バリ島の舞踊と、どう違うのか?
ジャワ本島に住まう人たちの95%は、イスラムで、
バリ島の人たちの多くは、ヒンズー、、、
でも、よくわからなくなるのです。
なぜか、
それぞれの古典舞踊、さほど違いなく、変わらないのでして?
<上記、飴風呂記事より転載>
(原記事: 2005-03-02 伝統的宮廷ダンス テーマ:エセ男爵・東ジャワ紀行)
毎日一回、クリック応援を!(人気ブログラン
キング)
---------------------------------------------
PS(回想と追記):
原記事の投稿は、ブログを始めて1ヶ月。初心者にてBlog記事内容はいたってシンプル(Simple)。
Simple is best!? とはいえ、如何にも心もとない!
よって、本日転載投稿にあたり少し加筆する。
ジャワ島文化の歴史をみるに、古くはインドに源流があるようだ。例えば、マヤーナ物語に代表されるヒンズー教にまつわるものをして、古代ジャワ島の人々を目覚めさせた文化の全てのようである。そののち、中華系商人たちの出入りがあり、おのずと仏教が伝わる。さらに中世後半になってイスラム系商人の出入りが頻繁になる。イスラム世界の商人たちは(無節操に?)現地人と婚姻を繰り返し、血を交え、かくして父方の宗教が踏襲され、数世紀もの歳月をかけてイスラム化されていったか。
オランダ統治は(現在から遡ること)約400年前から始まる。
想えば不思議?にも、オランダ統治領には現地人との混血が少ない。オランダ人シーボルトと日本人妻の間に授かった混血児?=日本発の女医?「イネ」の存在は如何に?否、シーボルトはドイツ人であったそうな・・・ 当地インドネシアに於いても、青い目をした西洋人混血は未確認である。が、そういえば一人存在する。我輩の知るドイツ人とのクオーター (Quarter)。ご尊祖父がドイツ人大学教授の若き美女はスラバヤに約1名存在、地元テレビ局に勤務する才女である。これは、歴史の流れと何ら関連性はない。オランダ人の残した唯一の遺産は、今総人口の約1%にも満たないキリスト教人口であるか。となれば、やはりインドネシア人のキリスト教への教化の所業か。この比率からして、本気で布教していたとは思えない。約350年に及ぶ統治時代に、オランダ人の残したものは皆無である。「お見事!」としか、言いようがない。台湾朝鮮半島を始め、満洲に多くの痕跡を残した日本人。小さな親切、大きな迷惑となるか?19世紀型帝国主義を引きずった先の大戦即ち大東亜戦争時代に於いて、日本人の原住民に対する親切は、今となって「お節介」であったか。現代に入ってからも尚思い出せば、日本国旗に火をつけ焼き払うほどに大迷惑であったのか?大虐殺の作り話をしなければならないのか?しかし当地インドネシアに於いては、終戦後にも心ある日本兵は地元独立運動家達に知恵と力を貸し、オランダからの独立戦争に寄与したことが伝えられ、「日本の兵隊さんは頭がよく多くを教わった」等々、良き日本人のイメージは言い伝えられ、今日に至る。
かくして20世紀、広くアジア諸国に残された日本人の遺産とは、何か?
