たそかれの散策

都会から田舎に移って4年経ち、周りの農地、寺、古代の雰囲気に興味を持つようになり、ランダムに書いてみようかと思う。

戦争の不公正さ <今週の本棚 加藤陽子・評 『日中戦争全史 上・下』>などを読みながら

2017-08-27 | 戦争・安全保障・人と国家

170827 戦争の不公正さ <今週の本棚 加藤陽子・評 『日中戦争全史 上・下』>などを読みながら

 

昨夜おそらく12時を過ぎた頃からでしょうか、急に冷え込んだように思います。夏バテするほどがんばっていないのと、あまり外に出ていないのとで、体は快復モードです。ところが、今朝の冷え込みでどうも具合がよろしくないようです。腱鞘炎的な痛みは少し和らいでいるものの、ぼっとした感じが続いています。

 

毎日の今週の本棚は割合好んで読んでいます。加藤陽子氏が取り上げる書評は最近気になります。<加藤陽子・評 『日中戦争全史 上・下』=笠原十九司・著>では、<日中戦争勃発から八〇年>の今夏、<いくつかの新聞は日中戦争再考の意義を説き、NHKも七三一部隊と医学者との結託を特番に組んではいた。だが、人々の関心を大きく集めたとまではいえなかったように思う。>と指摘しています。

 

私もNHK731部隊の真相に迫る取材報道によく掘り下げたと思いましたが、米軍による全国無差別空爆や航空軍による米軍内で支配権争いの実態の方に内容的も衝撃を受けました。しかし、日本軍が中国を含む東南アジア各地で行った侵略は無謀かつ無軌道であったことはNHKの「戦慄の記録 インパール」でもリアルに描かれています。

 

しかし、日中戦争自体について、全体像を明らかにしたものはさほど多くないように思います。加藤氏は、<著者によれば、その数、一九三七年末で四〇万人超、三九年末には八五万人に達したという。そして、敗戦までの中国戦線で陣没した日本側戦没者は、四五万五七〇〇人にも上る。

 国内が戦場とならなかったからか、この戦争は一見、国内の国民生活や政治状況にさしたる影響を与えなかったようにも見える。だが、それは本当だろうか。あるいは、長らく戦場とされた中国で、日本軍や民間企業は何を行っていたのだろうか。これらの疑問に答え、日本人として知っておくべき歴史を「全史」という形で全面展開したのが本書である。>と総括しています。

 

太平洋戦争が始まる前、日本は意外と平穏だったのではないかと思うのです。たとえばわが国の都市景観保全の金字塔ともいうべき、風致地区制は最近国利競技場建設で問題となった明治神宮の指定(1915年)を皮切りに、30年に東京・京都、さらに次第に全国の主要都市に広がり、とくに38年(昭和13年)鎌倉を含め全国に普及していったのです。とりわけ鎌倉の場合当時の市域の半分近く広範囲に指定されたのです。それが、日中戦争勃発の翌年です。いまの鎌倉の風致景観があるのもこの指定のおかげといってよいくらいです。

 

しかし、<一見平穏な日常の裏面で進行していた事態の深刻さ。陸海軍は、特別会計による臨時軍事費という、議会審議を要しない抜け道を手に入れる。その上で、目の前の戦争に予算の三割を使い、残る七割を将来の対ソ戦・対米戦の準備に振り向けるようになっていた。政府もまた、三九年、軍用資源秘密保護法を制定し、金属・機械・化学関連の統計を「秘」扱いとする。国策決定に必須なはずの重化学工業の実態は、こうして国民の目から隠されていった。>というのです。

 

戦争拡大や危険な事業は、決して表に出ない隠れた中で進んでいったことがわかります。わが国の原子力事業の推進もそうではないでしょうか。危険な要因・リスクは隠蔽される、あるいは無視されることが、権力者の側には常にあるということを忘れてはいけないと思うのです。

 

軍隊というもの、指揮系統が別れている場合について、<豊田隈雄は、陸海軍の違いを的確に評していた。いわく「海軍は知能犯。陸軍は暴力犯」。こう評される海軍は、日中戦争不拡大のための和平交渉が進められるさなかの三七年八月、上海で大山勇夫大尉事件を起こす。著者はこの事件を偶発とは見ず、第三艦隊司令長官などの了解下になされた謀略だとする解釈を実証的に提示した。

