吉備津神社の秋のお祭りです。我々のでは朝から千載楽やそのための料理の調整などのための準備に大忙しです。
お宮でも、これまた、早朝から七十五膳据えの神事のための準備におおわらわです。
ここで、この神事について、ちょっとばかりくわしく、そのお祭りの様子を書いておきます。
貞享5(1678)年の吉備津神社の「御祭礼行列之次第」によりますと、このお祭りは江戸時代には陰暦九月の申の日に行われた大饗会(だいきょうえ)です。毎年備中の諸郷からその年に出来た新穀や果物や魚藻などをこの神社に献納して、五穀豊穣を感謝するお祭りです。備中の新嘗祭なのです。
祭りの翌日から回廊の端にある御供殿(ごくうでん)で世話人の人が集まって七十五の神に捧げるお膳を作るのです。
膳の形は御掛盤(おかけばん)や平膳や高杯や瓶子などがあります。それらのお膳にはお米を炊いて円筒形(富士山を形)に形作った「御盛相(おもっそう)」と呼ばれるご飯を中心にして、その他鯛、昆布、その他野菜や果物などが盛られます。総て黒漆の五・七の桐のご紋の立派なお膳です。
御掛け盤は二人の人で運ばれます。平膳などは一人の人で運ばれます。
その他、子どたち(男の子は鉄砲、女の子は鳥かご)も参加します。弓矢、鉾、太刀、五色幣などを持った村人たち百数十人の長い列が粛々と神殿まで運びます。
昔は巫子さんによる神楽舞もあったように伝わっていますが、今は行われてはいません。
約二時間に渡る端雅で幽玄な吉備津神社ならでのお祭りです。
なお、このお祭りの「七十五」と言う数字はどこからきているのか、はっきりしたことは分からないのですが、一説によりますと、備中の諸郷が75あって、そこからの新嘗を献納したからだと言われていますが、実際は備中には72しかありませんが、吉備津宮が直接管理していた宮内など3郷があったので75になったのだと言われていますが。
でも、この75と言うお膳の数は、不思議なことですが、備前の一宮のお祭りの中にもみられる数ですから「郷」と言うのも怪しいものだと思われます。
まあ、そんな意味からも大変珍しいお祭りなのです。岡山県下の三大祭りの一つに数えられています。ちなみに、後二つは、加茂大祭と吉川八幡宮当番祭のお祭りです
お宮でも、これまた、早朝から七十五膳据えの神事のための準備におおわらわです。
ここで、この神事について、ちょっとばかりくわしく、そのお祭りの様子を書いておきます。
貞享5(1678)年の吉備津神社の「御祭礼行列之次第」によりますと、このお祭りは江戸時代には陰暦九月の申の日に行われた大饗会(だいきょうえ)です。毎年備中の諸郷からその年に出来た新穀や果物や魚藻などをこの神社に献納して、五穀豊穣を感謝するお祭りです。備中の新嘗祭なのです。
祭りの翌日から回廊の端にある御供殿(ごくうでん)で世話人の人が集まって七十五の神に捧げるお膳を作るのです。
膳の形は御掛盤(おかけばん)や平膳や高杯や瓶子などがあります。それらのお膳にはお米を炊いて円筒形(富士山を形)に形作った「御盛相(おもっそう)」と呼ばれるご飯を中心にして、その他鯛、昆布、その他野菜や果物などが盛られます。総て黒漆の五・七の桐のご紋の立派なお膳です。
御掛け盤は二人の人で運ばれます。平膳などは一人の人で運ばれます。
その他、子どたち(男の子は鉄砲、女の子は鳥かご)も参加します。弓矢、鉾、太刀、五色幣などを持った村人たち百数十人の長い列が粛々と神殿まで運びます。
昔は巫子さんによる神楽舞もあったように伝わっていますが、今は行われてはいません。
約二時間に渡る端雅で幽玄な吉備津神社ならでのお祭りです。
なお、このお祭りの「七十五」と言う数字はどこからきているのか、はっきりしたことは分からないのですが、一説によりますと、備中の諸郷が75あって、そこからの新嘗を献納したからだと言われていますが、実際は備中には72しかありませんが、吉備津宮が直接管理していた宮内など3郷があったので75になったのだと言われていますが。
でも、この75と言うお膳の数は、不思議なことですが、備前の一宮のお祭りの中にもみられる数ですから「郷」と言うのも怪しいものだと思われます。
まあ、そんな意味からも大変珍しいお祭りなのです。岡山県下の三大祭りの一つに数えられています。ちなみに、後二つは、加茂大祭と吉川八幡宮当番祭のお祭りです



