2006年の終戦記念日(昨日8月15日)、待ち受けていた報道陣に取り囲まれ粛々と靖国参拝を済ませた小泉首相。靖国参拝問題ヤラセ空騒ぎは午前7時40分に勃発!その後、各局テレビ報道は「小泉首相靖国参拝」ニュースばかり、終日喧しかった。
「少し騒ぎすぎではないか!」
「小児性痴呆症的ばか騒ぎ」としか見えないTV各局のヒステリックともいえる狂乱的報道振りは、我輩日本人の一人として、恥ずかしすぎる・・・
もって空騒ぎTV報道は、可能な限り観ないようにした。
そんな今年の終戦記念日の夕刻、ご存知我輩の先輩OT氏からメールが届いた。
驚いた。
過去一度も、OT先輩とは政治問題について論議していない。にもかかわらず、頂いたメールの内容は靖国参拝問題の小論文ではないか!
3回読んだ・・・
シナ共産主義国家から観た「靖国問題」は、我々日本人のものとは違う。靖国を判断する根拠たるや、如何に我々日本人の歴史文化を基礎にした精神構造とは異なるものか!
冷静且つ包括的に靖国問題を捉えておられ、論旨展開の切り口は見事である。
思想哲学や宗教の分野は我輩の専門からかけ離れている。加えて憲法問題(法律全般も含め)に関しては、学問と言うよりも一般常識論的にも学習不足知識不足は甚だしく、未踏のフィールド。靖国問題を深く突っ込めば必ずや対峙しなければならぬ思想・宗教・哲学・法学等々、難しい学問的分野は、厚く高く深き位置に横たわっているのである。
そんな時に、思いがけない論文が届いた。
OT先輩のメールを拝読し、整理できた。
あらためて我輩、目から鱗が落ちた。
未だ未知なる知識とフィールドに好奇心を持ち続け修練を続けるものの、未だ不十分。今尚未熟者なる不肖エセ男爵の勉強不足をお許し頂き、本日も、まずは、以下ランキングバーをクリック応援願いたい。
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<我が先輩OT氏より頂いたメール>
エセ男爵殿
今日は61回目の終戦記念日です。
そして、中国や韓国それに一部の日本のマスコミが注目するなかで、小泉首相がとうとう公約どおり8月15日に靖国神社を参拝しましたね。参拝後、
「いつ行っても批判する勢力がある。ならば今日は適切な日と判断した」
と、テレビで語りました。
そして、中国外務省も直ちに声明を発表し、小泉首相の靖国参拝を
「中日関係の政治的基礎を破壊する行動だ」
と指摘し、首相が意地を張って参拝したことは
「国際正義に挑戦し、良識を踏みにじった」
と、激し批評で反発。更に、興味深い報道として、
「参拝で中国人の感情を傷つけることは国際社会だけでなく、日本の国民の信頼も失う」
と、指摘し、
「中日友好に努力することを重視する日本の政治家や広範な人々」
と共に
「今後も日中両国の平和共存、友好協力関係に向け取り組んでいく」
とあったことです。
これは色々な観点から言って胡錦濤指導部の苦肉の策であることに間違いないのです。ここで、究極の選択として、もし小泉首相が靖国に行かなかったら、教科書問題、東シナ海ガス田開発、遺棄化学兵器問題、尖閣諸島などは解決するのでしょうか。
消費税、社会保険庁問題、少子化対策など、たくさんの政治・経済・教育・福祉対策などの諸問題が山積みになっているにも関わらず、マスコミ、経済人、そして多くの外交官は、「靖国参拝問題」をもてあそんでいるとしか思えません。谷垣財務相の靖国参拝は差し控える、とか麻生外相の非宗教化を促し、国立施設とするなどは茶番の何物でもありません。もういい加減に目覚めて欲しいです。
今朝の小泉さんの言い分の中で、特に注目したのは、
「一つの案件に反対だからといって、首脳会談を拒絶するのは理解できない。もし、日本の国連常任理事国入りに反対した中国を日本が根にもって、中国との首脳会談には応じない、と私が言ったら中国は何とするのか。日本はそんな子供じみた国ではない」
と、断言されましたね。
何故、そんな気持ちが中国に理解されないのでしょう。そこで、日ごろ、中国共産党の実情はいったいどうなっているのだろうか、という小生の疑問に対する回答が実は一冊の雑誌から得られたのです。