 ついで、重慶への渡洋爆撃の意味も説かれる。海軍航空隊は、中攻機や零戦を数か所の基地から離陸させ、重慶に向かう空中で大編隊を編成し、一糸乱れぬ指揮系統のもとで爆撃を行った。これは前例のない長期的かつ大規模な都市無差別爆撃であるだけでなく、この経験値なくしては、真珠湾攻撃の企図が不可能だったという点で重要な指摘となる。>

 

ここで直接は関係ないですが、スピルバーグの「太陽の帝国」をなぜか思い出しました。あまり日中戦争をしっかり描いた映画作品がない中で、これは断片的ですが真相に迫る一つではないかと評価しています。平穏な上海を部隊にしていますが、上記海軍航空隊がそこを無差別的に攻撃を仕掛けていた様子の一端がでていた記憶です。

 

で、話変わって毎日の別の記事<遺骨収集法成立1年半戦没者の鑑定、人員不足>に注目しています。

 

その記事中、戦没者数と未収容者数の図を参照していただきたいと思います。

 

これを見て驚いたのは、海外戦没者数240万人のうち、半数近くが未収用のまま、派遣された現地に残されたままとなっているということです。その中で、取り上げられた戦没者数に占める未収容者数の比率が高く、しかも絶対数が異常に高いのがフィリピンと中国東北部である点です。とくに後者は80%を超えるきわめて高い比率です。

 

この日中戦争を指導し、あるいは作戦を指導した多くの上官は戦後無事日本に帰還し、A級戦犯にもならないで、経済成長の担い手の一人となったのかもしれません。むろん心になんらかの深い傷を抱えていたかもしれませんが、外地でなくなり遺骨も放置されたままの状態をどう思ってきたのでしょうか。

 

靖国神社参拝を戦没者のためになすべきことと信念をもって継続している国会議員など政治家は、この事態をどう考えているのでしょうか。集団で参拝してマスコミで報じられる事で、未収容者の遺族の気持ちに応えているということなのでしょうか。

 

私個人は、遺骨にも遺体の一部などにも自分自身についてはなんの関心もありませんし、それをどこか大切にして欲しいなどといった考えはまったくありません。そこは親鸞さんのような考えに惹かれる人間です。


しかし、それらを故人あるいはその魂の一部として大事してきた遺族の方々の思いは尊重し、それこそ靖国神社に参拝することでは代替できない、予算・法律を決める国会議員が担うべき役割だと思います。

 

そして、日中戦争ではむしろより多くが亡くなったのは中国人ではないかと思います。日中戦争全史がその真相にどう迫るのか、いつか読んでみたいと思っています。

 

今日はこの辺でおしまい。


医療の未来と適正さ <さい帯血 転売業者逮捕へ 無届け治療加担疑い>などを読みながら

2017-08-26 | 医療・医薬・医師のあり方

170826 医療の未来と適正さ <さい帯血転売業者逮捕へ 無届け治療加担疑い>などを読みながら

 

iPS細胞など再生医療への期待は高まっており、難病など治療が困難な患者家族にとっては夢の医療かもしれません。ただ、その内容が簡単に理解できない部分もあり、専門家と標榜する医師などに不用意に信用したり期待してしまい、かえって信頼性を失うことにもなりかねない危険を内包しているような事件が起こっています。

 

私自身門外漢などで、よくわかっていません。たた、ここ数日の毎日記事などを通じて、わからない部分を私の頭の中を少し整理する意味で手短に書いてみようかと思います。

 

最初に目についたのは<さい帯血無届け投与、本格捜査へ 800人分流出 厚労省、近く刑事告発>という記事です。その発端が破産手続きの中で起こったという点に着目したのです。

 

問題の「さい帯血」は<出産時に出るへその緒や胎盤に含まれる血液。造血幹細胞が豊富で、白血病など血液疾患の治療に有効とされる。2014年施行の「再生医療安全性確保法」は、他人のさい帯血を使って再生医療を行う場合、厚生労働省認定の審査会で安全性などの意見を聞いた上で、治療計画を同省に提出することを義務付けている。>とされています。

 

