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文化放送報道特番『~封印された真実 BC級戦犯~翻弄された人生』

2020-03-10 | Weblog

3月7日18時に放送された

「シリーズ被災地の真実 あれからどうしてた?作家重松清が歩く山元町」

お聴きいただきありがとうございました。

放送から一週間、radikoタイムフリーで聴けますのでよろしかったらどうぞ。

さて、今回も報道特番のお知らせです。

☆☆☆

3月28日(土), 18:00~18:57,

『文化放送終戦75年企画 シリーズ

             ~封印された真実 BC級戦犯~翻弄された人生』

あるBC級戦犯の生存者に、詩人のアーサービナードさんがお話を聞きます。

「BC級戦犯」という言葉をご存知でしょうか。

「A級戦犯」ならニュースなどでお聴きになったことがあるでしょう。

 

A級戦犯は戦争を指導した将校クラス。

これに対しBC級戦犯は「上官の命令に従った兵隊や軍属」で、

連合国側から戦犯と判定されました。

 

A級戦犯で処刑されたのは25人ですが

BC級戦犯の被告は5千人を超え、

約1千人が死刑判決を受けました。

 

私が去年の報道特番の取材で行方を捜した元兵士のひとりも

BC級戦犯として巣鴨プリズンに収監された、というところで

消息が途切れました。

 

BC級戦犯は

捕虜収容所の監視にあたった者が多かったとされます。

階級は高くなく、再雇用された高齢者や傷を負った軍人、

また日本の国策で雇用された朝鮮人、台湾人軍属も少なくありませんでした。

 

しかし、そうしたアジア人軍属は、敗戦後

サンフランシスコ講和条約により日本国籍を離脱したとみなされ、

日本の「戦傷病者戦没者遺族等援護法」からも外されました。

つまり、日本の軍属として裁かれながら、

日本人BC級戦犯なら受けられた補償が受けられなかったのです。

今回取材したのは

1925年、朝鮮半島南西部の全羅南道で

小作農家のの長男として生まれた李鶴来(イ・ハンネ)さん(95歳)です。

17歳で軍属となり、泰緬鉄道で働く捕虜の監視員をつとめました。

 

現場では病気の捕虜も駆り出され、命を落とす人もいましたが

李さんは命令には背けず、捕虜たちの怒りを買いました。

 

1945年、大日本帝国の敗戦後に、李さんらは「捕虜虐待」の疑いで逮捕され、

裁判で死刑判決が下されます。

 

ただ、李さんを告発したひとりである軍医が

死刑に反対したことで、懲役20年に減刑されました。

 

1951年8月、李さんは東京の巣鴨プリズンに移ります。

そして、日本国籍をはく奪され

日本人が政府から受ける補償からも切り捨てられてしまいます。

李さんらを待っていたのは生活苦でした。
李さんは1956年10月に巣鴨プリズンを出所したあと
仲間とともに総理官邸前に座り込むなど、補償を求める運動を続けたのです。

 

ところが、そんな生活苦の中、一人の日本人医師が

「日本人として恥ずかしい」と私財をなげうって支援を申し出ます。

この医師の行動の背景には

巣鴨プリズンで「教誨師」を務めた僧侶の存在がありました。

 

この番組では李さんの人生を負うとともに

李さんを支援した日本人医師、

医師に影響を与えた教誨師らについても遺族や関係者に取材、

語られることのなかった「戦争の素顔」に迫ります。

 

ーーー

なお、文化放送では今年

戦争に翻弄された人々の人生や

語られてこなかった真実について、

数回にわたる特別番組を放送します。

3月28日(土), 18:00~18:57,

『文化放送終戦75年企画 シリーズ

             ~封印された真実 BC級戦犯~翻弄された人生』

http://www.joqr.co.jp/article/detail/75.php


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