本日の結論を先に述べますと、
「靖国を参拝するのは、死者の魂を「慰霊」する宗教的行為なのだと考える日本人と、「魂」の存在も死者に対する「慰霊」の宗教的意味も決して認めない唯物主義的無神論者の中国共産党との間に現存する「文化的断絶と世界観の対立」
なのだから、
日本はこれ以上無意味な反応を中国に示す必要はない、と思うのです。今日のNHKその他のテレビ報道はあまりにも中国や韓国を意識しており、むしろ滑稽なほどです。誰かが、早く中国や韓国に引導を渡すべきです。
それでは、本論にはいりましょう。
産経新聞社発行の「正論」9月号の靖国特集を読まれましたか。その中で、評論家石平氏(せき・へい)の特集「魂の存在が理解できない胡錦濤世代の世界観」を読んでみますと、そこには中国共産党一党独裁体制の支配からの呪縛、
すなわち
1)唯物主義の無神論者、
2)生きているというA級戦犯、
3)「死者の利用」は中国の政治文化である、
などが詳しく記述されていました。私はこれらを読んで「目からうろこ」になってしまいました。石平氏は次のような人物です。
評論家石平氏(せき・へい)1962年中国四川省生まれ。北京大学哲学部卒。1988年来日。神戸大学大学院文化学研究科博士課程終了。2002年に「何故中国人は日本人を憎むのか」PPH研究所を著して中国における半日感情の高まりについて先見的な警告を発して以来、評論活動に入る。新著に「日中の宿命」扶桑社が執筆、と注釈されています。
さて、以下は長編の中から小生が特に感じた部分の抜粋です。
小泉首相が就任後5回目の靖国参拝を果たしてから、中国はこの問題だけを理由に日本の首相・外相との「いかなる形での会談に応じない」というかたくなな対日姿勢を打ち出している。事態をそこまで深刻化させた中国指導部の思惑には、当然、「靖国参拝問題」を政治カードとして用いたいとう一面がある。「靖国問題」を含めた「歴史認識問題」で、日本をたたくことによって、対日関係において優位に立とうとする常套手段の繰り返しなのである。
しかしその一方で、「靖国参拝問題」だけに固執して日本政府との政治交渉を自ら絶ってしまうという、この硬直極まりのない姿勢が逆に、中国政府自身の対日外交のさらなる展開を封じ込める結果にもなっている。
中国側からの圧力に対して、小泉首相は「一つの意見の相違があるからといって会談に応じないのはおかしい」という正論を吐いて容赦のない反撃を繰り広げた。こうした中で、一度挙げた拳を下ろせないままに立ち往生しているのは、むしろ胡錦濤指導部の方である。
そして今年の夏に入ってから、中国政府が今まで拒否してきたはずの日中外相会談に一転して応じるようになった。また、日本首相の顔もみたくないはずの胡錦濤主席が突如、「日本訪問への意欲」を示したりするというあわただしい動きを見せている。それは間違いなく、胡錦濤指導部が自ら作り出した日中関係の難局の打開に焦っていることの証拠である。ここまでくると、「靖国」は中国にとっての外交カードというよりも、むしろその対日外交の足かせとなっている観がある。つまり、「靖国参拝問題」に対する異常なほどの固執が、結果的には中国政府自身をその対日外交の袋小路に追い込んでしまった、といえるのだ。
だとすれば、「靖国問題」をカードとして用いたい思惑以外に、中国指導部がこの問題にそこまで固執するのは何らかの深層的な理由があるのではないか、と思わざるをえない。その深層的な理由が一体なんであろうか。それが今回の3つのテーマである。
1)第一のテーマ:
中国政府が小泉首相の靖国参拝に対して:
現実の政治問題で、具体的に言えば次の2項目である。
(1)日中関係の政治基礎がそれによって破壊された。
(2)靖国参拝問題が日中関係の政治的障害となっている。
ところが、日本から見れば、靖国参拝という行為は本来現実の政治や外交の世界とは縁遠い一種の宗教的行為のはずである。神社という宗教的施設に祀られる死者の「魂・英霊」を現在生きている人間が「お参りする」、「慰霊する」、のは宗教的行為のなにものでもない。
