たそかれの散策

都会から田舎に移って4年経ち、周りの農地、寺、古代の雰囲気に興味を持つようになり、ランダムに書いてみようかと思う。

生物と人 <そこが聞きたい ヒアリにどう対処するか・・五箇公一氏>を読んで

2017-08-07 | 生物とのおつきあい

170807 生物と人 <そこが聞きたいヒアリにどう対処するか・・五箇公一氏>を読んで

 

昨夜は台風5号の影響でしょうか、蒸し暑く寝苦しい夜でした。無風状態に近く、それでいて湿気が高いのですから、扇風機をかけていても効き目があまりないのです。なんどか目が覚め、ついには階下で寝ることにしました。少しだけ温度が下がった感じでしたので、少し安らぎました。エアコンで涼むよりは少し汗をかいて寝る方がいいのです。やはり夏は暑いに決まっているわけで、それに順応するように体をしつけることも大事かなと勝手な思いがあります。冬は逆ですが。

 

ところで、気象庁は予測困難な台風5号に困惑しているのでしょうね。だいたい近畿地方を横断ないし縦断する予報ですが、当地では昨日から昼間ではほとんど無風状態で、雨も小雨から少し強くなっていますが、さほどの降雨量とは思えないのです。ただ、夕方に近づくと、風も強くなり、雨脚も強くなってきました。当地ではまだ大変状況まで至っていませんが、場所によっては大変な暴風雨で、降雨量も洪水など危険な状態になるところもあるのでしょうから、観測技術が高まったとはいえ、地域ごとに具体的な状況は予測困難なんでしょう。

 

今日は早めに仕事を終えて帰宅するのが賢明かもしれません。そういうわけで、いろいろ作業もありますが、ブログを夕方前に書き始めることにしました。

 

科学技術の進歩は日進月歩とはいえ、実際のところ、たとえば自然の実態を科学的に解明するのは未来永劫無理なのかもしれません。人間という存在自体の予測不能な活動と影響も関係するかもしれません。

 

見出しのテーマもそのよい一例でしょうか。五箇公一氏の顔をTVでよく見かけるようになりました。特徴的な方なので、目立ちますが、話の内容はさすがに的確です。

 

<輸入貨物に紛れ込んだ強い毒を持つ南米原産の「ヒアリ」が国内で相次いで見つかっている。生態系だけでなく、人の健康も脅かす侵略的外来種。侵入や分布拡大にどう備えるべきか。>

 

この基本的な質問に対し<監視と駆除 まずは10年>と指摘しています。そして<まず強化すべきなのは、ヒアリを早期に発見するための技術と体制です。>として、<環境省と国土交通省は当初、まだ発見されていない港にも、非常に毒性の強い農薬を含んだ餌を大量に置こうとしましたが、安直な対応です。>と行政の対応を批判的に見ています。

 

<外来生物には「10年ルール」があると言われます。在来昆虫などに食べられたりしながらも、逃げ隠れしつつひたひたと数を増やし、10年くらいたつとしっかりとしたコロニー(集団)ができ上がるということです。その時には人間の抑えが利かなくなっています。ヒアリの侵入は今後も繰り返されます。最低でも10年は監視を徹底し、見つけ次第、その場で駆除することが必要です。>

 

現在の監視・駆除体制では十分対応できない点を指摘しています。<港など水際で侵入を防ぐ方法として、例えば、定着国から貨物船が出航する際、コンテナ内のアリなどを殺虫剤で駆除してから荷物を入れる方法が考えられます。ただ、日本は資源や食料などの輸入量が多いので、水際で完全に防ぐのは無理です。他の外来種も同じです。>まさに日本の資源・食料依存体質自体が監視を困難にしているともいえるのでしょう。

 

ヒアリの定着後の根絶可能性についても期待できる話が出てきました。<私たちの研究チームは方法を開発し、ヒアリに備えて態勢を整えています。アルゼンチンアリでは世界で初めて、東京都内の2地域で根絶に成功しました。粘りのあるわなで働きアリの行動範囲を特定し、毒餌でその範囲内の巣を崩壊させるという地味なやり方です。特効薬はなく、時間がかかります。ヒアリ根絶に唯一成功したニュージーランドも、アルゼンチンアリについては、できていません。我々の手法は実用効果が確認されているので、これを応用すればヒアリも根絶できると期待できます。>

 

<外来種とどう向き合えばいいでしょうか。>との基本的質問に対する答えは<被害を回避する方法を学校などで教育すべきです。感染症の場合、例えば「野生生物にはむやみに触らない」といったことです。>と徹底的です。たしかに感染症を引き起こすウイルスが侵入した場合には、そういう対応が必要かもしれませんが、一般的に「むやみに触らない」となるとどうかな、と思ってしまいます。

 

<一番懸念しているのは狂犬病ウイルス。感染して発症すればほぼ全員が死亡します。日本は清浄国ですが、世界の多くの地域では感染の恐れがあります。犬は短期間で死にますが、アライグマは半年~1年は生きて動き回ります。>と聞けば、そういった予防的な心がけもやむを得ないのかもしれません。が、それも人間が招いた問題でもあるわけですね。

 

アライグマの話題がでたので、鎌倉に住んでいた頃のことを思い出しました。アライグマと台湾リスが鎌倉を含め三浦半島でどんどん増殖していた頃でした。私自身は当初、そういう事情も知らず、台湾リスがとてもかわいくて、近所の人が庭木に餌を置いたりして餌付けしているのを楽しく見ていました。台湾リスはどんどん慣れてきてわが家の屋根や周辺の家の戸袋などを寝床にしているのか、自由に往来していました。

