たそかれの散策

都会から田舎に移って4年経ち、周りの農地、寺、古代の雰囲気に興味を持つようになり、ランダムに書いてみようかと思う。

米軍をどうみるか <発掘・戦禍の証し ・・和歌山・串本 「爆弾捨て場」>などを読みながら

2017-11-21 | 戦争・安全保障・人と国家

171121 米軍をどうみるか <発掘・戦禍の証し ・・和歌山・串本 「爆弾捨て場」>などを読みながら

 

米軍に関する記事が少し気になっています。トランプ大統領の挑発的な言動で、あの黒いカバンにさえ注目が及んでいます。たとえば<質問なるほドリ米大統領の核攻撃指令って? 随行者が通信装置携帯 軍以外止められず=回答・和田浩明>によると、この黒いカバンに入っている指令装置で、大統領が核攻撃などの指令を発したら、軍人が不当として拒否する以外止められないとされ、議論になっているようです。

 

たしかベトナム戦争の時ニクソン大統領がその指令を発したけれども、軍人が不当として拒否し、そして翌日副大統領が酒に酔っていたと説明したとかの記事もどこかで読みました。大統領や軍人のトップは通常、信頼して良いのではないかと思いつつ、不安もよぎります。

 

トルーマン大統領はどうだったのだろうとか。いやいや、最近の米軍の事故事例は結構目立ちますね。最新イージス艦の2つの衝突事故は111日報告書でいずれも乗組員のミスを認めています<米イージス艦事故「回避可能だった」 調査報告書を公表>。当然精鋭といわれる第七艦隊のトップクラスも責任を問われるでしょう。

 

ヘリの墜落事故も多いですね。軍人個人の問題も無視できないです。<米軍車両衝突、男性死亡 米兵の飲酒運転か 沖縄>もあれだけ基地内での規律をと言われているのに、信じられません。沖縄の人にとってはたまりません。

 

そして戦争末期にとった米軍の陸海空軍いずれもが無軌道で卑劣なことを行った記録が次第に発掘され明らかにされていることも直視しておく必要があると思うのです。

 

今朝の毎日記事は、<発掘・戦禍の証し>という連載中の一つですが、<本州最南端の町 1945年 和歌山・串本 「爆弾捨て場」15度空襲>との見出しで、戦時とは言え長閑で平和な田舎町を、空軍機は「爆弾捨て場」として、空襲で残った爆弾をその対象地に指定されていないのに、落としていったというのです。

 

それが15度もあったというのです。橋本市史でも、戦時中はむろん軍事施設も何もない平和な町まで飛行機が一機飛んできて、JR橋本駅に銃弾を発射したという記載があったのを思い出しました。

 

米軍の空軍自体、陸海軍との競争の中で独自の戦禍をあげるため、日本全土で無差別空襲を大規模に行っていたことは、NHKの番組でも紹介されていましたし、この連載記事でも関西を中心に大阪、神戸、堺、和歌山など大規模空襲を行っていることを取り上げています。

 

たとえば<餓死作戦 1945年5、6月 神戸港 機雷投じ荷揚げ遮断>では「餓死作戦」と銘打っているわけです。関心のある方は連載中の記事をフォローできるようになっていますので、ご覧ください。

 

海軍の方も負けずと無鉄砲に乱射しています。反撃がないので余裕綽々だったのでしょう。

 

<米艦隊は紀伊水道沿岸の船舶攻撃が目的だったが、日本の船舶と遭遇しなかったため、潮岬沖約10キロから陸地を砲撃した。5分間に1000発超の砲弾を撃ち込むすさまじい射撃で、水上機基地の待避壕(ごう)などを破壊したほか、市街地が巻き添えにされた。記録に残っているだけでも民家に30発が直撃し、3人が亡くなっている。>

 

こんな姿勢がその後もベトナム、アフガン、イラクなど各地で、次第に世論の声に押されて抑制されてきたと思いますが、誤差は許される攻撃をしてきたと思います。

 

さて再び沖縄の現状に立ち戻ってみたいと思います。

 