生きる人間と死者の魂との関係を中軸とする宗教的行為である靖国参拝がどうして中国政府から日中両国間関係の「政治基礎」とみなされるような政治問題として取りざたされなければならないのか、これが問題なのである。
中国共産党政権の指導者達は、日本における靖国参拝を一体どうみているのか。実はこの点から見ると、いわゆる「靖国参拝問題」の背後に潜む重要なポイントに気がつくのである。
それは、すなわち、彼等共産党政権の指導者達は、そもそも、一切の宗教的行為の正当性も認めない「唯物主義の無神論者」である点である。
共産党の指導理念とされているこの唯物主義の世界観においては、宗教の存在意義や正当性が完全に否定され、「神様」や「魂」の存在が全く認められていないのである。唯物主義者からみれば、人間の精神というものは肉体という「物質的基礎」があってこそのものであって、一人の人間が死んでその肉体が消滅すると、その人間の精神もそのまま永遠に消え去るのである。だから、死後の魂などがあるわけがない。魂というものがそもそも存在しないのだから、死者に対する「お参り」も「慰霊」も全くのナンセンスであり、そのような行為に何らかの意味があるとは決して認められないのだ。言い換えれば、最初から存在もしていない「魂=霊魂」にどうして「慰霊」が必要なのか、ということである。
このような世界観が背後に控えていることを考えれば、中国共産党政権のエリートたちが、小泉首相自身を含めた大半の日本人とは全く異なった仕方で靖国参拝の意味を理解し、解釈しているのがむしろ当然だとわかるであろう。
つまり、彼等の世界観においては、「靖国参拝」に託された、死者の魂に対する慰霊という宗教的意味も「心ならずにして戦死した者達に哀悼の意をささげる」という純粋なる宗教的心情も、まったくナンセンスとして排除されてしまうのである。その結果、靖国参拝という行為の「宗教性」は完全に無視され、靖国参拝が単なる世俗における一つの現実的な人間行為としてとらえられているのだ。現実世界における現実の人間行為には何らかの現実の動機や理由がなければならないのだから、日本国首相という政治指導者の行った靖国参拝は、当然、何らかの現実的な政治動機に基づく政治行為でなければならない、と共産党の指導者達が考えるのである。
魂や英霊は彼等にとって、そもそもありもしない虚構だから、小泉首相は単にそれらの「魂」の「慰霊」にために参拝しにいくわけがない。小泉首相がいくら口舌を尽くして、それが単なる「死者に哀悼の意をささげたいためである」と説明しても、それは単なるウソの方便ではないのかと、彼等はそう考えてしまうのである。これが第一のポイント。
第2のテーマ:
すでに説明した共産党指導者たちの世界観からすると、「A級戦犯」の合祀を問題にするのはそもそもおかしな話である。というのも、彼ら自身は「魂」というものの存在自体を認めていないから、A級戦犯の魂が合祀されていようとされていなかろうと、彼等にとってはどうでもよいことではないのか、ということになるのだが、実は問題はまさにこの点にあるのである。
共産党の指導者たちは死者の魂というものと、その宗教的意味を認めていないから、決して多くの日本人と同じように、東条英機元首相などの死者の魂が靖国神社という場所に「祀られている」とは認識していない。彼等自身の世界観と言語体系において、この事実は「東条英機元首相などのA級戦犯=侵略戦争の指導者が今でも靖国神社において記念されている、あるいは表彰されているという政治用語に翻訳して理解されなければならないのである。
つまり、共産党の指導者達は「人間が死んだ後に、生きた人間とは異質の魂となる」という観念を最初からもっていないから、靖国神社に祀られている東条英機元首相達が今でも生前と同じくA級戦犯=戦争指導者のままであると認識しているのである。
現在の小泉首相という日本の政治指導者が、靖国参拝を断行することによって、過去の侵略戦争の指導者たちを記念し、彼等と政治的関係を持つ事となれば、それはすなわち、小泉首相が彼等の行った侵略戦争の罪に対する「容認と美化」であり、かれらの推進した戦争政策に対する共感と賛意の表れにほかならない。つまり、小泉首相がそれらの侵略戦争の指導者と政治的関係を持つ事によって、小泉首相および彼の率いる日本政府と、過去の侵略戦争との連続的関係性が現実に生じてきた、と解釈されるわけである。そして、中国指導部から見れば、A級戦犯を美化する小泉首相の靖国参拝はそれこそ中国政府に対する重大なる挑発以外の何物でもない。