 

そしてアライグマも逃げないので、遠くから見るだけでしたが近隣ではかわいい存在のように見ていたように思います。

 

ところが、それぞれ増えすぎて、農作物被害が増大し、駆除対策が次々と講じられていったのです。一度自治体で、そのワナの囲い網?を見せてもらいましたが、とても頑丈にできていて、それでもアライグマが凶暴性を発揮すると壊れそうになるくらいとのことです。顔は一見、かわいいのですが、怒ると凶暴になり、爪や歯は強靱ですので、人では太刀打ちできないようです。

 

イノシシによる農作物だけでなく人への被害も発生していますが、これは外来生物でなく、鹿などと同様に、人間の土地利用の拡大などが影響しているのでしょう。

 

いずれにしても野生生物とのおつきあいは簡単ではないですね。少なくても有害性のある特定外来生物はかわいいとか、といった安易な感覚で付き合うと、困ったことになりますね。

 

ただ、ほんとにこれら特定外来性津物はすべて駆除すべきなのか、そういった毒性や有害性にのみ着目せず、それとは異なる面にも目を向けられないのかと思ったりしますが、それは甘い考えかもしれませんね。

 

五箇氏は、<自然との関係でよく言われる「共生」は野生生物と仲良く暮らすことではありません。互いの生息場所を区分し、相手の領域をこれ以上乱さない。時には、人間界に侵入してくる生物たちと対決姿勢で臨まなければいけないことを肝に銘じるべきです。>と断言します。

 

生息地域のゾーニングを明確にして、お互い近づかないのが望ましいということかもしれませんが、それを破ったのはまさに人間ですね。人間が彼らの生息域に侵入し、彼らをその生息域から追いやったり、意識的・無意識的に異なる生息域に移動させたのですから。

 

少し前の記事<今どきサイエンス「人類」こそが外来種=鴨志田公男>でも、五箇氏の話が引用されています。

 

<原産地の生態系では、さまざまな生物が一緒に進化してきたので、天敵も競争相手もいる。どれも独り勝ちできない。ところが、ある生物が別の生態系に侵入すると、競争相手もなく、独り勝ちすることがあるのだという。>

 

日本は特定外来生物の侵入による被害を受けるとともに、わが国から移動させて被害を与える結果をもたらしているというのです。それが<クズの他にも、山菜として食べられることもあるタデ科のイタドリ(スカンポ)や海藻のワカメ、コイなどがワースト100>なっているのです。場所が変われば、好まれる生物も有害になるのですね。

 

<五箇さんは「私たちが持つ生態系に関する知識はほんのわずか。今後、どのような事態が引き起こされるのか予測できない。だからこそ、できる限り外来種は増やさない方がいい」と指摘する。

 生態系をかく乱する張本人は人間であり、「人類」こそが最悪の侵略的外来種だときちんと認識することが、外来種対策の原点になるはずだ。>

 

人間という生物は、やっかいな生き物ですね。そういう指摘があっても、ペット人気は高まり、どんどん外国からいろんな生物が輸入されていますね。なぜペットが好まれるのか、人間の心にやすらぎが乏しいからでしょうか。人と人と接することではやすらぎを得られず、ペットによって精神的な安定を得ているのでしょうか。

 

野生生物の話から生物一般、ペットまで飛躍したようにも思いますが、すべて根底には人間の性のようなものを感じてしまいます。

 

脈略のない話になりましたが、色即是空からいえば、有害とか有毒とかいっても、結局は同じではないかということには、なかなかならない、人間社会を垣間見つつ、また般若心経の世界を夢見る、台風(ノルー)通過の中で帰り支度に入った私です。

 

今日はこれでおしまいです。


所有と金融の目的 <地銀サバイバル 新事業開拓・再編に活路・・改革は限界>などを読みながら

2017-08-06 | 金融経済と合理性・倫理性

170806 所有と金融の目的 <地銀サバイバル 新事業開拓・再編に活路・・改革は限界>などを読みながら

 

私は時折、ヘンリー・D・ソロー著『ウォールデン 森の生活』を読んでいます。今日はその一つの章「どこで、なんのために暮らしたか」の中から、いくつかの文章を取り上げたいと思います。

 

ソローが住む場所として選んだのは、ボストンから(当時で言えば)遠く離れた田舎のコンコード村、そのさらに僻地にある森に囲まれたウォールデン池のほとりでした。彼はその場所を次のように表現しています。

 

「私は、住んだ途端に野の鳥と隣人になっていました。もちろん私が、鳥をカゴに閉じ込めるわけはなく、私がカゴに入っていました。私は森の家のおかげで、畑や果樹園で出会う小鳥ばかりか、もっと野性的で、もっと魅惑的な歌声を聞かせる森の鳴禽類(めいきんるい)―町の人たちのためにはめったに歌を歌わない烏たちーモリムシクイ、チャイロツグミ、アカフウキンチョウ、ヒメスズメモドキ、ヨタカ、その他多くの小鳥と友だちになりました。」

 

その家は見事なほどに自然と一体化しています。鴨長明や吉田兼好の庵はちいさくてもきっとすきま風も入らないように作られていたのではないでしょうか。まいえば、良寛さんの五合庵に類するようなものでしょうか。ソローその人の言葉で語らせましょう。