米軍基地汚染、沖縄の憂い 周辺から有害物質 専門家「立ち入り必要」>は、まさに危惧してきた問題の一端が発覚したと思います。90年代にカナダで米軍基地が返還された後土壌調査したら、ダイオキシン類の一種が大量に発見され、その原状回復が長く問題になっていました。

 

わが国の基地ではどうなのだろうと心配していました。記事によると<沖縄本島南西部の浦添市。米海兵隊基地の牧港補給地区(通称キャンプ・キンザー)は25年以降の返還が予定されている。周辺では近年、有害物質の検出が続いている。>というのです。

 

汚染のエビデンスがはっきりしています。<周辺で捕獲されたハブの体内に、毒性が強く生産・使用が禁止されたPCB(ポリ塩化ビフェニール)やDDT(殺虫剤)が高濃度で蓄積しているとの調査結果を、名桜大(名護市)の田代豊・国際学群教授(環境科学)らが15年9月に発表した。浦添市が西側の海に面した基地の排水口や周辺河川の土砂を改めて分析したところ、やはりPCBとDDTを検出。国の環境基準は下回ったが、貝に鉛が含まれていることも分かった。>

 

いずれも基地以外では使用されていないものですね。しかし、わが国の法令は適用されません。<米軍は「日本環境管理基準(JEGS)」に基づき、在日米軍施設の環境保護に取り組むことで日本政府と合意している。だが、立ち入り調査ができなくなり、基準が守られているか日本側が定期的にチェックできる機会は失われた。さらに日米地位協定により、基地返還時に米側に原状回復義務はない。>

 

<沖縄大の桜井国俊名誉教授(環境学)は・・・「政府は環境の回復責任を米側が負うよう主張すると同時に、せめてなるべく少ない費用で浄化できるよう、履歴情報の提供を求めるべきだ」と語った。>ということですが、当然ではないかと思います。

 

長々と米軍のことを書いてきましたが、大統領というトップから末端まで、ほんとうに信頼できる状態にあるのでしょうか。たしかに北朝鮮の金正恩朝鮮人民軍最高司令官はさらにひどいし、中国もいつどのような態度に出るかわからないので、アメリカとの安保協定は変えられないというわが国の安全保障にとって基本であるとの考え方は多くから支持されているのでしょう。

 

しかし、このままでよいのか、現行安保体制を維持するとしても、再検証して(抜本的な)見直しを検討する時期に来ているのではないでしょうか。

 

いろいろな話題を取り上げすぎて整理できないまま、漠然とした見直し論は有効でないことを承知しつつ、もやもやする日々の中で一言書いてみたくなりました。

 

今日はこれでおしまい。


病気と死への対処 <「幸せの中で死ねる」>を読みながら

2017-11-20 | 人の生と死、生き方

171120 病気と死への対処 <「幸せの中で死ねる」>を読みながら

 

最近になって、下腹部に痛みを感じています。こういう痛みは長く経験していなかったので、少し不安になります。昔、何度か強度の痛みなり、混濁なりの症状が続き、そういうときは死の影が思い気分にさせられたように思います。今回はさほどのものではないですが、多少は死を感じてしまいます。死はいつでも突然やってくるものと思っていても、よく考えれば、まだ死への旅立ちのための、「立つ鳥跡を濁さず」にはほど遠い状況にあることをつくづく感じてしまいます。

 

自分が死んだとき、残された者が困らないように、何をどうすれば良いかは一応、法的な側面や経験的なことで、わかっているつもりです。とはいえ、全部対処しておかないといけないかというと、ある意味ではどうでもいいことかとこの頃思うことがあります。わずかな遺産の処理なんてのはたいした話ではない(というと公正証書遺言の相談などではこれが中心なのですが、人は人と割り切っています)。葬儀や遺骨の処理もさほど気にするほどの事柄ではないというのは家族はわかっているでしょう。自然の死こそが本来といのも理解されていると思っています。ただ、状況によっては難しい判断を迫られる局面があるかもしれないとも思っています。

 

法律家が好きな議論の場合分けをしてそれに応じた対処といった想定は、具体的にはまだできていません。意識のあるうちは、そのときやればいいと思いつつ、判断能力に問題があったり、意識がはっきりしない状態だと、どうなるか、ここは事前に対処しておく必要を感じつつも、まだできていません。

