たそかれの散策

都会から田舎に移って4年経ち、周りの農地、寺、古代の雰囲気に興味を持つようになり、ランダムに書いてみようかと思う。

「あおり運転」罪を <かんさい熱視線「多発する“あおり運転”あなたならどうする?」>を見ながら思うこと

2017-11-25 | 事故と安全対策 車・交通計画

171125 「あおり運転」罪を <かんさい熱視線「多発する“あおり運転”あなたならどうする?」>を見ながら思うこと

 

実は昨夜車の具合が悪くなり、そろそろ買い換えの時期なので、修理を依頼するついでに買い換えようかと思い、今日は終日でかけて、ブログを書かなければと、いま事務所に到着したところです。

 

残念ながら手頃のものがなく、少し気が重い感じで帰ってきました。ただ、お店の営業担当があまりに熱心なため、長時間付き合うことになりました。実際、ある程度気に入ったこともあり、もう少しで決断するところで、踏みとどまった感じでしょうか。

 

それはともかく電気系統の故障だったのですが、きちんと直してもらった上、きれいに洗車していて、これだと買い換えなくても良いかな、なんて思ってしまいますが、やはりサービスがいいとここで買ってあげようかと思ってしまいます。

 

それはともかく、堺まで出かけていき、その後奈良まで足を伸ばした後、帰路についたのですが、うっかり今日が休日というのを忘れていたというか、高野街道や、奈良周辺の道路が休みの日は渋滞になることを失念していたのです。以前はよく出かけていって渋滞を何度も経験していたので、できるだけ休日は避けようと思っていたのですが、すっかり忘れていました。

 

この渋滞はきついですね。これが橋本―和歌山間だとほとんどありません。のんびりドライブできます。といってもカナダのようにほんとにゆったりと長閑にドライブするという感覚とは大違いですが。

 

で、ここで思ったのが、昨夜録画していたのを寝る前に見た上記のNHK番組です。あおり運転について、さまざまな観点から取り上げていました。あおり運転を受けた経験がある人というアンケートではほとんどに近い状態でしたか。私自身もそれに近い状態を経験しました。ただ、私はすぐにスローダウンしたり、スペースがあるところに停止するなどして、先に行かせることで、持続的なあおり運転を受けた経験はあまりないかもしれません。危険な運転にあったことは記憶しているのですが、あおり運転とはまた違う意味で怖いと思って記憶に残っています。

 

で、番組の中で、自らあおり運転をしたことがある人が登場して、その人が左折中に横断歩道を歩いている人がいて、「殺すぞ」とか自分や周りがびっくりするような言葉を発したり、あおり運転をしたことがあり、家族から指摘されて気づいたといった発言をしていました。その人だったと思いますが、車の外と内とで人が変わるように思うと言った話をしたかと思います。

 

それ以外に、あおり運転の原因について、あまり検討が行われていなかったようにきおくしています。それがなんとなく腑に落ちなかったのです。

 

で、今日たまたま何度も長い渋滞に遭い、その中で割り込みなども受けたりしていて、これが人間の心理に影響を与えるのではないかと、渋滞の中で自分の感情に問いかけながら、思ってしまったのです。この渋滞こそ、神経系統に相当のストレスがかかり、まして毎日のように通勤に車を使う人であれば、同じ道路でその渋滞に遭うわけで、避けようがないですね。そのストレスが累積的に負荷を神経にかけ続け、ついには精神状態に異変が起こるのではないかと思ったのです。

 

私の場合、もう二度と(というか当分の間は)この渋滞が予想される日・時間帯には個々を通るのは避けようとのストレスを回避することが可能です。それで、たまたまこういうストレスがかかっても、ほんの一時(とはいえ終日に近かった)ですので、これは大変だとおもうくらいで、たいしたストレスにはなりませんでした。

 

つまりは、車の中と外では人が変わるという命題は一般的には成立しないと思うのです。とりわけ私のように当地のなかでほとんど運転しているので、渋滞ストレスはありません。だからあおり運転しないとまでいえませんが、そのような精神状態になりにくいのは確かだと思うのです。

 

自動車講習で、あおり運転がいけないこと、それによって受けた運転手が多大のストレスを感じたり、その運転が危険な状態になるおそれについては、しっかりと教育することが大事だと思います。

 

しかし、交通渋滞の緩和と、渋滞に巻き込まれない情報提供を、AI機能を使って、より的確かつ迅速に行うよう、インフラ整備が必要だと思うのです。なお、長い間道路開発に関わる訴訟をしていた関係で、高速道路の整備が当然に渋滞緩和に直結するとは限らないことを学びました。さまざまな既存道路の一部拡幅など、渋滞地域を特定して、その原因に対応する道路整備をすることにより、コストパフォーマンスのよい渋滞緩和策を選択できることも、住民とともに考えることが大事ではないかと思うのです。

 

そういえば、私の依頼人、追突事故に遭ったのですが、その前から、加害運転者にあおり運転を繰り返され、ぶつかりそうになるまで後方から車を近づけてきては一旦離れるというのを持続的に坂道を下りながらされている最中、赤信号で先行車が止まったのに続いて停止したところ、どーんとぶつけられたのです。命に別状はないのですが、後遺障害がひどくきの毒です。ところが加害運転手は車の中でヘッドホンを聞いていて、依頼人の様子を心配するでもなく、110番なり119番なりして救援を求めるでもなく、なんとも信じがたい態度をとったとのことです。