かつての、抗日戦争において、日本軍国主義を打ち破って中国人民を侵略軍の残虐無道から救い出したのはほかならぬ民族の英雄としての共産党だという政治神話は、現在の共産党政権を支える思想的支柱の一つになっている。この政治神話の中で、いわゆるA級戦犯こそは残虐無道の日本侵略軍の象徴であり、英雄が輝いていくために必要な悪魔なのである。彼等が戦犯として断罪された事は、中国共産党が英雄として勝ち取った歴史的勝利の証でもある。このような政治神話を維持し、再生産していくためには、彼等A級戦犯はまさに犯罪者として永久的に糾弾されていかなければならない。
しかし、中国共産党の発想からすれば、A級戦犯が合祀されている靖国神社へ日本の政治的指導者が参拝しに行く事が、すなわちA級戦犯の「名誉回復」であり、残虐無道の日本軍国主義に対する美化であるから、それは、共産党自身の歴史的功績に対する「けなし」となるのである。だからこそ、絶対に許す事ができない、ということになるのである。
これこそ、中国共産党指導者の目から見た、小泉首相の靖国参拝という政治的行為に付与されるべきところの政治的意図なのである。だからこそ、共産党指導者は小泉首相の靖国参拝を「日中関係の政治的基礎を破壊した」行為として激しく糾弾し、首脳会談の拒否という純政治的行動によって対抗しなければならなかった。日中間における靖国参拝問題の最大のポイントと本質はまさにここにあるのではないか、と考える。
第3のテーマ:
参拝という行為に対する、このような理解の仕方は日本の靖国参拝に対してだけではない。それはむしろ、「死者の利用」という中国共産党自身の政治文化に深く根ざしたものである。「毛沢東主席記念堂」には死去して30年もたった毛沢東の亡骸を防腐措置に施された後、記念堂の中心部に透明のガラスの棺桶に入れられて大きなホールの中で展示されているのである。多少とも宗教的観念のある国であれば、人の亡骸をガラス箱に入れて何十年もさらしておくというのは、ぞ~とするような行為であろう。だが、彼ら共産党の人間達はそれを平気でやっているのだ。これから見ても、「死者」というものに対する彼等共産党の持つ観念は、文明社会の一般的通念からどれほどかけ離れていた異常なものであるかがわかる。
一国の首相たる政治家が靖国神社に行って誰かを「参拝」するというのは、決して宗教的理由や「個人的心情」に基づく行為であるはずもなく、必ずや何らかの政治的思惑や目的をその背後に持つ政治行動でなければならない。そしてその「参拝」の対象に「戦争指導者としてのA級戦犯」でも含まれているとすれば、小泉首相の「政治的目的」はもはや明々白々なものではないのか、ということである。これがすなわち、日中間における「靖国参拝問題」の第3のポイントである。
さて、長々と書きましたが、本日の靖国参拝を中国がどのような反応にでるか、大いなる興味はありますが、でも知りえる結論は見えているようですね。ならば、これからの日本はどのような態度で対処するのか。次期政権の課題でしょう。
以上です。
(先輩OT氏より頂戴したメール、了)
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「少し騒ぎすぎではないか!」
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もって空騒ぎTV報道は、可能な限り観ないようにした。
そんな今年の終戦記念日の夕刻、ご存知我輩の先輩OT氏からメールが届いた。
驚いた。
過去一度も、OT先輩とは政治問題について論議していない。にもかかわらず、頂いたメールの内容は靖国参拝問題の小論文ではないか!
3回読んだ・・・
シナ共産主義国家から観た「靖国問題」は、我々日本人のものとは違う。靖国を判断する根拠たるや、如何に我々日本人の歴史文化を基礎にした精神構造とは異なるものか!
