連日のあまりの暑さ(異常気象)に何かあるのでは?と気になっていたら、何と桜島の5千メートルの高さにも及ぶ噴煙!
そしてそれとは全く何の関係も無い?筈なのだが、突然におへそが痒くなり、見てみるとなぜかカサカサに乾いて(渇いて)いる。
人のからだは「小宇宙」とも言われるし、また「人の振り見て我が振り直せ」ということわざもある。
外側の世界で何かがある時は、まず私はそれは「自分自身のこと」として、自分の「内側」(内面)を見直すことにしている。
自分の周囲に起きることの全ては「自分の内側の世界の反映」でもあると思うので、、。
それで、まずは自分の内面を見ること(瞑想等)の前に、久しぶりに「おへそのごま取り」をした。
普通はどのぐらいの間隔でおへそのそうじや手入れをするものなのか?はわからないけれど、私はふと気が付いた時にすることにしている。
そう言えばここしばらくというか、長い間「おへその存在」自体を忘れていた気がする。
こんな大事な場所なのに!
おへそさん、放ったらかしていてごめんなさい!!
というわけで、まずはいつも使っている「健生会」のエドガー・ケーシーのオイルを何滴かおへそに垂らし、しばらくおいてから綿棒でそっと中を拭ってそうじをしたのである。
(念には念を入れて私は綿棒にも少しオイルを染み込ませるようにしている)
この方法はとても簡単で、安全。
しかもすぐにきれいになり、おまけにおへそを通してオイルがからだの中心に吸い込まれていくような感じがして、とても気持ちがいい。
おへそのそうじと手入れが終わったあとは、何だか気持ちも柔軟に「うるおい」が出る?ように感じる。
まさか、こんな方法で桜島の噴煙が収まるなんてことは無いだろうけれど!?
そしてその後、この突然の「おへその渇き」というのは、一体何だろう?と、(生理的、科学的なことはよくわからないので)ふと「哲学的」?思考をしたのだった。
おへそは「へその緒」の痕跡ということは誰でも知っていると思うが、ここは「母子」の繋がりを感じさせるところでもある。
そして「生と死」も連想させる。
昔からの言い伝えとして、もしもほんとうにいのちの危機を迎えた時は、「へその緒を煎じて呑ませる」といいと聞く。
それがどこまで効果があるのかはわからないけれど、その深い意味は人と人との「絆」や、つながりということでもあるのだろうか?
ところで「日本のへそ」は兵庫県の西脇市にあたるらしいが、「世界のへそ」というのはどこだろう?と、ついでにネット検索してみると、
アボリジニーの聖地「ウルル」(エアーズロック)だった☆
ここはかつては8千m級の高山が連なっていたところだと知ってびっくりした。
雨や風の浸食、大地の変動によって今のような一枚岩の形状のウルルになったらしいのだが、思わずウ~ムと唸ってしまった。
というのも、宇宙画(線描画)『アトラス』(この題は後で付けたのだが)を描いた時、「ここから人類のいのちが生まれた」場所として、その絵では(かつての)オーストラリア大陸一帯の海の中に、まるで「胎児」のようなかたち?の(鳴門の渦巻きのような?)「おへそ」!?を描いているからである。
そしてそれは例えば淡路島の「国生み神話」も思い出させるが、要するに地球の?エネルギーの誕生した場所ということかもしれない。
さらに偶然にも、今度その『アトラス』の曲をアズミックアートのHPに掲載する予定で現在準備中だったので、特にそれを意図したのでは無いけれど、もしかしたら、この桜島の噴煙も「出来るだけ強い『風』で高く遠くへ吹き飛ばして、その濃度が薄まるようにする」ということを意味しているのかもしれない!?と直観的に感じたのだ。
なぜなら、この曲は風がメインテーマになっていて、『アトラス』の絵そのものも、「草原に風が吹いている」イメージでもあるからだ。
そんな「草の波」の彼方から「宇宙の記憶を運んで来た白い船」がやって来るという、、そして私たちを乗せてほんとうの魂のふるさとへと連れて行ってくれる♪ というそんな風景が歌になっている。
私たちの地球は今やどんどん緑が失われ、容赦の無い強い太陽光線が降り注ぎ、大地はカラカラにひび割れて乾き、人々のこころもからだもカサカサに渇き切り、家族関係も民族間もうるおいが失くなり、ギスギス、ギクシャクとして、あっちでもこっちでも紛争だらけ、、。
そして先行きの見えない、まるで「濃霧」の中に入ったようなそんな世界の中で、みんなどうしていいのか? 不安に駆られ、また溜まった「憤まん」が爆発的な「噴煙」となり、空高く噴き上げられ、火口(おへそ)に詰まったゴミも巻き上げられているのかもしれない。
清らかな風がそのような汚れや溜まったゴミを吹き飛ばして、さわやかに浄化してくれますように!