 

「屋根は完壁で雨は防げても、漆喰は塗っておらず、暖炉の煙突も組んでいませんでした。壁は風雨にさらされて銀色になった板をあてただけで、大きな隙間だらけで、夜は寒いほどでした。でも、まっすぐなマツを切り倒して作った真新しい間柱や、カンナで仕上げたばかりの戸板と窓枠のおかげで、家はすがすがしく、優美なたたずまいでした。特に朝は、材

が露に濡れて生気を取り戻し、昼には香りの良い樹液を吹き出しそうに見えました。」

 

そういう場所ですので、一日の始まりも自然の雄大さ、精神の高揚を感じさせます。

 

「朝は、ギリシャの英雄の時代を蘇らせます。夜明けに家の窓を開けると、部屋から聞こ

える一匹の蚊のかすかな羽音さえ、私の耳には、英雄讃歌の歌声のように朗々と響き渡り

ました」・・・「朝の中でも、だんぜん印象深い朝は、目覚めの朝です。眠気が最少に限られる覚醒の朝です。普段ならいくらかはまどろむ心も、目覚めて少なくとも一時間は、十二分に覚醒しています。」

 

さらに朝を高らかに賛美します。

 

「朝の太陽と共に自由で活力のある考えを働かせる術を心得た人は、一日をずっと朝の時間で過ごすことができるでしょう。時は時計が計るのではなく、人の考えや労働の仕組みで決まったりもしません。朝とは、私が目覚める時であり、夜明けは目覚める私と共にあります。自分を新たにするためには、眠気をさっぱり拭い取るやり方を身に付けるべきでしょう。」

 

ソローは朝の覚醒こと自らの力で自らを発見し、高めるというのです。「私たちはいつも覚醒し、その状態を保てるようになるべきです。その方法を私たちは、機械や薬の助けによらず、私たちを決して見捨てない、尊い夜明けへの飽くなき希望によって目覚めることから、学ぶのです。・・・暮らしを高める能力が自分にあることを、自ら知ることほど、うれしい発見はありません。」

 

そしてソローは森の暮らしを選んだ理由を決意を込めて明確に断じるのです。「生きるのに大切な事実だけに目を向け、死ぬ時に、実は本当には生きてはいなかったと知ることのないように、暮らしが私にもたらすものからしっかり学び取りたかったのです。私は、暮らしとはいえない暮らしを生きたいとは思いません。私は、今を生きたいのです。私はあきらめたくはありません。私は深く生き、暮らしの真髄を吸いつくしたいと熱望しました。」

 

そこには躍進留まらないアメリカ産業や文明をしっかり見据えながら、働くことに明け暮れ、その文明化された暮らしを追い求め、欲望を追求するあり方に疑問を痛烈な疑問を投げかけています。

 

ソローは「それにしでもなぜ、私たちはそれほど多くの人の命を犠牲にして、忙しく働いて生きなければならないのでしょうか?私たちは、お腹がすいてもいないのに、餓死を恐れます。私たちは、備えあれば憂いなしと言って、明日の必要の何千倍も蓄えようと働きます。」

 

ソローは所有とか占有とか生産とかより人間にとって大切なものをある詩を引用して、あるすばらしい農場についてその「景観は私のものです。」というのです。

 

「私は 見渡す限りの土地の王

誰が そういう私に 文句を言えるものか」と。

 

さて今日の本題を語る前に、長広舌の前置きとなりました。できればこうありたいと時折思いながら、日々、ソローが批判する生き方をしているなと自戒を込めて、少しいんようしました。と同時に、これから取り上げる、金融を巡る問題も、なにかある種、自縄自縛に陥っていないかといったことを、ソロー的な視点に立つと感じてしまうのです。

 

さて毎日朝刊は<クローズアップ2017地銀サバイバル 新事業開拓・再編に活路 金融庁後押し、改革は限界>のタイトルで、大きくこの問題を取り上げています。

 

地銀を含む地方金融機関の再編・統合は急速に進んでいますね。都市銀行がすでに(私も統合前にどことどこが一緒になったかわからなくなっていますが)ほぼ再編が行き渡ったような印象もある中、金融庁がはっぱをかけているのかスピードアップしていますね。

 

でもほんとに大丈夫か、だれも不安がないのでしょうか。人口減少に対応するのに統合が必要というのでは安直な結論ではないかといった疑問はわかないのでしょうかね。市町村合併も、ある種、反省もあるでしょうし、なかには統合しないままで頑張っている自治体もありますね。

 

そういった地銀サバイバルの行き過ぎについて、記事は次の問題をあげています。

 

一つは銀行カードローンの急速な増大ですね。<無担保で使途を問わないカードローンの2017年3月末の融資残高は5兆6024億円で、10年前から約6割も膨らんだ。10年の改正貸金業法施行で消費者金融に「年収の原則3分の1」の融資上限が課せられたが、銀行は無制限。しかも最大年15%程度の高金利が稼げるため、地銀などが営業に力を入れたためだ。>

 

私自身は、最近、債務整理事件がほとんどなくなり、貸金業法改正で総量規制が有効に働いているのかなと思っていましたが、この実態に驚きであるとともに、それだけ簡単に借りることができるのであれば、借りようとする消費者も多いと言うことでしょうか。ソローがいう清貧に生きるというのはなかなか容易ではないということでしょうね。

 