このさい帯血は<液体窒素で凍結して保管する>必要があるのですが、公的機関だけでは十分対応できなかったようで、民間バンクの代表者とされる<女性は筑波大教授(故人)らの協力を受け、1998年に親族と共に民間バンク「つくばブレーンズ」を設立。02年11月から一般市民から預かったさい帯血の保管事業を開始。1人分あたり10年間で30万~36万円の保管料を受け取った。>とのこと。

 

<液体窒素を使った凍結設備の購入や施設建設に多額の費用がかかり、投資ファンドなどから出資を受けるようになった。それでも経営は好転せず、債権者の申し立てを受けた水戸地裁土浦支部は09年10月、破産手続きの開始を決定。当時、病院から無償提供を受けた約500と、預かった約1000の計約1500人分を保管していた。>

 

破産管財人や裁判所としても、<液体窒素で凍結して保管するさい帯血は返還しても一般家庭では保管ができない>のですから、このさい帯血の保管とその処理をどうすべき難しい問題になったはずではないかと思います。

 

ところが、<10年初め、一部の債権者が設立した企業が保管先に選定された。病院の提供分は1人分3万円ほどで譲渡され、預かり分も1人分10万~20万円の追加保管料を徴収し計約1000人分が移されたという。>ということは、わずか数ヶ月で債権者設立の企業に譲渡されたというのですから、当然、申立債権者と設立に関わった債権者はそれを見込んでいたとみられても仕方がないように思います。そして裁判所や申立代理人、破産管財人も、その債権者指導で事が進められた可能性が推測できます。

 

さい帯血の保管や譲渡といったことについて、破産手続きを取り扱った法律実務家の間で知見があればいいのですが、当時はなかったのではないかと疑います。

 

<その後、この企業がブローカーなどに販売したとみられる。・・・つくばブレーンズから流出した約800人分が京都市のクリニックなどを介して販売され、東京や大阪など複数のクリニックで無届け投与が行われたとみている。>というのです。

 

<愛媛、茨城、京都、高知の4府県警の合同捜査本部が今年7月、松山市の民間医学研究所を運営する男(70)を医師法違反などの容疑で逮捕。・・・今年4月には再生医療安全性確保法違反容疑で関係先を家宅捜索。厚労省も同法に基づき今年6月、がん治療や美容を名目に、患者から百数十万~数百万円を受け取り、無届けでさい帯血を投与したとして、全国11のクリニックに対し治療を一時停止させる緊急命令を出していた。>と大変な事件になっているのです。

 

ところで、「再生医療安全性確保法」といっても知っている人は少ないのではないかと思います。近畿厚生局の<再生医療等の推進と安全性確保等に関する情報>に<再生医療等の安全性の確保等に関する法律について>でその概要が書かれていますが、ざっと見たくらいではなかなか理解するのが大変です。厚労省の<再生医療について>の中で法令が紹介されていますが、平成2511月交付で1年後に施行されています。

 

同法は再生医療が不適切に行われている現状を踏まえて、規制対象を明らかにして、一定の場合届出義務を課し、無届出行った場合に処罰する制度を導入したわけです。

 

破産裁判所でさい帯血が問題になったとき、当該法律もまだ国会で議論されていませんし、されていたとしても直ちにその譲渡や保管自体が問題になるとは限らなかったわけですから、法律実務家としても法的には的確な対応が困難だったかもしれません。

 

さい帯血治療について、<転売業者逮捕へ 無届け治療加担疑い>の記事ではその販売ルートを図式化しています。そして<逮捕する方針を固めたのは、茨城県つくば市のさい帯血販売会社の代表や、同社からさい帯血を購入しクリニックなどに転売していた福岡市の医療関連会社(解散)の代表と京都市の医療法人の関係者ら数人。捜査本部は医療機関が無届けの再生医療を行うことに加担したとして、同法違反に問えると判断。治療行為をした医師についても今後、刑事責任を追及する方針。>とあり、無届け治療した医師だけでなく、転売業者も責任を追及する姿勢を示しています。

 

ところで<同法は、他人の幹細胞を使った再生医療をする場合、事前に国に届け出るよう義務づけているが、乳がんや悪性リンパ腫など特定の27疾病を治療する目的の場合は、届け出は原則不要としている。>

 

