「ガイアシンフォニー」という映画をご覧になったことはあるでしょうか?
この映画は全国あちこちで自主上映されていて、現在は確か第7番まで完成していると思います。
私はこれまでに制作された「ガイアシンフォニー」は全部観ていますが、一番最初の映画は大阪で観た気がします。
その時以来、すっかり龍村仁監督のファンになり、追っかけのようにして新しい映画が出来上がる度に次々に観たのです。
もちろん彼が書かれた本も次々に買ってサインをしてもらったりしました。
阪神淡路大震災後に広島に移り住んで一年暮らしましたが、ちょうどその間に広島でも上映会がありました。
その映画は何番だったか忘れましたが、その上映会の開催は(1996年8月に亡くなられた)星野道夫さんがまだ存命の頃ではなかったかと思います。
上映会の後で監督を囲む交流会があり、その席で監督がそれまでの「制作秘話」などを語られ、また今制作中の映画として「渡り烏」やアラスカの話などをされたように覚えています。アイルトン・セナ(世界的なFIレーシング・ドライバー)に出演してもらおうと思っていたら、彼が事故で(1994年5月)亡くなり、ほんとうにショックだったという話もされていたように思います。
私は監督とは個人的な面識は全く無いのですが、たまたまその交流会はそれほど多人数では無く仲間内の親密な会だったので、ほんのつかの間ですが、監督と直接お話する機会がありました。(名前などは言わなかったと思います)
私は前日にふと描いた絵がなぜか監督に似ている気がしたので、それを監督にお見せしたところ、「これ、いただいていいですか?」とおっしゃったので、「どうぞ」と言ってもらっていただきました。
その絵では監督の顔がしゃれこうべのようになっていて、腕には黒い喪章が巻いてあったので、そんな「縁起でも無い絵」にまさか監督が興味を持たれるとは思っていませんでした。
(ですから控えのコピーなどは取っていず、持参した原画をその場でそのままお渡ししたのです)
その時私は、もしかしたらセナのことがこういう絵になって出て来たのかも?と監督のお話を伺って思っていたのですが、ちょっと不気味な絵だったので、その後も何となく気にかかって長らく忘れられなかったのです。
(ちなみに私は車やレースなどには全く疎く、セナのことも監督から話を聞くまでは詳細を知らなかったのです)
ところがその後まもなく星野道夫さんが急逝され、「そうか、あの絵はもしかしたらそのことだったのかもしれない」とふと気が付いたのです。
(あるいはセナのことと両方が重なって描かれていたのかもしれませんが、、)
そしてその後随分年月が経って、一昨年末大阪で「ガイアシンフォニー第7番」の上映会があり、その会場で客席との交流会があったのです。何人かの質疑応答があり終わって散会する時、(私は何も質問しないでただ座っていただけなのですが)立ち去り際に監督がじっと私の顔を見て、「名前は忘れてもどういう話をしたかということは必ず覚えているのです」とおっしゃったのです。
監督は(以前お渡しした絵のことなどは)おそらく忘れておられると思いますが、もしかしたら何となく「どこかで見覚えのある顔だなぁ~、いつどこで出会った人だろう?」と不思議に思われたのかもしれません(笑)。
私も人の顔や名前は忘れてもその言葉などはけっこう覚えている方なので、思わず監督に共感して嬉しかったのですが、同時にちょっぴりほろ苦い思い出も甦ってきました。
人生はつくづく「出会い」だと思います。これから先もいつどこでどういう人に出会えるかもしれないと思うと、「もう少し生きてみよう」と元気が出ますね。
下記の写真は伊豆高原の「テディベアミュージアム」のひな壇です。
この映画は全国あちこちで自主上映されていて、現在は確か第7番まで完成していると思います。
私はこれまでに制作された「ガイアシンフォニー」は全部観ていますが、一番最初の映画は大阪で観た気がします。
その時以来、すっかり龍村仁監督のファンになり、追っかけのようにして新しい映画が出来上がる度に次々に観たのです。
もちろん彼が書かれた本も次々に買ってサインをしてもらったりしました。
阪神淡路大震災後に広島に移り住んで一年暮らしましたが、ちょうどその間に広島でも上映会がありました。
その映画は何番だったか忘れましたが、その上映会の開催は(1996年8月に亡くなられた)星野道夫さんがまだ存命の頃ではなかったかと思います。
上映会の後で監督を囲む交流会があり、その席で監督がそれまでの「制作秘話」などを語られ、また今制作中の映画として「渡り烏」やアラスカの話などをされたように覚えています。アイルトン・セナ(世界的なFIレーシング・ドライバー)に出演してもらおうと思っていたら、彼が事故で(1994年5月)亡くなり、ほんとうにショックだったという話もされていたように思います。
私は監督とは個人的な面識は全く無いのですが、たまたまその交流会はそれほど多人数では無く仲間内の親密な会だったので、ほんのつかの間ですが、監督と直接お話する機会がありました。(名前などは言わなかったと思います)
私は前日にふと描いた絵がなぜか監督に似ている気がしたので、それを監督にお見せしたところ、「これ、いただいていいですか?」とおっしゃったので、「どうぞ」と言ってもらっていただきました。
その絵では監督の顔がしゃれこうべのようになっていて、腕には黒い喪章が巻いてあったので、そんな「縁起でも無い絵」にまさか監督が興味を持たれるとは思っていませんでした。
(ですから控えのコピーなどは取っていず、持参した原画をその場でそのままお渡ししたのです)
その時私は、もしかしたらセナのことがこういう絵になって出て来たのかも?と監督のお話を伺って思っていたのですが、ちょっと不気味な絵だったので、その後も何となく気にかかって長らく忘れられなかったのです。
(ちなみに私は車やレースなどには全く疎く、セナのことも監督から話を聞くまでは詳細を知らなかったのです)
ところがその後まもなく星野道夫さんが急逝され、「そうか、あの絵はもしかしたらそのことだったのかもしれない」とふと気が付いたのです。
(あるいはセナのことと両方が重なって描かれていたのかもしれませんが、、)
そしてその後随分年月が経って、一昨年末大阪で「ガイアシンフォニー第7番」の上映会があり、その会場で客席との交流会があったのです。何人かの質疑応答があり終わって散会する時、(私は何も質問しないでただ座っていただけなのですが)立ち去り際に監督がじっと私の顔を見て、「名前は忘れてもどういう話をしたかということは必ず覚えているのです」とおっしゃったのです。
監督は(以前お渡しした絵のことなどは)おそらく忘れておられると思いますが、もしかしたら何となく「どこかで見覚えのある顔だなぁ~、いつどこで出会った人だろう?」と不思議に思われたのかもしれません(笑)。
私も人の顔や名前は忘れてもその言葉などはけっこう覚えている方なので、思わず監督に共感して嬉しかったのですが、同時にちょっぴりほろ苦い思い出も甦ってきました。
人生はつくづく「出会い」だと思います。これから先もいつどこでどういう人に出会えるかもしれないと思うと、「もう少し生きてみよう」と元気が出ますね。
下記の写真は伊豆高原の「テディベアミュージアム」のひな壇です。