この一冊『この国を、なぜ、愛せないのか』(桜井よしこ著)を読み始めて、すでに2週間も経過する。総ページ数は、僅かに272ページ。システム手帳を一回り大きくした程度の「この一冊」。縦43文字横17行、文字数にして731文字。実質文字数は凡そ600文字程度か。通常、この類いの一冊を通読するに、せいぜい3~4時間もあれば十分に読破可能か。
と、踏んでいたのであるが・・・
「オットどっこい!そうはいかない・・・」
結構、てこずっている。
(いまだ通読に至らず、てこずっている「不肖・エセ男爵」に、励ましの応援をお願いしたい!)
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実は「この一冊」、ご存知の通り、各項3~5ページの短編にて、ダイヤモンド社をはじめ週刊新潮に週刊文春ならびに日経新聞等に寄稿された櫻井女史の短編論文を集約されたものであり、週刊誌のヴォリュームに換算すれば、せいぜい2~3ページ。初刊「論戦シリーズ」は1994~1996である(当・初刊の論戦シリーズの感想文は、拙ブログにて投稿済み)。もって約10年前より、これら短編論文集は「論戦シリーズ」にて単行本に集約され、発刊され続けているのである。論戦シリーズは、すでに5冊通読し、自分自身の周囲を取り巻く「超近代の政治社会歴史の書」として、本シリーズに対する自分自身の位置付けをし、今も、大切に蔵書している。
しかし、この度の「論戦2006・この国を、なぜ、愛せないのか」には、通読するに最も時間のかかる一冊となっている。
恥ずかしながら、未だに読破できていない。読み進めるうちに、いかにも苦しい。
慌てずに、急がずに、読み進める所存なり。
「・・・?」
漢字が読めないのではない。
桜井女史の論理展開、難解とは思わない。
しかし、この一冊はいかにも読み辛い。
各項各章、読み終えて後、逐一自己反省し、且つ深く考えさせられる。以って読み進めるに、あまりにも時間が掛かっている。気分は沈み、なぜか頭痛が始まり、頭痛が収束すれば、その次には心苦しくなる。この一冊、下手に取組むと「他の本」が読めなくなる。自分自身、この一冊を読み進めた後は、相当なる気分転換を図らないと、他の作業展開が難しくなるのである。
それにはいささか理由がある。
我輩、日本人としてこの世に生を受け、早くも半世紀間にプラスすること云年以上も経過する。日本人として半世紀以上も、仕事柄世界を旅しつつ熱心に仕事をこなし、その間正常にまともに考え、常識的にまともに行動してきたはずの我輩。にもかかわらずこの一冊を読み進める中、この歳になって、あらためて自分自身の無責任さ加減を痛感させられてしまうのである。
読みながら、
「自分自身、何かしなければならぬ。自分自身、知らねばならぬ。まだ修養が足りぬか」
「わが国のために、後輩のために、何かやらねばならぬことがある」
「公のために、我国のために、子々孫々のために、先輩先祖に対して、何かやっているのか?やってきたか?」
「今から、これら公のために、自分は何ができるのか?」
感ずる事の多きこの一冊。
先の投稿、拝啓櫻井よしこ様:感想文「何があっても大丈夫」に続き、この度も3回シリーズで感想文を書いてみたい。
もって本日、その書き出し?とする。
尚、本文に掲載されている文章の中、「究めつけの一節」が、この一冊「この国を、なぜ、愛せないのか」の、『本の帯』に抜書きしてある。
本日の締めくくりとして、上述の文章を、下記、引用しておきたい。
<以下、本文167ページ「第3章日本にとっての真の敵は、己自身の内にある」から、引用・・>
日本は自らを“ハンディキャップ国家”と位置づけ、半人前の国家にとどまり続け、国家目標を“摩擦を生じさせないこと”に矮小化し、志を曲げ気概を失った。
中国は今「沖縄も中国領だった」と言う。日本人はそれを笑い飛ばしてはならない。日本は、中国の覇権主義が沖縄領有に止まると過小評価してはならない。中国の狙いは大中華帝国の確立、つまり日本国全体の実質支配なのであるから。
中国の大戦略の前に日本が成すべき事はたった一つ、真の独立国としての志を確立することである。自力で自国を守る気概を養い、そのための大戦略を練ることだ。真の敵は日本人の心の内にある。
(以上、「この国を、なぜ、愛せないのか」引用、完・・)
<・続く・・>
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実は「この一冊」、ご存知の通り、各項3~5ページの短編にて、ダイヤモンド社をはじめ週刊新潮に週刊文春ならびに日経新聞等に寄稿された櫻井女史の短編論文を集約されたものであり、週刊誌のヴォリュームに換算すれば、せいぜい2~3ページ。初刊「論戦シリーズ」は1994~1996である(当・初刊の論戦シリーズの感想文は、拙ブログにて投稿済み)。もって約10年前より、これら短編論文集は「論戦シリーズ」にて単行本に集約され、発刊され続けているのである。論戦シリーズは、すでに5冊通読し、自分自身の周囲を取り巻く「超近代の政治社会歴史の書」として、本シリーズに対する自分自身の位置付けをし、今も、大切に蔵書している。
しかし、この度の「論戦2006・この国を、なぜ、愛せないのか」には、通読するに最も時間のかかる一冊となっている。
恥ずかしながら、未だに読破できていない。読み進めるうちに、いかにも苦しい。
慌てずに、急がずに、読み進める所存なり。
「・・・?」
漢字が読めないのではない。
桜井女史の論理展開、難解とは思わない。
しかし、この一冊はいかにも読み辛い。