今の我々に伝えられるているものは「悪しき日本人の所業」しか、伝わってこない。しかしながら実際にアジア諸国を歩いて見聞きすれば、伝わってくるものは日本人の善行も良き評判も数多く存在する。
今から、21世紀の歴史の語るところであるから、未だ結論は見えないし、今後の修正と補填により、如何様にも歴史は塗り替えられる。以って、急ぎ焦り結論を出す必要もない。
話しを宮廷舞踊に戻す。
ジャワ島宮廷ダンスに観る舞踊作法は、いかにもヒンズー系である。当地東ジャワ州には、当時のイスラム勢力に押され、東ジャワ山奥に逃げ込み、ひそかに生活していた名残は、今尚遺跡として残る。さらにさらに制圧され滅んでいくけれど、ある部族はバリ島に逃れた。現在は観光地となったバリ島に於いてジャワ島ヒンズー文化は再度花開き、さらに滅んでいく。
現在に伝わるバリ島の舞踊の所作と衣装を、この画像と比較すれば、我々素人の目から見ればほとんで違いはないものの、こうして比較すればバリ島の衣装の方がきらびやか、且つ、派手すぎる。ジャワ島の宮廷ダンスは、しなやかに感じる。添付画像はインドネシア共和国東ジャワ政府観光局からの引用である。
<続く>
*人気ブログランキング参加中!人気blogランキングへ
(またもや舞踊の話題から強引に歴史の話に転じてしまったのはエセ男爵流の悪癖なり、、、。ひらにご容赦願いたい・・・)
ジャワ本島に住まう人たちの95%は、イスラムで、
バリ島の人たちの多くは、ヒンズー、、、
でも、よくわからなくなるのです。
なぜか、
それぞれの古典舞踊、さほど違いなく、変わらないのでして?
<上記、飴風呂記事より転載>
(原記事: 2005-03-02 伝統的宮廷ダンス テーマ:エセ男爵・東ジャワ紀行)
毎日一回、クリック応援を!(人気ブログラン
キング)
---------------------------------------------
PS(回想と追記):
原記事の投稿は、ブログを始めて1ヶ月。初心者にてBlog記事内容はいたってシンプル(Simple)。
Simple is best!? とはいえ、如何にも心もとない!
よって、本日転載投稿にあたり少し加筆する。
ジャワ島文化の歴史をみるに、古くはインドに源流があるようだ。例えば、マヤーナ物語に代表されるヒンズー教にまつわるものをして、古代ジャワ島の人々を目覚めさせた文化の全てのようである。そののち、中華系商人たちの出入りがあり、おのずと仏教が伝わる。さらに中世後半になってイスラム系商人の出入りが頻繁になる。イスラム世界の商人たちは(無節操に?)現地人と婚姻を繰り返し、血を交え、かくして父方の宗教が踏襲され、数世紀もの歳月をかけてイスラム化されていったか。
オランダ統治は(現在から遡ること)約400年前から始まる。
想えば不思議?にも、オランダ統治領には現地人との混血が少ない。オランダ人シーボルトと日本人妻の間に授かった混血児?=日本発の女医?「イネ」の存在は如何に?否、シーボルトはドイツ人であったそうな・・・ 当地インドネシアに於いても、青い目をした西洋人混血は未確認である。が、そういえば一人存在する。我輩の知るドイツ人とのクオーター (Quarter)。ご尊祖父がドイツ人大学教授の若き美女はスラバヤに約1名存在、地元テレビ局に勤務する才女である。これは、歴史の流れと何ら関連性はない。オランダ人の残した唯一の遺産は、今総人口の約1%にも満たないキリスト教人口であるか。となれば、やはりインドネシア人のキリスト教への教化の所業か。この比率からして、本気で布教していたとは思えない。約350年に及ぶ統治時代に、オランダ人の残したものは皆無である。「お見事!」としか、言いようがない。台湾朝鮮半島を始め、満洲に多くの痕跡を残した日本人。小さな親切、大きな迷惑となるか?19世紀型帝国主義を引きずった先の大戦即ち大東亜戦争時代に於いて、日本人の原住民に対する親切は、今となって「お節介」であったか。現代に入ってからも尚思い出せば、日本国旗に火をつけ焼き払うほどに大迷惑であったのか?大虐殺の作り話をしなければならないのか?しかし当地インドネシアに於いては、終戦後にも心ある日本兵は地元独立運動家達に知恵と力を貸し、オランダからの独立戦争に寄与したことが伝えられ、「日本の兵隊さんは頭がよく多くを教わった」等々、良き日本人のイメージは言い伝えられ、今日に至る。
かくして20世紀、広くアジア諸国に残された日本人の遺産とは、何か?