 

でもこういったあおり運転の立証は、この前の高速道路の死傷事故のような場合は幸い多くの人がドライブレコーダーなど情報を提供してくれたのでなんとか起訴までこぎ着けましたが、依頼者の場合は私のところに来たときはすでに一年以上経過していましたので、その点を追求することはいまのところ考えていません。

 

最近はドライブレコーダー、それも全方位型のものが増えていますね。そうですね。前方だけレコードしても、後方からあおられたとしても、使えませんね。リアカメラも駐車時点でしか使えないですし。

 

でもやはりあおり運転自体がなくなる、少なくとも減ることをみんなで考えていくことが大事ですね。

 

ところで最後に「あおり」という用語の意味をネットで調べたんですが、

<1 あおること。また、強い風にあおられて起こる動揺や衝撃。「突風の煽りで塀が倒れた」

ある物事に強く働く勢い。また、その及ぼす影響。余勢。「ストの煽りで客足が伸びない」

そそのかしたりおだてたりして、ある行為を起こさせること。「周りの煽りに乗る」>

 

とあり、最後の3が少し意味合いとして近いかなと思いつつ、やはりいずれも、あおり運転の「あおり」の定義に適合しませんね。

 

実はネットではそのほかに

<6 前を走る車両に、進路を譲るよう強要するため、極端に車間距離を詰めた運転。>とまさにあおり運転に即した意味がありました。おそらくこういった悪質なドライブが増えてきたことから造語として定着したのではないでしょうか。むろん法令用語でもありません。

 

「あおり焼き」とかは雰囲気があり、こういう言葉は普及するといいのですが、「あおり運転」は止めてもらいたいものです。

 

なお、ウィキペディアで、あおり運転に関係する罰条が書かれていますので、最後に引用しておきます。

 

<危険運転の一つに分類され、相手を事故・死傷などに追いやった場合は危険運転致死傷罪が適用され最長で20年以下の懲役(加重により最長30年以下)に処され、また運転免許は基礎点数45 - 62点により免許取消・欠格期間58年の行政処分を受ける可能性がある。>

 

<安全な車間距離を取らずに前車に接近する行為[1]は、道路交通法26条が禁止する車間距離不保持に該当する。>

<高速道路での車間距離不保持については、3か月以下の懲役または5万円以下の罰金が科され(同法11911号の4)、一般道での車間距離不保持については、5万円以下の罰金が科される(同法12012号)。

また、前者については、1万円、15千円または2万円の反則金が、後者については、6千円、8千円または1万円の反則金が課され(同法別表第2)、前者については、2点の基礎点数が、後者については、1点の基礎点数が加算される(同法施行令別表第2)。>

 

ということで、今日も又疲れてしまいましたので、30分で書き上げました。また明日。


補足

いろいろこの問題で書いてみたいことがあるのですが、書き出すと、ぽつぽつ漏れてしまいます。で、今日はたまたま、このブログのタイトルを見て思い出したので一言。

「あおり運転」については、明確な定義がない、造語だと書きました。で、現在適用されている危険運転致傷死罪や車間距離不保持違反は、この運転の問題性に必ずしも実態を反映したものとは言えないでしょう。昔、産廃・一廃の不法投棄事案で、なかなか廃棄物処理法を適用して的確に処罰できなかったのですが、それは抽象的な表現である「不法」の中身が詰められていなかったからです。

で、あおり運転の「あおり」を実態に応じて、定義して、新立法を用意するなり、運用で指針を設けるなどする必要を感じます。それは加害者になりうる人、被害者になりうる人、さらにはそのような運転に巻き込まれうる第三者の方にも必要なことではないかと思います

たとえば、車間距離不保持は、車両の前方・後方・左右両方向は当然ですね。その距離もある程度数値化が必要かもしれません。また、急に前に割り込んでくるというのも、具体的に示さないと判断が分かれるでしょう。また、ライト操作も含めて良いと思います。こういったあおり行為をいくつか具体的に取り上げ、その中で道交法違反、さらには危険運転罪の中身について、議論を深めることを期待したいと思います。

 

 


AIとの棲み分け <深層NEWSの「人工知能は敵か味方か?・・・」>を見ながら思うこと

2017-11-24 | AI IT IoT

171124 AIとの棲み分け <深層NEWSの「人工知能は敵か味方か?・・・」>を見ながら思うこと

 

今日は朝から忙しく過ごしました。ある労働事件で、会社側に内容証明を出したところすぐに反応があり、今日社長と担当者が来所して協議したところ、大筋で話がまとまり、その後和解書案を作成して、むろん田舎ですから本人も近いため来てもらい、案に了解をもらって、すぐ会社側に提案を出して一段落。

 

