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1995年の阪神淡路大震災がきっかけとなり自動書記で突如絵を描き始める 絵の仕事は26年目 ブログ光のチャレンジは11年

部屋の中に象が!?

2013-06-16 | シリーズ「テレパスアート物語」
これは昨日(2013.6.15)、「奇跡とコンタクトする時代&夢を叶える時代」というTHD主催のセミナーの中で、エハン・デラヴィさんが話されたことなのですが、「部屋の中に象がいる」
(The elephant in room )というのは、「一番大きな問題は目の前にあるにも関わらず、そのことに気付いていない」という意味なのだそうです。

この(英語の)言い回しを聴いてパッと浮かんで来たことがありました。
それは、つい最近描いたある方の「テレパスアート」のことです。

その方の絵の場合は、例えば目の見えない人が象を撫でてそのしっぽを掴んだとしても、もし一度も象を見たことが無いとしたら、「その全体像はわからない」という意味のように(その時点での私には)受け止められました。

そして不思議なことに描いているうちに、その「巨象」(「虚像」とも重なっている!?)は「牛」に変化し、それはいわゆる禅の「十牛図」(悟りに至るまでの十段階の道筋)のような感じで、例えば牛飼いが牛を飼っているとして、「その牛を何とか家に連れて帰りたい」(自分の思う通りにしたい)と思っても、(その段階においては)「手を放して牛を自由に放牧する」方がよりベターな選択だったり、「そういう時期」なのかもしれないということのようでした。


それで、その時は私に感じられたこととして、上記のようなことを(連想も含めて)お伝えしたのですが、うまく伝えられたかどうか?はわかりません。
もし私が先にこのエハン・デラヴィさんの講演を聴いていたとしたら、あるいはもう少しうまく説明出来たかもしれません。


ところで、そのことわざ?の中で言われている「一番大きな問題」(目に見えない象)とは果たして何か

会場の聴衆の誰もその問いには答えられませんでしたが、何とそれは「TIME」のことだったのです!!!


そしてその後、「時間の加速化」について非常に興味深い話がありました。

エハン・デラヴィさんは「まだアセンションは起こっていない」(臨界点には達していない)という立場で、今どんどん「時間が加速されていっている」ということや、イベントホライゾン?(事象の崩壊)など、時間とそれに関して私たちの感じている「リアリティ」についても、とても不思議な話をされました。

これは「客観世界は無い」という量子力学に関するお話も含めて、私の頭では理解するのに少々難しく、(直観的には感じてはいても)あまりうまくお伝え出来ませんが、いずれにしても今は「時間軸から外れていく時代」だそうで、私たち一人ひとりがこれからは「時間のマスター」☆ になっていくということでした。


私たち自身が「時空間を創れる存在」として気付いていくこと♪
例えばアボリジニはすでにというか、もともとそのような「ドリームタイム」を生きているのだそうですが、現代の私たちの左脳というのは数字とか、論理性とか、コンピューターのように「時間が無いと動けない(動かない)」ものなのだそうです!

それに反して「右脳」は、(眠っている時に)「夢を見ている時間」に近い感じで、右脳は全宇宙にもつながっているのだそうです。

そしてそこから話はさらに深く、またさまざまな方向へと広がっていきました。

1952年スコットランド生まれで若い頃には日本に長く住まれたこともあるエハン・デラヴィさんは、もちろん日本語も堪能で(現在も日本に住んでおられ講演も全部日本語だったのですが)、今最も必要なこととして<神道ルネッサンス>を通して<日本のルネッサンス>を提唱されています。


それは「奪われた自分の魂をレスキューする(救う)」ために、神仏とのつながりを取り戻すことや、意識の持ち方を変えたり、「奇跡とコンタクトする」ことが大切なことだから、なのです。

日本にはたくさんの「神社」があり、またそこはほんとうに素晴らしい宇宙とのコミュニケーションの場でもあるのですね。

「日本神話」の豊かさについても賛嘆されていました(もう一人の講師の武田葉子さんも!)が、かつてはどこでもあったそのような神社のお祭りや儀式なども今はどんどん廃れる傾向にあり、特に神官や宮司さんたちが「シャーマン」としての能力をほとんど失っていることに対して、エハン・デラヴィさんはとても嘆いておられました。


けれどもこれからの時代、私たち一人ひとりも自分の「意識の持ち方を変えていく」ことで、これからは奇跡を生きることも出来るのです!!!

まずは、時間の長さ(自分にとってどのように感じられるか)をよく観察し、その時の自分の気持ちと共にリストアップして、自分で確認し、時間に対して「意識的になっていく」ことをエハン・デラヴィさんは勧めておられました。

もちろんこれは「楽しい時には時間はあっと言う間に過ぎる」「苦痛な時間はなぜか長く感じられる」と、これまでにも一般に言われていたような、誰でも普通に感じることの出来るそういう(無意識的な)感覚以上!のことなのだと思いますが、果たしてどうでしょうか。
(私の理解が間違っていたらご海容ください)


さて、話を元に戻しますと、その方のテレパスアートでは、何と「四半世紀も先のこと」が描かれていたのです!
私は通常何もお伺いせずに描きますので、その絵のお客様が何歳かということも全く知らなかったのですが、その後お客様とのメールのやりとりの中で知って、本当に仰天してしまいました。

これまでも「過去生」(信じる必要はありませんが)の絵や、かなり「未来」?の絵を描くということはありましたが、それよりは今回はもう少し場面が具体的でとてもリアリティとエネルギーがありましたので、私にはそれが「今現在の状態」のように感じられました。

それでこれまでもそうですが、「その感じたままを説明させていただいた」のですが、本当に驚きました。


お客様の方は私よりももっともっとびっくりされた!?ことと思います(汗)が、それは私にその方の将来を「感知する」能力があるわけでは無くて、むしろ、そのお客様自身がそのような能力を兼ね備えておられる(その人の細胞やDNAの記憶)ということではないでしょうか。

またこれは、「今現在」の中にすでに過去も未来も含まれているということかもしれません。

エハン・デラヴィさんは、会場の皆さんに「Are you here ?」と幾度も問いかけられましたが、それに対する正しい答え方というのは、「イエス!」では無く、簡潔でとても力強い「I am 」だったのです!


誰でも自分の将来に何が起きるのか、をすでに知っている。

話は飛躍しますが、原爆や原発を作った人たちも、それが将来どういうことを引き起こすことになるのか!? は、もしかしたらどこかでわかっていたのかもしれません。
たとえ意識的には気が付いていなかった(想定外!?)としても、ほんとうはみんな最初から「想定内」に組み込まれていた!のかもしれません。
ただ目の前の「お金」や権力、名誉や「間違ったプライド」、エゴに目がくらんでいたから、「一番大きな問題」が見えなかったのかもしれません。


最近生まれて来る子どもたち(インディゴチルドレンやレインボーチルドレンetc..)はすでにそのようなことに気付いていて、生まれつき高い意識を持っていると言われていますが、もしかしたらこの絵のお客様もそのような方なのかもしれません。

そして、このお客様の場合は、例えばその解決方法や対処の仕方もすでにご自身がよく知っておられて、絵を通してそれを自ら確認されているのかもしれません。

その時点では私にはそこまではわかりませんでしたので、おそらく時間(の経過)がそれを証明してくれるでしょう、、というような言い方でしかお伝え出来ませんでしたが、このエハン・デラヴィさんのお話を聴くことによって、その絵の意味が実はそういうことだったのか!ということが、大変よく解りました。


