映画のDVDを借りると、新作映画や新作DVDの宣伝が冒頭にありますね。
うっとおしいので飛ばしたいのですが、
早送りもできない仕様になっていたりして。
映画館いったらこういうの観るしかないしな……とあきらめて観ていたら、
ドキッとする映画が紹介されていました。
私のオオカミ少年
ということで、借りてきましたよ~。
主演はソン・ジュンギ。
もう、予告編で射抜かれた~。
彼のピュアピュアな表情が見たくてこの映画選んだんだよ。
そして彼を守り、愛するようになる少女にパク・ボヨン。
なんなのこの子は!
超絶かわいいでないですか!
〈あらすじ〉
肺を患っている長女スニのため、田舎に越してきた一家。
校正の仕事で生計を立てるお母さんと、小学生の妹の三人暮らし。
ご近所さんはたった一軒という寒村で、新しい生活が始まる。
親切なご近所さんに助けられながらも、
自分の体に絶望していて毎晩泣き暮らしているスニは、
ある日納屋で不思議な少年を見つける。
薄汚れていて臭くって、言葉も話せない、
まるでオオカミみたいな男の子。
でもその瞳は、雪の日の朝のように澄んでいて……。
チョルスと名付けられた少年を飼い慣らそうとするスニ。
一緒に暮らすうち、スニの心も体もだんだん元気になっていく。
ところが、スニに横恋慕する横暴な金持ち息子がその関係に嫉妬して、
チョルスはどんどん追い詰められていく。
まるで人間の手によって絶滅させられた、野生のオオカミのように。
ああもう!
なんてリリカルな映画なんでしょうか。
ゲスイ大人の汚れた魂を浄化してくれる美しい映画です!
とにかくチョルスの純真さ、子犬のようにうるんだ瞳、
スニになつくしぐさ、
どれをとっても胸がきゅーっとなるかわいさ。
そして対するスニの、少女らしい苛立ち、素直さ、
ちょっとした意地悪と弱さ、
どれをとってもたまらなく初々しいですね。
少年と少女の恋。
いや、恋っていうか、求めあう青い魂っていうか。
なんか青い魂とかいったら人魂チックでイヤなんだけど、
なんかすごく、透明な感じの「好きだ!」って気持ちがほんとにキレイ。
主役ふたりの清らかさを愛でる映画どす。
だってお話はそんな複雑じゃないんだもん。
何がすごいって、
チョルスの存在の説得力。
どう考えてもファンタジーな設定なのですが、
一切の詮索やあら捜しを許さない、圧倒的な存在感。
誰から生まれたの?どんな生い立ちだったの?どうやって生きてきたの?
こんなことありえるの?
そんな質問はナンセンス。
だって、現実、いまここに、チョルスが存在するのは間違いないんだから。
と言い切ってしまいたくなるほど、チョルスが魅力的。
いろいろ言いたいことはあるのだが、
とにかく若者のうつくしい恋の物語を楽しめばそれでいいじゃん!
ファンタジーだし!
ほぼ全編ふたりの切なさを堪能できたからこれでいいよ!
ラストがどーでも、過程を愛さないとな!
ちょっとだけ残念だった話も最後に書きますので、
号泣したわ!って人はこのへんで帰ってもらった方がいいです。たぶん。
では、この後はネタバレ感想ですので、視聴後にどうぞ。
いや、スニちゃんかわいかったね~。
そしてチョルスもかわいいね~。
彼を受け入れてくれるお母さんもいい人だったね~。
ヤギ飼いのおじさん一家もいい人たちだったなぁ。
子どもたちもチョルスになついてねぇ。
お巡りさんたちも、なんだかんだスニ一家の味方だったし、
軍のおじさんだってゆで栗食べながら呑気にしててさ。
チョルスのことを調べに来た教授だって、いい人だった。ほんとに。
大家のバカ息子だけが悪いよ!
この人さえいなかったらね~。
幸せな日々が続いてたわけなんだけどもね。
悪人のお手本というべき悪人でした。
観客がこれほど憎める悪役がいるってのはいいよ。
わかりやすい。
わかりやすい。
そう、この映画の長所でもあり短所でもあるのが、
この「わかりやすさ」だと思うんだよな~。
だがしかし、わたしは「長所」であると言い切りますよ。
なんとなく先が読めてしまう展開は、物足りないかもしれないが、
それだからこそ、純粋にふたりのシーンに没頭できるのだ!
別に小難しいこと考えたくて映画観てるんじゃねーや!
切なさ100%で何が悪い!
それに、チョルスがただのオオカミ少年じゃなかったとわかったときは
けっこうびっくりだったもんね。
これは読めない展開だったぜ。
頭を撫でてほしくて、そっと差し出すチョルス。
スニの歌とギターにぼうっとなってしまうチョルス。
みんなと夢中で遊んでしまうチョルス。
さみしそうにドアをかりかりするチョルス。
「待て!」と言われたら、ずっとおとなしく待つチョルス。
主人の愛を疑わない、犬のように忠実なチョルス。
観客はスニと同様に、チョルスがかわいくてかわいくて仕方なくなるんだよね~。
終盤まで一切のセリフがないソン・ジュンギもお見事。
だからこそ、「カジマ(行くな)」の台詞が残念だったさ~。
やっぱここはスニの名前を呼んでほしかったな。
ずっとしゃべれなかったチョルスが最初に覚えるのは、
やはり、自分を愛してくれた少女の名なんじゃないのか。
主従関係じゃなくてさ、対等に彼女の名前を呼ぶって、なんかいいじゃないの。
あと、もうひとつ残念だったのが、この後の展開。
おばあちゃんになったスニが昔の家に行って納屋を見に行くと、
変わらぬ姿のチョルスが目の前に!
しかも流暢にしゃべっとる!
きっと戻ってくるから待っていて、と書いた手紙を持ってチョルスは待っていた。
ごめんね、もう待たなくていいよ、と泣くスニ。
約束だった絵本を読んでもらい、眠りにつくおばあちゃん。
朝起きると、チョルスの姿はない。
おばあちゃんは、この家を絶対人には売らない決心をした。
車で帰っていくおばあちゃんを見送るチョルス。
ひとりでゆきだるまを作るチョルス。
これは……どうなんすか?
正直、チョルスがどんな姿で登場するのかドキドキでした。
スニみたいにおじいちゃんになってるのかな、って。
それとも会えないままなのかな、って。
ところがどっこい、チョルスは昔のまま。
あれ?これって夢?
起きたらチョルスはいないんだけど、
夢って訳じゃないみたいで……。
リアル?
おいおい、いくらなんでも、
これじゃばあちゃんに都合がよすぎっぺ!
そんなに簡単に「待っててくれたんだ、ほんとにごめんね、でもうれしい」でいいわけ?
あんた、チョルスを置いてったんだべさ!
そいで二度とさがしにいかなかったんじゃねぇの。
それなのにこんなふうに待っててもらって、再会できて、
今でも変わらず美しいとか言われて、喜んで、そんでいいのけ?
チョルスに対しても、
「いくらなんでもどうやってこれまで生きてきたんだ?」と思っちゃった。
一切の詮索やあら捜しを許さない存在感だったはずなのに……。
なんか急に魔法が解けちゃったがっかり感があるんだよねー。
いっぱいしゃべっちゃうからなのかな……。
映画冒頭と、最後のスニばあちゃんのシーンは、「現実」だと思うんですよ。
孫娘も居る現実(スマホを使う現代)から、
夢のようだった過去を振り返るかたちの物語なわけですから、
この頭としっぽの「現実」には、ファンタジー要素は入れちゃいけないと思うの。
あくまでもここがしっかり「現実」だからこそ、
チョルスとの過去が夢のように輝くわけでね。
中途半端なファンタジーは邪魔だと思うんだよなー。
チョルスとの再会は、あくまでばあちゃんの願望で、
寝て起きたらそこはほこりだらけの汚い納屋で、
あの置手紙はそのままそこに置かれていました、ってラストじゃないと。
そいでばあちゃんが泣かないと。
だけど孫娘との帰り道、どこかで遠吠えをするオオカミの声をきく。
そこで初めておばあちゃんは、顔を上げて、家を売らないと言うべきじゃないのかな。
もちろんそんなラストはベタ中のベタだと思うよ。
だけど、キラキラしたふたりの日々を無心に味わうためには、
そのへんベタで納めてもらった方が気持ちよく終われたかな、って感想。
もっと言えば、山の中でチョルスを追い払うシーン。
あそこでスニに「待て」と言わせるべきだった。
ものすごい重要な単語だったじゃん、この映画の中で。
ここで言わせるべきだよ、スニに。
たいした理由もなく、チョルスを放置したまま戻らず、しあわせに年をとったスニ。
最後の命令も間接的な「手紙」にして、ぼんやり置いてきたスニ。
問題の悪人は死んじゃったし、博士も好意的だし、
軍部も隠蔽に賛成だし、帰ってこれない理由なんてひとつもないはずなんだけどな~。
なんですか、監督。
スニには汚れ仕事させたくなかったんですか?
痛みを背負わせたくなかった?
でもそのおかげで、最後の最後でひでぇ女になっちゃってません?
もうチョルスの将来がすごく心配だもん。
スニばあちゃんが死んじゃったら、どうなるんだろう?って。
ばあちゃんは孫娘に話すのかな?
チョルスは不死身なのかな?
誰か助けてくれた人がいるのかな?
ばあちゃんは、晩年をチョルスと過ごすために越してくるのかな?
このモヤモヤは、余韻とは違う気がするんだよな。
本来残らなくていいはずのモヤモヤが残った分、残念な気持ち。
でもラストまではすっごくすてきだったからいいかな……。
自分までウキウキと恋をしているみたいだったから。
驚くべきことに、この人たち完全プラトニックですから。
抱きかかえられたり、
ドア一枚ごしに寄り添って寝たり、頭なでたりはありますけど、
意図的に手をつなぐことすら一切ありません。
もうかわいらしいったら。
ドロドロやグログロに疲れた心におすすめしときます。
いや、台詞がいっさい無い間のソン・ジュンギがいいから。
ものすごくいいから、そこおすすめです。
最初のチョルスが一番好きだなぁ。
うっとおしいので飛ばしたいのですが、
早送りもできない仕様になっていたりして。
映画館いったらこういうの観るしかないしな……とあきらめて観ていたら、
ドキッとする映画が紹介されていました。
私のオオカミ少年
ということで、借りてきましたよ~。
主演はソン・ジュンギ。
もう、予告編で射抜かれた~。
彼のピュアピュアな表情が見たくてこの映画選んだんだよ。
そして彼を守り、愛するようになる少女にパク・ボヨン。
なんなのこの子は!
超絶かわいいでないですか!
〈あらすじ〉
肺を患っている長女スニのため、田舎に越してきた一家。
校正の仕事で生計を立てるお母さんと、小学生の妹の三人暮らし。
ご近所さんはたった一軒という寒村で、新しい生活が始まる。
親切なご近所さんに助けられながらも、
自分の体に絶望していて毎晩泣き暮らしているスニは、
ある日納屋で不思議な少年を見つける。
薄汚れていて臭くって、言葉も話せない、
まるでオオカミみたいな男の子。
でもその瞳は、雪の日の朝のように澄んでいて……。
チョルスと名付けられた少年を飼い慣らそうとするスニ。
一緒に暮らすうち、スニの心も体もだんだん元気になっていく。
ところが、スニに横恋慕する横暴な金持ち息子がその関係に嫉妬して、
チョルスはどんどん追い詰められていく。
まるで人間の手によって絶滅させられた、野生のオオカミのように。
ああもう!
なんてリリカルな映画なんでしょうか。
ゲスイ大人の汚れた魂を浄化してくれる美しい映画です!
とにかくチョルスの純真さ、子犬のようにうるんだ瞳、
スニになつくしぐさ、
どれをとっても胸がきゅーっとなるかわいさ。
そして対するスニの、少女らしい苛立ち、素直さ、
ちょっとした意地悪と弱さ、
どれをとってもたまらなく初々しいですね。
少年と少女の恋。
いや、恋っていうか、求めあう青い魂っていうか。
なんか青い魂とかいったら人魂チックでイヤなんだけど、
なんかすごく、透明な感じの「好きだ!」って気持ちがほんとにキレイ。
主役ふたりの清らかさを愛でる映画どす。
だってお話はそんな複雑じゃないんだもん。
何がすごいって、
チョルスの存在の説得力。
どう考えてもファンタジーな設定なのですが、
一切の詮索やあら捜しを許さない、圧倒的な存在感。
誰から生まれたの?どんな生い立ちだったの?どうやって生きてきたの?
こんなことありえるの?
そんな質問はナンセンス。
だって、現実、いまここに、チョルスが存在するのは間違いないんだから。
と言い切ってしまいたくなるほど、チョルスが魅力的。
いろいろ言いたいことはあるのだが、
とにかく若者のうつくしい恋の物語を楽しめばそれでいいじゃん!
ファンタジーだし!
ほぼ全編ふたりの切なさを堪能できたからこれでいいよ!
ラストがどーでも、過程を愛さないとな!
ちょっとだけ残念だった話も最後に書きますので、
号泣したわ!って人はこのへんで帰ってもらった方がいいです。たぶん。
では、この後はネタバレ感想ですので、視聴後にどうぞ。
いや、スニちゃんかわいかったね~。
そしてチョルスもかわいいね~。
彼を受け入れてくれるお母さんもいい人だったね~。
ヤギ飼いのおじさん一家もいい人たちだったなぁ。
子どもたちもチョルスになついてねぇ。
お巡りさんたちも、なんだかんだスニ一家の味方だったし、
軍のおじさんだってゆで栗食べながら呑気にしててさ。
チョルスのことを調べに来た教授だって、いい人だった。ほんとに。
大家のバカ息子だけが悪いよ!
この人さえいなかったらね~。
幸せな日々が続いてたわけなんだけどもね。
悪人のお手本というべき悪人でした。
観客がこれほど憎める悪役がいるってのはいいよ。
わかりやすい。
わかりやすい。
そう、この映画の長所でもあり短所でもあるのが、
この「わかりやすさ」だと思うんだよな~。
だがしかし、わたしは「長所」であると言い切りますよ。
なんとなく先が読めてしまう展開は、物足りないかもしれないが、
それだからこそ、純粋にふたりのシーンに没頭できるのだ!
別に小難しいこと考えたくて映画観てるんじゃねーや!
切なさ100%で何が悪い!
それに、チョルスがただのオオカミ少年じゃなかったとわかったときは
けっこうびっくりだったもんね。
これは読めない展開だったぜ。
頭を撫でてほしくて、そっと差し出すチョルス。
スニの歌とギターにぼうっとなってしまうチョルス。
みんなと夢中で遊んでしまうチョルス。
さみしそうにドアをかりかりするチョルス。
「待て!」と言われたら、ずっとおとなしく待つチョルス。
主人の愛を疑わない、犬のように忠実なチョルス。
観客はスニと同様に、チョルスがかわいくてかわいくて仕方なくなるんだよね~。
終盤まで一切のセリフがないソン・ジュンギもお見事。
だからこそ、「カジマ(行くな)」の台詞が残念だったさ~。
やっぱここはスニの名前を呼んでほしかったな。
ずっとしゃべれなかったチョルスが最初に覚えるのは、
やはり、自分を愛してくれた少女の名なんじゃないのか。
主従関係じゃなくてさ、対等に彼女の名前を呼ぶって、なんかいいじゃないの。
あと、もうひとつ残念だったのが、この後の展開。
おばあちゃんになったスニが昔の家に行って納屋を見に行くと、
変わらぬ姿のチョルスが目の前に!
しかも流暢にしゃべっとる!
きっと戻ってくるから待っていて、と書いた手紙を持ってチョルスは待っていた。
ごめんね、もう待たなくていいよ、と泣くスニ。
約束だった絵本を読んでもらい、眠りにつくおばあちゃん。
朝起きると、チョルスの姿はない。
おばあちゃんは、この家を絶対人には売らない決心をした。
車で帰っていくおばあちゃんを見送るチョルス。
ひとりでゆきだるまを作るチョルス。
これは……どうなんすか?
正直、チョルスがどんな姿で登場するのかドキドキでした。
スニみたいにおじいちゃんになってるのかな、って。
それとも会えないままなのかな、って。
ところがどっこい、チョルスは昔のまま。
あれ?これって夢?
起きたらチョルスはいないんだけど、
夢って訳じゃないみたいで……。
リアル?
おいおい、いくらなんでも、
これじゃばあちゃんに都合がよすぎっぺ!
そんなに簡単に「待っててくれたんだ、ほんとにごめんね、でもうれしい」でいいわけ?
あんた、チョルスを置いてったんだべさ!
そいで二度とさがしにいかなかったんじゃねぇの。
それなのにこんなふうに待っててもらって、再会できて、
今でも変わらず美しいとか言われて、喜んで、そんでいいのけ?
チョルスに対しても、
「いくらなんでもどうやってこれまで生きてきたんだ?」と思っちゃった。
一切の詮索やあら捜しを許さない存在感だったはずなのに……。
なんか急に魔法が解けちゃったがっかり感があるんだよねー。
いっぱいしゃべっちゃうからなのかな……。
映画冒頭と、最後のスニばあちