鳩山春子さんのことも知らない内に大変長くなりました。ここらで、あの寶泥氏からご指摘のあった「音羽御殿」のことに話題を変えます。
この洋館には半身不随だった一郎首相の来客用のためのお屋敷があり、その一室には、今でも、主(あるじ)の椅子と六つの来客用椅子が並べてあるのだそうです。その来客用椅子を使った人の中に、緒方竹虎がいたと朝日新聞の天声人語氏は言っています。
この緒方竹虎も吉備の国と大いに関係があります。そこらあたりを少し覗いてみたいと思います。
そもそも「緒方」と言えば、そうです。あの緒方洪庵をすぐに思い出すはずです。

洪庵は「我が町吉備津」のすぐ隣の町「足守」で生まれています。後に江戸や長崎で勉学に励んでいます。父は、足守藩の下級武士で佐伯瀬左衛門と言う人です。
だから、洪庵も、初めは佐伯と言う姓を名乗っていたはずです。ちなみに「緒方」と言う姓に変えたのが25歳頃と言われています。長崎でニーマンと言うオランダ人に、医学を学んでいた頃です。
何故、佐伯から緒方に改姓したのか疑問が残るのですが、祖先に緒方三郎維栄と言う人がいたと言う事からだと、歴史家の永山卯三郎は言っています。
この洋館には半身不随だった一郎首相の来客用のためのお屋敷があり、その一室には、今でも、主(あるじ)の椅子と六つの来客用椅子が並べてあるのだそうです。その来客用椅子を使った人の中に、緒方竹虎がいたと朝日新聞の天声人語氏は言っています。
この緒方竹虎も吉備の国と大いに関係があります。そこらあたりを少し覗いてみたいと思います。
そもそも「緒方」と言えば、そうです。あの緒方洪庵をすぐに思い出すはずです。

洪庵は「我が町吉備津」のすぐ隣の町「足守」で生まれています。後に江戸や長崎で勉学に励んでいます。父は、足守藩の下級武士で佐伯瀬左衛門と言う人です。
だから、洪庵も、初めは佐伯と言う姓を名乗っていたはずです。ちなみに「緒方」と言う姓に変えたのが25歳頃と言われています。長崎でニーマンと言うオランダ人に、医学を学んでいた頃です。
何故、佐伯から緒方に改姓したのか疑問が残るのですが、祖先に緒方三郎維栄と言う人がいたと言う事からだと、歴史家の永山卯三郎は言っています。