冷静且つ包括的に靖国問題を捉えておられ、論旨展開の切り口は見事である。
思想哲学や宗教の分野は我輩の専門からかけ離れている。加えて憲法問題(法律全般も含め)に関しては、学問と言うよりも一般常識論的にも学習不足知識不足は甚だしく、未踏のフィールド。靖国問題を深く突っ込めば必ずや対峙しなければならぬ思想・宗教・哲学・法学等々、難しい学問的分野は、厚く高く深き位置に横たわっているのである。
そんな時に、思いがけない論文が届いた。
OT先輩のメールを拝読し、整理できた。
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「いつ行っても批判する勢力がある。ならば今日は適切な日と判断した」
と、テレビで語りました。
そして、中国外務省も直ちに声明を発表し、小泉首相の靖国参拝を
「中日関係の政治的基礎を破壊する行動だ」
と指摘し、首相が意地を張って参拝したことは
「国際正義に挑戦し、良識を踏みにじった」
と、激し批評で反発。更に、興味深い報道として、
「参拝で中国人の感情を傷つけることは国際社会だけでなく、日本の国民の信頼も失う」
と、指摘し、
「中日友好に努力することを重視する日本の政治家や広範な人々」
と共に
「今後も日中両国の平和共存、友好協力関係に向け取り組んでいく」
とあったことです。
これは色々な観点から言って胡錦濤指導部の苦肉の策であることに間違いないのです。ここで、究極の選択として、もし小泉首相が靖国に行かなかったら、教科書問題、東シナ海ガス田開発、遺棄化学兵器問題、尖閣諸島などは解決するのでしょうか。
消費税、社会保険庁問題、少子化対策など、たくさんの政治・経済・教育・福祉対策などの諸問題が山積みになっているにも関わらず、マスコミ、経済人、そして多くの外交官は、「靖国参拝問題」をもてあそんでいるとしか思えません。谷垣財務相の靖国参拝は差し控える、とか麻生外相の非宗教化を促し、国立施設とするなどは茶番の何物でもありません。もういい加減に目覚めて欲しいです。
今朝の小泉さんの言い分の中で、特に注目したのは、
「一つの案件に反対だからといって、首脳会談を拒絶するのは理解できない。もし、日本の国連常任理事国入りに反対した中国を日本が根にもって、中国との首脳会談には応じない、と私が言ったら中国は何とするのか。日本はそんな子供じみた国ではない」
と、断言されましたね。
何故、そんな気持ちが中国に理解されないのでしょう。そこで、日ごろ、中国共産党の実情はいったいどうなっているのだろうか、という小生の疑問に対する回答が実は一冊の雑誌から得られたのです。
本日の結論を先に述べますと、
「靖国を参拝するのは、死者の魂を「慰霊」する宗教的行為なのだと考える日本人と、「魂」の存在も死者に対する「慰霊」の宗教的意味も決して認めない唯物主義的無神論者の中国共産党との間に現存する「文化的断絶と世界観の対立」
なのだから、
日本はこれ以上無意味な反応を中国に示す必要はない、と思うのです。今日のNHKその他のテレビ報道はあまりにも中国や韓国を意識しており、むしろ滑稽なほどです。誰かが、早く中国や韓国に引導を渡すべきです。
それでは、本論にはいりましょう。
産経新聞社発行の「正論」9月号の靖国特集を読まれましたか。その中で、評論家石平氏(せき・へい)の特集「魂の存在が理解できない胡錦濤世代の世界観」を読んでみますと、そこには中国共産党一党独裁体制の支配からの呪縛、
すなわち
1)唯物主義の無神論者、
2)生きているというA級戦犯、
3)「死者の利用」は中国の政治文化である、
などが詳しく記述されていました。私はこれらを読んで「目からうろこ」になってしまいました。石平氏は次のような人物です。
評論家石平氏(せき・へい)1962年中国四川省生まれ。北京大学哲学部卒。1988年来日。神戸大学大学院文化学研究科博士課程終了。2002年に「何故中国人は日本人を憎むのか」PPH研究所を著して中国における半日感情の高まりについて先見的な警告を発して以来、評論活動に入る。新著に「日中の宿命」扶桑社が執筆、と注釈されています。
さて、以下は長編の中から小生が特に感じた部分の抜粋です。
小泉首相が就任後5回目の靖国参拝を果たしてから、中国はこの問題だけを理由に日本の首相・外相との「いかなる形での会談に応じない」というかたくなな対日姿勢を打ち出している。事態をそこまで深刻化させた中国指導部の思惑には、当然、「靖国参拝問題」を政治カードとして用いたいとう一面がある。「靖国問題」を含めた「歴史認識問題」で、日本をたたくことによって、対日関係において優位に立とうとする常套手段の繰り返しなのである。
