、10月17日、
真希さんと判明しました。
大久保真希さんを含む従業員や教習生ら計37人が津波の犠牲となった
旧常磐山元自動車学校の跡地には慰霊碑が建立されています。
この自動車学校を巡っては、犠牲になった大久保さんと教習生25人の遺族が損害賠償を求め提訴、2016年に和解しています。
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大久保ご夫妻は慰霊碑のもとに桜の木を植えました。
訪れるたび、真希さんの好きだった缶コーヒーを飲むことも日課だったのです。
今回の番組では、このおふたりが今の想いを語ります。
東日本大震災の津波に襲われ、
2013年3月に閉校した宮城県山元町中浜小では
2020年度の一般公開に向けて保存工事が進んでいます。
中浜小は津波で2階建て校舎の2階天井付近まで浸水。
屋根裏に避難した児童や住民ら計90人が全員津波を逃れ、
ヘリコプターで救助されました。
津波からの避難方法を震災以前に決め、
校舎屋根裏に児童を連れて逃げた当時の校長、井上剛さんは
「教訓を伝え、未来の命を救いたい」と決意。
教職を退いた後も被災校舎前で語り部を続けています、
そしてもうひとり。
取材に答えてくださったのは斉藤百華さん。
2011年の夏、小学校2年生だった当時、りんごラジオに出演。
「通っていた学校の校歌」や「大きな栗の木の下で」などを歌った。
中学校の教科書に「りんごラジオ」の高橋厚さんの手記が掲載されているが、
その手記に添えられた画像の女の子が斉藤百華さん。
前回2017年当時に放送させていただいた特番では
「将来の夢」について「お医者さん」と答えました。
「人を助けるのってかっこいいと思いませんか」。
今は高校1年生。
常磐線で40分以上かけて通学しています。
復興復旧の過程の中で子供時代を過ごした彼女はどんな未来を望むのか。
文化放送サタデープレミアム・シリーズ被災地の真実『あれからどうしてた? ~作家、重松清が歩く山元町』 は今週土曜日(7日)夕方6時からです。