これまでの記録に無いような豪雨の次は「風」なのか!?と、どうか決して心配をされませんように、、。
これも地球にとっては「必要なそうじ(浄化)」なのかもしれないのですから。
自然は「五風十雨」というように、五日に一度の風、十日に一度の雨で、これまでうまくバランスを取っていたのかもしれません。
もしかしたら今はその「崩れたバランスを回復する途上」なのかもしれないですね。
日本も世界も、、。地球自身も今や何万年に一度の?「遷宮」(アセンション)の時を迎えているのでしょうか!?
むしろ宇宙のひな形でもある私たち自身(小宇宙)の方も、身辺の整理や浄化をし、そして「禊」をする時なのかも?
自分自身にとっての「へそ」にあたるものは何なのか?
もっとも大切なものとは何なのか、、。
そんなことを思いながら、桜島の噴煙が収まるのを心から祈っています。
下記の絵は『アトラス』です。
この絵は未だポストカードにはなっていません。
無断転載およびコピーなどはご遠慮ください。
そしてそれとは全く何の関係も無い?筈なのだが、突然におへそが痒くなり、見てみるとなぜかカサカサに乾いて(渇いて)いる。
人のからだは「小宇宙」とも言われるし、また「人の振り見て我が振り直せ」ということわざもある。
外側の世界で何かがある時は、まず私はそれは「自分自身のこと」として、自分の「内側」(内面)を見直すことにしている。
自分の周囲に起きることの全ては「自分の内側の世界の反映」でもあると思うので、、。
それで、まずは自分の内面を見ること(瞑想等)の前に、久しぶりに「おへそのごま取り」をした。
普通はどのぐらいの間隔でおへそのそうじや手入れをするものなのか?はわからないけれど、私はふと気が付いた時にすることにしている。
そう言えばここしばらくというか、長い間「おへその存在」自体を忘れていた気がする。
こんな大事な場所なのに!
おへそさん、放ったらかしていてごめんなさい!!
というわけで、まずはいつも使っている「健生会」のエドガー・ケーシーのオイルを何滴かおへそに垂らし、しばらくおいてから綿棒でそっと中を拭ってそうじをしたのである。
(念には念を入れて私は綿棒にも少しオイルを染み込ませるようにしている)
この方法はとても簡単で、安全。
しかもすぐにきれいになり、おまけにおへそを通してオイルがからだの中心に吸い込まれていくような感じがして、とても気持ちがいい。
おへそのそうじと手入れが終わったあとは、何だか気持ちも柔軟に「うるおい」が出る?ように感じる。
まさか、こんな方法で桜島の噴煙が収まるなんてことは無いだろうけれど!?