その後、別の事件で、後遺障害をめぐって争っていることから、主治医の見解を伺うため、和歌山まで車を飛ばし、一時間あまりいろいろと話を伺って、ようやく事務所にたどり着きました。このブログがないと、そのまま帰宅したところですが、やはり千日ブログの誓い?を遂行することは、高齢者の老化防止・認知症防止にもなり、最近読者も少し増えたみたいで、ま、こんな駄文でも読んでいただけるのもありがたいと、同行二人ではないですが、一人で孤独感を味わっているわけでもなく、それなりにやりがいを持っているのかなと、最近は感じるようになりました。とはいえ、今日も疲れと帰宅時間が来てるので、簡単に済まさせていただこうと思っていますが。

 

毎日記事は三菱マテリアル子会社の改ざんが大きく取り上げられていて、一体どうなっているのと思いつつ、そういえば四半世紀以上前もこの会社を問題にしたことがあるなとつい思い出しましたが、ま、今日は軽い話題で収めたいと思います。

 

昨夜もいろいろな番組をつまみ食いしていて、その中でおもしろいと思ったのが、日経プラス10と、深層NEWSです。この時間帯、この他にNHKが国際報道2017が競い合って異なる内容を報道していますが、それぞれ面白いのでいつもあっちこっちつまみ食い的な見方をしています。で、昨夜は、日経プラス1は小谷キャスターが日本を代表する経営者が集まった会議で進行をつとめ、豊田章雄氏を、章雄社長とファーストネームで気さくによびかけ、日清食品やセブン&アイ・ホールディングスの社長も登壇して、それぞれの信条的なことを話すのですが、これがとても人間味溢れる内容でした。かなり思い切ったことを言えば、普通の人のような会話でしたか。テーマが企業の変革ということだったかとおもいますが、それを「味」で表現するようなことだったためでしょうね。

 

経営者の人間味溢れる会話に対して、深層NEWSは、いまはやりAIの脅威を追求する内容でした。タイトルは<人工知能は敵か味方か?AIと共存で人生激変。迫る転換点に備えよ!>ということだったようです。

 

<【ゲスト】 中島秀之(東京大学大学院特任教授) 鈴木貴博(経営戦略コンサルタント) >で、<【キャスター】 近野宏明(日本テレビ報道局) 丸山淳一(読売新聞編集委員) 阿部優貴子>の布陣です。

 

面白かったのは、AIはどこまで人間に代替できるかというのを、可能性が高い物から低い物をいくつかの職業を選んで表にしているのですが、その内容は私がこれまでブログで書いてきたことに近いものでしたので、私の方がびっくりでした。

 

ほぼ代替可能な職業として、運転手が上がっていました。これは単に自動車の運転手に限らず、電車からはじまってあらゆる機械の運転手が含まれそうです。そしてパイロットもです。飛行機の方が航路も決まっていますし、突然の障害物なり人も出てきませんので、簡単だそうです。

 

最も難しい職業として作家が上がっていました。作家と言ってもいろいろあるでしょうが、ま、イシグロ氏のような純文学?を想定しているのではないでしょうか。もっとも人間的で、創造性が求められると言うことでしょうか。感情・情緒などの面が一番重視され、書くことは神がかりともいわれますので、神様の領域かもしれません。ただ、単に小説を書くと言うことであれば、AIの能力からすれば簡単だと思います。ま、この辺はその程度にして。

 

で、驚いたのがここからです。真ん中に4つの職業があり、そのうち2つがより代替しにくい職業、残り2つが代替しやすい職業と言うことでした。

 

その職業に記憶では、警察官、教師、裁判官、政治家。で、皆さんならどう考えましょうか。

 

答えは、前者が代替しにくい方、後者が代替しやすい方という仕分けです。え・・と現役裁判官は思うかもしれませんね。いかに創造的な判断を駆使しているか、事実認定の妙や法令や過去の裁判例の評価はまさに神業?的思考の結果と思っている人もいるかもしれません。

 

でもこの表を作ったと思われるゲストの鈴木貴博(経営戦略コンサルタント)は、もうすでにアメリカのAI研究の試験結果で90%以上は裁判官の判断を代替できる可能性があるとのこと。たしかに膨大な裁判例を緻密かつ論理的に整理して人間のだれもが到達できないスピードで、具体的事件に当てはまる、類推する、あるいは当てはまらない判断ができるようになる可能性を私も感じています。

 

とはいえ、キャスターも指摘していましたが、法令の限界、あるいは違憲判断となると、どうでしょう。これには政治的要素も含まれるかもしれません。いやいや、事実認定こそ、容易でないかもしれません。ここは判断の分かれるところでしょうか。

 

さらに驚いたのは政治家も同じレベルという評価なんですね。政治家に判断を任せていると、一向に政策が決まらない、法律や予算が決まらない。それをAIに委ねると、あっという間にできあがるといのでしょうか。しかし、それはどういう理想社会を描くかによって異なるでしょうし、この位置付けもどうかな、と思うのです。

 