 

それよりも物理的な問題として、手持ちの物件をどのように処理するか、いずれ仕事を退く時期がくるでしょうから、それまでに徐々にやれば良いとおもいつつも、一向に進んでいません。それが気になりました。

 

そういうとき今朝の毎日記事<週刊サラダぼうる・女の気持ちをたずねて北九州市小倉南区・高山ひろみさん>は、松田幸三記者が<「こんな幸せの中で僕は死んでいける。ありがたいな」>という夫に最後まで付き添った妻の話を取り上げているのを読み、幸せを感じることができる死は人それぞれながら、これこそ生きがいのある生き方だったのでしょうと思ってしまいます。その記事の一部を引用します。

 

<末期がんの夫を自宅でみとった。医療スタッフが毎日1時間来たが、残りは家族がみた。衰弱し、あちこちが痛いと訴える。やがて夫はお世話になった人を呼び、感謝のあいさつをした。最期は私が手を握り、65歳の人生を終えた。「お前と結婚して良かった。ありがとう」と言ってくれた。>

 

そして夫は、死に直面してすべて自分で決めていったと言います。

 

<葬儀で配られたあいさつ状「最後の日によせて」・・・を作り、葬儀場や弔辞を読む人もすべて自分で決めていました」>

 

<14年7月「治療の方法はなくなりました」と医師から告げられた。緩和病棟、ホスピス専門施設、自宅に帰る、の三つの選択肢を示された。「家に帰ります」。>と夫が迷わず選択。

 

自分の仕事を継続しながら、仕事の技術、継承を自ら行っています。<自宅の畳部屋で横になりながら、仕事が気になる。体調が良いと自宅に隣接する歯科技工所の従業員2人に技術を伝えた。得意先の歯科医院を従業員と回って自らの病状を語り「こいつが後継ぎです」と紹介した。>

 

葬儀場も自ら選び<「自由葬」と決めた。>というのです。

 

むろん尊厳死協会が推薦するような方法で、<「いっさいの延命治療をしないでください」とのリビングウイルも書いた。「モルヒネなど痛みをやわらげるケアはありがたくお受けします」と加えた。>

 

とはいえ自宅で終末期を過ごすと言うことは、家族の負担は大変です。<「夜もトレーナーとジーパンで夫の横に寝ていました」。「お母さん、トイレ」と言われるとおんぶして連れていく。湯船にも入れてあげた。「58キロあった体重は最後は33キロにまで落ち、おんぶも軽くなってきました」>

 

私の母も父の自宅でのみとり介護を2年間続け、顔形が変わってしまったことを思い出しました。もう30年前のことで、訪問看護というシステムもない頃ですから、今思うとよくやったなと自分の母ながら感心します。父は発語もできず意識もほぼない状態でしたので、心の通い合いは夫婦でないとわからないと思いました。

 

この夫婦の場合はその意味で幸せですね。<それでも自宅での二人の時間は貴重だった。「抱っこして寝てくれ」と頼まれ、そうしてあげた。「自宅でないとできないでしょう」とひろみさん。「あんたと結婚して良かったよ」との言葉は心に染みた。>やはり言葉を交わせるということは幸せを実感しやすいでしょう。

 

<「私が死んだときに教会の納骨堂に一緒に入れてもらうようにしています」とほほ笑んだ。>ということですから、遺体・遺骨の処理については妻に委ねたのでしょうか。

 

ところで、ここまで記事を長く引用したのは、これが現代の幸せな死のあり方の一つかと思いつつ、やはり別のあり方を考えてみたいと思うのです。

 

時折このブログの中で、私は空海や西行などの死の作法を取り上げてきたというか、願わくは・・のような気持ちを表してきました。

 

今日は寺林峻著『空海 高野開山』を引用しながら、空海がとった永遠の途を少しだけたどってみたいと思います。

 