当然、問題の医師は届出義務のない特定の27疾病以外の治療目的でさい帯血治療を行った疑いでしょうから、それが事実なら同法違反というのは当然でしょう。ただ、販売業者ないし転売業者がなぜ同法違反になるのか、その説明がすっきりしません。

 

記事では<関係者によると、さい帯血販売会社の代表は東京のクリニックなどに対し、27疾病以外の美容目的の投与であっても27疾病の治療をしたことにするよう助言していたという。>この助言をもって、無届け義務違反の共犯と解釈するのでしょうか。行政規制で共犯概念をそこまで緩めることが可能か疑問を感じます。

 

とはいえ、販売業者が売りたいがために積極的にうそのカルテや診療報酬請求書の記載を勧めたのとしたら、共犯として責任追及されても当然と考えても、社会通念と逸脱しているともいえないでしょう。むしろそれを見逃したら検察・警察の怠慢と批判されるかもしれませんか。

 

まだ整理できていませんが、一時間以上かかったので、この辺で終わりにします。

 

 


EVの活用 <EV 高野山観光すいすい 3台レンタル開始>を読んで

2017-08-25 | まちづくりと環境保全

170825 EVの活用 <EV 高野山観光すいすい 3台レンタル開始>を読んで

 

今日こそ1000字を目標に30分で書き上げたいと思っています。6時スタートです。

 

毎日朝刊に<EV高野山観光すいすい 3台レンタル開始>が掲載され、ウェブ上では写真がありませんが、記事には「こうやくん」というマスコットキャラクターが描かれた<光岡自動車(富山市)製の「Like-T3」>が関係者を乗せて記念パレード風の送稿しているのが写っています。なかなかかわいいです。

 

<高野町観光協会(加藤栄俊代表理事)は、高野山内を周遊する観光客の移動手段として、小型電気自動車(EV)を3台導入し、今月、レンタルを始めた。二酸化炭素(CO2)を排出しないため、環境上のメリットも期待されている。>

 

最近は高野山にも自動車で上がっていく観光客が増えてきて、京都・鎌倉とは比べようもないですが、それでも目につきます。自動車公害とまではいかなくても静寂な寺社景観が損なわれないか心配になります。

 

そんなとき、スタートしたこの企画は時宜にかなうものでしょう。さてこの「Like-T3」は、<4人乗りの三輪バイクタイプで、全長約2・4メートル、幅約1メートル。普通免許を持っていれば運転できる。>ということで、パークアンドライクとしても将来、使えるかもしれません。少なくとも電車で来訪される方にはとても便利ではないかと思います。その意味で、高野山へは南海電鉄をとも宣伝しやすいかもしれません。

 

だいたい、高野山に自動車で来ても、山内を自動車で行き来するには不便です。やはりどこかに駐車して、歩いて壇上伽藍や興味のあるお寺への参観(あまりやっていませんか)などして、山上の宗教景観を楽しむのがよいかと思うのです。

 

<家庭用電源を使い、1回の充電で約60キロ走行できる。利用は高野山内の指定エリアに限られ、レンタル料は3時間以内3000円、以降は30分延長ごとに500円追加。最長6時間まで借りられる。利用時間は午前9時~午後4時半(申し込みは午後1時まで)。>ということですから、レンタル料はリーズナブルといってよいでしょう。

 

ただ、<奥の院前や壇上伽藍(がらん)の中門前など3カ所に専用駐車場を設け、順次数を増やす計画。>ということで、駐車場難で閉口する普通の自動車と同じ憂き目でしょうか。そのために専用駐車場ということですが、そんな空き地はあまりないはず。現行の駐車場の一角に設ける?のでしょうか。ま、3台くらいならたいした面積もいらないでしょうか?

 

で、高野山もいいですが、もっと地域でも活用してもいいのではと思うのです。まだ少し値段が高めですが、多くの自治体が利用して、国も補助すれば、EV普及にもなりますし、多様な機能を期待できると思うのです。

 

たとえば、高齢者で認知症予備軍のような人には、こういった車なら、結構安全に使えるのではと思うのです。スピードもでないでしょうし、自動車の危険性が軽減するので、高齢者が免許返還した結果、外に出る機会を失ったり刺激がなくなり、かえって老齢化・病気が進行することを防ぐという役割を期待してもいいように思うのです。むろん光岡製品だけを推奨するわけではありませんが、ぜひ各自治体で検討いただきたいものです。