では、警察官はなぜ代替しにくいのでしょう。警察官の仕事も多様です。犯人逮捕や被害者の擁護のために、肉体を酷使するからでしょうか。AI自体は肉体をもちませんが、ロボットがかなえてくれますので、ロボコップのような?警察官が現れるかもしれませんね。それはともかく警察官の仕事の中で代替しにくいのは何でしょう。捜査の取り調べはどうか。少なくとも違法な誘導とか、暴行、脅しといったことは避けられるかもしれません。また、この番組でも指摘されていましたがAIは画像認識力が人を上回ることが確実で、その変化(嘘をついているとか、不安になっているとか)をキャッチすることができるので、質問回答により、有効に被疑者から犯罪を裏付ける供述をとることができるともいえるかもしれません。ここはまだ検討してみたいですね。

 

教師はどうでしょう。これまた子どもの感情や情緒に対応するには人間である教師でないとむずかしいと思う一方、最近の認知症患者に対するAIロボットの有用性を見ていますと、この分野も相当代替できるかもと思ってしまいます。

 

むろん医師や弁護士、検察官も、相当の領域で侵奪というか、代替可能かもしれません。

 

そしたら人のする仕事がなくなってしまうのではと不安がるのはキャスターの記者です。ゲストは、働かなくてもいいのだから、趣味や働く以外の分野に興味をもてばよいというのです。それも結構でしょう。隠居が理想という社会もあり、早々と隠居して別の人生を自由に生きた人はこれまでもたくさんいます。伊能忠敬もそうでしょう。私が興味を抱いている大畑才蔵もそうではないかと思います。

 

他方で、山間部に限らず、農林漁業など自然と向き合って仕事をしている人は、AIの侵略などとんと関心がないでしょう。土とか、海川とか、山とかと触れあって生きて仕事に励んでいるだけで十分。幸せを感じられる人は今後も変わらなく続くと思います。AIなんて脅威にはならないのですね。

 

今日はこの辺でおしまい。又明日。


性差をめぐる新傾向 <成人誌排除><性犯罪意識の変化><議場に赤ん坊><GPIFのESG投資>などから少し考えてみる

2017-11-23 | 差別<人種、障がい、性差、格差など

171123 性差をめぐる新傾向 <成人誌排除><性犯罪意識の変化><議場に赤ん坊><GPIFESG投資>などから少し考えてみる

 

タイトルの話題に移る前に、座間9人殺害事件が少しひっかかるので、とりあげます。この事件で被害者に一人男性がいますが、白石容疑者の供述だと、狙ったのは若い女性ばかりで、男性は想定外のようです。彼は事件直前には若い女性をだまして性風俗店で働かして職業安定法違反容疑で逮捕されています。

 

白石容疑者のこの一連の行為の背景には、女性を、しかも若年の女性を蔑視するようななにかを感じてしまいます。甘い言葉をかけて誘惑すれば自分の自由になるといったものを感じます。でもそういう意識に類似するものは、わが国一部(あるいはかなりの部分)で長い間醸成されてきたのではないかと思うこともあります。ここまでは序論です。

 

男女の平等を掲げた憲法が成立した後も、長年にわたりわが国では女性を劣位におく社会制度が続いてきたように思います。とりわけ性風俗や性表現の世界では、むろん女性や表現者の中には表現の自由として保障されて良い場合もあるでしょうけど、わが国では適切な配慮に欠けてきたのではないかと思うのです。

 

性風俗店は、生ぬるい規制の中で、存続し続けています。男性がサービスするというのはあまり聞いたことがありませんので(ゲイなどのサービスは別にして)、むろん女性のみがその商品として扱われてきました。そんな状況で、とくに未成年や若い女性は格好の餌食になってきたのではないでしょうか。いやいや、最近の少女は大人顔負けするほど自主的積極的という見方も一部正鵠を射ているかもしれませんが、例外でしょう。

 

性表現のあり方も昔に比べれば厳しくなり、電車広告やさまざまな情報媒体でも制限が厳しくなり、公開の場で見にしなくても良い状態が増えてきたとは思います。

 

しかし欧米社会を垣間見ると、わいせつに近い表現媒体はまず子どもや一般市民の目が届くような場所で見かけることはないように思います。わが国のようにある種みだらな画像や活字がまだまだ氾濫しているように思えます。最近電車に乗る機会がほとんどないので、どうだかしりませんが、電車の中でそういった内容の雑誌を平気で広げて読んでいるような人は、日本以外では先進国で見かけないのではないでしょうか。

 

そして本題に入ります。昨夕の毎日記事<ミニストップ成人雑誌、置きません 来年から全店で 千葉市で1カ月先行>と、ようやくコンビニが英断を下してくれました。

 

<コンビニエンスストア大手のミニストップ(本社・千葉市)は21日、来月1日から千葉市内の全43店舗で成人向け雑誌の販売を中止し、来年1月1日からは全国の全2245店舗で実施すると発表した。記者会見した藤本明裕社長は「誰でも安心して使える店づくりをする」と述べた。>

 

そうです、だれでも安心して使える店、さらにいえば、公共の空間はそうであって欲しいわけですので、こういった意識を広げてもらいたいものです。

 

ただ他のコンビニは二の足を踏んだようですから、まだまだ壁が高そうです。<千葉市は昨年度、子供への配慮や2020年東京五輪・パラリンピック開催で外国人旅行客が増えるのを踏まえ、有害図書の表紙の一部をフィルムで隠す実証実験の実施を決定し、同社を含むコンビニ4社に協力を要請。結局、4社とも「作業負担が大きい」といった理由で難色を示し、市は実施を断念した。>