それにしても私の感覚ですと、この銀行カードローンは都市銀行系が比率的には桁違いに多いのではと思っていますが、実際の貸出残高を見ていないので、自信はありません。でも日常的に見られるあの膨大な宣伝広告の主体は都心銀行系ですね。旧貸金業者が傘下にはいってやっているように思うのですが。

 

それでも地方の場合、地銀もそれなりにやっていることは確かでしょう。<日弁連の昨年6~7月の利用者調査では借入額が年収の3分の1を超えたケースは約6割に達した。>というのですから、金融機関自体の貸付審査に疑問が出てくるのは当然です。

 

日弁連は16916日付けで<銀行等による過剰貸付の防止を求める意見書>を発表して改善を求めていますが、任意の対応では容易に改善されないおそれがありますね。

 

それだけ借り手は収入が乏しく、生活に困窮していることが窺えるとともに、消費生活の自立・抑制ができなくなっていることも要因ではないでしょうか。他方で、金融機関が日銀のゼロ金利政策続行の中、国債以外に適当な借り手を見いだせない、体質・構造に問題があるのだと思います。

 

このまま行けば、自己破産や再生といった法的手続きによる解決というまた来た道を歩むことになりかねない、ように思えるのです。

 

同種の問題として、<行き過ぎが目立つのは、賃貸住宅を建設する人向けの「アパートローン」が取り上げられています。<個人が建設する賃貸住宅への地銀の融資残高は、17年3月末で前年比7・2%増の13・8兆円に達し、日銀による09年の統計開始以降最大に。相続税対策のための需要を度外視した建設も目立ち、金融庁が調査に乗り出す事態となった。>というのです。

 

たしかに新しいアパート建築が増えている印象があります。他方で空き室のアパートも。ほんとに人口減少に対応する事業といえるのか疑問です。家賃保証を含めさまざまなテクニックは以前から開発されてきていますが、それらはほとんど見かけ上のものにすぎず、適正な費用対効果が計られているとは言いがたいと思うのです。莫大な建設費用の借り受け負債が残り、土地も建物も売り払っても、負債だけ残り、遺産も残らないという例はバブル期以降、なんども目にしてきましたが、それとどう違うのでしょうかね。

 

アパートに限らず、介護施設や保育所など最近需要の高い施設建設も同様の十分な事業採算性を考慮しない貸し付けが行われている例がありますが、安倍政権の金融拡大路線に影響を受けて、金融庁も迅速・適切な監督業務が行えているのか注視が必要でしょう。

 

<地銀の外債運用>についても指摘されていて、<超低金利による国債の利回り低下を受け、各行は高利回りの外債にお金をシフトしたが、昨年11月の米大統領選後の米長期金利急上昇(国債価格は急落)で、多額の含み損が発生。>といった問題が起こっています。

 

地銀は外債だけでしょうか。他の金融商品は扱うことができないのであればいいのですが、これまで地銀であれば、外債自体についてのリスク管理ノウハウがあるとは思えず、その他の金融商品についてはさらにということになるでしょうね。

 

顧客は、地銀というと、地方では安定していて、信頼性が高い評価をうけていることから、そこから勧められれば、外債というリスクの大きい金融商品でも、金利が高いとか、評価高いという一時的な価値で、買い付けるかもしれません。それこそ、高い信用を利用するもので、より適切な説明責任を果たす必要があるでしょう。

 

大手証券会社や都市銀行ですら、その説明のあり方には疑問なしとしません。それを地銀の担当者が相当研修を受けていても、簡単なことではないように思うのです。

 

地銀の将来は、地域を盛り上げる、新規事業への融資が中核ではないかと思うのですが、それは地域の多様な資産を活かす事業、新たに発掘する事業ではないでしょうか。地域には多様な価値が隠されているのではないかと思うのですが、それらを連携し、新たに豊かな価値創造を果たす担い手として地銀に期待したいと思うのです。

 

今日は少し長くなりました。これでおしまいです。

 


流木の由来(4) <九州北部豪雨 1カ月 流木、被害の連鎖>を読んで

2017-08-05 | 災害と事前・事後

170805 流木の由来(4) <九州北部豪雨1カ月 流木、被害の連鎖>を読んで

 

今朝の毎日を見て驚きました。上記の見出し記事の写真と解析です。土砂崩れの発生は「赤谷川」という聞いたこともない小河川です。探すのに大変なくらいです。もう一つの写真には、山腹崩壊が多数発生したエリアで、ピンク色の斜線で表示されています。そのすぐ山を越えたところには日田林業で有名な日田市が一部写っていますが、山腹崩壊がさほどなかったということでしょうか。流木の堆積場所として黄土色で表示された箇所が筑後川に流入するおそらく長さ1020kmもない短い赤谷川の大半を埋め尽くしているのです。そして犠牲者の自宅等の場所もその流木堆積場所付近か、そのさらに支流の流域沿いに集中しています。

 

土砂崩れの写真では、まだ判別が困難ですが、概要2つの類型を見ることができるかなと思いました。一つは前面のなだらかな斜面で、畑耕作が行われているような土地利用の場所で、山崩れが起こっています。もう一つは、奥の方で、かなり急傾斜地で人工林の造林が行われたような場所で発生した山崩れです。ただ、ピンク色の斜線で表示されたところでは、赤谷川周辺よりも、山腹崩壊が大規模に起こっているようにも見えますし、より広範囲にも見えます。この写真だけではさらなる評価は困難かなと思っています。