各項各章、読み終えて後、逐一自己反省し、且つ深く考えさせられる。以って読み進めるに、あまりにも時間が掛かっている。気分は沈み、なぜか頭痛が始まり、頭痛が収束すれば、その次には心苦しくなる。この一冊、下手に取組むと「他の本」が読めなくなる。自分自身、この一冊を読み進めた後は、相当なる気分転換を図らないと、他の作業展開が難しくなるのである。
それにはいささか理由がある。
我輩、日本人としてこの世に生を受け、早くも半世紀間にプラスすること云年以上も経過する。日本人として半世紀以上も、仕事柄世界を旅しつつ熱心に仕事をこなし、その間正常にまともに考え、常識的にまともに行動してきたはずの我輩。にもかかわらずこの一冊を読み進める中、この歳になって、あらためて自分自身の無責任さ加減を痛感させられてしまうのである。
読みながら、
「自分自身、何かしなければならぬ。自分自身、知らねばならぬ。まだ修養が足りぬか」
「わが国のために、後輩のために、何かやらねばならぬことがある」
「公のために、我国のために、子々孫々のために、先輩先祖に対して、何かやっているのか?やってきたか?」
「今から、これら公のために、自分は何ができるのか?」
感ずる事の多きこの一冊。
先の投稿、拝啓櫻井よしこ様:感想文「何があっても大丈夫」に続き、この度も3回シリーズで感想文を書いてみたい。
もって本日、その書き出し?とする。
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尚、本文に掲載されている文章の中、「究めつけの一節」が、この一冊「この国を、なぜ、愛せないのか」の、『本の帯』に抜書きしてある。
本日の締めくくりとして、上述の文章を、下記、引用しておきたい。
<以下、本文167ページ「第3章日本にとっての真の敵は、己自身の内にある」から、引用・・>
日本は自らを“ハンディキャップ国家”と位置づけ、半人前の国家にとどまり続け、国家目標を“摩擦を生じさせないこと”に矮小化し、志を曲げ気概を失った。
中国は今「沖縄も中国領だった」と言う。日本人はそれを笑い飛ばしてはならない。日本は、中国の覇権主義が沖縄領有に止まると過小評価してはならない。中国の狙いは大中華帝国の確立、つまり日本国全体の実質支配なのであるから。
中国の大戦略の前に日本が成すべき事はたった一つ、真の独立国としての志を確立することである。自力で自国を守る気概を養い、そのための大戦略を練ることだ。真の敵は日本人の心の内にある。
(以上、「この国を、なぜ、愛せないのか」引用、完・・)
<・続く・・>
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とくに、子供達に対してそういう思いを抱くようになったきっかけの本をTBに置いておきますね。
さすがのご書評。男爵の奥深い文には語りかける力があります。拙き身に千分の一でも分けていただきたい気持ちですが、こればかりは才能の差異と小輩は諦めております。が、今後とも学ばせてください。
なお、櫻井よしこ先生には男爵のブログを時々ご覧になられご存知でした。有り難きことと感謝を述べられておられました。益々のご健筆をお祈りいたしております。
おはようございます。
男爵様を悩ませている書籍とは
いかがなものか、気になります。
一昨日、昨日と出先からも訪問させて
いただいたところです。(+_+)☆済
リンクさせてもらいましたよ
また考えながら読み進む男爵さんの姿勢は流石ですね。
私も見習わなければなりません。
引用されてる数行。
これだけでも確かに考えさせられます。
「ぽち」
ちなみに京都にいます^^
重い一言ですね。
ここだけ見ても、
色々考えさせられる本であろうと想像します。
PS
今日は、午前中からテスト前の特別授業や、
TV取材などあり疲れ果てて帰宅したところです。
まだ書きたいこともありますが、
明日も朝早いので、
これにて失礼いたします。
「公の為」に、何ができるか?
人間やっている以上、
「公の為に何か」できなければ「存在価値」はないのでは?
と、思うように、近頃あらためて考えるようになりました。
そんな時の桜井よしこさんの「この一冊」でした。
でした?
ではなく、(未だ継続読中にて)現在進行形です。
そして、
トラックバック、
たいへんありがとうございます。
また、
過分なる「お褒めの言葉」を頂き、光栄の至りです。
さて、
*我が意を正しく表現する「文章を書く」。
とは如何に?・・・
未だ修行の身、恥ずかしき事多かりき!なのです。
博士から頂戴した「お言葉」、不肖・エセ男爵への一層の励ましを頂戴したともの心得、精進を継続する所存です。
加えて、
櫻井女史には拙ブログをご覧頂いているとのご伝言を頂き、たいへん驚きました。
驚きとあわせ、たいへん喜びうれしく想っております。
たいへんありがとうございます。
近頃富に怠惰になりがちな記事投稿、合いも変わらず酔狂風なる記事内容、、、。
さりとて、さらけ出したる八方破れな記事投稿は、自己流自然体にて如何ともし難い「エセ男爵的流儀」にて、今さら変更しようもなく、試行錯誤の繰り返しの日々なのであります。
しかし、博士のご伝言にて、あらためて、
ブログを書き続ける勇気が湧いてまいりました。
今後とも宜しくご指導ご友誼のほど、お願い申し上げます。
あすとろさんのところからお邪魔しました。
お名前は、TSさんのところでよく拝見していました。
『この国を、なぜ、愛せないのか』(桜井よしこ著)は重いですね。
でも、ホントは国民が読んで理解をしないといけない本ですね。