 

しかし、ミニストップ社は、<利用客から「子供の目線で困る」との声もあったことから検討を進め、取り扱いそのものを中止すべきだとの結論に至ったという。同社によると、働く女性の増加で近年は女性利用客が増える傾向にあるという。>そうです、子どもの目線や女性利用客への配慮が必要でしょう。男性でも不愉快な思いをします。あの一画は。

 

<販売中止の対象は「各都道府県が条例で18歳未満への販売を禁止した雑誌類(有害図書)」>は、子どもの健やかな心の成長にも影響することがわかっているのに、なぜこういう商法が許容されているのか、コンビニも含め同様の店舗はしっかり考えてもらいたいです。

 

女性を商品として扱う、それが当たり前と心の底に根付かせてしまう危険があるでしょう。むろんネットの方がもっとひどいでしょうから、その対策が急がれることは確かでしょう。

 

次に、今朝の毎日記事<メディア時評性犯罪への意識は変わった=甘糟りり子・作家>は、性犯罪で被害者となる女性の意識が変わってきた可能性を示唆するものです。今回の刑法改正で男性も被害者になる強制性交等罪が新たに設けられましたが、男性被害者の例はアメリカに比べ希でしょうね。そういえば、映画Disclosureでは女性上司によるパワハラが一つのテーマでしたが、まさに強制制性交罪の事例ですね。

 

甘糟氏は、<今年5月、若い女性がカメラに顔をさらし、実名でレイプ被害を告発した時は驚いた。気軽に「同じ女性として」などとは言えない。あえて言うなら、同じ人間として、その勇気にショックを受けた。>という、女性がレイプされたことを公開の場で告発することの難しさを、女性側を含む社会がそういう意識を作り出していることを示していますね。

 

たしか80年代でしたか、映画The Accused(告発の行方)を見たとき、改めてレイプ事件って女性は大変だなと思いました。ただ、被害女性を演じたジョディ・フォスターはすばらしい演技でした。

 

私自身その前に一件だけやむを得ず引き受けた弁護事件があり、被告人の被害者が嘘を言っているという弁解を裏付けるべくいろいろ調査したことがあります。被害者の立場を尊重(被害事実を明らかにしないで)しつ関係者に聞き取りすることの難しさを感じました。で、その事件では調査の結果、被告人の弁解は信頼できないことから、さらなる調査を要求する被告人と協議して辞任しましたが。それ以降レイプ事件は扱ったことがありません。

 

で、甘糟氏の意見は、伊藤詩織さんが、東京地検の不起訴処分に対し検査審査会に審査申し立て、不起訴相当の議決となり、こんどは民事訴訟を提起したということ、また記者会見で実名でレイプを告発したことについて、朝日と産経だけが短く取り上げ、他は取り上げていないことに、疑義を示しています。

 

<「不起訴相当」となったことで彼女の会見を無視するのであれば、せっかく性的な犯罪や嫌がらせをタブー視せず、現実を知って考えようと変わった世間の意識を帳消しにしてしまう。彼女の言い分がそのまま真実かどうかはわからないとしても。無実を主張している男性側の声も取材して、一連の流れを把握し、紙面で伝えることこそ新聞の役割ではないだろうか。>

 

そうですね、多くのレイプ事件では、見知らぬ同士なら別ですが、知り合いだと(それが多い)、結構強制制の立証が難しいわけですね。二人以外だれもいないのが普通ですから。それだけでなく、パワハラの複雑性を含め男女関係の微妙な関係があると、立証が容易でないことは確かです。それを顔をさらして告発した勇気ある女性について、刑事上は不起訴相当となったとしても、民事訴訟で当事者が対質(相互に尋問)するなど、立証方法によっては真実がより明確になることもあるわけですから、甘糟氏の意見ももっともでしょう。

 

で、今朝からニュース報道されていた熊本市議の話題<議場に赤ちゃん「子育て女性も活躍できる場に」>については、新橋でしたか路上で意見を聞いていましたが、賛成4割、反対6割でした。意外と賛成が多いと感じましたが、新橋駅(私が昔通い慣れた場所)周辺の環境も影響するのでしょうか、これを東京、まして全国の意識とするとどうかと思います。

 

<22日に開会した熊本市議会の定例会で、緒方夕佳(ゆうか)市議(42)が生後7カ月の長男を抱いて議場に入場したため開会が40分遅れる混乱があった。議員や職員以外が議場に入ることは規則で禁じられているが、緒方市議は「子育て中の女性も活躍できる市議会であってほしかった」と説明した。>

 

面白いなと思ったのは、説得しているのは男性議員(かれらが担当だったのでしょうか)ばかりで、それにしても女性議員はほんのわずかでしたね。あのパワハラ暴言の女性議員は見かけませんでしたが、熊本市議会も興味深いですね。たしか熊本の女性は強いとも聞いていますが。

 

