後楽園には、現在、人口にはあまり上らなくなっているのですが、特別の景勝の場所、十っ所を選んだ[後楽園十勝]があります。
その一つが「暫軒の風」です。
記録によりますと、この園を造らせた藩主池田綱政侯は、この暫軒風について、次のような歌を作っています。
暫(しば)しとて 憩ひしものを 夏の日も
はや暮れかかる 軒の川風
この「暫軒」と呼ばれる建物は、鶴見橋を渡った所にある北門のすぐ左側にあったのだそうです。窓を開ければ直下に旭川があり、その北に長嶺なる姿美しき半田、滝口の諸山眸中に落ち、吹き寄せる川風の心地良さに、つい時の過ぎるのも忘れるほどであったという。避暑に最もよいこと筆舌をつくせずです。そんな悠長とした夏の時の経過を詠んだ歌なのだそうです。
今までの日中の風とはちょっと違った、幾分ではありますが冷ややかな川風がどこからともなく藩主の頬を撫で通ります。「おや」と見上げる北嶺の空には静かに夕焼け雲が押しかかっています。
「はや・・・夕暮か・・・」
藩主は、けだるそうにそれだけです。
静寂な悠久の時の中に身をゆだねる己の幸せにうっとりしている姿がこの歌の中から伝わってきます。
そんな場所が暫軒なのです。その風が十勝の一つに数えられたのです。
でも残念なことですが、今は、この暫軒の建物はありません。絵でしか見ることができません。明治二十六年の十月の大水害のために流失してしまいました。現在は。そこに堤防ができているそうです。礎石も何も残ってはいないのです。
この絵の中にある大門の左側に、大樹の影に隠れるようにして、そっと佇んでいるのか暫軒の建物だそうです。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/33/a8/f5e20fb668f6054387ab6b50668c8278.jpg)
その一つが「暫軒の風」です。
記録によりますと、この園を造らせた藩主池田綱政侯は、この暫軒風について、次のような歌を作っています。
暫(しば)しとて 憩ひしものを 夏の日も
はや暮れかかる 軒の川風
この「暫軒」と呼ばれる建物は、鶴見橋を渡った所にある北門のすぐ左側にあったのだそうです。窓を開ければ直下に旭川があり、その北に長嶺なる姿美しき半田、滝口の諸山眸中に落ち、吹き寄せる川風の心地良さに、つい時の過ぎるのも忘れるほどであったという。避暑に最もよいこと筆舌をつくせずです。そんな悠長とした夏の時の経過を詠んだ歌なのだそうです。
今までの日中の風とはちょっと違った、幾分ではありますが冷ややかな川風がどこからともなく藩主の頬を撫で通ります。「おや」と見上げる北嶺の空には静かに夕焼け雲が押しかかっています。
「はや・・・夕暮か・・・」
藩主は、けだるそうにそれだけです。
静寂な悠久の時の中に身をゆだねる己の幸せにうっとりしている姿がこの歌の中から伝わってきます。
そんな場所が暫軒なのです。その風が十勝の一つに数えられたのです。
でも残念なことですが、今は、この暫軒の建物はありません。絵でしか見ることができません。明治二十六年の十月の大水害のために流失してしまいました。現在は。そこに堤防ができているそうです。礎石も何も残ってはいないのです。
この絵の中にある大門の左側に、大樹の影に隠れるようにして、そっと佇んでいるのか暫軒の建物だそうです。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/33/a8/f5e20fb668f6054387ab6b50668c8278.jpg)