 

で、これらの写真を見て、何が私を驚かせたかというと、筑後川の流域に発展した街、朝倉市の背後にある森林がある意味では山腹崩壊を起こして牙をむいたことです。他方で、まだ情報がきちんと集まっているとはいえない段階ですが、日田市ではそれほどの山腹崩壊が起こらなかったのではないかということです。

 

それはどういうことかというと、日田林業は西日本の中でも割合活発なところではないのかと思っています。統計資料を持っていないので、正確ではありませんが。他方、<朝倉森林組合>のホームページを覗きましたが、さほど活発な事業展開をやっているようには見えませんでした。同組合が管轄するのは朝倉市を含め3市町村で3.6haということですが、事業を担っているのは専従職員16名、現業職員17名です。これは一般的な林業地では標準的ではないでしょうか。ただ、これだけの人員ではとても現在ある間伐が必要とされている森林について、適正に間伐を実施できる体制にあるとはいえないように思うのです。年間に伐採・搬出する材積量は、本来必要とされる量に比べて相当低いと思うのです。

 

なお、林野庁の<間伐の実施状況等>では、<地球温暖化対策として、我が国は、2020年度における自主的な温室効果ガス削減目標を2005年度総排出量(139,700CO2トン)比3.8%減以上としており、森林吸収源対策では約3,800CO2トン(2.7%)以上を確保することとしている。>

 

<この目標を達成するため、「間伐等特措法」に基づき農林水産大臣が定める「特定間伐等及び特定母樹の増殖の実施の促進に関する基本指針」では、平成25(2013)年度から平成32(2020)年度までの8年間において、年平均52haの間伐を実施することとしている。>とされていますが、実際の間伐実績は減少の一途ではないかと思います。

 

いや、平成27年度以降は統計数値を上げていないのですから、わかりませんね。というより、間伐面積の換算自体がはたして適正かも疑念が残ります。

 

それにこの統計は単に間伐した面積ですが、その一定の割合が切り捨て間伐として山林内に放置されているのです。この朝倉森林組合の実績がどうなのか明らかになっていないので、なんともいえませんが、要間伐森林の適正な間伐があまり実現できていなかった可能性を考えています。

 

間伐事業はたしかに地球温暖化対策として有効と評価されていますが、治山・治水対策としての有効性をも検討する時期ではないかと思うのです。

 

仮に日田市の森林ではさほど山腹崩壊が起こっていなかったとすると、日田林業では、森林組合だけでなく民間林業者が活発に事業展開を行って、バイオマス事業への参画や集成材加工への進出など、新たな商圏を拡大して、間伐事業を推し進めているようにも聞いています(このあたりはまだ情報不足で確認の必要がありますが)。

 

他方で、朝倉市を含む問題の森林地域では、日田林業のような活発な間伐を行っていなかったのではないかと推測しています。

 

そのような間伐の内容・程度・適正さが、今回の山腹崩壊、さらには大量の流木流出につながったかは、早計な判断はするべきではないですが、このような視点での考察がいま行われているのか、疑念を抱きます。毎日記事などでは多くの多様な専門家の意見が出ていますが、どうも林業関係の専門家の意見は見たことがありません。それで、今回の大量流木発生の要因を明確に検証できるのか、懸念するところです。

 

むろん、山腹崩壊のメカニズムは、多様な要因を考える必要があり、異常な短時間集中豪雨に加えて持続的豪雨による累積的な影響、地質自体が保水性の点で脆弱性があったかどうか、多面的な考察をしてもらいたと思うのです。が、同時に上記のような視点を忘れてはならないように思うのです。

 

というのは、国土地理院の地形図で当地をざっと見る限りでは、海抜100m強のの赤谷川の周辺でも、標高200mないし300mといった小高い山しかなく、さほど急峻な地形ではないのです。少し奥には5ないし600mの頂をもつ山もありますが、だいたいにおいて休漁と言ってもおかしくないほどの規模です。

 

それでも流木が河川に流れ出すと、途端に凶器となり、また人工堰となり、とりわけ小河川では河川氾濫は時間のいとまがありません。そういった流木、換言すれば「立木」のハザード性について、改めて見直す必要を感じてています。

 

同じ毎日の別の記事では<くらしナビ・ライフスタイル浸水可能性 確認し備える>と、最近の異常豪雨がいつどこで発生するかわからないことから、事前の注意を呼びかけています。その中でハザードマップの存在を指摘しているのは、それ自体はよいことだと思います。

 

ただ、現在公表されているハザードマップは、残念ながら、ハザードそのものをきわめて限定的に想定していることから、当然、北九州豪雨のような事態には対応できません。すべてのハザードに対応するマップを作るのは容易でないことは理解できます。ただ、こういったマップを作成する上で、基本的な配慮を欠落していることがある場合もあるため、注意を要するのです。

 

たとえば、中小河川でも一定の水位以上は氾濫することは誰でも想定できます。その場合異常降雨量が突発的に発生したら対応できないのも予想可能です。しかし、今回の流木のような事態は、より不測の危険が拡大するにもかかわらず、ほとんど想定されていないのです。たとえば、河川の場合蛇行していると流木が堆積する可能性が高まりますね。あるいはかかっている橋桁などに流木が衝突あるいは詰まったりすることもあります。あるいは鉄道法敷の下に河川がトンネル状に流れているような場合はいっぺんで詰まってしまう危険性があります。そういった流木を含む流出物による河川の流れを遮断するハザードはあまり考慮されていないことを感じています。