しかしその一方で、「靖国参拝問題」だけに固執して日本政府との政治交渉を自ら絶ってしまうという、この硬直極まりのない姿勢が逆に、中国政府自身の対日外交のさらなる展開を封じ込める結果にもなっている。
中国側からの圧力に対して、小泉首相は「一つの意見の相違があるからといって会談に応じないのはおかしい」という正論を吐いて容赦のない反撃を繰り広げた。こうした中で、一度挙げた拳を下ろせないままに立ち往生しているのは、むしろ胡錦濤指導部の方である。
そして今年の夏に入ってから、中国政府が今まで拒否してきたはずの日中外相会談に一転して応じるようになった。また、日本首相の顔もみたくないはずの胡錦濤主席が突如、「日本訪問への意欲」を示したりするというあわただしい動きを見せている。それは間違いなく、胡錦濤指導部が自ら作り出した日中関係の難局の打開に焦っていることの証拠である。ここまでくると、「靖国」は中国にとっての外交カードというよりも、むしろその対日外交の足かせとなっている観がある。つまり、「靖国参拝問題」に対する異常なほどの固執が、結果的には中国政府自身をその対日外交の袋小路に追い込んでしまった、といえるのだ。
だとすれば、「靖国問題」をカードとして用いたい思惑以外に、中国指導部がこの問題にそこまで固執するのは何らかの深層的な理由があるのではないか、と思わざるをえない。その深層的な理由が一体なんであろうか。それが今回の3つのテーマである。
1)第一のテーマ:
中国政府が小泉首相の靖国参拝に対して:
現実の政治問題で、具体的に言えば次の2項目である。
(1)日中関係の政治基礎がそれによって破壊された。
(2)靖国参拝問題が日中関係の政治的障害となっている。
ところが、日本から見れば、靖国参拝という行為は本来現実の政治や外交の世界とは縁遠い一種の宗教的行為のはずである。神社という宗教的施設に祀られる死者の「魂・英霊」を現在生きている人間が「お参りする」、「慰霊する」、のは宗教的行為のなにものでもない。
生きる人間と死者の魂との関係を中軸とする宗教的行為である靖国参拝がどうして中国政府から日中両国間関係の「政治基礎」とみなされるような政治問題として取りざたされなければならないのか、これが問題なのである。
中国共産党政権の指導者達は、日本における靖国参拝を一体どうみているのか。実はこの点から見ると、いわゆる「靖国参拝問題」の背後に潜む重要なポイントに気がつくのである。
それは、すなわち、彼等共産党政権の指導者達は、そもそも、一切の宗教的行為の正当性も認めない「唯物主義の無神論者」である点である。
共産党の指導理念とされているこの唯物主義の世界観においては、宗教の存在意義や正当性が完全に否定され、「神様」や「魂」の存在が全く認められていないのである。唯物主義者からみれば、人間の精神というものは肉体という「物質的基礎」があってこそのものであって、一人の人間が死んでその肉体が消滅すると、その人間の精神もそのまま永遠に消え去るのである。だから、死後の魂などがあるわけがない。魂というものがそもそも存在しないのだから、死者に対する「お参り」も「慰霊」も全くのナンセンスであり、そのような行為に何らかの意味があるとは決して認められないのだ。言い換えれば、最初から存在もしていない「魂=霊魂」にどうして「慰霊」が必要なのか、ということである。
このような世界観が背後に控えていることを考えれば、中国共産党政権のエリートたちが、小泉首相自身を含めた大半の日本人とは全く異なった仕方で靖国参拝の意味を理解し、解釈しているのがむしろ当然だとわかるであろう。
つまり、彼等の世界観においては、「靖国参拝」に託された、死者の魂に対する慰霊という宗教的意味も「心ならずにして戦死した者達に哀悼の意をささげる」という純粋なる宗教的心情も、まったくナンセンスとして排除されてしまうのである。その結果、靖国参拝という行為の「宗教性」は完全に無視され、靖国参拝が単なる世俗における一つの現実的な人間行為としてとらえられているのだ。現実世界における現実の人間行為には何らかの現実の動機や理由がなければならないのだから、日本国首相という政治指導者の行った靖国参拝は、当然、何らかの現実的な政治動機に基づく政治行為でなければならない、と共産党の指導者達が考えるのである。
魂や英霊は彼等にとって、そもそもありもしない虚構だから、小泉首相は単にそれらの「魂」の「慰霊」にために参拝しにいくわけがない。小泉首相がいくら口舌を尽くして、それが単なる「死者に哀悼の意をささげたいためである」と説明しても、それは単なるウソの方便ではないのかと、彼等はそう考えてしまうのである。これが第一のポイント。
第2のテーマ:
