170415 湿地の現代的意味 <諫早湾堤防閉め切り20年 漁師と農家、根深い対立・・>を読んで
有明の中、窓の外には少しかけた望月が残っています。そろそろ野鳥たちも目覚めの時でしょうか。するとちょうど聞こえてきました懐かしい鳴き声ピッピチュ・ピーチュー・ピリチュリチュー」です。この聞きなしは「一筆啓上仕候」(いっぴつけいじょうつかまつりそうろう)なんて言われていますが、私の偏屈な耳ではとてもそう聞こえません。ともかくかわいいホオジロのつがいが庭木に泊まって鳴いています。
そういえば昨日のツバメは、私がうっかり?窓を開けて出ていたので、帰ると置き土産を残して立ち去っていました。むろん気分のいい餞別とは言いがたいですが、あちらこちらに小さな塊がありました。
この程度はかわいいもので、西欧各国の都市部で騒がれるスターリング(ムクドリ)の糞と騒音は愛鳥家でも閉口するでしょう。とはいえわが国でも不忍池や首都圏各地で多少とも問題にはなっています。それでも愛鳥家や生き物との共生の思想が根付いているせいか?さほど大きな問題になっていないようです。カラスの場合は別ですが。
その思想の根底はというと、仏教思想でしょうか、いやそれ以前の縄文時代から伝わるものでしょうか。いずれにしてもいまでは山林草木悉皆仏というのは人口に膾炙しています。それは先のブログで引用した(?このブログでなくfbで議論したかもしれません)『森の生活』を発表し、自然保護の父とも評される19世紀半ばに現れたヘンリー・D・ソローや20世紀初頭にリードしたアルド・レオポルド(『野生の声が聞こえる』の著者)よりもずっと以前に日本人の中に育まれた思想ではないかと思うのです。
その意味では、南方熊楠はすごい人ですね。彼については、一昨日の毎日夕刊で取り上げられていて、このブログのテーマにしようかと思ったのですが、あまりに超越した博物者で行動力も卓越していて、なかなか一筋縄ではとらえきれない人ですね。とはいえ、彼を日本における自然保護の創始者的存在とすることには疑問を感じています。たしかに神社合祀反対運動などを通して神島などの自然生態系を保護する鬼気迫る運動を行ったことは確かでしょうが、彼には自然保護という観点はさほど明確にあったとは思えないのです。
その意味では、19世紀末に生まれ日本野鳥の会の創始者である中西悟堂の方がふさわしいかもしれません。でも私はあえて5代将軍綱吉を上げたいと思っています。彼の治世では、生類憐れみの令が悪名高いものとして常に取り上げられ、問題にされてきたように思います。しかし、そもそもそのような法令自体存在しないし、個別に多くの生態系保護に匹敵する法令を発布しています。私自身、まだきちんと検討していないので、それらの散在する法令の意義・効果について、しっかり整理できていないことから、このような評価は根拠なしと批判されてもやむを得ないと思っています。
しかし17世紀末の段階で、世界広しといえども、これほど多様な生物の保護を徹底した国は日本だけだったのではないかと思います。彼が好きだった犬だけが保護の対象であったわけでありませんし、他方で、犬を殺したり、魚釣りをしたりしたら、直ちに厳罰になったわけでないことは、とりわけ地方では当然のことだったようです。
さて前置きはこの程度にして、本論に入りたいと思います。毎日記事<クローズアップ2017 諫早湾堤防閉め切り20年 漁師と農家、根深い対立 地裁と高裁、判断正反対>は深刻な問題を提起しています。
有明の海、有明海は豊饒の地(湿地)でした。諫早湾はその地形的特徴から海水と淡水が入り交じり、出入を繰り返す中で、豊かな海産物、生物の宝庫として、湿地の一つである干潟を形成してきました。
ところが、農業が長期衰退する中で、狭小農地、零細錯圃の農地形態が一般的である西日本では、競争力のある農業、若い農家が起業できる一定規模の、そしてインフラ整備した農地を必要としていたという状況が長く続いていました。
諫早湾を閉め切り、海水流入を阻止することにより、そういった競争力のある農業に提供する農地を造成することが可能になるといったことが農政の長年の願いだったのでしょう。しかし、それは堰の鋼板が一斉に海に落とされ、閉め切られた瞬間、「ギロチン」と漁民をはじめ関係者から発せられたことに現れているように、まさに豊饒の地、湿地の価値を失うに等しいものでした。
その後、漁民、漁協からの開門を求める仮処分申立や損害賠償請求訴訟、それに対し農家、営農者から開門禁止の仮処分申立や損害賠償請求訴訟が、それぞれ地裁、高裁で争われていて、容易に決着できない状況にあります。
私自身は、四半世紀以上前から湿地保護の立場に立って少なからず運動体の一員として活動してきました。そして日弁連では、湿地保全を目的とした人権大会シンポジウムを福島で開催したのは02年10月でした(このとき福島県の東西南北を走りましたが広さに驚き、また美しさに感激しました、原発被災の悲惨さを感じています)。このときの日弁連として「湿地保全・再生法の制定を求める決議」を発表しました。
そして日弁連は翌03年10月には、この干潟閉め切り問題を取り上げ、「諫早湾干潟の再生と開門調査の実施を求める意見書」を発表しています。それからすでに約14年経過しています。いまなお解決の糸口が見いだせない状況は、やはり初期段階の検討が不十分であり、地域の実情に応じた関係者からの切実な意見聴取を繰り返し行い利害調整して、結論を導くべきであったように思うのです。
すでに閉め切った状態が長期化していることから、この状態を踏まえて丁寧に双方当事者の意見を改めて聴取し、弾力的な解決を望みます。双方の意見の一致を見ることは可能性としてはほとんどないかもしれません。しかし、この問題は当事者だけの問題ではないと思います。国民の多くから、そして将来世代への責任という観点からも関心が寄せられており、なにが望ましい公益かを具体的な議論を踏まえて結論を見いだして欲しいと思うのです。
ところで、この問題とは異なるものの、東日本大震災の復興計画で早々と決まり実現しつつある巨大防潮堤は、私には諫早湾閉め切りの二の舞のように思えて仕方がないのですが、これも湿地の価値を重視する立場からかもしれません。
なお、一言付言すれば、農地、とりわけ水田もまた重要な湿地です。そもそも湿地地帯から多くが水田に変わっていったというのが奈良盆地や古代河内湖の土地利用であったようにおもうのです。ある意味、農業は自然破壊の側面を持っているわけです。だからこそ縄文人は長く抵抗してきたのではないかと思ったりしています。とはいえ、水田も生き物の宝庫です。福岡で「農本主義」を進めている宇根豊氏は「農とは人間が天地と一体になることだ」と語る百姓の言葉を引用しつつ、自ら百姓こそ生き物と共生する本来的な職業であり、資本主義に対抗できる仕事であることを自負しています。
法律論も重要ですが、宇根流の農本主義であれば、漁業との共生、湿地生態系との共生も可能ではないかと愚考するのです。