嵯峨天皇の勅許を得て816年高野開山を果たした後、空海は2人の弟子に高野山道場の建立を委ねて、高野山を離れて都を中心に真言密教の確立に努めていました。そして830年に病気で体調を崩した頃、続く淳和天皇から求められた真言密教の経典・十住心論を完成させ、淳和天皇の理解を得て、ようやく832年春には高野山に再び登り、その開講を始めています。それ以降空海は、835321日まで2度の下山を除き、高野山でまるで自宅での終末期のみとりを自ら断行しています。現在の奥ノ院を流れる御殿川(おどかわ)のたもとに2坪の禅定の間を作らせています。そこで最後の言葉でしょうか次のような言葉を弟子に発しています。

 

<「どうか、みんなも喜んでほしい。わたしはようやくにして生死を自在にすることを得た。鳥にでも風にでも、行く雲にでも流れる水にでも、いつでもいのちを託すことができる」>と。

 

その空海は、穀断ちを、まず5穀、次に10穀、最後には水も断ちました。その過程の中で、東寺、金剛峯寺など主立った寺の継承者を決めています。また2度下山したうち一度は比叡山に出向き、最澄亡き後の叡山の盛況ぶりを弟子たちに見せています。また、もう一度は再三にわたり上京を求めた淳和天皇に、実慧による真言密教による宮中行事・後七日御修法を実施させています。

 

見事でですね。空海を手本とするといったことはありないことですが、こういう作法もあるのかと、常々感心しています。とはいえ、現代の死に直面する人々の困惑と落着はなにか欠けているのではないかと思うのです。より多様な考え方を議論する機会が増えることにより、より安らかに平穏に対処することができるのではないかと期待しています。

 

今日はこの辺でおしまい。


バイオマスを新宮で!? <バイオマス発電所 新宮港に立地計画・・>などを読みながら

2017-11-19 | 原子力・エネルギー・地球環境

171119 バイオマスを新宮で!? <バイオマス発電所 新宮港に立地計画・・>などを読みながら

 

再生可能エネルギーの将来にかけたい。アルゴアさんのその思いは力のない一人の人間にすぎない私も感じています。

 

さて、今朝の毎日記事和歌山版ですが<和歌る?紀になる!バイオマス発電所 新宮港に立地計画 県内初、21年稼働目指す>と、神門稔記者が期待を込めて取材しています。

 

<新宮港(新宮市)の工業用地で、県内初となる木質バイオマス発電所の立地計画が浮上している。実現すれば、燃料に用いる木材の需要増と、地域の雇用創出という一石二鳥が期待できる。企業誘致に腐心してきた市は「地域活性化に大いにつながる。何としても立地を実現したい」と強い関心を寄せている。>

 

<計画しているのは、木質バイオマスをエネルギー源とする発電・電力販売を手がける「エフオン」(東京都)。>同社のホームページでは<EF-ONグループのバイオマス発電>となかなかすでに大分・福島県で操業して頑張っている様子。

 

<市企業立地推進課や同社によると、新宮港第2期工業用地16万9000平方メートルのうち、約5万3000平方メートルを立地候補地としている。約100億円を投じ、出力1万8000キロワット、年間稼働日数330日で、2021年中の稼働を目指す。>

 

同社の専攻事業の大きく上回る出力を予定している内容ですね。

ただ、<同社は9月末の取締役会で事業計画を決定し、市にも意向を伝えた。進出にあたっては今後、国から事業認定を得ることなどが必要となるが、現時点で具体的なスケジュールは定まっていない。>とはっきりしません。

 

市の方は多額の費用を投じて埋立造成した工業用地が、各地の失敗例のようにならないよう苦心している様子。<市も計画を歓迎する。市は第2期工業用地に今年度中に10社を誘致し、全用地を分譲するとの政策目標を定めている。しかし、現時点で進出が決まったのは6社にとどまる。7社目として、エフオンの誘致を何とか実現させたい考えだ。>

 

さてそのようなバイオマス事業の誘致は事業実現可能性が十分見込みのあるものか、いまのところ材料がないので、期待したいところですが不安もあります。これまで各地でバイオマス事業計画が立てられ、多額の補助金を得て機械設備を購入したのはいいけれども、ずさんな計画で頓挫して訴訟で責任が問われるケースも少ないのです。

 

で、企業側の見通しを見てみたいと思います。<同社は新宮を候補地に選んだ理由について「我が国有数の木材産出地であったため森林資源の潜在性が高く、発電に必要な燃料の確保が十分に見込める」としている。発電事業を通じて、林業や製材事業、運送業者など関連業界への経済効果も期待できる。>