個人のことを描いているようでいて、それと同時に実はそのお客様の絵を通して、人類全体の?「時間」について宇宙は今私たちに伝えてくれているのかもしれません。

エハン・デラヴィさんと共に講演された他のお二人の講師の方々も言っておられたように、もしも「宇宙の計画がある」としたら、それはこういうことなのかもしれませんね、、。

「いつ死んでもいい」(時間は幻想)ということ、すなわち、「今を思う存分に生きる」ということ♪
自分という存在が無ければ時間も無く、また奇跡も無いということ。

自分が今ここに存在しているという、そのような「確実な存在感」(肉体としての自分)を感じ、そしてまたそれが如何に凄い「奇跡」☆ であるかということを悟る(意識する)ということ。

そして、もし本当にそれが自覚出来たなら、自然に心からの感謝や喜びが湧いて来るに違いありません。


私も「奪われた自分の魂を救う」ということに関して、また、「これから自分がどういう方向に進めばいいのか」ということについて、とても深い示唆と具体的なヒントを得ることが出来ました。

理屈ではうまく説明出来ませんが、今回のセミナーの以前に、すでにこのようなことを絵を通して伝えてくださっていたお客様と「宇宙」に改めて心から感謝 ♡ です。


下記の絵は『メディテーション」(瞑想)です。
(興味を持たれた方はアズミックアートの宇宙画「ポストカード」のコーナーをご参照ください)






無断転載およびコピーはご遠慮ください。


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さわやかな6月(花にインタビュー番外編)

2013-06-13 | 花のつぶやき
台風3号もどこへやら消え去ってさわやかな青空が広がっています。

この6月は、雨が少ないこと以上に不思議なのは、(私だけの感覚かもしれませんが)まるで秋のような「空の高さと青さ」です。
空気が澄んでとても梅雨時とは思えないさわやかな感じがします。


私の住んでる団地の広場には、緑の草地が広がっていて、ヒメジオン?とかハルジオンなどの雑草の花がたくさん咲いているのですが、それがどれも例年よりも背が高く、なぜか年々丈が高くなっていっている気がします。

たんぼぼの種類?の中でも牧草などと一緒に咲く丈の高い黄色い花がありますが、昔北欧でよく見かけた野の花が今はごく身近かでたくさん見られることに驚きます。
北欧では夏でも暖房を入れていたところもあり、その寒さというか、高原のような「冷涼な空気感」が印象に残っています。

また学生の頃夏休みに下北半島など東北を旅したことがありますが、その地に初めて降り立った時にも空気の違いを感じました。
今私が感じているのはちょうどその時に感じた感覚にも似ている気がします。


「宇宙は膨張している」と言われているけれど、(その速度は私たちが普通に目で見て感じとれるものでは無いと思っていたけれど)もしかしてこの感じは、そういうことなのかも!?

どんどん空が高くなっていってて!? 空の青さも透明感も、もうすでに「新しい光の世界」に入っている感じがするのですが、皆さんはいかがですか?


雨の多い年は、例えば蟻が高いところに巣を作るとか、植物の丈が長いというふうに私は思っていたので、「花へのインタビュー」を兼ねて、野原の花たちにも「今年はどうなの?」と天候について尋ねてみたのですが、なぜか答えてもらえませんでした。

それでもどうしてどの草花もこんなにも上へ上へと丈がどんどん伸びるのだろう!?とずっと疑問に思っていたのです。だって、私の首丈ぐらいの高さまで伸びたものもあるのですから、、。

もしもいつのまにか光の質が変化していて、遠ざかる宇宙に向かって「もっと光を!」と植物たちが一斉に背伸びしているとしたら、、、。
と考えると、私の中では納得がいくのです。


そしてまた青空を見つめていると、もうそれだけで何とも言えない至福感に充たされるような気がします。
毎朝眺める大陽もそうですが、もしかしたら私たちの気が付かないうちに、もうすでにその光の質が変化して来ているのではないでしょうか。


