今月は5冊。
後半は漫画(ちびまる子)読んでたのでペースが落ちた。
仕事なんかより、本。散歩。
===
1.たまりませんな 伊集院静さん/西原理恵子さん 角川文庫
まあまあまあ、私と正反対の生き方です。
中にでてくるケント君、これは完全にいかれている。
そこまで馬券や車券はずしてもつづけるか。ありえない。
そんなケント君の子供が中学受験。もっとありえない。
でもこどもはたくましそうだ。
こういう、ケント君とか、伊集院さんのようなギャンブラーの生き方をみると、
いろんなことを考えてまじめに一歩一歩すすむ考え方が、
なんだかばからしくなります。
もっと、おおらかに鷹揚に生きても、だいじょうぶな気がしてきます。
それとも、なにかどこかが壊れているのかな。
ちなみに題名の意味は「お金が貯まらない」の意味。
2.ぼくのボールが君に届けば 伊集院静さん 講談社文庫
そういう1.のギャンブラーのおじさんが、こういういい話を書くのです。
別に、いい小説をかくことと品行方正かどうかは一般に結びつきませんが、
1.の本のあとにこれを読んだので、本当に不思議な感じがしました。
長く生きてきて悔やみのない人はいないでしょうが、
その悔やみとおりあいをつけて、絶望に陥ることなしに、
自分の道をすすんでいく人たちを短編で描いています。
登場人物の周りには、
病気とか離婚とか死とかそういうものがすぐ近くにあって、
それらに対して登場人物たちは悔やみをたくさんかかえています。
そしてそばには必ず野球があります。
キャッチボールは、はじめはやわらかなボールを相手の胸にめがけて投げあうものだそうです。
だから一方的に強いボールを投げて相手がうけとれないのは
キャッチボールではないそうです。
それぞれの、思いのこもったボールをやわらかに投げあうことができれば、
悔やみと向き合いながら、それでも絶望せずに生きていけるのではないか、
というのは、救いになると思います。
切ない話が多いですが、絶望することはありません。
(そういう内容と、1.のギャンブル三昧の話は、まったく私の中ではむすびつかないんだな。
それが冒頭の「不思議な感じ」という感想になるのです。)
中学受験にも使われた文章らしいですが、
正直なところ、小学生(おサル系元気印)でこういう感情を読み取るのは
しんどいだろうなと感じます。
風や土や太陽に匂いを感じるような感受性も必要だろうし、
感情を深堀してことばで表現する練習なんかも必要なんじゃないのかな、
って思います。
そして、それって、いろんな原体験をしていて、自分の中で消化しているのが前提になるなあ。
ちび1号にはたぶん(今は)難しいなあ。
だけどね、いずれは、(大きくなって経験をつんだら)こういう文章をよんで
自分なりにいろんなことを感じられるように育ってくれたら、
とてもうれしいです。言うことない。
3.ももこの話 さくらももこさん 集英社文庫
へえ、さくらさん、エスパルスの長谷川健太と同じ学校だったんだ。
でも健太くん、さくらさんのことを覚えていないらしい。
まる子は、じみまるこだったのね。
かみしばい屋に全財産をつぎ込んだり、
店の売り物のジュースを飲み放題だと思っているまる子。
そんなまるちゃんの将来を思うと、
おかあさんはかなり心配していたのではないのだろうか。
でも結果的にまるちゃんは「さくらももこ」という作家になって成功するのだから、
まっとうな大人を目指しなさいって旗振ってああだこうだ言うのがいいとは限らない気がする。
おとうさんのひろしは、
(しっかりものとおもわれるおかあさんやお姉さんにくわえて)だめまる子からもダメ出しされているところをみると、
相当ピントをはずして生きているようだ。
しかもいい加減。。。
1.のケント君や伊集院さんとはまた違った面で壊れている。
でも自分もそんなところがあるので笑えないなあ・・・。
4.アメンボ号の冒険 椎名誠さん 講談社文庫
こどものころ、自宅の近くに巨大な廃工場があった。
小さな木材は剣になり、
板材や金属は盾になり、
釘は手裏剣になり、
ヘルメットはかぶとになった。
いたるところに隠れる場所があり、ショッカーなどの敵と戦うための秘密基地となった。
それぞれの秘密基地には剣、盾、手裏剣、かぶとが常備されていた。
冬には、(雪合戦対策として)雪の防護壁に、雪玉の在庫が加わった。
近所の子とよく戦った。
剣なんかすぐ折れるので常時5~6本差していた。
秘密基地を破壊されたら新たな基地をつくり、
相手の基地を発見しては破壊し、
それはそれは白兵戦な毎日だった。
いまから思い出して不思議なのは、
剣や盾の資源が枯渇しなかったことだ。
いったいどんだけ放置されていたのだろう。
手裏剣は(超危険なので、あるだけでつかっちゃいけないという)抑止力だったのだが、
1度だけ戦いがエスカレートして最終兵器として発動したことがあった。
相手の子の頭にあたり、流血した。