 

バイオマス事業において大きな壁の一つは、バイオマスの原料が低廉で持続的な供給体制が整備しうる見込みがあるかという点です。しかしながら、同社の指摘する「我が国有数の木材産出地」というのを見て、あれれっと、つい耳を疑ってしまいました。たしかに和歌山県内では紀南といわれる南部の生産量は相当なものといえるでしょう。しかし、全国的に見ると微々たる程度です。

 

確認の意味で、農水省の<平成27年林業産出額 都道府県別統計表>を見たところ、金額ベースですが、和歌山県の木材生産額は全国の0.2%にすぎません。でも「木の国」と標榜しているではないかと疑問に思われる人もいることはわかります。しかし実態はこの統計の通りです。北海道や東北、それに九州でほぼ5060%を占めていて、他はほんのわずかです。

 

ですからエフロンがこれまで立地した大分県や、福島県とはかなり条件が異なります。ただ、バイオマスは製品になる木材というより、製品化できない枝葉や質の落ちる原木を対象としますので、それが大量に生産できればいいともいえます。とはいえ、一般的には木材生産量が大きいという地域は、生産コストが市場競争力をもっていることをも意味しているわけで、はたして新宮地域でそのような生産力があるのかは検討されるべきでしょうね。

 

たかが出力1万8000キロワットに必要な原料ですから、紀伊山地一帯の山林を考えれば、余裕綽々ともいえます。しかしながら、現実は厳しいものです。枝葉や低級な原木となると、容量が余分になります。10トントラックで運ぶとしても大量の運搬が必要でしょう。

 

さてそこではたと思い浮かべるわけです。紀南地方には風光明媚で、産業化がさほど進んでいない分、産業道路も海岸線は別にして、紀伊山地一帯には整備された状況にはないと思います。むろん現在も相当数通行していますが、新宮港に向かって膨大な数が走行するとなると、これは困ったことになりかねません。世界遺産の観光客にはどう映るでしょう。

 

道路も頻繁な走行に耐えうるか、気になります。

 

いやいや、それだけ生産する林業主体があるのかどうか、それが問題です。大規模な林家はさほどなく、あってもバイオマスを魅力とは考えないでしょう。森林組合もそれなりの生産力を持っていますが、各地に別れていますし、連携して共同生産体制を作ってまでして、費用対効果が生まれるか、なかなか難問でしょう。

 

そして工業団地の中でも問題は起こりうるかと思います。エフロンのホームページにある写真ではきれいな機械工場だけが映っていますが、実際は原木や枝葉を受け入れるのであれば、大規模な敷地がの置き場や裁断・分別などになります。その作業環境は見た目には美しいという人ばかりでなく、また臭いなど発生しますが、通常、大気の中で行われるわけですから、近隣工場との関係がうまくいけばよいのですが。

 

で、こういう懸念は、たまたま新宮港に立地することから、場合によっては燃料を外国からも輸入することになり得ることを心配するからです。むろん補助事業ですから、最初からそのようなことをすることはおそらく補助条件に適合しないはずです。操業開始すると、原料の確保が大変で、禁じ手を使う危険もあることを心配するからです。

 

たとえば<バイオマス発電事業者に最適な燃料を世界各国より輸入販売>といった宣伝があります。これらがどの程度どのような場所で利用されているのかは知りませんが、背に腹は代えられないといった経営者にとっては助かるでしょうね。でもそれはバイオマス補助事業の趣旨に反しますね。

 

わが国の林業を蘇らせるというか、新たに生まれ返らせるには、地道で真剣な討議が必要でしょう。新宮の計画に期待したいです。

 

まだ、2つ3つ書きたいと思ったテーマがあったのですが、手の方が痺れてきました。

今日はこの辺でおしまい。


救命のあり方 <高齢者救命 本人望めば蘇生中止・・・>を読みながら

2017-11-19 | 人の生と死、生き方

171119 救命のあり方 <高齢者救命 本人望めば蘇生中止・・・>を読みながら

 