 

今日はこれで20分程度。ちょっと用があるので今日はこの辺でおしまい。


大畑才蔵考その8 <寄贈 JA紀北かわかみ、大畑才蔵を学習漫画に>を読みながらふと考える

2017-08-24 | 大畑才蔵

170824 大畑才蔵考その8 <寄贈 JA紀北かわかみ、大畑才蔵を学習漫画に>を読みながらふと考える

 

先日、<大畑才蔵ネットワーク和歌山>の会合があり、大畑才蔵を描いた漫画を掲載した雑誌「ちゃぐりん」が発刊され、JA紀北かわかみ農協から橋本市に寄贈されたことも報告されました。この会で企画し、監修したのですが、昨年できたばかりですが、事務局や会員有志が有能で活発に活動された成果かなと思う次第です。

 

そしたら今朝の毎日にも和歌山版で<寄贈JA紀北かわかみ、大畑才蔵を学習漫画に 児童向け、橋本市に>が掲載されていました。なにかとんとん拍子で次々に活動が広がっている気がします。

 

その前のイベントも、毎日で取り上げていて(私は見落としていましたが)<教える育む学び合う橋本で探訪会とフォーラム 江戸時代の測量器再現 /和歌山>と才蔵が開発した水盛り台の操作方法を丁寧に解説していました。

 

私の場合、当地にやってきた9年前、当地橋本のことをまったく知らなかったので事前知識を得ようと、一年くらい前から少しずつ調べていたら、大畑才蔵というとてつもなく魅力のある人物にたどり着いたのです。彼が活躍した晩年がちょうど私が当地にやってきた年に近かったので、こんな元気で意欲的かつ合理的精神をもった人が江戸時代中期にいたのかと、それも私が住むことになる家のそばでと思い、それ以来ことあるごとに関心を抱いてきました。

 

そして近畿農政局との間で、その灌漑事業計画について何回か議論させていただいている中で、私が才蔵に関心を持っていると漏らしたら、才蔵や上司の井澤弥惣兵衛の研究をされているKさんを紹介され、その後Kさんを通じて才蔵ネットにも参加させていただくことになりました。

 

不思議な縁と思いつつ、私一人の趣味趣向でやっている限りは才蔵自体の存在はなかなか世間の耳目に上ってくることはなかったでしょうけど(こういうブログも当時は考えもなかったですし)、これからの活動をさらに期待したいと思っています。むろん私もメンバーの一人ですので少しでも支援できればと思っています。

 

これまでも才蔵について、私の個人的な関心と独学でほとんどが議論してないようなアプローチもしてきたかと思います。

 

そして先日、少しその思いつきみたいな考えを会議の中で披露させていただきました。ま、私が才蔵が面白いと考えているその一端みたいな部分でしょうか。実際のところ、才蔵のことをまだほとんど理解できていないわけで、その理解するための手がかり的な意味で、取り上げたものです。それは

 

(1)    農業土木技術の開発と実践による高い生産性を創出した農業土木遺産を生み出した

(2)    灌漑事業における近代的な費用対効果算定による事業化を図った

(3)    導水路部分と受益部分の地域的不公正を調整し、農民の総合力を生み出した

(4)    灌漑事業における農民への収支計算を説明し参加を促し、近代農民意識を創出

(5)    農業経営を通じて収支計算により多角的事業を行い、近代市民の礎を作った

(6)    年貢徴収の合理化を図り行政の効率化と農民の収支予測を可能にした

(7)    創造的思考と精練に働くことによる喜びと安楽の道を見いだした

(8)    途上国においてエネルギー源が不足したり、先端技術の利用が困難な地域で、利用可能な土木技術・知見として検討されうるか(例・上総掘りのような)

(9)    江戸時代初期に流行した算術は当時世界水準だったが、遊興の一種とされていたものを、現実の農業土木に活用する実践的な活用をした点において、小中学生に算数の実用的意義を学ぶ機会になる

 

といったことでしょうか。これはほんの一部に過ぎないと思っていますが、他方で、こういった部分の研究が研究者の中であまり行われていないように思えるものですから、さらに絞ってどれかを深めると、より才蔵の意義がわかるのではと思ったりしています。

 

