福岡ソフトバンクホークスを科学する。

1989年平和台時代から鷹キチの情報発信。
ダイエー→ソフトバンクに変わりました。
厳しい応援の目は変わりません。

さようなら平和台野球場、最終版です(7526)

2007年12月26日 | スポーツ

先ほど北海道から一報!

残念ながら、予選は1敗1引き分けで敗退した、ホークスジュニアチーム。あとは他チーム次第ですが。

でも惜しかったとも言いません。ほめてやります。すべて12球団は力の差はありません。ほんの髪(神、紙)一重・・・。応援してくれた球団スタッフや親御さんに感謝しましょう。1位にも12位にも、同じく大いにほめたてやりたいです。

負けても、始めて悔しさや、さらに不足したところが良くわかるからです。小学6年生諸君、お疲れ様、そして出場オメデトウ!

さて昨日の新聞の記事でも掲載中ですが。平和台野球場の解体。本日は事前に文化課の許可をもらって、敷地内に入って撮影した。工事用ヘルメット持参。

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センターからライト側の写真です。解体はこれからです。

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センターから右、つまり、レフト側はすでに解体が進捗している。来年の3月までとか。外部周辺では何組かのカメラマン?とお会いした。結構皆興味を持ってこられたのであろう。ご覧のコンクリの山である。

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ところが新発見、ここが3塁側のブルペンでした・・・・と紹介を職員さんから教えていただいた。確かに、向こうからわずかこちらに傾斜している。ここで、何人の投手が待機して、戦いに臨んのだのであろう。さらに球場に入る大通りの橋の袂には、あの球場のプレートが・・・。

ついつい見逃してしまう。柳の下あたりです。

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左右には、ライオンズの歴史や球場の簡単な歴史が刻まれている。たしか稲尾さんもこの除幕式には出席していた。

これからなつかしさを求めて多数のファンがここ平和台にこられるであろう。その変貌ぶりには、驚愕のまなこで・・・・・・・。

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そしてここ中央から撮影。今の地盤はあのグラウンドの高さをほとんどそのま維持していて

これから発掘とともに、変化していくのでしょうか?カメラをほとんど地盤においてレフト側を撮影しました。今でも歓声が聞こえてくるようです。

私もここ平和台で、草野球を行い、いつもなら流し打ちするのが、ツイ、応援の声に答えて?引っ張ってレフトライナーだったことをいつも思い出します。

でも歓声って良く聞こえました。グランド内では。

帰りにはお隣の陸上競技場の事務室にお邪魔して色々親切にお話を聞かせていただいた。ここにはスポーツの歴史がありました。まさに福岡の。

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1955年から今年2007年までの福岡国際マラソンの優勝者の名と記録が掲示されていました。この長き間で25分くらいチジンデいるのですね、記録は。

この陸上競技場の建物本体も平和台野球場とあまり変わらない歴史の建物だそうです。そういえば、横から見れば、かなり古い壁面が見えました。

また、ここ平和台野球場の前には、初めて、ホークスがその拠を構えた、パインビルも堂々と立っています。

球団事務所から、目の前の、球場が全部当時見渡せました。今はその面影さえありません。

こういう歴史がだんだんと、もう忘れられて行きます。

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