私は9月の半ばから3ヶ月間、平日はファイナンシャルプランナーの勉強の為、とある専門学校に足しげく通っています。
迷ってはいたのですが、「今しかない!」と勢いで申し込みをし「本業と金融の勉強にどんな相乗効果があるのか?」と途中で後悔もしました。
しかし、今のところ本業と様々な活動を平行して行うには、いささか時間が足りないと感じてはいるものの、ヘトヘトになりながも、実は満足しています。
会社勤めをしている時、特に金融系の会社をクライアントにしたことがなく、金融は馴染みのないサービスで、私生活でもお金の勉強をまじめにしてきませんでした。
もちろん国家試験を受けて資格を取得するのが最終目標なのですが試験はまだ半年以上先です。
今は、この国が抱えるいろんな問題が頭をもたげて眉間に皺がよることが多い状態です。
未曾有・・・
少子化は進行し、高齢化は超高齢化になり、若者の雇用不安からも現実問題として国民年金の納付率が下がり、賦課方式での年金制度の維持を期待するのは難しい時代がやがて到来。
自分たちの老後は、今の高齢者の方々とは全く異なる時代になるように思えてもいたし方ないんでしょうね。
節約して貯蓄をし、お金を上手に運用していくことや、適切な節税、相続する固定資産の有効活用など、これまであまり熱心に考えたこともないけれども、きちんと考えなければならないことをまんじりと考え、試験対策の為に問題集を解いたりしているのですが・・・・。
最近は公務員の方々の不祥事(横領・破廉恥系)が目立ちます。あまり、行政や政治批判にエネルギーは注がない私ですが、この国に目立った「暴動」が起きないことを、素直に胸を撫で下ろせないのが現状。
だって、決して平和なのではなく、鬱積したエネルギーって個人レベルで凶悪な犯罪や自傷行為に置き換えられたり、殺傷行為に至らなくても、陰湿なコミュニケーションによってどこかで誰かが傷んでいますからね。
お金のことを学び、社会保障や金融の問題点などを考えた時、1つどこかにひずみが生まれると、それがそれぞれの分野でなんらかの影響を及ぼし、正直、問題意識を持てば持つほど、解決の難しさから傍観したくなってしまいます。
横断的な問題を解決するのは政策に限らず、私たちの身の回りの問題も、問題に直面している当事者間だけで解決できないものは、従・横断的なつながりを柔軟に駆使して解決していくべきなのかと思っています。
実際、私自身は、仕事の上の問題を、職場の知恵だけで解決する限界を知り、会社や業界を越えて、自己啓発をしたり交流したり、あるいは地域との関わりや異なる年代の方々と交流する中でヒントを探し続け、そして助けられました。
教育の問題も、親と子、学校、行政間で責任の押し付け合いをするのではなく、昔はそうだったように地域との関わりも含めて解決するとか、学校が民間企業やNPOとのかかわりで教育の内容に幅が出てきているのも確か。
産学官連携で成果を上げている創造活動もあるでしょう。
今、私は杉並区で、「つながり」をキーワードにして地域の仲間と学んでいるのですが、私自身が、これまでの暮らしになかった、地域とつながることの強さを実感しています。
「つながりを拡げること」への志向性や価値観は人それぞれ皆違うので、善し悪しはあえて熱っぽく語りません。
世の中と、つながりたいのにうまくつながれない人を「人間関係」をつくるのが下手だからと言って切り捨てるのは簡単なことかもしれませんが、それは裏を返せば、そう言う側の受容性にも問題があると考えることもできます。
誰かに問題を押し付けて済む問題なんてないですし、問題が大きくなれば、それを政治や世の中の構造上の問題と言ってしまえば楽です。
自治というのは、辞書によると地方自治の略で、地方公共団体の政治が国の関与によらず住民の意思に基づいて行われることだそうです。
私は、そんな意味も忘れていたというか、知らなかったんでしょうね。諦めや絶望、うろたえることで問題から距離を置いていたのかもしれません。
ひとりでは、解決できないことでも、自分以外の誰かとつながれば解決できることもあります。
強いつながり、緩やかなつながり、自分が関わるそれぞれのセクターにおいて、何らかのつなぎ目でありたいと感じる今日この頃です。
11月は時間の使い方は相当工夫しなければ、いっぱいいっぱいの毎日が続きますが、中途半端になっている活動も時間を見てキチンと立て直してつながりを維持していきたいと思います。
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