福岡ソフトバンクホークスを科学する。

1989年平和台時代から鷹キチの情報発信。
ダイエー→ソフトバンクに変わりました。
厳しい応援の目は変わりません。

最後の平和台野球場(7524)

2007年12月17日 | スポーツ

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西鉄ライオンズの本拠地。そしてダイエーホークスも1989年から4年間、ここ平和台球場であった。あの日開幕戦(勝利)では空から人間グライダーが飛んで来た?

それ以前(かなり昔?)は春日原(現春日市)に野球場があったと聞いた。

(今は亡き友人から聞いた話・・・・・今の竜神池周辺にあったとか・・・・しかも桜の木に登りスルスルと降りて席に付いたとか・・・・)今でも米軍ハウスの跡らしきモノもある。

ここ、平和台は第一次解体に続き、残り全部解体前とかで写真を撮影に行った。外野の壁や、センター壁、出入りした階段などが残っている。

1枚目・・・・お隣の城址の高台から撮影した、外野外壁である。右側に少し切れているところは、センター部分で、もう解体が始まっていた。かすかにクレーンが見えます。

試合経過のボードやビジョンがあったところです。この右サイドには、今やあの発掘記念館が堂々と建っている。

あの怪童、中西さんが打った場外ホームラン。打ったあとは、焦げ臭いにおいがしたとか。

逸話は今でも残っています。それほどパンチがあったのでしょう。考えられないですね。

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そしてもっとも驚いた外野席進入の手すりと外壁。ここに階段でしょうか、あとがくっきり・・・・あの時を物語っています。今でも歓声がきこえてくるようです。このライト側から、どれだけ応援したのでしょうか。しかし弱かったなあああ。

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そしてコレガ外野席に行くために急いだ階段です。手すりもすっかり錆びていました。

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コレガ外野の壁です。すっかりクラックがたくさん。補強のための鉄骨の補強のあともありましたが、気になったのは、ご覧の上のこげたような所。3箇所。

コレガあの外野席の上にあった看板ボードを支えた鉄骨のあとでは??エメラルドグリーンに白文字でありました。外野を囲むように・・・・・・。

構造的には、主柱は鉄筋ですが、あとは、簡易ブロック壁構造のような、かすかな、あとが見えました。

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そして、ライト側から、レフト階段付近を撮影しました。照明用の配線のアナや、あの悪臭?で匂ったトイレでしょうか、タイル後とか・・・・・・・。なつかしい残財とあえて呼びたい建物です。

選手達が停めた車スペース。よくファールが飛んできた場所。グッズ売り場、お弁当売り場など。

そして、さびしく朽ち果てた残材。

グランド内では、発掘中で、まったくその面影はもうありません。

3時間ほど撮影したり近所の方とお話したり、あの大きな道路から橋を渡る直前の歩道にある、ワゴン車販売のホットドッグやさん・・・・・もう50年も営業しているとか。

なつかしい風景でした。うれしかったのは正面入り口の案内看板。もう無いのにはっきり平和台球場の位置を示していました。

そして、心はずませ、子供と上ったあの坂、お弁当が並んでいたあの坂から球場を見れば・・・・・・・。

もうあの球場は・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。

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上の写真はこの日お邪魔した風景です。きれいな石畳。ここからは何も見えません。何もありません。

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上の写真は、さようなら平和台です。しかし正確には、平和台野球場が正式な名称でした。赤いバスは、選手送迎用です。

なを平和台関連の写真は、すべてわがアルバムからです。