今の我々に伝えられるているものは「悪しき日本人の所業」しか、伝わってこない。しかしながら実際にアジア諸国を歩いて見聞きすれば、伝わってくるものは日本人の善行も良き評判も数多く存在する。
今から、21世紀の歴史の語るところであるから、未だ結論は見えないし、今後の修正と補填により、如何様にも歴史は塗り替えられる。以って、急ぎ焦り結論を出す必要もない。
話しを宮廷舞踊に戻す。
ジャワ島宮廷ダンスに観る舞踊作法は、いかにもヒンズー系である。当地東ジャワ州には、当時のイスラム勢力に押され、東ジャワ山奥に逃げ込み、ひそかに生活していた名残は、今尚遺跡として残る。さらにさらに制圧され滅んでいくけれど、ある部族はバリ島に逃れた。現在は観光地となったバリ島に於いてジャワ島ヒンズー文化は再度花開き、さらに滅んでいく。
現在に伝わるバリ島の舞踊の所作と衣装を、この画像と比較すれば、我々素人の目から見ればほとんで違いはないものの、こうして比較すればバリ島の衣装の方がきらびやか、且つ、派手すぎる。ジャワ島の宮廷ダンスは、しなやかに感じる。添付画像はインドネシア共和国東ジャワ政府観光局からの引用である。
<続く>
*人気ブログランキング参加中!人気blogランキングへ
(またもや舞踊の話題から強引に歴史の話に転じてしまったのはエセ男爵流の悪癖なり、、、。ひらにご容赦願いたい・・・)
舞台はインドでしたが。
ジャワあたりと共通する物は在るのでしょうか?
ヒンズー教ですかね?
映画とは言え、踊り子の妖艶さが素敵でした。
実物を見てみたいのですが、何処に行けば良いのやら。。。
最近では日本人旅行客も増えましたね。
インドネシア料理というとサテーが思い浮かびます。
大好きなバンコクでクーデターとは。
ショックです><
東ティモール独立やテロなどがありましたが、今治安はどうですか
タイが軍部のクーデターでタクシン政権を倒しましたね
ジャワの踊り神秘的でしょうね
家内が5年前から、フラダンスにはまって、今は教えています
そして年に1回ハワイ島に踊りに行きます
ジャワの踊りもフラダンスも同じような要素が多くありますね
なんだか、
A.インド~西パキスタン(現バングラディッシュ)~タイ(宮廷舞踊)
B.インド~スマトラ島~ジャワ島~バリ島
上記地域の舞踊は、何だか全て、ヒンズー教の神話=ラマやーナ物語に基因するようです。(人から聞いた話でして、そうらしいのです)
舞踊のテンポ、バックグランドミュージック、楽器の種類等々、皆、共通性があります。
さらに、バリ島舞踊のBGMのなか、男性の「語り」が入るのですが、その「語り」を聞いていると、言語こそ違え日本の浪花節そっくりですからこれまた驚きます。「お米を食す!」の食文化と共に、南方海洋民族から多くの文化が日本列島に流れ着いたものと思えます。
日本を育んできた食の歴史と文化、いろいろ思いをめぐらせば、なにかと面白いです・・・
ジャワ宮廷舞踊の鑑賞。
我国国内で、かの正式正統な「踊り」を干渉することは不可能だと思います。インドネシアからの留学生の余興であれば、可能かと思いますが、、、。
かくして本物は、はやりインドネシアの古都すなわち中部ジャワのジョグジャカルタに赴かれたら宜しいでしょう。(その実私も、宮廷舞踊本物は一度も鑑賞していません。これと類似したバリ島のダンスは何度も観ていますが、これとは全く違うはずです)
ジャワ島の記事、何だか思い出話になり時事性に乏しくなるので如何したものか?と、思っていたのですが、下記、TSさんからの「一言」・・
>インドネシア記事いい感じですね。・・
おかげさまで「書いてみようか!」という元気が湧いてきました。
ありがとうございます。
少し回顧録を書いてみます。
そして、
>インドネシア料理というとサテーが思い浮かびます。・・・
確かに!サテーに始まってサテーに尽きます!