と、ノーテンキなことを言ってる間に、急に土砂降りになったり、カンカン照りの真夏日になったりすると、またまた考えも変わるのかもしれませんが、これが今の私の直観で何となく感じているところです。







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吾一人がための・・・

2013-06-11 | 本の紹介
「吾一人」(われいちにん)というのは、親鸞が強調した言葉だったそうです。

五木寛之さんの『なるだけ 医者に頼らず生きるために 私が実践している100の習慣』(中経出版)の中で、この言葉に出遇いました。

「この息は吾一人がための息なり」という思いで呼吸法を実践するようにということですが、私はこの言葉に出逢って、呼吸法とは関係無しに、ただただ気が楽になったのです。


なぜなら生まれて物心付いて以来、「自分自身のためだけに生きる」のはよくないこと、「誰かの役に立てなければ生きてはいけないのでは?」というぐらいに、なぜか罪悪感が深くて、太宰治ではありませんが、ともかく「生きててごめんなさい!」という感じで、この地球上には自分の居場所が無く、どこに行っても落ち着かない感じだったので、「そうかぁ、息だけは『吾一人』のためにあるんだぁ!」と気が付いて、どんなに嬉しかったことでしょうか!

誰にも遠慮せずに息を吸っていいんだ、自分のためだけに呼吸していいんだ、誰かの為に息を吸う必要も吐く必要も無いのだ、、と知って、本当に小躍りしたいぐらいの気持ちになりました。

何だ、そんなことか、何を大袈裟に、、、と思わないで下さいね。
私にとってはこれはほんとうに凄い「大発見」だったのです。
まさにこれだけでも「呼吸」が楽になったのですから、、。


それ以外にもこの本には目からうろこの「養生法」が幾つも出て来ます。
私は読むと即試してみたくなる方なので、昨夜はさっそく「歯磨きをする時は片足立ちをする」というのをやってみました。右足は1分ぐらいいけるけれど、左足は45秒も持ちませんでした。
(ただし、歯磨きをしない時には左足も何とか1分ぐらいは大丈夫でした)

それから「階段はナンバ歩きで上がる」というのもやってみましたら、ほんとに楽でした!

「ナンバ歩き」というのは、日本の古来からの歩き方らしくて、右手と右足、左手と左足を一緒に出すらしいのですが、私の場合、かつてふつうに歩いていてもこんな歩き方を自然にしていたらしいのですが、いつ頃だったかそれに気付いた人に「可笑しい」と笑われてから、止めてしまっていました。
今では意識しないとナンバ歩きも出来ませんが、久しぶりにやってみたら、この方がずっと早く体が前に出易い気がしました。これからもぜひ続けてみようと思います。

その他にも、笑うことや、目の健康法など、いろいろ役立ちそうなことがいっぱい書いてありました。
中でも、嬉しかったのは「高齢者ほど積極的に昔話を」ということです♪

私はとてもおしゃべりが好きで(すぐ自慢話になってしまうのは悪い癖ですが~汗)、特に「昔の話」をつい、つい、長時間してしまうことも多いのです。
そしてその後でいつも反省したり、自分を恥ずかしく思っていたのですが、この本で五木寛之さんの「お墨付き」を得て、これからは堂々と?昔話をしてもいいのだと思うと、思わず顔がニンマリとほころびました。


また、「中心が元気であるためには、末端がいきいきしていなければいけない」という考え方も、さもありなんと思いました。
五木さんはそのような考えのもと、お風呂の中で足の裏や足の指などをていねいに揉むそうです。
これも即誰でも容易に実行出来そうですね。


ともかく難しくて続かないような健康法はやらないということで、これも大賛成!です。
それに「健康診断は受けない」という選択も(その代わり「自己責任」ですが)、私はとても納得しました。

ただ、「髪の毛をあまり洗わない」というのは、ちょっと、、、これはマネ出来ませんね。
それでもあの五木さんのふさふさした魅力的な髪型がそのようなことで保たれていたと知って、その方法はもしかしたら効果があるのかも?しれませんが、果たして「臭い」とかはどうなんでしょうか。


