さて、「林檎のキセキ」の話の続きです。
宮沢賢治の詩や童話の中には「りんご」が登場することが多く、
それが何を象徴するものなのか?ということについて、
非常に深い分析と洞察力でもって書かれた本があります。
岩波現代文庫/見田宗介著『宮沢賢治 存在の祭りの中へ』
あまりにも凄い内容なので、私がここで中途半端に紹介するよりも、
興味のある方はぜひこの本を手に取って読んでみていただけたらと思います。
この本の4ページには
<きしゃは銀河系の玲瓏レンズ/巨きな水素のりんごのなかをかけている/
りんごのなかをはしっている>
(長詩『青森挽歌』の走り出しの数行)
が紹介されています。
『銀河鉄道の夜』の物語に出て来る<汽車の中でりんごをたべる人>が、
ここでは<りんごのなかをはしるきしゃ>として反転して表現されていることも、
この本の中で見田氏は指摘されています。
さらには、彼は下記のような鋭い見解も示されています。
<鍵をもった人>である天上の燈台守が、いつのまにか黄金と虹の大きなりんごを持っていたりする。
りんごは「鍵」の変身でもあるように。
少年ジョバンニに世界の真理を開示してみせる<黒い大きな帽子の男>は、
「おまえがあうどんなひとでもみんな何べんもおまえといっしょに
りんごをたべたり汽車に乗ったりしたのだ」という のです。
「人間が生のひとときを分かちあいながら、
あるいは孤独を噛みながらたしかに生きたということを刻印するあかしのように、
汽車に乗る人たちは、いつもりんごをたべている。
あるいはりんごを手にもっていたり、ポケットにしまっていたりする」
と、見田さんはこの物語に出て来るキーワードの一つである「りんご」について
詳しく解説されています。
りんごはアダムとイブの物語の中でも重要な役目を果たしている果物ですが、
見田氏は、賢治がこの「孔(あな)のある球体」であるりんごのことを、
「四次元世界の模型のようなもの」として無意識的に選び、
シンボルとして用いて書いたのではないかと論考されています。
また7~8ページには、このような、より詳細な解説が書かれています。
(少々長くなりますが、下記に引用、抜粋してみます)
「銀河鉄道」の旅のおわりでは、<そらの孔(あな)>である石炭袋がでてくる。
「あ、あすこ石炭袋だよ。そらの孔だよ。」
カムパネルラが少しそっちを避けるやうにしながら
天の川のひととこを指さしました。
ジョバンニはそっちを見てまるでぎくっとしてしまひました。
天の川の一とこに大きなまっくらな孔がどほんとあいているのです。
その底がどれほど深いかその奥に何があるか
いくら眼をこすってのぞいてもなんにも見えず
ただ眼がしんしんと痛むのでした。
石炭袋(コール・サック)は、この宇宙の中のひとつの点でありながら、
同時にこの宇宙の外にひろがり、この宇宙自体をもまたその中の
ひとつの点としてうかべているのかもしれないような、
<外部の>空間への通路でもあり、露頭でもある。
このようにして石炭袋は、宇宙空間の外部に向かって
反転されたりんごの孔である。
りんごといううらがえし可能な空間が、
銀河といううらがえし可能な空間の中で、
それ自体うらがえされたかたちに他ならない。
それは、宇宙がそれ自体、
異の空間への出口をもつ空間でなければならないことを、
詩人(賢治のこと)が直感しているからである。
この<銀河鉄道>の中で、車掌が検札にまわってきたとき、
ジョバンニはじぶんが切符をもっていることをしらない。
あわてて上着のポケットをみると、
四つにたたんだはがきぐらいの大きさの緑色の紙がでてくる。
車掌はそれをみて、
「これは三次元空間の方からお持ちになったのですか。」という。
天上の住人である鳥捕りのひとはこの切符をみて、
それがどこにでも行ける切符であるという。
(中略)
ジョパンニの切符がもうひとつの石炭袋、
<宇宙の出口>であることはあきらかであるが、
それは切符が<どこにでも行くことのできる通行券>であり、
つまり時・空をこえるもの、
人間の運命からの解放のメディアに他ならないからである。
わぁ、これは凄い!!!
りんごって、実はそういうメッセージだったんですね!?
さて、いよいよここからが本題なんですが、、
あまりにも長くなりますので、この続きはまた次回に。
今回は少々小難しい話になってしまいましたが、
この話は、な、な、何と、
あのアップル の 故・スティーブ゠ジョブズのことに
繋がっていくのです!!!
☆ 乞う御期待!?
