隠岐には無数の神社がありました。
海に面していたり、村里のはずれにあったり、小さな石の祠だけだったり、写真のように広い敷地に建つ大きな社だったり・・・こんな狭い島になんでこんなにたくさんの神社があるのだろうと不思議におもったのでしたが、隠岐だけではなく、日本中いたるところに神社はあるわけで。
世界文化遺産・京都
賀茂御祖(みおや)神社[下賀茂神社]
『神游の庭』 (かんあそび の ゆにわ) から
「天地の運行、自然の推移、四季の移ろい等々、この宇宙の不思議こそ神のなせる技であり、神である」
「自然は人の身体に宿り、人は自然のなかに宿る」
「だから神の出現を願う」
神社は、神が住まうところではなく、霊気の満ちる場への道しるべであり「神と人が語り合う」祭り=神事の齋庭(ゆにわ)だそうです。
仏教が興隆して立派な寺が建てられるようになってから、神社も大きく威厳のある建物や敷地になっていったそうです。
昔は、沖縄のウダキ(齋嶽)や拝み所のようなものだったのかなと思います。
海に面していたり、村里のはずれにあったり、小さな石の祠だけだったり、写真のように広い敷地に建つ大きな社だったり・・・こんな狭い島になんでこんなにたくさんの神社があるのだろうと不思議におもったのでしたが、隠岐だけではなく、日本中いたるところに神社はあるわけで。
世界文化遺産・京都
賀茂御祖(みおや)神社[下賀茂神社]
『神游の庭』 (かんあそび の ゆにわ) から
「天地の運行、自然の推移、四季の移ろい等々、この宇宙の不思議こそ神のなせる技であり、神である」
「自然は人の身体に宿り、人は自然のなかに宿る」
「だから神の出現を願う」
神社は、神が住まうところではなく、霊気の満ちる場への道しるべであり「神と人が語り合う」祭り=神事の齋庭(ゆにわ)だそうです。
仏教が興隆して立派な寺が建てられるようになってから、神社も大きく威厳のある建物や敷地になっていったそうです。
昔は、沖縄のウダキ(齋嶽)や拝み所のようなものだったのかなと思います。
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