ところで、欧米の情報もニュースで流していましたが、結構欧米の議会では赤ん坊を抱いたまま議場に入場する女性議員が見られるのですね。乳を飲ませながら発言している女性議員もしました。これがどの程度一般的なのか、このニュースだけではなんともいえません。

 

ただ、私が90年代半ば、カナダのいくつかの市議会を相当数傍聴していましたが、裁判官の女性比率がかなり高いのと比較して、さほど高くない印象でした。

 

大学では、女性が赤ん坊ではないですが、幼子を連れて授業を聴講するのはさほど珍しいことではなかったと思います。最初はびっくりしましたが、慣れるとなんでもない感じですね。ただ、赤ん坊だと泣き出したらどうしようとか思うのですが、これも社会における共生と思えば自然に受け入れることができるのかもしれません。

 

ただ、お乳をあげるのは男性にはできないですが、ミルクを飲ますことはできるのですから、男性もまた赤ん坊の世話を担うのは当然です。この女性議員の夫はどうしているのでしょうとつい思ってしまいました。女性だけに背負わされている不公正がわが国の中で女性の自立が容易でない一因だと思っています。議場での赤ん坊同席も重要ですが、それ以上に男女が子どもの世話を同等に担うことを確立する方がもっと大事ではないかと思っています。

 

むろん、赤ん坊の世話は母親が向いているということもありますが、それももしかしたら偏見かもしれません。基本は夫婦がその能力・条件などに応じて個々の家庭の特性に合わして分担するのが望ましいのではないでしょうか。

 

最後に、昨夜の日経プラスでしたか、年金積立金管理運用独立行政法人(GPIF)の高橋理事長がゲストで呼ばれて、その年金投資の推移と取り組みを話題にしていました。

 

記憶で書くので不正確な数字になりますが、高橋氏によると、年金基金が投資を始めて緩やかに収益を伸ばしてきて、これまでに累積60兆円の利益を生み出しているとのこと。そのうち、配当利益が半分の30兆円ほどで、確実な収益(配当は本来景況に影響しますが、一定の配当を実施できる企業に投資ができてきたということでしょうか)を得ているとのことでした。つまり、最近の株高による株式価格の増加によって投資利益を得ている部分は半分程度とのことでしょう。

 

それはすばらしいことです。でも本当に企業の業績増大が株高を引っ張って言っているのかは、神のみぞ知ると思っています。

 

最後に、高橋氏が現在GPIFで取り組んでいるのは<ESG投資>ということです。私がこの言葉を知ったのは2000年代初頭ですが、わが国ではそのような投資スタイルのかけらもない時代が長く続いていました。欧米食に比べ、極端に低いレベルにあります。ただ、世界トップとも表される投資資金をもつGPIFがこの目標を掲げるのであれば、今後日本の投資市場も期待できるかもしれないと思っています。

 

それでこのEnvironmentESocialS, GovernanceGですが、ここでとりあげるのはSの女性の活躍への投資です。長いものには巻かれろ式の日本企業ですので、GPIFがしっかり着実にこの方向を進めば、5年後、10年後はかなり明るい未来になることを期待できるかな、と今日のところは思っています。女性が活躍しないと、社会も家庭も元気がでないでしょう。

 

今日はこの辺でおしまい。また明日。

 

 


下水汚泥再資源化の本気度 <不正 大阪市発注下水工事、数億円疑い・・>などを読んで

2017-11-22 | 廃棄物の考え方

171122 下水汚泥再資源化の本気度 <不正 大阪市発注下水工事、数億円疑い・・>などを読んで

 

今日の毎日朝刊一面で<不正大阪市発注下水工事、数億円疑い 業者、安い資材で差額>の記事が大きく掲載されていました(退位の時期が一番ですが)。そして社会面でも<不正大阪市発注下水工事 白紙伝票、偽装横行 下請け「赤信号みんなで」>とその偽装内容を掘り下げています。

 

下水汚泥の問題は、私が関心を持って調査していた四半世紀以上前の段階でも東京都を含め各地で問題になっていました。80年代までは西欧文明に追いつくには公共下水道の普及が重要と、大きく看板が掲示されたり、当然のように毎年建設省予算の一定割合を確保していたと思います。欧米社会では公共下水道がどこでも普及している、しゃーっと流す水洗トイレこそ文化的生活の必需品みたいな意識を多くの国民に植え付けていたように思います。

 

ところがどっこいでしょう。カナダで驚いたのは、確かに公共下水道が普及していましたが、最終処分場がないと言って、太平洋に垂れ流ししていることが環境団体からの指摘で長く問題になっていました。トイレの先を考えていなかったのは、日本だけではなかったのですね。

 

話を元に戻すと、都市化していない地域(この地域は合併浄化槽ないし単独浄化槽で代替)を除き、ほとんどで公共下水道が敷設された後に、というか途中からさまざまな問題が生じてきました。その一つが下水汚泥の処理がはなはだやっかいな問題として取りざたされていたのです。

 

下水汚泥は大量に発生します。その内容は、分流式ならまだ成分がさほど大きくもんだいにならないかもしれません。合流式だと雨水という様々な有害物質も含まれる下水が大量委入ってきて、有害性も高くなります。むろん、分流式でも、排出基準を超える工場排水を垂れ流して問題になったことも少なくないですし、事件として大きく取り上げられたこともあります。

