88グリーンビートル

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沖縄の旅(13) 中村家住宅

2021年03月20日 | 日記
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沖縄⑬ 中村家住宅/沖縄古民家

中村家の祖先は、護佐丸とともに読谷の地からこの地に移り住んだ賀氏です。

建物は18世紀の豪農の屋敷だそうです。日本でいえば、庄屋にあたります。















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沖縄の旅(12) 中城城跡 

2021年03月18日 | 日記
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沖縄⑫ 中城城跡/護佐丸(ごさまる)と、阿麻和利(あまわり)


護佐丸が改良した相方積み。これまでの様に四角い石を一列に積み上げていく布積みと違って、多角形の石を加工して、隣の石とかみ合う面を多くした。更に曲線を持ちいることで、強度が格段に増し、崩れにくくした。

(勝連城跡のつづき)

中城城を築城した護佐丸の絵をみると、黒々とした太い眉毛、黒いあごひげ、三船敏郎のような風貌の豪傑が、描かれています。

今帰仁城の城主だった護佐丸の曾祖父は、北山王との戦いに敗れ、城は取られてしまいました。その後、子孫にあたる護佐丸は、名門の出ということで、琉球王に仕え、幾多の戦で力をつけ、因縁の北山との戦いで勝利し、今帰仁城を取り返しました。

その後、琉球王の命で、今帰仁から要害の地、今の読谷村に座喜味城をつくるのでありました。

このころには、戦だけではなく土木技術にも才能を発揮し、数々の石積工法を編み出しました。

座喜味城は、これまでのような、岩盤の上につくる石垣ではなく、山土の上に築かなければなりませんでした。

何度も失敗を重ねながら、ついにあの曲線が美しい、堅牢な石垣をつくったのでありました。曲線は、石垣の強度を増すためのものだそうです。

その後首里城の琉球王に相談役として、仕えていましたが、勝連城の阿麻和利の台頭を警戒した国王は、すぐ隣の中城に築城するよう護佐丸に命じました。

この中城城の石垣で、これまで蓄積されたされた築城の経験と技術が生かされました。

こうして勝連城をしのぐ巨大な城ができあがりました。更に護佐丸は、日夜軍事訓練を怠らず、万全の態勢で、勝連城の阿麻和利に備えました。

阿麻和利にとっては、これは大変なことでありました。

首里城を攻めて、国王に取って代わるどころか、目と鼻の先の中城城の護佐丸の兵が、自分たちに向けば、勝ち目のないことを悟った阿麻和利は、意外な行動に出ました。

表向きは、阿麻和利も国王の一按司なので、護佐丸のいない、首里城に出向いて、国王にこう言いましたた。

「王様、ちょっとお耳に入れたいことが・・・」

「なんだね」

「実は、護佐丸は、ひそかに国王の座を奪わんと、策略をめぐらしている様子が見られます。
今なら間に合いますので、国王が護佐丸討伐の命を下されば、この阿麻和利、及ばずながら陛下のもとに馳せ参じ、護佐丸の野望を打ち砕いてみせます」

国王は、阿麻和利の言葉を信じて、長年にわたり功績のあった、護佐丸のいる中城城に兵を向けるのであります。

本来なら、沖縄中の兵を敵に回しても落城することのない堅牢な城であったのですが、国王が自分の忠義を疑って兵を向けたことを知った護佐丸は、国王の兵を一兵たりとも打ち取ってはならぬと部下に厳命した上で、反逆の意志がないことを示すため、自害して果てました。

この生きざまに沖縄の人々は、心打たれ、「忠臣護佐丸」として、語り継がれてきたのであります。

半面、狡猾な阿麻和利、凡庸な国王という構図が出来あがったのであります。

しかし、史実とは異なるという人もいます。

日本にも、吉良上野介は、地元では立派な殿様だったといわれているのと同じで、阿麻和利も悪い領主を退け、貿易による産業を興し、領民のため尽力した功績のある領主でもあったわけです。、