私もサテーは(甘辛いインドネシア風の独特な味付け)大好きです。ご承知のように、サテーはマレー半島にも見受けられます。あの界隈、食文化は共通のものがあるようです。
そうです。
広大なインドネシアの中核をなす島、言い換えれば本島なるものが「ジャワ島」でしょうか。
治安は、総じて良いとはいえませんが、私は一歩でも日本から外にでれば、治安は悪いという覚悟を持っていますからさほど気になりません。
タイのクーデター。
と書く日本の報道は大げさでして、今TVで報道されているほどの事ではないと思います。
民族舞踊は好いですね。
フラダンスは、日本人に馴染みの深いもの。
近年バリ島では、バリダンスを習いに来る女性は多いいと聞きます。
しかし、この画像のダンスとバリ島のダンスは、少し違うようです。バリ島のものが「陽+動」であれば、ジャワ島のそれは「静」か?という印象を持っています。
>伝わってくるものは日本人の善行も良き評判も数多く存在する。
こういった話は、日本内では殆ど聞けません。
虐殺等の話は聞けても…
そういった話を日本内で広めることも大事だと思います。
私の感覚では、
こういった話を聞けば聞くほど、
先人に対する尊敬の念が深まります。
今の日本に必要なことの1つではないでしょうか?
かれこれ3年前の事、バリ島東部の町に滞在していた時、私が逗留しているホテルのオーナーは地元の名士でした。自家用車は20数年前の「トヨタのクラウン」を大切に乗り回し「日本のメルセデスベンツである!」と誇り、町の人々に自慢していました。
私が逗留しているのを聞きつけ、毎日入れ替わり立ち代り、名士の知人が押しかけ、中庭で談義をする中、あるとき突然に「ウミユカバ」の旋律が聞こえてくるでは在りませんか!何と、地元の老人がギターをかき鳴らし都合3番まで独唱するのです。私はリクエストし、私も一緒に歌いました。しかしこち寅1番目の貸ししか知らない。(tonoさんは全歌詞暗誦しておられるはずです!)地元の老人から発破をかけられ、3番まで覚えてしまいました。
なんと、
戦時中、このホテルは旧日本帝国海軍将校の「将校クラブ」であったそうな・・・
上述の思い出話、
インドネシア各地で時々再々耳にするのです。
如何に当時の日本人将兵が、地元の人々に愛されていたかという証拠です。ひるがえって、オランダ人の評判は聞きません。悪口もさることながら、よいこと等聞き及ばず、彼等は全く話しません。
これが現状です。
戦前の日本人、本当に国際人として立ち居振る舞い、如何なる場面に於いてしても紳士淑女たらん。賭しておられた証拠、今尚アジアの各地で検証可能です。
嬉しいかったです。
メールのやりとりもいいけど、ブログを通じての話し、これもいいですね。
この写真、何度も何度も拝見させていただきました。
ジョグジャカルタの王宮の傍にある舞台や王族の結婚式で、踊りも見ました。
不思議な感覚になるんです。
バリ、ジャワの昔ばなし、どちらもヒンドゥーですね。
仏教の元になっているのがヒンドゥーで、仏教徒には懐かしさを感じるのかなと思っています。
阿修羅、XXX天、、、聞き覚えのある名前が実はヒンドゥーの神々で、仏陀もヒンドゥーの神のひとつらしいです。
写真(ネガ)、是非、電子化して投稿してみたいと重いがつのってきました。
インドネシアは、東西南北取り混ぜて「アジア文化」と「異なる宗教」の坩堝です。
インドネシアを知れば知るほど、おもしろい国と住民の住んでいる(滑稽な)地域ですね、、、。