この本は単なるハウツーでは無く、一つ一つの養生法の裏に、ちゃんとした五木さんなりの「哲学」や、豊富な体験の裏付けがあって、読んでいてほんとに面白く惹き付けられました。
一読軽い感じで読み終えることの出来る本ですが、深い「思想」に裏打ちされていて、私はとても感動しました。


最後に最も参考になったのは、自力をあきらめ「他力」にまかせるという考え方です。
(ちなみに『TARIKI』という英文版の本も出ているそうです)


下記に少し引用してみます。(P233~234)
……………………………………………………

あきらめるとは、私は勝手に「自力ではあきらめきれんとあきらめた他力にすがる他に道すべなし」と考えています。自力ではあきらめきれない。
あきらめることもがんばってあきらめようとしても無理ですから、自力と他力はいつも双頭になっているのです。

(中略)

「他力にまかせよう」ということも決意です。
「一切後悔しない、と決めるのも、ひょっとしたら自力ではないですか?」と言われたら、「そうかな」と思います。
さらに、他力の専門家に言わせると「いやいや、そういうふうに自分で決断しようという心が起きたことが、他力のささやきなのだ。他力の呼びかけで自分がそういうふうになったのだから」と言いますから、言葉のあやでしょう。

(以上、引用終わり)


私もずっと自分の中で長くこだわり続けていることがあって、なかなかあきらめがつかないのですが、そんな時にこの本をふと手に取ったことも何かの縁かもしれません。
特に下記の言葉には助けられました。


ーーー 「やった方がよい」と思いつつどうしてもできないときは、「今は縁がないのだ」と考える。
そのときがくれば、やらずにいられなくなる。 ーーー


100の「養生法」の中には、「気休め、骨休め、箸休め」についても取り上げられていましたが、私にとってこの言葉は大いに「気休め」になりました。


そして、しばらくブログの更新をしていなかったので、「更新した方がいい」とずっと思いながらなぜかなかなか腰が上がらず、忸怩たる思いで自分を責めていたのですが、この本を読んでかなり救われました。

実は、過日名古屋に出かけて以来、また風疹にかかってしまい、しばらく「養生」していたのです。

昨年も同じ時期頃に罹患したので、「えぇっ、一度かかると抗体が出来てもうかからないのじゃないの!?」と驚かれる人もいるかと思いますが、私もそう思っていたので、二度もなるなんて我ながら意外でした。

それでも昨年よりはずっと軽く済んで、(微熱とか頭痛もあったのですが)おかげさまで治りも早いようです。


ところで、名古屋のセミナーでは私は初めて「宇宙語」★ を聴きましたが、何と五木さんの場合は「身体語」☆ を聴くことが出来るそうで、いつも身体と会話しているので一人の時でも全くさみしくないそうです。

私もこれからさっそく「身体語」☆ に耳を傾けます♪


というわけで、ようやく「そのとき」が来たようで、本日無事更新が出来ました。



いつもご愛読ありがとうございます♡ どうぞ皆様も風疹にはくれぐれもお気を付けて!

あっ、その前に台風が近づいているようですので、無事に過ぎますように・・と祈っています。




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音の持つ力

2013-06-06 | 音楽の話題
先週の土曜日にあった名古屋での池田整治さんの講演の中で、印象に残ったことがありました。

それは、日本語の「周波数」についてです。
英語の周波数が日本語よりも高いことは知っていましたが、私はだから英語を話すと普段よりも明るい気分になり活気が出て、ハキハキとイエス、ノーも言い易く、脳もイキイキと活性化してプラス思考も出来るし、英語が出来るようになれたら海外もどこでも行き易いし、、、etc... と、ずっと英語の方が日本語よりも「レベルの高い」言語なのかも?なんて思い込んでいたのです。