それ以来、最終兵器の発動は禁じ手となった。
禁じ手になった釘は、その後相手側との合意を元に全面廃棄された。
僕たちの釘のほうが、現実社会の核兵器より先をいったようだ。
廃工場の管理人にも見つかってよく追っかけられた。
でもこっちのほうが地理を熟知しているので、つかまることはなかった。
孫子なんて読む前から、地理を熟知することの重要性を知っていた。
30~40年前の男の子の原風景は、案外こんなものかもしれない。
椎名さんの描く世界も、どこかなつかしい。
だれでもそんな記憶があるのではないか。
本の舞台は、千葉の花見川らしい。
土地勘があれば、もっとおもしろいだろう。
5.川の名前 川端裕人さん 早川文庫JA
小学校5年生のごく普通の少年たち4人が主人公です。(解説には菊野君と
亀丸君と河邑君の3人となっていますが、手嶋君も主人公の一人だと思う。)
主人公たちは、
自分の居場所がわからないという悩みを持っています(悩みの大きさに大小はありますが)。
それを解決するためには、自分の立ち位置を知ることが必要なのですが、
そのための出発点として「川の名前」という概念を紹介しています。
例でいうと、
大宇宙の、太陽系第3惑星地球の、日本列島の本州島の関東平野の多摩川水系のXX川に住むわたし、ということになります。
日本国の東京都のXX区のXX町1丁目に住むわたしという概念とくらべたら、
違いは一目瞭然でしょう。
ここを出発点に、ひと夏の経験(ペンギン・サマー)が彼らを成長させます。
面白いんですが、かなり長いです。
子供が読みきれるかどうかはわからないですね。
アメンボ号の本は、読んで自分の子供のころを思い出しましたが、
こちらはこの物語のストーリーに純粋にはまります。
こちらのほうが考えさせる題材が多い気がしますね。
繰り返して読みました。
自然とのかかわりをバランスよい視点で描いていると思います。
自然保護万歳じゃないのが気に入りました。
(250グラムのステーキとか黒毛和牛の焼肉をがんがん食いながら、自然についてえらそうなことを言ってると、神様の天罰があたりそうだから・・・)
しかしハラDは、精神的な下品さがぷんぷんにおう。くちゃいっす。
こういうやつ、割とみかけるけどね。
喇叭爺は、RPGのゲームにでてくる仙人やね。
一見何言ってんだかよくわかんないんだけど、
この人の言っていることの意味をつかむことがイコール物語の全体像をつかむことになる、
って気がする。
後半は漫画(ちびまる子)読んでたのでペースが落ちた。
仕事なんかより、本。散歩。
===
1.たまりませんな 伊集院静さん/西原理恵子さん 角川文庫
まあまあまあ、私と正反対の生き方です。
中にでてくるケント君、これは完全にいかれている。
そこまで馬券や車券はずしてもつづけるか。ありえない。
そんなケント君の子供が中学受験。もっとありえない。
でもこどもはたくましそうだ。
こういう、ケント君とか、伊集院さんのようなギャンブラーの生き方をみると、
いろんなことを考えてまじめに一歩一歩すすむ考え方が、
なんだかばからしくなります。
もっと、おおらかに鷹揚に生きても、だいじょうぶな気がしてきます。
それとも、なにかどこかが壊れているのかな。
ちなみに題名の意味は「お金が貯まらない」の意味。
2.ぼくのボールが君に届けば 伊集院静さん 講談社文庫
そういう1.のギャンブラーのおじさんが、こういういい話を書くのです。
別に、いい小説をかくことと品行方正かどうかは一般に結びつきませんが、
1.の本のあとにこれを読んだので、本当に不思議な感じがしました。
長く生きてきて悔やみのない人はいないでしょうが、
その悔やみとおりあいをつけて、絶望に陥ることなしに、
自分の道をすすんでいく人たちを短編で描いています。
登場人物の周りには、
病気とか離婚とか死とかそういうものがすぐ近くにあって、
それらに対して登場人物たちは悔やみをたくさんかかえています。
そしてそばには必ず野球があります。
キャッチボールは、はじめはやわらかなボールを相手の胸にめがけて投げあうものだそうです。
だから一方的に強いボールを投げて相手がうけとれないのは
キャッチボールではないそうです。
それぞれの、思いのこもったボールをやわらかに投げあうことができれば、
悔やみと向き合いながら、それでも絶望せずに生きていけるのではないか、
というのは、救いになると思います。
切ない話が多いですが、絶望することはありません。
(そういう内容と、1.のギャンブル三昧の話は、まったく私の中ではむすびつかないんだな。
それが冒頭の「不思議な感じ」という感想になるのです。)
中学受験にも使われた文章らしいですが、
正直なところ、小学生(おサル系元気印)でこういう感情を読み取るのは
しんどいだろうなと感じます。
風や土や太陽に匂いを感じるような感受性も必要だろうし、
感情を深堀してことばで表現する練習なんかも必要なんじゃないのかな、