先日のブログでドクターヘリの素晴らしい活動ぶりを紹介しました。それは救急医療、救命医療の一つのあり方でもあるのだと思います。ドクターヘリを懸命にされている担当医のプロ意識というか、医師魂というか、尊敬の念を禁じ得ません。

 

他方で、本人の立場に立ったとき、常に救命が望まれるか、社会的コストや行政負担といったレベルの前に、個々の人としての生き方、死に方に対する思いも考えていく必要があると思います。私個人は、なんとかして自然死を導く心構えを常日頃から準備しておく必要を感じています。

 

さて、昨夕の毎日記事<高齢者救命本人望めば蘇生中止 総務省委託研究班「医師指示とセット」>は、長谷川容子記者が救急搬送依頼の増大と、消防隊の到着対応と、医師が対応するまでの時間的間隙、患者本人の意思などとの整合性などを射程にした、総務省研究班の他追う手順案について、記事にしています。

 

残念ながら、総務省や消防庁のホームページをちょっと除いたのですが、当該案を見つけることができませんでした。記事で紹介された案を基に少し勉強したいと思います。


直接関係しませんが<平成27年度救急業務のあり方に関する検討会報告書>が見つかりました。多少は参考になるかも・・・

 

記事によると、<増加する高齢者の救急搬送>を前提に<総務省消防庁から委託された研究班が、持病や老衰で終末期にある介護施設などの高齢入所者が心肺停止した場合の対応手順案をまとめた。>どうやら高齢入所者を主たる対象にして、その心肺停止に対する対応マニュアルのようです。

 

そして眼目は、<本人の事前意思と医師の指示がセットで確認できた場合は蘇生処置の中止を認めており、研究班は高齢者の蘇生処置を巡る法整備をにらんだ議論の高まりを期待している。>蘇生処置を原則としつつ、<本人の事前意思と医師の指示>が確認できれば、その措置をとらない、自然に任せようということのようです。むろん議論のあるところですから、これを世に問うて、議論の深まりを期待しているわけですね。

 

では具体的な案の内容ですが、

<手順案では、持病や老衰による心肺停止が前提。>と心肺停止の原因を限定しています。そして<救急車の要請、救急搬送などの段階に分け、入所者の蘇生を希望しない意思が分かる事前指示書と、担当医の蘇生中止指示を合わせて確認できた段階で救急隊員は心肺蘇生を中止できるとした。>というのです。

 

以上の一般的な内容は理解できますが、次の具体的な内容となると、まだぴんときていません。

 

<担当医は直近の入所者の状態などから医学的見地で蘇生中止を判断。施設に常駐していないため、中止指示は職員らが電話などで確認する。

また、医師の到着が心肺停止の数時間から半日後であっても「到着まで蘇生は行わず、救急車も呼ばずに待つように」などの指示が事前に医師から施設に出ている場合は指示に従ってもいいと提言。指示の効力は「心肺停止前の2、3日以内」との考えを示した。>

 

最初の医師の判断は理解できます。でも次の<医師の到着が心肺停止の数時間から半日後であっても「到着まで蘇生は行わず、救急車も呼ばずに待つように」などの指示が事前に医師から施設に出ている場合>というのは、事前の蘇生中止の判断が近いうちに心肺停止を予期できる診断の基に行われているということだと思いますが、心肺停止の原因が想定外でもよいという趣旨に読めることから、その点が少し気になります。

 

予想外の心肺停止が起こっても、元々の病気で心肺停止がまもなく起こる状態だから、やはり蘇生は不要との判断で良いのかもしれませんが、医師の蘇生中止判断の前提が絶対正しいとは限らないとの考えに立つと、少し気になります。

 

とはいえ、<伊藤センター長は「尊厳を保ちながら死にたいという本人の気持ちが置き去りにされていないか。誰もが満足のいく終末期医療を考える必要がある」と話している。>との考え方には賛同します。

 

次の記事内容からすると、どうやら背景には、救命医療の対応自体、各地でさまざまで、確立したシステムがなく、多少混乱している部分もあるようです。それとこのような提案をすることにより、事前に救命医療のあり方、介護職員や救命隊員の対応の確立も現場としては求められているのかもしれません。

 