で、今日はこれとは別に、先の会合で話していてYさんから出た話からちょっとした思いつきを考えたことを披露しようかと思っています。紀ノ川の河川流況・形態は古代から近世、現代にかけて大きく変容していて、その時代、時代の姿があまりよくわかっていないように思うのです。ところがYさんの話では、慈尊院の鐘撞き堂が高野口町の国道24号線付近まで張り出した位置にあったというのです。

 

いま慈尊院は参道を降りていくと県道と交差し、すぐ紀ノ川護岸です。ところが、古文書では高野山の政所がその護岸付近にあったとか書かれているのをどこかで読んだことがあり、昔の紀ノ川筋がどうだったかいつも気になっていました。

 

政所ですから、相当な敷地を持っていたと思われるのですが、いまの紀ノ川の流れを見ているととてもそんな敷地はありそうもないのです。しかし、Yさんの言うように、国道24号線まで慈尊院の敷地が出っ張っていたとすると、それは広大です。

 

室町期に大洪水で、紀ノ川の流れが変わり、現在の南側護岸に後退したというのです。たしかに、南側の護岸付近は岩盤がむき出していて、そこまで削り取られたのかなと思ってみたりします。

 

で、ここからです。前にこのブログでも取り上げた元禄高野騒動、ないし聖断です。元禄5年(1692年)7月、江戸から寺社奉行が道中奉行を引き連れて、合計500名以上が橋本までやってきて、高野山の紛争についてい裁判を行ったのです。元々高野山では学侶方、行人方、聖の紛争が絶えなかったと言われていますが、このとき裁判では行人方が大勢追放になり、寺社も1300近くが取りつぶしになっています。

 

まさに江戸時代最大の裁判ではないでしょうか。寺社奉行は町奉行・勘定奉行の三奉行のトップで、大名だけが就任できる、言葉は適切ではないですが、まさに最高裁判所的存在でしょうか。その寺社奉行が直々に橋本にやってきて大裁判を実施したのですから、その意義は大変なものでしょう。

 

才蔵日記は、この裁判を淡々と客観的に結果だけを書いています。ただ、寺社奉行を本田紀伊守としていますが、当時の寺社奉行は本多上総守?ではないかと思うのですが、このあたりも他の文献で確認したいところです。

 

それはさておき、この裁判は高野山の内紛として処断されていますが、もしかしたら、領地紛争の解決も図ったのではないかと推測しているのです。

 

才蔵は、高野口出身のもう一人と、30年近く高野山の内偵という調査活動をして、この裁判の調査員的働きをしたのではないかと思うのです。

 

で、慈尊院の敷地が高野口まで元あったのであれば、室町期に氾濫で川筋が変わったことによって、領地が減ったとしても、当時の高野山の領地に対する支配意識(これは西行物語などでも指摘されているかと思います)から、むざむざ放任することはなかったと思うのです。

 

それで紀州藩が高野口にある小田からかつらぎ、粉川、根来にまで紀ノ川の水を灌漑するなんて計画したら、猛反発した可能性は十分にあるように思うのです。

 

とりわけこういう分野は行人方が戦闘的だったわけでしょうから、それが寺社奉行による大裁判を元禄高野聖断と繕って、大弾圧を行ったかもしれないと勝手な推測をしています。

 

その結果、その後すぐに、下流の藤崎井を開削し、さらに小田井を開削することが、なんの妨害もなく行うことができた、というのはちょっと飛躍が強すぎるかもしれません・・・が。

 

ともかく才蔵の行動は、同時代を生きた芭蕉に似たなにか不思議さと芭蕉にない合理的精神があります。芭蕉のような俳諧の高貴な文学性はなかったでしょう。でも芭蕉が持たない和算や高度な土木技術は自負してよいのではと思います。

 

今日はこの辺で無駄話を終わりとします。


土が育てる心 <自然栽培で農業と福祉連携>を読みながら

2017-08-23 | 心のやすらぎ・豊かさ

170823 土が育てる心 <自然栽培で農業と福祉連携>を読みながら

 

おそらく日本人の大半は戦後初期まで身近に田んぼがあり、その泥状の土の感触を体に染みつけ、そこに生息する多様な生き物とふれあっていたように思うのです。

 

