大河ドラマ・軍師官兵衛が始まった日、NHKのホームペ-ジへ行ってみた。
ドラマについての期待は殆どなく、ナレーターへの不満がどっさり来ているという書き込みがあった。みんなツイッターで気軽に書いていた。ヒトの真似みたいなのも多かった。
藤村志保さんは、若い時から話し方がなめらかではなかった。声に力がなくなったから、余計聞き取りにくいのだろう。撮り溜め分が無くなれば、交代だ。(と思う)
それより私は、黒田家を興した資本になった「薬」が、1種類の生薬で、大勢の手伝いさんが葉っぱを干したり薬研で擂り潰たりしていたのにはビックリした。
貧乏だった黒田高政が、神戸の神官に教わって作ったのは万能の油薬だった。焼き物の小瓶に入れた液状と貝殻に詰めた練薬だった。その時代、怪我や流行り病で目を患う人が多かったので、高政は「目薬」として市井で売り歩いた。
が、没するまで生活は豊かではなかった。高政の子重隆も、薬で細々と暮らしていたが、豪族に追われて姫路へ逃げ、一度禄を得たが藩主に失望してまた牢人になり、土地の大百姓竹森新右衛門の世話になった。神官の思いつきで、神社のお札と抱き合わせで宣伝して貰ったのが当たり、薬はあまねく広まって大金を手にした。その金を元手に金貸しをして更に富裕になった。
そして豪士の株を買い、金を返せない人達の子息を家来にしたりして勢力をつけ、豪族と戦って小さな城を取った。
薬は一子相伝だから一人で作らなければならず、他人に手伝わせたとしたら、練り薬を貝殻に詰めることと販売することだけだ。
如水が後に山中……「城内の牢」という説もあるが、食事もろくに与えられなかったから石牢の方が本当だろう……に囚われて救い出された時、全身瘡で覆われ、目も耳も潰れていたという。これを完璧にもとの健康体に戻したのがこの薬だった。除水の子長政は蜂須賀の娘で11歳の糸を娶ったが、後年家康の養女と政略結婚するため糸を実家へ帰した。糸は、菊という幼い娘を連れていた。この菊に、「若し世過に困ることがあれば、この薬を作って売るが良い」と言って教えた。
私の家の家紋は、蜂須賀と同じ「卍」である。
……続く…