<介護施設では、みとりの方針が施設ごとに異なり、担当医が施設内でのみとりを指示していても「夜中に入所者の心肺が停止し、誰にも連絡がつかなければ救急車を呼ぶ」という職員もいる。

 救急隊も地域の実情に合わせた活動手順をとっており、広島、長崎、大分県などでは、担当医の指示が得られたら蘇生処置を中止してもよいとしている。しかし、救急隊には消防法に基づき傷病者を処置しながら病院搬送する義務があり、蘇生処置を希望しない事例を巡って現場で対応に困るケースがある。>

 

こういった関係当事者の法的問題だけでなく、やはり長谷川記者が指摘するように<自分らしい死を迎えたい意思をどうかなえるか。幅広い論議が求められる。>と、自らの死を直視して、多様な生き方・死に方の選択を事前に家族なり関係者と話し合って、自らの気持ちを示しておくことが肝要かと思うのです。

 

私も常々そう思いながら、文書化はかなり以前に書いたままで、そろそろ現代医療の現状を踏まえた内容にしておくのも大事かなと思ったりしています。


相撲騒動を考える <日馬富士暴行 貴乃花親方、協会と溝深く・・・>などを読みながら

2017-11-19 | 日本文化 観光 施設 ガイド

171119 相撲騒動を考える <日馬富士暴行 貴乃花親方、協会と溝深く・・・>などを読みながら

 

私が子ども時代、外で遊ぶことがもっぱらでした。あらゆる運動にみんなが夢中でした。自分たちで考えて、たとえば階段から飛び降りる競争でどこまで高い位置から飛び降りることができるかなんてのもありました。その中でとりわけ相撲は人気がありました。しょっちゅう仲間内で取り組みがされ、私は割合強かったように記憶しているのですが、実際はどうでしょう(その後大学相撲部出身者と何度か相撲を取りましたが一瞬で負かされました、当然ですが)。大鵬・柏戸時代でしたが、私は柏戸の一本気な相撲に惹かれました。

 

さて話変わって、折角盛り上がってきた相撲人気に再び暗雲みたいな変な状況になっていて、連日「日馬富士暴行」事件の報道が繰り返されています。

 

ここでは、毎日朝刊<日馬富士暴行貴乃花親方、協会と溝深く 黙して語らず>のような協会と親方との問題、親方と弟子の問題は触れないことにします。単にこの暴行事件について飛び交う情報の整理をして、事実はどうなのか、事実を踏まえて適切な批判をすることでないと、相撲の将来を考えたとき改善することにつながらないと思うのです。

 

事実経過を毎日記事<クローズアップ2017日馬富士関暴行 「キレた横綱」混迷 証言食い違い/報告遅れ>と<日馬富士暴行リモコン、灰皿で殴打 個室モンゴル勢のみ>を基に、整理してみたいと思います。

 

この中に経過を表にしたものがありますので、これをとりあえず基礎にしますが、不確定な事実も記載されていますから、その点は除きます。

 

1025日深夜、酒席で、日馬富士関が貴ノ岩関を殴打(ビール瓶で殴打は不明)

1026日~29日福山巡業などに貴ノ岩関が参加して相撲を披露していた。

1029日、巡業後、貴乃花親方が鳥取県警へ診断書とともに被害届を提出

112日、福岡県田川市長を表敬訪問し、貴乃花親方は「10勝以上を」と貴ノ岩関への期待を語った。

115日~9日 貴ノ岩関が入院

119日、貴ノ岩関について診断書作成

1110日 休場届を提出。診断書は13日に提出。

 

さて、暴行傷害事件を扱っていますと、関係者の言い分は大きく食い違うことがよくあります。自分の体験したことだから間違いないと確信を持っているので、なかなかやっかいです。また、第三者で客観的な立場で見ている人の証言も、当事者との関係で、あるいは事件当時の騒乱の中で適切な認識・記憶が再現できるかというと、これまた必ずしも全面的な信用を置くことができません。場所とその周辺にある様々な物件(ここでは机や食器やリモコン、灰皿、ビール瓶など)の変動、当事者の刻々変わっていく動きなど、微細に再現することは容易でありません。

 