私自身幼い頃そういう経験があったかどうか記憶が曖昧です。でも当地にやってきて自然農を知り、実際に体験してものすごい感動を得ました。ぬるぬるした土の中で作業し、さまざまな昆虫たちが身の回りで活動している様を、汗だくだくで楽しんでいたように思います。

 

毎日朝刊<くらしナビ・ライフスタイル自然栽培で農業と福祉連携>は、その田んぼの土を舞台に、自然栽培農業により、福祉・企業との連携を着実に各地に普及させている新しい動きを取り上げています。

 

キーワードは「農福連携自然栽培パーティ」と「一反パートナー」です。コンセプトは<全国の障害者施設に無農薬、無肥料の自然栽培による農業を広める活動>です。メンバーは障害福祉サービス事業所と企業です。仕掛け人は「パーソナルアシスタント青空」代表の佐伯康人さん、その取り組みを助成したのはヤマト福祉財団です。

 

今回取り上げられたのは、前橋市の障害福祉サービス事業所「菜の花」を利用する障がい者と、ボランティア参加したカシオ計算機とグループ会社の社員や家族ら40人余です。むろん、農業指導をするのは地元農家の方。

 

<「自然栽培パーティ」が今春から始めた「一反パートナー」の第1号に同社が名乗りを上げた。>この「一反パートナー」が<障害者らが育てた米を収量にかかわらず企業や団体が一定金額で買い取る仕組みで、事業所の安定収入につながる。>

 

ある意味、棚田オーナー制や消費者の共同購入制などで培われてきた仕組みをうまく活用しているようにも思うのです。農地での生産活動に参加して、収穫を得つつ、農家の所得の安定に寄与して、その棚田景観の保全を図ったり、食の安全を守る機能を、福祉分野にも適用し、企業に求められている社会貢献とも親和性がある仕組みではないかと思います。

 

この仕掛け人の佐伯氏を導いたのは<青森県弘前市のリンゴ農家、木村秋則さん(67)だ。「太陽のエネルギーで土の中の微生物を育て、自然の栄養素で作物の力を引き出す」という木村氏の言葉などから、<自然栽培の農法に活路を見いだした。>というのです。

 

この自然栽培により障がい者自身、その働く楽しさに加えて賃金アップという、大きな収穫を得たのではないかと思います。<「みんなが土に触れて楽しそうに仕事をするようになった」と佐伯さん。B型事業所の全国平均工賃は月額約1万5000円(15年度)に過ぎない。青空の場合、利用者(約20人)の工賃は現在、月額平均約5万円となった。>

 

それだけではありません。<カシオ計算機の小林誠CSR推進部長(59)は「障害者の賃金向上と耕作放棄地の再生、安心安全な食。自然栽培パーティにはこの三つの要素がある」と今後に期待する。>と耕作放棄地の再生、安心安全な食の2つを付け加えています。

 

私は重大な要素をうっかり取り残されたのではないかと思うのです。それは企業の社員と家族の心の豊かさを育むことです。それは親子が土と自然の中で触れあうことにより、普段失いつつある心の自然な触れあいの機会を取り戻すことにつながると思うのです。夫婦一緒であれば、大事な絆を維持、改善する場にもなるでしょう。

 

そして忘れてはならないのは、障がい者とともに作業することにより、お互いがそれぞれを思いやる気持ちを育むことにつながると思うのです。むろん一回限りではそう簡単にはいかないでしょう。継続こそ力となり、本当の豊かな心育む場になるのではと期待するのです。

 

余談ですが「一反オーナー制」は、これだけでは法的な性格・仕組みがはっきりとしませんが、基本的には農地法改正で賃貸借は一部規制緩和されましたから、農地は農家が所有したままで、「菜の花」が一定の条件で借地しているのではないかなと推測します。カシオ計算機はその農地のうち一反だけ収穫について一定の金額で買い取るという契約になっているのでしょうか。オーナー制といっても土地所有にはつながるものではないと思います。

 

そんな法律論は別として、心ある人たちは、豊かな自然を守るため、また、心豊かな気持ちを育むため、様々な法規制とは別の独創的な法的仕組みを作り上げてきたことを、長い歴史が証明しているようにも思うのです。法律は強固なバリアですが、志があれば突き抜けられるものです。そしてそこに新しい価値を生み出し、心のバリアを破ってより心地よい関係づくり、自分づくりができるのではと思っています。

 

今日はこの辺でおしまい。