ここで、また少々横道に反れます。
それにしてもコンピューターなる者?は便利ですね。「横道にそれる」の、「それる」は、いったい、どんな字だったかいな?と思っていても、即座に教えてくれるもの。人より偉いんだから「物」ではない「者」だと思った次第です。どうお思いですか。
まあ、そんなことはどうでもいいのですが、「きつつ馴れにし」と言う言葉自体は「伊勢物語」にあることぐらいは知っていましたが、寶泥氏からのご指摘をいただいたおかげで、後楽園延養亭の綱政侯の歌とこの言葉を結び付けることができたのです。
そう知ると、また、私の頭の中に、この「きつつ馴れにし」と言う言葉の語源は何だろうかなと言う思いがつのります。そうすると、否が応でも我が町吉備津最大の偉人、藤井高尚先生の「伊勢物語新釈」が思い浮かんできます。
早速、その本をひも解いてみました。

写真の字はあまりにも小さく過ぎて読めないと思いますが、この新釈によると、「から衣きつつ馴れにし」という語は万葉集にでていて、当時、奈良の里のことは「から衣きならの里」と呼ばれていて、それが、この言葉の語源になったのだと、解説してありました。
そこまで綱政侯が知って、延養亭の鶴の美しさを称える歌として「きつつ馴れにし」と言う語を読み込んで歌にしつらえたのであるとするなら、昨日の寶泥氏の解釈のほうがいいように思われてなりませんが、どうでしょうかね。
まあ、今日の私のブログは、全くの退屈しのぎの老人の戯言だと思って読んでいただければ幸いです。
それにしてもコンピューターなる者?は便利ですね。「横道にそれる」の、「それる」は、いったい、どんな字だったかいな?と思っていても、即座に教えてくれるもの。人より偉いんだから「物」ではない「者」だと思った次第です。どうお思いですか。
まあ、そんなことはどうでもいいのですが、「きつつ馴れにし」と言う言葉自体は「伊勢物語」にあることぐらいは知っていましたが、寶泥氏からのご指摘をいただいたおかげで、後楽園延養亭の綱政侯の歌とこの言葉を結び付けることができたのです。
そう知ると、また、私の頭の中に、この「きつつ馴れにし」と言う言葉の語源は何だろうかなと言う思いがつのります。そうすると、否が応でも我が町吉備津最大の偉人、藤井高尚先生の「伊勢物語新釈」が思い浮かんできます。
早速、その本をひも解いてみました。


写真の字はあまりにも小さく過ぎて読めないと思いますが、この新釈によると、「から衣きつつ馴れにし」という語は万葉集にでていて、当時、奈良の里のことは「から衣きならの里」と呼ばれていて、それが、この言葉の語源になったのだと、解説してありました。
そこまで綱政侯が知って、延養亭の鶴の美しさを称える歌として「きつつ馴れにし」と言う語を読み込んで歌にしつらえたのであるとするなら、昨日の寶泥氏の解釈のほうがいいように思われてなりませんが、どうでしょうかね。
まあ、今日の私のブログは、全くの退屈しのぎの老人の戯言だと思って読んでいただければ幸いです。