私の町 吉備津

藤井高尚って知っている??今、彼の著書[歌のしるべ]を紹介しております。

春子の留学

2009-10-01 21:14:34 | Weblog
 第一回女子留学生に内定した春子は、英会話を始め、洋食の食べ方、洋服の着方など多方面に渡って準備します。ところが、当時の文部省の中に、女子の留学に強く反対する人があって、留学を見合わせることになったのだそうです。

 留学が決まってすぐ、そんな晴れがましい姿(文部省からの留学生として)を見せたいと、松本にいた姉たちを東京に呼んで大騒ぎしたのです。所が、突然の中止です。
 春子たちの驚きはいかばかりであったでしょう
 「私は残念でたまりませんでした」
 と、春子はその手記に書いています。本人は勿論のこと、親まで了承し留学が亡くなったのです。
 この中止には、特に、文部省の男たちが大いに反対したと言うのが原因でした。
 [二十歳前の大和撫子をアメリカに一人旅させるなんて、オオカミの群れの中に小羊を置くようなものである。危険極まりない。到底容認するわけにはいかん」
 と、言うのです。
 そうでなかったら、政府内で決まった事が、そう易々とひっくりかえるようなことはないと思います。自民党から民主党に政権が変わったのでもないのですから。

 明治12年です。まあ、当時の文部卿の影響が、特に、大きかったのではないでしょうか?
 文部卿とは大臣制度が出来上がる前の(内閣制度ができていません)長官なのです。
 
 まあ、そんなことで、その役所の長官の考え一つで、しばしば政策は変更されるのが当たり前の政治体制でした。

 その為に、二十前の若い娘ごが、当時の政治にいいように翻弄されたのです。
 その思いが「残念でたまりませんでした」という文章の中に強く表されています。