すでに説明した共産党指導者たちの世界観からすると、「A級戦犯」の合祀を問題にするのはそもそもおかしな話である。というのも、彼ら自身は「魂」というものの存在自体を認めていないから、A級戦犯の魂が合祀されていようとされていなかろうと、彼等にとってはどうでもよいことではないのか、ということになるのだが、実は問題はまさにこの点にあるのである。
共産党の指導者たちは死者の魂というものと、その宗教的意味を認めていないから、決して多くの日本人と同じように、東条英機元首相などの死者の魂が靖国神社という場所に「祀られている」とは認識していない。彼等自身の世界観と言語体系において、この事実は「東条英機元首相などのA級戦犯=侵略戦争の指導者が今でも靖国神社において記念されている、あるいは表彰されているという政治用語に翻訳して理解されなければならないのである。
つまり、共産党の指導者達は「人間が死んだ後に、生きた人間とは異質の魂となる」という観念を最初からもっていないから、靖国神社に祀られている東条英機元首相達が今でも生前と同じくA級戦犯=戦争指導者のままであると認識しているのである。
現在の小泉首相という日本の政治指導者が、靖国参拝を断行することによって、過去の侵略戦争の指導者たちを記念し、彼等と政治的関係を持つ事となれば、それはすなわち、小泉首相が彼等の行った侵略戦争の罪に対する「容認と美化」であり、かれらの推進した戦争政策に対する共感と賛意の表れにほかならない。つまり、小泉首相がそれらの侵略戦争の指導者と政治的関係を持つ事によって、小泉首相および彼の率いる日本政府と、過去の侵略戦争との連続的関係性が現実に生じてきた、と解釈されるわけである。そして、中国指導部から見れば、A級戦犯を美化する小泉首相の靖国参拝はそれこそ中国政府に対する重大なる挑発以外の何物でもない。
かつての、抗日戦争において、日本軍国主義を打ち破って中国人民を侵略軍の残虐無道から救い出したのはほかならぬ民族の英雄としての共産党だという政治神話は、現在の共産党政権を支える思想的支柱の一つになっている。この政治神話の中で、いわゆるA級戦犯こそは残虐無道の日本侵略軍の象徴であり、英雄が輝いていくために必要な悪魔なのである。彼等が戦犯として断罪された事は、中国共産党が英雄として勝ち取った歴史的勝利の証でもある。このような政治神話を維持し、再生産していくためには、彼等A級戦犯はまさに犯罪者として永久的に糾弾されていかなければならない。
しかし、中国共産党の発想からすれば、A級戦犯が合祀されている靖国神社へ日本の政治的指導者が参拝しに行く事が、すなわちA級戦犯の「名誉回復」であり、残虐無道の日本軍国主義に対する美化であるから、それは、共産党自身の歴史的功績に対する「けなし」となるのである。だからこそ、絶対に許す事ができない、ということになるのである。
これこそ、中国共産党指導者の目から見た、小泉首相の靖国参拝という政治的行為に付与されるべきところの政治的意図なのである。だからこそ、共産党指導者は小泉首相の靖国参拝を「日中関係の政治的基礎を破壊した」行為として激しく糾弾し、首脳会談の拒否という純政治的行動によって対抗しなければならなかった。日中間における靖国参拝問題の最大のポイントと本質はまさにここにあるのではないか、と考える。
第3のテーマ:
参拝という行為に対する、このような理解の仕方は日本の靖国参拝に対してだけではない。それはむしろ、「死者の利用」という中国共産党自身の政治文化に深く根ざしたものである。「毛沢東主席記念堂」には死去して30年もたった毛沢東の亡骸を防腐措置に施された後、記念堂の中心部に透明のガラスの棺桶に入れられて大きなホールの中で展示されているのである。多少とも宗教的観念のある国であれば、人の亡骸をガラス箱に入れて何十年もさらしておくというのは、ぞ~とするような行為であろう。だが、彼ら共産党の人間達はそれを平気でやっているのだ。これから見ても、「死者」というものに対する彼等共産党の持つ観念は、文明社会の一般的通念からどれほどかけ離れていた異常なものであるかがわかる。
一国の首相たる政治家が靖国神社に行って誰かを「参拝」するというのは、決して宗教的理由や「個人的心情」に基づく行為であるはずもなく、必ずや何らかの政治的思惑や目的をその背後に持つ政治行動でなければならない。そしてその「参拝」の対象に「戦争指導者としてのA級戦犯」でも含まれているとすれば、小泉首相の「政治的目的」はもはや明々白々なものではないのか、ということである。これがすなわち、日中間における「靖国参拝問題」の第3のポイントである。