と、ここまで書きましたが、これは私が都合よく想像したストーリーです。まあ、城石垣には、このような背景があったのだな、程度に受け取っていただければ幸いです。

でもこれで、世界遺産に登録された、今帰仁城、座喜味城、勝連城、中城城、そして首里城すべての城址を訪れ、ブログ上で、紹介することができました。沖縄には、この他にまだ300余りの名前の知られていないグスク(城)がありますが、私は行っていません。










































今帰仁城址


座喜味城址  (座喜味城址/2016年をみる)


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沖縄の旅(11) 勝連城跡

2021年03月13日 | 日記
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沖縄⑪ 勝連城跡/世界文化遺産

石垣の城ができはじめた14世紀~15世紀ごろ、沖縄には一足早く、日本の戦国時代のような戦の絶えない歴史がありました。



中でも勝連城(かつれんぐすく)は、石垣を積んでできた城としては、一番古いとされています。

この城には、酒ばかり飲んで、村民のことを顧みず、水戸黄門の話に出てくる悪代官のような悪い按司(豪族)が悪政を強いていました。しかし阿麻和利(あまわり)が按司を倒して城主にとって代わりました。

阿麻和利は、頭のいい人だったようで、周辺の按司(豪族)たちからの協力も得て、積極的に貿易に力を入れ、富と力を蓄えていきました。

それを裏付けるように、明や東南アジア諸国はもとより、ローマ帝国やオスマントルコの貨幣などが当時の地層から発見されています。

ところが、沖縄を統一した、琉球王尚巴志は、阿麻和利が台頭してくるのが気がかりで、その勢力を抑えるため、王国の相談役、護佐丸(ごさまる)に中城の地を与え、城を築いて、阿麻和利を見張らせることにしました。

そして、ここから舞台は中城(なかぐすく)に城を築いた、英雄護佐丸の登場です。

※、他県の私が、読んだり聞いたりして、自分なりに組み立てた物語りは、こんな感じです。

(中城城につづく)





















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沖縄の旅(10) ビオスの丘

2021年03月07日 | 日記
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沖縄⑩ ビオスの丘

ビオスの丘に来た目的は、カヌーにのることでした。









名前の通り、ビオスの丘は、どんどん坂道を登って行った丘の上にあります。そこになぜか、ジャングルを思わせる川があり、遊覧船で川の奥に探索に行く設定になっています。

むろん川ではなく、川を思わせる細長い池なのですが、両岸がヘゴなどのシダが覆いかぶさっていると、川に見えてしまうのです。(それにしても、丘の上にあれだけの水がどうしてあるのか今もって不思議です)

前回は遊覧船に乗ってまわりました。その時、カヌーを漕いでいる人たちを見たので、次に来たときは、カヌーで岸に近づき、、じっくり岸辺の植物を観察しようと思っていました。

ビオスの丘に着いたときは、閉園の時間があと一時間と迫っていました。

もうカヌーだけでよいので、急いで、乗船場に急ぎました。空はどんより曇っていました。

折から雨も降ってきて、とてもカヌーを楽しむ気持ちにはなれませんでしたが、岸辺のシダ、岸辺のシダと自分に言い聞かせて、半ば義務感だけで漕ぎ出しました。
(ビオスの丘/2016年 をみる)

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沖縄の旅(9) 東南植物楽園

2021年03月06日 | 日記
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沖縄⑨ 東南植物楽園

交通アクセスが、わかりにくいところにあるので、これまで行くにはいったのですが、ここ数年はいつも行きそびれていました。

道路を挟んで、両側に施設と大きな駐車場があり、多くの観光客がバスツアーで訪れるていることをうかがわせました。







広い庭園を見渡せる小高い位置に、映画に出てくるような、広くて高級感の漂うレストランがあります。私はゴルフをしたことがありませんが、ゴルフ場にあるレストランはこんな感じかなと思いました。

旅行の楽しみは、「おいしいものを食べて~~」と、みんな口をそろえて言いますが、私にはそんな気持ちはひとかけらもなく、何を食べるのか考えるのも面倒なので、沖縄に来たら、沖縄そばか、ソーキそばばかり食べてます。

残念ながら、このレストランには、そういう大衆的なメニューはなく、柄にもなく勧められたコース料理を食べました。広々とした庭園を見ながら、ちょっとリッチな気分になった、やや貧乏庭師のひと時でした。




















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