 

自分たちの住んでいるところはいままで災害がなかったから大丈夫と安心しきっていると、現代の異常気象の下では、脆弱な森林や小河川の実情を考慮すると、きわめて危うい考え方だと思っています。

 

私自身はいつも死を念頭に置いていますが、それでも日常の煩雑さに埋没して、その危険性を没却することがあります。日本列島誕生以来、和が国土は脆弱な状況を維持しており、それだからこそ、可憐な自然生態系の妙を楽しめると思うのですが、他方で、多様なリスクを認識して、それらにどのように対応するか、日常的に考えておく必要があると思うのです。むろん第一義的には行政が行うべき事ですが、私たち一人一人も、さまざまな災害を想定して、その場合どうするか、検討しておくことは、意味のあることと思うのです。


大畑才蔵考その7 <大畑才蔵を現代においてどうとらえることができるか>

2017-08-04 | 大畑才蔵

170804 大畑才蔵考その7 <大畑才蔵を現代においてどうとらえることができるか>

 

8月に入ってからだと思いますが、いままで適当に日々書いてきたブログについて、カテゴリー分類ができることを知り、仮に分類するとどんな対象を取り上げてきたか、なにか方向性と行ったものがあるかなどと考えてながら、とりあえず今年の分を整理しました。

 

実際は、一つ一つのブログの中身はあっちこっちに飛んでいるため、カテゴリー分類が容易でなく、またそのカテゴリーの表現も、識別基準もいい加減ですので(時間をかけずに機械的に分類)、一応の目安みたいな物でしょうか。そうすると、若干、ある種の内容を割合とりあげていることがわかります。ま、好みありますし、閲読しているのが毎日ということもあり、偏りは当然です。

 

それはともかく、今日のお題はと新聞を見ても内閣改造がほとんど紙面を埋め尽くしていて、ちょっと興味をもてなかったので、しばらく才蔵考を書いていなかったこともあり、また、<大畑才蔵ネットワーク和歌山>では来春早々にミニシンポを開催する予定ですが、そのシンポテーマなり構成なりを一応、担当したので、たたき台くらいは用意しないと思いまして、思いつくまま、以前にも書いたこともあるでしょうけど、一時間ほどで思いつくまま、書いてみようかと思います。

 

いくつかのアプローチが考えられるように思っています。今回が何回目かと思い、カテゴリー欄を覗くと、6回ありましたので、7回目というのがわかりました。これだけでも分類した意味がありました。どんな内容を書いたかをフォローするのもいいですが、そんな時間があったらタイピングする方が有益と思い、過去の文書をチェックせずにやろうかと思います。

 

さて、彼はまず、百姓です。そして家族をもち自分の跡継ぎのことを思い、その指針となるべく、百姓渡世という百姓が日々すべきことを一年を通して農作物の播種や肥料などを書いています。これは家族向けでしょうか。この種の農法については、江戸時代に入り、多くの農法書が普及されており、才蔵も参考にしたかもしれません。ただ、近畿圏における農法はすでに大坂あたりの町に出荷するなどの商業性の芽生えがあったようで、特殊性があったのではと思っています。

 

それはともかく、私は、江戸時代の百姓は、士農工商という身分制の下、また、過酷な年貢取り立てのため、隷属的な地位にあった、それが封建制だと主張する歴史家が長く通説的立場にあったことが現在では相当揺らいでいるのではないかと思っています。そういう意味で、才蔵の生き方はそして自発的な開発意欲、創造性などを発揮し、自立した農民、いや当時はほとんどがそうでしたから庶民、あるいは市民に近い存在とみる必要があると思っています。そういった、西欧文化が登場する以前に、近代合理主義の考え方で生活を、職業を営むようになりつつあった市民像を示しているように思うのです。

 

いや、それは儒教思想が現れているだけであると主張されるかもしれません。その意味では、是非とも近世農民を代表する一人として、その生き方を現代的視点で見直してよいのではと思うのです。近世農民史を専攻する研究者の考えを伺いたい思いです。

 

これはどういう点でそういえるかというと、ひとつは彼の算術の実践的な活用でしょうか。才蔵が生まれた頃、算術は全国的なブームで、現代で言えば中高生でも解答に窮するような問題を10代前後の子どもから大人まで競って買い得に取り組んだ背景がありました。ただ、才蔵は、その算術を身につけるだけでなく、農業土木に見事に応用実践したのです。

 

そしてここが重要と思うのは、彼は生活や農業というもの、それを維持する道具やため池、井堰などのインフラといった多様な対象について、詳細に絵図を書き、名称を付していったのです。これこそ技術の伝達、習得に近代的な知恵ではないかと思うのです。その単語帳というか、絵図に付した名称の数は膨大で、これがあると、その技術を学ぶ上で容易となります。見よう見まねといった職人的なものに頼らず、合理的な教育方式を彼は残しているのです。

 

そして彼が成し遂げた小田井、藤崎井など多数の灌漑事業ですが、費用対効果をしっかりと事前に算定して、無用な工事は回避しているのです。灌漑事業を行うに当たり、当該地域の田畑の評価を丁寧に一枚一枚行い、そして新田開発に余力があるか、意欲があるかといったこともヒアリングを通じて配慮に入れて、事業計画を練っているのです。こういったことは、以前から流行のアメリカ流、plan, do, check, reformといったことを彼は各地の見聞というヒアリングで身につけていったのではないかと思うのです。その意味で、現在の灌漑事業をになっている農政の研究者の評価を仰ぎたいと思うのです。