さて、長々と書きましたが、本日の靖国参拝を中国がどのような反応にでるか、大いなる興味はありますが、でも知りえる結論は見えているようですね。ならば、これからの日本はどのような態度で対処するのか。次期政権の課題でしょう。
以上です。
(先輩OT氏より頂戴したメール、了)
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*連載中「昭和天皇ご発言メモ騒動」の関連記事、暫く続けます。継読方、宜しくお願いします。
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失礼は、お許し頂けますれば幸いです。
>谷垣財務相の靖国参拝は差し控える、とか麻生外相の非宗教化を促し、国立施設とするなどは茶番の何物でもありません。もういい加減に目覚めて欲しいです。
・個人的には、谷垣さんの参拝は差し控えると言うのは、小泉さんが中韓とマスコミに対して行った実験「靖国参拝カード」問題なので8月15日に決着済み、まさしくいい加減にして欲しいと思いますね。ただ、先輩の仰る中国の死生観等は、外交を司る方々は該当国の宗教を含むかのような観念は知っておくべきで、対応法も研究すべきでしょう。
・一方麻生さんの非宗教化は、私は、国内問題としての提起で、神道のまま行ける道を模索しているように受け取りました。
私なんぞは、無知なので、例えば靖国神社が本殿、敷地ごとこれを政府ではなく、天皇家に寄贈するとか、宗教施設でも国宝・重要文化財は国や地方自治体が護持している、火葬場でも係員はクロスを切るのではなく合掌していたりするのだから、何か方法はあるんじゃないかとか稚拙な事を考えたりするわけです。特殊法人でも神道はあり得ると思っています。
>産経新聞社発行の「正論」9月号の靖国特集
・出張中に新宿の本屋で見かけて買おうと思いながら、近くにあった上坂冬子さん著「戦争を知らない人のための靖国問題」の方が小さかったのでこちらを買ってしまったのです。両方買えと突っ込まれそうですが、私の本の買い方はそんな物なので何時までも、、無知なのです。
>そしてその「参拝」の対象に「戦争指導者としてのA級戦犯」でも含まれているとすれば、小泉首相の「政治的目的」はもはや明々白々なものではないのか、ということである。
・小泉さんは、親米派なので、「A級戦犯」と明言し区別もしていますし、「侵略戦争」とも言っていますよね。
本音が何処にあるのか、強かながらぶっ飛んでいる小泉さんの頭の中は、何時本当のところが分かるのでしょうね。
対中韓外交と少しは目覚めてきたか日本人、と言うことでTBさせていただきました。
15日父が予定通り靖国に行きました。
昨年の15日より人が多く特に若者の姿が目立ったとの事です。
これは小泉総理の影響が大きいでしょう。
どんな理由であれ若い方が政治に関心をもち歴史を学んでくれれば日本の未来は明るいと思います。
まあ、国内で靖国に対していろいろな意見があるのは当然であると思いますし、
色々と議論されるの良いことだと思います。
私が言いたいことは1つです。
この問題は、
とにかく中韓が口を出す問題ではないし、
マスコミも中韓を意識した報道などすべきではない!
歴史をカードとして利用する中国に媚びてどうする?
それこそ相手の思う壺です…
加えて、ご返事たいへん遅くなり恐縮です。
実はこの10日間、「正論9月号」から始まり、あらためて「国民の歴史」(西尾幹二著)および櫻井女史著なる今までの「論戦」数点、加えて渡部昇一先生を中心にした対談集など掻き集め、再度、昭和史の詳細に目を通し始め、この一両日は佐藤早苗氏著「東条英機・封印された真実」など、東京裁判関連の著作に没頭しているところです。
何とか、私の「求める所」のものは、見つかりそうです。
しかし、どの経路を辿っても、行き着くところ、「平成新憲法制定」以外に、捻じ曲がった我国の歴史観を正しく糾す手立てはなさそうです。
加えて、私自身の問題として、過去から現代、さらに将来に亘って我国の国体は、「天皇制」そのものと切っても切れない存在と考えます。
その基に、仏教神道の十二分なる理解と素養なくば、靖国問題の「技術論」には至れなく、私自身、今から最低でも2年かけて、宗教(仏教と神道)と哲学の基礎素養を身に着けたく計画しています。
従いまして、
1)A級戦犯不在論(A級戦犯は存在しえない旨、東京裁判を全面否定したく)
2)大東亜戦争肯定論(肯定はしませんが、自衛戦争であったと肯定したく)
以上を以って、
「昭和天皇ご発言メモ騒ぎ」すなわち靖国問題に関する私自身の「考え方」と視点に、一通りの決着をつけたく思っている次第です。
尚、少なくとも今後2回、関連記事を連載いたします。
引き続き、宜しくご指導賜りますようお願い申し上げます。