鴻臚井碑(こうろせい・ひ)とは、
渤海国の歴史資料として重要な遺物のひとつ。
日露戦争の戦利品として旅順からもちだして天皇に献上され、
いまも皇居内にある。
この碑の返還を求める行動が、天皇誕生日の皇居前で中国人によっておこなわれたことが、
中国で報じられていた。
「現代史は時間切れ」で教われないせいか、
日露戦争とかお話にきくくらいでもちろんこの碑が皇居にあることを知らなかった。
事の真偽を調べたら、
同じく日露戦争で日本軍将校が日本に搬出して靖国神社に置いた
北関大捷碑(ほっかんたいしょう・ひ)というものもあって、
こちらは2005年に韓国へ返還されている。
加藤清正軍を撃退した義勇兵を讃える碑だったが、日本へ持ち出す理由がふるっていた。
「 自国軍(朝鮮)の忠義を賞賛した碑文を刻んでいる記念碑であり、
我が国(日本)にとっては好ましくないものである。
よって、六四出征軍においてこれを発見した時に、
この碑の存在が日韓両国の親善の妨げになる事が心配になり、
建立した人の子孫の承諾を得て持ち帰った 」
確かに子孫の承諾は得ているけれど、どのようにして得たのか、
どんな気持ちで承諾したのか、血を吐く思いでの承諾かもしれないし、
いずれにしろ、植民地支配下の「承諾」などまともであるはずはない。
渤海国の歴史資料として重要な遺物のひとつ。
日露戦争の戦利品として旅順からもちだして天皇に献上され、
いまも皇居内にある。
この碑の返還を求める行動が、天皇誕生日の皇居前で中国人によっておこなわれたことが、
中国で報じられていた。
「現代史は時間切れ」で教われないせいか、
日露戦争とかお話にきくくらいでもちろんこの碑が皇居にあることを知らなかった。
事の真偽を調べたら、
同じく日露戦争で日本軍将校が日本に搬出して靖国神社に置いた
北関大捷碑(ほっかんたいしょう・ひ)というものもあって、
こちらは2005年に韓国へ返還されている。
加藤清正軍を撃退した義勇兵を讃える碑だったが、日本へ持ち出す理由がふるっていた。
「 自国軍(朝鮮)の忠義を賞賛した碑文を刻んでいる記念碑であり、
我が国(日本)にとっては好ましくないものである。
よって、六四出征軍においてこれを発見した時に、
この碑の存在が日韓両国の親善の妨げになる事が心配になり、
建立した人の子孫の承諾を得て持ち帰った 」
確かに子孫の承諾は得ているけれど、どのようにして得たのか、
どんな気持ちで承諾したのか、血を吐く思いでの承諾かもしれないし、
いずれにしろ、植民地支配下の「承諾」などまともであるはずはない。