 

そしてその成し遂げた灌漑事業における農業土木遺産としての価値を適切に評価することができる研究者によるアプローチが不可欠です。紀ノ川は大河川の一つですが、下流域には古墳時代に宮井用水がすでに開削され、和歌山市の平坦地を豊穣の田んぼにしています。しかし、宮井用水は平坦であるのと、その灌漑用水と交差して紀ノ川に流れる河川がほとんどありません。これに対して、小田井や藤崎井などでは、河岸段丘が紀ノ川より高い位置に高台があり、しかも複雑な地形があり、多くの中小河川が紀ノ川に流れ込んでいますからそれらを横断するのが当時の技術としてかなり困難なもんだいとして浮上していたのです。

 

それを才蔵は伏し越など、現地に応じて多様な手法を活用していったのです。

 

中でも、取水地の小田から灌漑する粉河までは長い距離のいわば導水路で、おそらくこれだけ長い規模の物は当時としてはほとんど亡かったのではないでしょうか。しかも用水路の高低差はほんのわずかしかないため、精密な測量なしには成し遂げられません。これを才蔵は水盛り台という自ら発案した竹製の測定器で、地形の高低差を正確に計りながら、開削を進めたのですから、その偉業はその技術の正確性・精密性において高く評価される小野でしょう。伊能忠敬などのその後の測量技術は西欧文明の技術を活用した物ですが、才蔵のそれは日本独自のものです。それだけ彼の才能が優れていたというべきでしょう。それはもしかしたら縄文時代から受け継いできた精密な技術の伝統を彼が備えていたからかもしれません。

 

もう一つ、これはたぶんに日本文化の一端を示しているかもしれません。彼は安楽という、だれもが望むことがらを、懸命に働くことによって得られると考えたのです。それは誰からに言われて働くのではなく、まただらだらと考えもなく働くのではなく、みずからいかに知恵をつかえば、より効率的になるかを創造的に日々考えて、明日を見て、次世代を考えて、動くこと、そこに一所懸命になれば、それは安楽になるというのです。

 

それは江戸時代以前の、末法思想や、浄土思想とは隔絶した、いま現在をいかに生き生きと生き抜くかを、彼は考えていたのではないかと思うのです。その意味では、思想家の研究テーマになるかもしれません。

 

一時間がすぎてしまいました。思いつくまま書きなぐってしまいましたが、これをヒントにして、なにかいい考えが浮かべばと気楽に考えて、今日はこの辺でおしまいにします。

 

 

 


GPSとドローン <科学の森 日本版GPSで新サービス 誤差100分の1に・・>などを読みながら

2017-08-03 | 科学技術

170803 GPSとドローン <科学の森 日本版GPSで新サービス 誤差100分の1に・・>などを読みながら

 

今朝はとてもすがすがしい気分になりました。久しぶりに高野の山々が見事なほどくっきりと目の前に迫ってくるほど、鮮明でした。青空が広がり、さまざまな視線をさえぎる物質が消えていました?1000m前後の頂をもつ雪池山、摩尼山、弁天岳の稜線が前方にいくつも筋になって分かれている様が鮮烈なほどに見えるのです。再びNHK日本列島誕生よりもっと後に起こった、おそらく100万年、いや50万年くらいの間に紀伊山地で起こった数々の地殻変動がいまそこにあるのだと感じてしまうのです。そのあたりを解説している書籍を読み続けているのですが、なかなか理解力が追いつかず、ここに紹介することもできないでいます。

 

さて、今日もある不動産引渡の履行確認に関わる打合せを終え、いろいろ雑務をしているとすでに5時を回っています。

 

本日のお題としては、毎日朝刊の<科学の森日本版GPSで新サービス 誤差100分の1に/自動運転・ドローン応用へ>が実際はよくわからないものの、身近に感じましたので、取り上げることにしました。

 

実は先日、私も関係している大畑才蔵ネットワーク和歌山の会議があり、その際、Yさんから貴重なドローン撮影による報告がありました。才蔵が開削工事を計画・始動した小田井用水が現在も使われているわけですが、その現状をドローンで撮影し、プロジェクターで放映してもらい、みんなで鑑賞したのです。

 

ドローンは見事に空中を飛行して(実際は見ていませんが画像からそう推測)、小田井用水の流れをしっかりととらえていました。Yさんによると、操縦自体はさほど難しいものでなく、割合簡単に習熟できるようでした。今後は用水路の維持管理などにも使われるのでしょう。

 

私自身、小田井用水の実際の流路がどのようになっているかよくわかってなく、時折、和歌山へ行く途中などで、周辺に注意を払ったり、あるいはgoogle earthで用水路の流れを追跡していたのですが、あまりはっきりしなかったのです。それと現在流れている用水路の位置がどうも地形的に自然流下するにしては地形の高低差に逆行しているようにもみえることから疑問を感じていました。

 

灌漑事業の専門家でもあるYさんやKさんと少し話す機会があり、いろいろ腑に落ちることがありました。

 