って思います。
そして、それって、いろんな原体験をしていて、自分の中で消化しているのが前提になるなあ。
ちび1号にはたぶん(今は)難しいなあ。
だけどね、いずれは、(大きくなって経験をつんだら)こういう文章をよんで
自分なりにいろんなことを感じられるように育ってくれたら、
とてもうれしいです。言うことない。
3.ももこの話 さくらももこさん 集英社文庫
へえ、さくらさん、エスパルスの長谷川健太と同じ学校だったんだ。
でも健太くん、さくらさんのことを覚えていないらしい。
まる子は、じみまるこだったのね。
かみしばい屋に全財産をつぎ込んだり、
店の売り物のジュースを飲み放題だと思っているまる子。
そんなまるちゃんの将来を思うと、
おかあさんはかなり心配していたのではないのだろうか。
でも結果的にまるちゃんは「さくらももこ」という作家になって成功するのだから、
まっとうな大人を目指しなさいって旗振ってああだこうだ言うのがいいとは限らない気がする。
おとうさんのひろしは、
(しっかりものとおもわれるおかあさんやお姉さんにくわえて)だめまる子からもダメ出しされているところをみると、
相当ピントをはずして生きているようだ。
しかもいい加減。。。
1.のケント君や伊集院さんとはまた違った面で壊れている。
でも自分もそんなところがあるので笑えないなあ・・・。
4.アメンボ号の冒険 椎名誠さん 講談社文庫
こどものころ、自宅の近くに巨大な廃工場があった。
小さな木材は剣になり、
板材や金属は盾になり、
釘は手裏剣になり、
ヘルメットはかぶとになった。
いたるところに隠れる場所があり、ショッカーなどの敵と戦うための秘密基地となった。
それぞれの秘密基地には剣、盾、手裏剣、かぶとが常備されていた。
冬には、(雪合戦対策として)雪の防護壁に、雪玉の在庫が加わった。
近所の子とよく戦った。
剣なんかすぐ折れるので常時5~6本差していた。
秘密基地を破壊されたら新たな基地をつくり、
相手の基地を発見しては破壊し、
それはそれは白兵戦な毎日だった。
いまから思い出して不思議なのは、
剣や盾の資源が枯渇しなかったことだ。
いったいどんだけ放置されていたのだろう。
手裏剣は(超危険なので、あるだけでつかっちゃいけないという)抑止力だったのだが、
1度だけ戦いがエスカレートして最終兵器として発動したことがあった。
相手の子の頭にあたり、流血した。
それ以来、最終兵器の発動は禁じ手となった。
禁じ手になった釘は、その後相手側との合意を元に全面廃棄された。
僕たちの釘のほうが、現実社会の核兵器より先をいったようだ。
廃工場の管理人にも見つかってよく追っかけられた。
でもこっちのほうが地理を熟知しているので、つかまることはなかった。
孫子なんて読む前から、地理を熟知することの重要性を知っていた。
30~40年前の男の子の原風景は、案外こんなものかもしれない。
椎名さんの描く世界も、どこかなつかしい。
だれでもそんな記憶があるのではないか。
本の舞台は、千葉の花見川らしい。
土地勘があれば、もっとおもしろいだろう。
5.川の名前 川端裕人さん 早川文庫JA
小学校5年生のごく普通の少年たち4人が主人公です。(解説には菊野君と
亀丸君と河邑君の3人となっていますが、手嶋君も主人公の一人だと思う。)
主人公たちは、
自分の居場所がわからないという悩みを持っています(悩みの大きさに大小はありますが)。
それを解決するためには、自分の立ち位置を知ることが必要なのですが、
そのための出発点として「川の名前」という概念を紹介しています。
例でいうと、
大宇宙の、太陽系第3惑星地球の、日本列島の本州島の関東平野の多摩川水系のXX川に住むわたし、ということになります。
日本国の東京都のXX区のXX町1丁目に住むわたしという概念とくらべたら、
違いは一目瞭然でしょう。
ここを出発点に、ひと夏の経験(ペンギン・サマー)が彼らを成長させます。
面白いんですが、かなり長いです。
子供が読みきれるかどうかはわからないですね。
アメンボ号の本は、読んで自分の子供のころを思い出しましたが、
こちらはこの物語のストーリーに純粋にはまります。
こちらのほうが考えさせる題材が多い気がしますね。
繰り返して読みました。
自然とのかかわりをバランスよい視点で描いていると思います。
自然保護万歳じゃないのが気に入りました。
(250グラムのステーキとか黒毛和牛の焼肉をがんがん食いながら、自然についてえらそうなことを言ってると、神様の天罰があたりそうだから・・・)
しかしハラDは、精神的な下品さがぷんぷんにおう。くちゃいっす。
こういうやつ、割とみかけるけどね。
喇叭爺は、RPGのゲームにでてくる仙人やね。
一見何言ってんだかよくわかんないんだけど、
この人の言っていることの意味をつかむことがイコール物語の全体像をつかむことになる、
って気がする。