そしたら、何と「日本語は自然と調和している」そうで、英語では調和を破るのだそうです! 
ちなみに日本語は125Hz~1500Hz だそうで、後でWikipediaで調べてみましたら、1ヘルツは「1秒間に1回の周波数・振動数」と定義されるそうです。


そのためかどうかはわかりませんが、私が直観的に感じていることは、欧米人が日本で暮らし始めて、日本語をよく使うようになると、長年のうちにだんだんおだやかな顔つきや雰囲気になって、よく見ないと外国人?とわからない感じになって、自然に日本人に似てくるというか、波動が変化するのかどうか?何となく周囲との違和感が無くなり、日本の風景にもなじんでくるような気がするのです。

それを私はこれまで「食べ物」や日本の風土(四季のある自然)など、おだやかで安心出来る環境の影響だろうと感じていたのですが、きっとそれもあるでしょうが、それ以上にもしかしたら「日本語の影響」が大きいのかも?と、池田整治さんのお話から初めて気づかせてもらいました。


エドガー・ケーシも言っていたことらしいのですが、「音」の影響というのは脳や骨にダイレクトに響くだけに、とても大きなものがあるのでは?と感じます。
だから日本で暮らす外国人がたとえ日本語がわからず、日本語を使わないで暮らしていたとしても、普段の生活の中で日本語を耳にしてその音(振動数)に囲まれて過ごすとしたら、やはり知らないうちにかなりの影響を受けているのではないでしょうか。

また、私はどこかに出かけて騒音の中で過ごして帰宅すると、口からその音を吐き出す(嘔吐するような感じになる)ことがよくあります。
意図的にそうするのでは無く、許容量?がいっぱいになってくると自然にそういうことが起きるのです!

また、もっと疲れている時には、耳がわんわんして、お風呂場の水音なども全部「騒音」に聞こえてしまって耐えられないことがあります。水音が電車のアナウンスや人の話し声や、さまざまな雑音となって聞こえてくるのです。

そんな時は自分なりの治し方もいろいろあるのですが、普段の生活の中でもあまり音楽は聴きません。
自然音(風や波の音、小鳥の声、滝の音、川のせせらぎの音など)の入ったCD(全く加工されていないものや、人工的な編集のされていない、自然の中で録音されたままのような音)をよく聴いています。


今一番のお気に入りは、ある雑誌の特集の付録に付いていた「音叉セラピー」の音です。
これはそれぞれ違った周波数の音が入っていて、私は特に「傷付いたDNAを修復し癒す音」を聴いています。


実はその前に『ジョン・レノンを殺した凶器の調律 A=440Hz 』
(レオナルド・G・ホロウィッツ著/徳間書店)という本を読んだのです。
そこにこの「国際標準音」がなぜ平均律=A440Hz に統一されたのか?という、はっきりとした理由も書いてありました。

しかも、ジョン・レノンはこの「謀略」を知って、それを広く知らせようとしたからこそ暗殺されたのだそうです!
この真相が果たして真実のことなのかどうか?

私は全く楽器演奏が出来ませんし、楽譜も読めないので、何の科学的証明も出来ませんが、この意味するところはとても深いものがあると感じました。
この周波数は「エゴ」を強め、破壊や分裂を促進してしまう面があるのだそうです。

そして、本来の「愛」を呼び覚ます周波数というのは、A=444Hz(C=528Hz)だそうで、ジョン・レノンもよく自分自身でギターの調律をして、演奏の前にもチューニングし、微妙に音を調節していたそうです。


私はどんなことも自分で(自分のからだを通して)体験して納得しないと気が済まない方なので、今はさっそくその愛の周波数である「C=528Hz」のトーンを、試しに毎日(かけ流しの「音叉セラピー」のCDで)聴いています。

