今朝は9時過ぎに家を出て、帰宅したのが夜7時過ぎ。
はるばると奈良方面まで「萬葉講座」を聴きに行って来ました♪
ちょうどお昼頃に着いたので、まずはランチ♡(笑)
イカと野菜の中華あんかけ丼
(ご飯は五穀米)
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朝はトースト2枚におからサラダ、デザートに柿をいっぱい食べ、
きな粉入り紅茶もたっぷり飲んでお腹いっぱいだったため、
お昼のこの中華丼は通常のご飯の量の半分にしてもらいました。
(代金は同じですが 笑)
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早めに着いたので、会場はまだ準備中でしたが、
30分も前からもう席に座っている人たちがちらほら。
会場一番前の左奥の方におられるのが先生と奥様です。
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お二人は同じ大学で学ばれ結ばれた間柄だそうですので、
先生は講義最中にも奥様に確認を求められることもあり、
その仲の好さがほのぼのとほほえましく、参加者の笑みもこぼれます。
私もお二人のそんなお姿やお人柄に惹かれて長く通い続けていますが、
最近はさらに受講者も増えて来て悦ばしい限りです♪
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今回の講義(第31回)の題は
「山河の清(さや)けき見れば」
ー 久迩(くに)の宮と大伴家持 ー
木津川の辺りにあった聖武天皇の都(740年〜744年)「恭仁京」
このお話が大変興味深かったです。
以前、この萬葉講座の「現地講座」の企画として、「恭仁京跡地」に
先生や受講生の方々と共にバスツアーで出かけたことがあり、
ほんとうに夢のような幸せなひとときを過ごしたこともありました。
(その時の詳細はブログにもUPしたことがあります)
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聖武天皇は未完成のまま恭仁京を見放して? なぜ難波宮に都を遷したのか?
このことが私にとっては一番の謎です。
以前の講座でもこの詳細を学んだ筈なのに? さっぱり覚えてなくて。。(汗)
今回も結局その遷都の理由についてはなぜか聴きそびれてしまいました。
吉野の宮滝との共通性について、両者の詳細な地図や資料を使ってのご講義
天平十五年の家持の久迩宮讃歌 についても
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清(さや)けき見れば
今造る 久迩の王都(みやこ)は 山河の うべ知らすらし
清(きよ)きを見れば
先生は熱弁をふるって教えてくださったのに、
家に辿り着く頃には もうすっかり忘れてしまっている私!!!
(もちろん、メモもとってはいるのですが、はて、そのメモの意味が・・??)
何年もこの辺りに住んでいたことさえあるというのに。。 はあぁ〜(ため息)
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もしも真剣に興味を持たれた方はぜひ下記のHPをご覧ください。
後日、今回の第31回講座内容の概略を知ることが出来ます♪
(現在掲載されているのは第30回の講座概略です)
会場には秋らしいお花が活けられていていかにも風情がありました。
毎回違うこのような素晴らしい生花を間近で見られるのも
愉しみの一つです♪
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本日も「光のチャレンジ」をご覧くださってありがとうございました。
遠距離移動で少々疲れていたのですが、ブログを書いているうちに
不思議に元氣が出ました(笑)。
忘れ無いうちに・・と思って急いで書いたのに、やっぱりもうほとんど
忘れてしまっていて、唖然、茫然です。。
が、8千歩以上歩いていい運動になったことでよし!としますね。