 

その下水汚泥の処理が大変なわけですね。東京都は焼却・埋立処分を抑えるため、早くから再生利用を試みてきたと思います。当時でも様々な製品化をおこなっていましたし、たとえば歩道用レンガなどは一例でしょう。

 

でもなかなか再資源化、リサイクルは容易でないということでしょう。その後四半世紀の歴史はフォローしていませんで、このニュースを見て国交省の<下水汚泥資源利用の現状と課題>や日本下水道協会の<下水汚泥発生量(固形物量)とリサイクル率の推移>を見ても、資料自体が少し古いのと、リサイクル率の推移を見る限り伸び悩みですね。

 

多様な再資源化の用途が掲げられていますが、その一つが今回問題になった建設資材、その一部でしょうか。なにが問題かは、遠藤浩二、岡村崇、宮嶋梓帆の記者による毎日記事が取り上げているので、それを参考にしつつ、私見を交えてみたいと思います。

 

< 大阪市発注の下水道工事で、下請け業者が市の指定より安い資材を使ったのに、伝票を偽造し正規の資材を使ったように見せかける不正が横行していたことが分かった。・・・市が2016年度までの5年間に発注した約200件の大半で行われ、計数億円の差額が不正利益になった疑いがある。>

 

<不正があったのは、下水管の入れ替え工事。市は12年度から工事で掘削した穴の埋め戻し材として、下水汚泥をリサイクルした「下水汚泥溶融スラグ」を混ぜた土を使うことを必須条件とし、設計書などに明記。工事単価を高めにしていた。>

 

(途中で打合せが入ってしまい、1時間以上間が空いてしまいました。帰り時間が過ぎてしまい、できるだけ簡潔にさせて終わらせてもらいます)

 

問題のスラグについては<スラグは汚泥を高温で溶かして固めた黒い砂状の物質。市施設で年間約9000トン作られ、1トン当たり51円で複数の土壌メーカーに販売している。>そして<市の指定資材に使われる「下水汚泥溶融スラグ」は、主に大阪市此花区の施設「舞洲(まいしま)スラッジセンター」で作られる。市内の下水処理場から専用管で集められる汚泥を高温で溶かし、砂状に固める先進的な技術だ。市は以前、下水汚泥を焼却して大阪湾の最終処分場に埋め立てていたが、年間3万トンに上る廃棄物量が問題化。2004年に約730億円で同センターを建設した。>

 

当該施設はまさに下水汚泥を焼却処分から再利用に大転換する循環型社会の主要な要素として多額の税金を投じているわけです。でもその実態はどうでしょう。

 

< 市は05年度から、スラグを民間工事のコンクリート材料として販売したが、神奈川県藤沢市で生コン業者が日本工業規格(JIS)の基準に満たないスラグを使った問題をきっかけに、民間利用が減少。市は12年から公共工事での活用に切り替えたが、施工業者の間では「購入に手間がかかる」「手で触るとケガをする」などの理由で利用を避ける傾向が続いたという。>

 

施工業者の言い分が正確な事実を踏まえているのか、単なる方便なのか、これだけではわかりませんが、仮に事実であれば、下水汚泥から生成されたスラッジで怪我をするようなことは本来ないはずですし、あるとすればその生成方法に問題があるのではないでしょうか。

 

たしかに下水の中にはいろいろな物が排出されますね。生活の中からも、産業の中からも、あるいは雨水に混じる場合も危険物の混入は避けられないかもしれません。それは下水汚泥処理過程で無害化可能ではないかと思うのですが、現実はどうでしょうか。

 

舞洲スラッジセンター(下水汚泥処理場)>のホームページを見ると、なかなか立派な建物で、

<・下水汚泥を効率的に安定して処理

・下水汚泥の輸送をトラックからパイプへ

・下水汚泥の処分を埋立処分から有効利用へ>

などと、いいことばかり書かれています。そうであって欲しいですね。

 

また脇道に入りました。

 

<メーカーはスラグと土を混ぜ、施工業者に販売。あるメーカーは「スラグ入りは運搬費がかさみ、通常の土より6倍ほど高く1トン1200円程度」と話す。市発注の12~16年度の工事では、年間1万5000トン前後のスラグが使われる設計だった。しかしメーカーが市から購入した量は年間675~3024トンで、22~5倍の開きがあり、5年間の平均は8倍の差だった。指定通りスラグを使った場合と比べ経費が数億円安かった可能性がある。>

 

施工業者は、ほとんどスラグ入りを使っていなかったようですから、一体、スラグはどうなったのでしょうか。本来なら舞洲スラッジセンターの年間産出?量約9000tで、市発注工事で年間15000tも使うのですから、全部それに使っても他の施設から用立てないと足りないわけですね。市発注で、どこからどのように調達するかも検討しないのでしょうか。不思議な話です。

 

だから偽装が成立するのでしょう。それにより何億円もの金額が不当に業者に支払われているわけですね。当然、監査請求をして、業者に差額を返還させる必要があるでしょう。いや、真っ先に大阪市が直接行うべきでしょう。