まず小田井堰の設置位置ですね。これがなぜそこにしたか。というのは実際にこの用水による灌漑利益を受けるのは数十キロ下流の粉河や打田です。その間は実質的には導水路なのです。それで、まずなぜ小田にしたのかについては、この護岸は固い地盤とのことです。たしかにその上流の岸上という絶壁のような尾根の縁からつながっていて、強固といわれるとそうかなと思うのです。でも対岸には護岸がなくこの堰に上流からの水が当たって留まると(むろん灌漑用水路に多くは流入することになってはいるものの)、対岸に大きな水量が流れていきますね。YKさんいわく、いまある南海高野線の高い法敷近くまで氾濫原になっていたのではということで、おおよそ納得できました。

 

この導水路部分できになるのが、最初は河川の岸にそって流れていたのが、突然、現在の和歌山医大病院紀南分院の手前で直角に曲がり北方に流路を向けるのです。しかし、この岸付近はかなり地盤が低くなっていて、まいえば、高見に上っていくということになり、ポンプもない当時ではあり得ない流路です。この点は、Kさんが周辺は河岸段丘で岸からずっと高台になっていたのが、国道24号線のため切り土して低地になったとのことで、理解できました。

 

現在は紀北分院の下流域も、上流域も低い平坦地ですが、当時はそこまで高台だったことから、その高台を這うように、北側に流路を変え、その後も高台を進んでいき、その下の氾濫原に配水する訳ではなかったようです。

 

と長々と本題から離れてしまいましたが、GPSの精度が高まり、ドローンなどの利用がより多様で精巧となれば、その画像の利用度も高まること請け合いでしょうか。いや単なる画像撮影といった機能を超える多様な機能をドローンだけでも具備するようになるのでしょう。

 

で、このGPSの精度が現在、アメリカ版を借用しているため誤差10mというのですから、かなり粗いですね。この前高野山・女人道を歩いたとき、iPadを持参して自分の位置を核にしようとしたのですが、樹木に遮られたりして、さっぱりだめでした。それとスピードが遅いのです。私の機種もだいぶ前のものですから、そのせいもありますが。自動車のナビもときどき、いい加減な軌跡をとりますね。これもそういったことが要因でしょうか。

 

とはいえ、いまでも普通のアイホンやスマホで、配偶者の不倫を発見する手段としては結構使われていて、私も証拠資料として持参され、驚いたのは何年くらい前でしょうか。これで一発解決でしたが。とはいえ、その軌跡をみても正確さから言えば、まだまだの部分がありました。

 

それが日本版になると、誤差6cmですか、ここまでくると、自動運転が可能になるというのは現実性を帯びますね。私なんかだと、運転するとき6cmの誤差どころか、数10cmの誤差があるときも恥ずかしながらあるのですから、わたしよりずっと性格と言うことになりそうです。それに十分注意をしていると10cm以下の誤差ですみますが、うっかりして見過ごすという人間の弱みもあるのですから、自動運転の場合機械の不具合などがなければ、そういった凡ミスもないでしょう。

 

ところで、ドローンの利用ですが、Yさんのような素人でも利用できるんですね。首相官邸への落下(不時着?)事件などで問題となり、航空法が改正されましたが、国交省のウェブサイト<無人航空機(ドローン・ラジコン機等)の飛行ルール>によれば、特定の地域で、特定の利用方法については許可制ですが、それに該当しなければ、従来通り自由利用ができるのですね。

 

航空法では、ドローンなどを無人航空機と呼称して規制しています(米軍の同じ名称のRQ-1 プレデターなどと比較するのも何なんですが)。そして制限地域は<(1)無人航空機の飛行の許可が必要となる空域について>の中で、それぞれ該当する箇所をクリックすれば、わかるようになっています。

 

ま、当地のような農山村で、人がまばらにしかいないところだとOKですが、念のためにチェックはしておいた方がいいでしょうね。

 

次に飛行方法して認められているというか、他方ではやっては行けないことが下記の内容です。正確な条文など情報は<航空法の一部を改正する法律案について>でお願いします。

 

<[1] 日中(日出から日没まで)に飛行させること

[2] 目視(直接肉眼による)範囲内で無人航空機とその周囲を常時監視して飛行させること

[3] 人(第三者)又は物件(第三者の建物、自動車など)との間に30m以上の距離を保って飛行させること

[4] 祭礼、縁日など多数の人が集まる催しの上空で飛行させないこと

[5] 爆発物など危険物を輸送しないこと

[6] 無人航空機から物を投下しないこと>

 

これらに反する場合は許可が必要となっています。ですから、空中散布で農薬投下などを行うことは、当然許可対象となりますね。

 

ドローンの利用はあちこちで情報が次々と発信されていますが、最近、私の手元に届いた「水と土」という農業土木技術研究会発行のものでも、「ドローンよ、どこへ行く!」と固い機関誌にしてはいい感じのタイトルで、ドローンを利用した機能診断調査へ試行研究をしている内容が報告されています。

 

ただ、ひび割れの画像を見る限り、 撮影距離が25mの位置から、幅0.3mmのひび割れの画像が写っていますが、判別はできますが、もう少し鮮明さが求められるのかなと思ってしまいました。それでも頭首工堰柱部といた場所だと、その場所を撮影距離数mまで近づくこと自体、大変な作業であり、危険だと思いますので、精度が高くなると、より有用になることは間違いないでしょうね。

 

そしてGPS画像とともに、その位置・時刻などの多様なデータが即座にクラウドなどに送信されて共有されれば、多様な分析・整理が可能となるわけですから、期待したいです。

 

さて横道をそれたりして、いつの間にか1時間半が経過していました。今日はこれでおしまい。