そしてその後、この突然の「おへその渇き」というのは、一体何だろう?と、(生理的、科学的なことはよくわからないので)ふと「哲学的」?思考をしたのだった。
おへそは「へその緒」の痕跡ということは誰でも知っていると思うが、ここは「母子」の繋がりを感じさせるところでもある。
そして「生と死」も連想させる。
昔からの言い伝えとして、もしもほんとうにいのちの危機を迎えた時は、「へその緒を煎じて呑ませる」といいと聞く。
それがどこまで効果があるのかはわからないけれど、その深い意味は人と人との「絆」や、つながりということでもあるのだろうか?
ところで「日本のへそ」は兵庫県の西脇市にあたるらしいが、「世界のへそ」というのはどこだろう?と、ついでにネット検索してみると、
アボリジニーの聖地「ウルル」(エアーズロック)だった☆
ここはかつては8千m級の高山が連なっていたところだと知ってびっくりした。
雨や風の浸食、大地の変動によって今のような一枚岩の形状のウルルになったらしいのだが、思わずウ~ムと唸ってしまった。
というのも、宇宙画(線描画)『アトラス』(この題は後で付けたのだが)を描いた時、「ここから人類のいのちが生まれた」場所として、その絵では(かつての)オーストラリア大陸一帯の海の中に、まるで「胎児」のようなかたち?の(鳴門の渦巻きのような?)「おへそ」!?を描いているからである。
そしてそれは例えば淡路島の「国生み神話」も思い出させるが、要するに地球の?エネルギーの誕生した場所ということかもしれない。
さらに偶然にも、今度その『アトラス』の曲をアズミックアートのHPに掲載する予定で現在準備中だったので、特にそれを意図したのでは無いけれど、もしかしたら、この桜島の噴煙も「出来るだけ強い『風』で高く遠くへ吹き飛ばして、その濃度が薄まるようにする」ということを意味しているのかもしれない!?と直観的に感じたのだ。
なぜなら、この曲は風がメインテーマになっていて、『アトラス』の絵そのものも、「草原に風が吹いている」イメージでもあるからだ。
そんな「草の波」の彼方から「宇宙の記憶を運んで来た白い船」がやって来るという、、そして私たちを乗せてほんとうの魂のふるさとへと連れて行ってくれる♪ というそんな風景が歌になっている。
私たちの地球は今やどんどん緑が失われ、容赦の無い強い太陽光線が降り注ぎ、大地はカラカラにひび割れて乾き、人々のこころもからだもカサカサに渇き切り、家族関係も民族間もうるおいが失くなり、ギスギス、ギクシャクとして、あっちでもこっちでも紛争だらけ、、。
そして先行きの見えない、まるで「濃霧」の中に入ったようなそんな世界の中で、みんなどうしていいのか? 不安に駆られ、また溜まった「憤まん」が爆発的な「噴煙」となり、空高く噴き上げられ、火口(おへそ)に詰まったゴミも巻き上げられているのかもしれない。
清らかな風がそのような汚れや溜まったゴミを吹き飛ばして、さわやかに浄化してくれますように!
これまでの記録に無いような豪雨の次は「風」なのか!?と、どうか決して心配をされませんように、、。
これも地球にとっては「必要なそうじ(浄化)」なのかもしれないのですから。
自然は「五風十雨」というように、五日に一度の風、十日に一度の雨で、これまでうまくバランスを取っていたのかもしれません。
もしかしたら今はその「崩れたバランスを回復する途上」なのかもしれないですね。
日本も世界も、、。地球自身も今や何万年に一度の?「遷宮」(アセンション)の時を迎えているのでしょうか!?
むしろ宇宙のひな形でもある私たち自身(小宇宙)の方も、身辺の整理や浄化をし、そして「禊」をする時なのかも?
自分自身にとっての「へそ」にあたるものは何なのか?
もっとも大切なものとは何なのか、、。
そんなことを思いながら、桜島の噴煙が収まるのを心から祈っています。
下記の絵は『アトラス』です。
この絵は未だポストカードにはなっていません。
無断転載およびコピーなどはご遠慮ください。