いつもご愛読ありがとうございます♪

宮沢賢治の詩や童話の中には「りんご」が登場することが多く、
それが何を象徴するものなのか?ということについて、
非常に深い分析と洞察力でもって書かれた本があります。
岩波現代文庫/見田宗介著『宮沢賢治 存在の祭りの中へ』
あまりにも凄い内容なので、私がここで中途半端に紹介するよりも、
興味のある方はぜひこの本を手に取って読んでみていただけたらと思います。
この本の4ページには
<きしゃは銀河系の玲瓏レンズ/巨きな水素のりんごのなかをかけている/
りんごのなかをはしっている>
(長詩『青森挽歌』の走り出しの数行)
が紹介されています。
『銀河鉄道の夜』の物語に出て来る<汽車の中でりんごをたべる人>が、
ここでは<りんごのなかをはしるきしゃ>として反転して表現されていることも、
この本の中で見田氏は指摘されています。
さらには、彼は下記のような鋭い見解も示されています。
<鍵をもった人>である天上の燈台守が、いつのまにか黄金と虹の大きなりんごを持っていたりする。
りんごは「鍵」の変身でもあるように。
少年ジョバンニに世界の真理を開示してみせる<黒い大きな帽子の男>は、
「おまえがあうどんなひとでもみんな何べんもおまえといっしょに
りんごをたべたり汽車に乗ったりしたのだ」という のです。
「人間が生のひとときを分かちあいながら、
あるいは孤独を噛みながらたしかに生きたということを刻印するあかしのように、
汽車に乗る人たちは、いつもりんごをたべている。
あるいはりんごを手にもっていたり、ポケットにしまっていたりする」
と、見田さんはこの物語に出て来るキーワードの一つである「りんご」について
詳しく解説されています。
りんごはアダムとイブの物語の中でも重要な役目を果たしている果物ですが、
見田氏は、賢治がこの「孔(あな)のある球体」であるりんごのことを、
「四次元世界の模型のようなもの」として無意識的に選び、
シンボルとして用いて書いたのではないかと論考されています。
また7~8ページには、このような、より詳細な解説が書かれています。
(少々長くなりますが、下記に引用、抜粋してみます)
「銀河鉄道」の旅のおわりでは、<そらの孔(あな)>である石炭袋がでてくる。
「あ、あすこ石炭袋だよ。そらの孔だよ。」
カムパネルラが少しそっちを避けるやうにしながら
天の川のひととこを指さしました。
ジョバンニはそっちを見てまるでぎくっとしてしまひました。
天の川の一とこに大きなまっくらな孔がどほんとあいているのです。
その底がどれほど深いかその奥に何があるか
いくら眼をこすってのぞいてもなんにも見えず
ただ眼がしんしんと痛むのでした。
石炭袋(コール・サック)は、この宇宙の中のひとつの点でありながら、
同時にこの宇宙の外にひろがり、この宇宙自体をもまたその中の
ひとつの点としてうかべているのかもしれないような、
<外部の>空間への通路でもあり、露頭でもある。
このようにして石炭袋は、宇宙空間の外部に向かって
反転されたりんごの孔である。
りんごといううらがえし可能な空間が、
銀河といううらがえし可能な空間の中で、
それ自体うらがえされたかたちに他ならない。
それは、宇宙がそれ自体、
異の空間への出口をもつ空間でなければならないことを、
詩人(賢治のこと)が直感しているからである。
この<銀河鉄道>の中で、車掌が検札にまわってきたとき、
ジョバンニはじぶんが切符をもっていることをしらない。
あわてて上着のポケットをみると、
四つにたたんだはがきぐらいの大きさの緑色の紙がでてくる。
車掌はそれをみて、
「これは三次元空間の方からお持ちになったのですか。」という。
天上の住人である鳥捕りのひとはこの切符をみて、
それがどこにでも行ける切符であるという。
(中略)
ジョパンニの切符がもうひとつの石炭袋、
<宇宙の出口>であることはあきらかであるが、
それは切符が<どこにでも行くことのできる通行券>であり、
つまり時・空をこえるもの、
人間の運命からの解放のメディアに他ならないからである。
わぁ、これは凄い!!!
りんごって、実はそういうメッセージだったんですね!?
さて、いよいよここからが本題なんですが、、
あまりにも長くなりますので、この続きはまた次回に。
今回は少々小難しい話になってしまいましたが、
この話は、な、な、何と、
あのアップル の 故・スティーブ゠ジョブズのことに
繋がっていくのです!!!
☆ 乞う御期待!?
いつもご愛読ありがとうございます♪