 

今日はこの辺でおしまい。また中途半端でした。


黒田バズーカの行方 <都市銀の事業削減計画>と<不動産バブル再熱>を見ながらふと思う  

2017-11-22 | 企業運営のあり方

171122 黒田バズーカの行方 <都市銀の事業削減計画>と<不動産バブル再熱>を見ながらふと思う

 

昨夜のBS日経プラス10では、都市銀の本来の事業部門の業績下落を踏まえた、目標時期を異にしつつ事業削減計画を大手都市銀3行発表などを証券会社の銀行担当が開設していました。みずほは行員の4分の1に当たる1.9万人を26年度までに削減、店舗も100カ所でしたか削減です。三菱UFJも、三井住友も23年度とか少し短期で何千人規模の削減計画でした。

 

といっても定年退職と新規採用減という自然減をうたっていて、リストラ的なものではないようです。しかし、それだけ都市銀に限らず金融機関はほとんどが本来業務である預金・貸出が大幅に減っているようです。まさに黒田バズーカのマイナス金利を含む金融緩和策が金融機関の従来業務のあり方に変更を求めた結果でしょうか。

 

とりわけ窓口業務などは、AIなどを活用して、現在の業務内容を大幅短縮するということでしょう。これは銀行業務に限りませんが、AIIoTは、専門分野も含めあらゆる分野で、現在人が行っている作業を代替することになるでしょうね。

 

北米で90年代半ばを過ごしたとき、どの銀行でもたいてい窓口が簡素で、だいたい待つ人のための椅子の席やスペースもあまりなかった記憶です。個人や企業向けの投資・金融相談のために、個室のブースが別に用意されていて、そこで充実した行員の専門能力が発揮されていたように思います。

 

帰国してシティ銀行などと預金取引していましたが、やはり北米並みの感じがありましたか。でもわが国の金融機関は、大手都市銀の本店でもゆったりとした席を用意して窓口対応のお客さんを大事にしてきた状況が長く変わらなかったように思います。私は小口預金者にすぎませんがその席が好きでのんびりくつろがせてもらいましたが。むろんわが国では行員がお客さん周りで自宅や企業訪問して個別対応してきたと思いますが、AIなど高度な専門技術を活用するとなると、戸別訪問では容易でなかったでしょう。

 

黒田バズーカの影響もあってか、最近ではどの金融機関も、仕切りをして個別相談に対応する方向が鮮明になってきましたが、まだまだという状況でしょうか。

 

他方で、人員削減策は、少なくともバブル破綻以降、大手都市銀や地銀など、一定年齢になれば子会社・関連会社に出向させる形で、行員の人数調整を行い、一方、契約社員などで対応するといったマネジメントはやってきたと思います。

 

でもこれらは本来的な銀行の構造改革ではないですね。その意味で、AIなど最新技術を活用できる能力を行員がもち、窓口業務を含む店舗機能は大きく変わらないといけないのでしょう。

 

ただ、そうなると高齢者などはどうするのでしょう。ゆうちょ銀行やのJAバンクが対応するから大丈夫でしょうか。これらもいまは対応できていますが、現在の状態では業績悪化は避けられないので、新たな対応が求められるでしょう。

 

と脇道にそれましたが、昨夜の日経プラスでは大手都市銀の新戦略みたいなものに期待できそうな雰囲気でした。

 

しかし、今朝のNHKおはよう日本は、バブル破綻20年の検証で、不動産バブルの再熱が取り上げられていました。東京や大阪など一部に限られていると思われますが、バブル期と不動産価格が同じになった銀座地価も紹介されました。その要因の一端を現場レポートで紹介されていました。マンション一棟を買おうかとか、あるいは何棟も保有しているとか、まるで少し以前取りざたされた中国バブルのような出来事がわが国のサラリーマンにも起こっているのです。

 

それぞれの発言は、銀行がどんどん貸してくれる。1億以上の物件を購入しても、賃貸料でローンの支払いをした後、収益が上がっている、だから新たに次の物件を物色しているとか、海外の200㎡を超える戸建て物件(北米では普通の大きさ・設備)が3,500万円とかだから、購入したとか(高すぎる)との話です。

 

いま現在アメリカで起こっている不動産バブルは、リーマンショックのときのジャンク債権の集積とはいいきれませんが、日本を含む各国の大幅金融緩和でだぶついた金がやはり投資が投資を求める形で実体のない地価上昇を招いている危険性を感じます。

 

すでに破綻者がでている報告もわずかにありました。地方のアパートに投資したが、賃貸率が60%とかで、ローンが支払えず、毎月20万円を手持ちから持ち出しているというのです。そういった投資物件のローンを支払えないという相談も相談センターに増えているというのです。

 

それは破綻の前触れではないかと感じない人は少なくないと思います。現在の証券バブル、さらに不動産バブルが、適正な金融機関の審査によって貸出が行われていれば問題ないのですが、横並び式、あるいはただ同じように不動産投資の競争に励んでいる、銀行貸し出しによるものであれば、危険きわまりないことになりますね。

 

昨夜と今朝の金融機関をめぐる報道を見て、ふと懸念が過ぎりました。