これを聴き出してから、「浄化」というのか、「解放」というのか、不思議なことやラッキー☆ なことなどがたくさんありました。
何よりもとても「タイミング」がよくなったようで、自分の内面の流れがスムーズにゆくようになった感じで、自然なバイオリズムが調和的に整ってきた気がします。

もちろん人によって体感は違うと思いますし、チューニングの前には、やはり自分の中の未消化の不純物も出て来るようで、さみしさとか、落ち込みのような感じなども起きる場合があるかと思いますが、ずっと聴いているうちに次第に
自然な感じに落ち着いて来るようです。


もっともこの前までは、天の音有唯さんの本『声分析による 才能の見つけ方 伸ばし方』(彩雲出版)に付いていたCDも毎日聴いていたので、その効果ももちろんあったかも?しれません。

彼女の「声分析」は本当に素晴らしく、以前にもブログで紹介させていただきましたが、私の周辺でもその後個人セッションを受けられた方々もすでに何人かおられ、中には天命、使命が明らかになって感激される方もおられ、ご紹介してよかったな♪と心から喜んでいます。

今は「ヴォイスオーラ コンサルテーション」という呼び名に変わっているそうですが、私は勝手に「声分析セミナー」と言っています。その方がずっとわかりやすい気がしますので、、。


と、いうわけで、またまた長くなってしまいましたが、この「音」の持つ「創造力」そして「破壊力」にはぜひ注意して、音楽をされる方は、もしよかったら試しにチューニングを(愛の周波数528HZに)変えてみられることもお薦めです。またこの周波数の数字というのは、「数秘術」とも深く関係しているのです!!!
(詳細は上記の2冊の本をご参照ください)


そして私は美空ひばりさんも大好きだったのですが、彼女の死を早めたのも、もしかしたらの話ですが、あまりにも哀しい唄が多かったからでは?という気も秘かにしているのです。
「愛燦々」や「川の流れのように」のような素晴らしい歌がもっともっとたくさんあれば、、そしてもっと早くにそのような危険な周波数や、「日本語の言霊の力」に気が付いていたら、、と思わずにはいられません。

ひばりさんはたとえ楽譜が読めなくても、一度聴くとすぐに歌えるぐらいに凄い天才的な耳を持っていた言われていただけに、きっとそのような「周波数の違い」もすでにうすうす感じておられたのではないか?と思います。
もしも、「愛の周波数528Hz」☆ で、自分自身が歌いたい好きな歌を自由に歌うことが出来ていたら、そしたらきっともっともっと元気に長生き出来ていたのでは、、と。


皆さんもご自身の発する言葉や何気なく口ずさむ歌にもぜひ気を付けて♪
理由はわかりませんが、私はスカイプを通した電話の声も何となく苦手です。
聞いているうちに内容には関係無くなぜかイライラしてくるのです。

ふつうの固定電話ならそんなことは少ない気がするのですが、例えば携帯電話でも、かけてくる相手の居る場所の音?(波動)が伝わって来て、それに耐えられないこともあります。
ですから携帯電話をかける「場所」などもよく選んだ方がいいのかもしれませんね。

ともかくも「音の持つ力」は相当強力な気がします。
伊豆の山の中で十年暮らせてよかったことは、何よりもその「静けさ」でした。
今にして思えばそれは、美しい星空と共に宇宙からの何よりのギフトだったのかもしれません。

そして、「幸せを呼べば幸せがやってくる☆」ように、自分が発した波動は自分のところに必ず戻って来るので、私も出来るだけ元気の出る明るい話題を綴りますね。

先日はちょっとネガティブなことを書いて、ご心配をおかけしてしまったようで、思いがけない励ましのおたよりをいただき、とってもありがたく嬉しかったです。
おかげさまで、何気なく書く一言にも注意しなければ、、と、気付かせていただきました。


なお、そのような理由により、これまで書いたもの(過去ログ)も見直して、一部消去した記事もあります。

ご愛読に心から感謝です♡


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