で、いま二人の関取の言動について、言動がマスコミを賑わしていますが、関係者の証言によるものではないかと思います。まったく誰かの証言も聞かないで取材報道することはあり得ないと思いますので、誰かが話していることは確かだと思います。むろん当事者の関取が直接、あるいは関係者に話している(いわゆる伝聞)もあるでしょう。しかしながら、上記の事情から、これらの証言(法的な意味で使っていません)には信憑性を根拠づけるものに乏しい段階だと思っています。

 

その意味で、ビール瓶、リモコン、腹皿で殴打とか、さまざまな情報は、現時点では参考にしかすぎないと思いますし、その情報が上記119日付け診断書を基にしているのだとすると、慎重に検討する必要があると思います。

 

今日はこの話題を取り上げたのは、診断書というものについて少し触れたいと思ったからです。診断書は1029日に鳥取県警に提出されたものと、119日付けで作成されたものがありますね。話題になっているのは、後者は<「脳しんとう、左前頭部裂傷、右外耳道炎、右中頭蓋(ずがい)底骨折、髄液漏の疑い」で全治2週間とする>内容で、前者では少なくとも<右中頭蓋(ずがい)底骨折、髄液漏の疑い>という記載はなかったようですので、その違いをどうみるかという点です。

 

まず、<右中頭蓋(ずがい)底骨折、髄液漏の疑い>と記載がありますが、この部分はTV放映などでみた診断書では2行目に一緒に書かれていて、1行目の脳しんとうなどと異なり、断定診断ではなく、疑いだということです。

 

MRICT検査で容易に骨折や髄液漏が診断できる場合もあるのでしょうから、今回の場合は疑いですので、はたして確定診断できるものかが問題だと思います。

 

ところで、暴行直後に作成された診断書には、そのような記載がなかったことをどう考えるかですが、その診断が夜間当直などで暫定的だったと見ることもできますが、対象が脳です。脳しんとうという診断があったかどうか明確でないですが、頭への殴打というのは争いがないところで、当然、貴ノ岩関が医師に主訴しているはずです。その殴打が鈍器などを使って行われたとの主訴であれば,症状にもよりますが、MRICT検査を念のためにでもとることをすすめるのが本来ではないでしょうか。仮に当直医が担当したとしても、日中の検査を指導ないしすすめるのが普通ではないかと思います。

 

脳への打撃は、直後でなく、しばらく経過して変調が現れることは、私自身も事件を取り扱った経験がありますし、医師なら常識でしょう。

 

ましてその診断書をもって被害届を提出するわけですから、その時点で骨折等の疑いがあるような自体ではなかったと思われます。その疑いがあれば、巡業の中止を指示するのが医師の責務ではないかと思います。

 

巡業中の貴ノ岩関の相撲を取る様子からは、体調の変異は考えられません。むろん一定期間経過後に現れる場合もあるので、この巡業中の様子だけでは判断できないと思います。

 

ただ、113日の田川市長との会談時に元気だった様子にもかかわらず、2日後に入院し9日退院したというのですが、9日付けの診断書からはその状況が感じられません。

 

<脳しんとう、左前頭部裂傷、右外耳道炎>の診断は、この時点で入院を根拠づけるものか、気になるのです。殴打後すでに10日ちかく経過していたのですから、入院時のもう少し具体的な症状を記載するのが望ましいように思います。そして当該診断書を退院時に記載することを依頼されたことが窺えますが、それは休場届の理由付けのためと言うことが説明されていたはずだと思うのです。そうであれば、当該症状が相撲をとることができない程度であることをも指摘して記載するのが望ましいように思います。

 

当該2通の診断書を作成した医師が同じであれば、とりわけなぜ119日付けで、疑いを抱いたかを根拠づける必要があると思います。エビデンスによる医療と昔から言われてきて、また診断書も医学的見地からだれもが納得できる内容にする必要があると思うのですが、これら2通の診断書は、必ずしも十分なものとはいえないと思うのです。

 

急がしい医師が、常に満足のいく内容の診断書を作成すべきとまではいいません。患者が日本を代表する伝統的な行事である相撲の力士についてです。とりわけ慎重に対応する必要があると思います。

 

この件はとりあえずこの辺でおしまい。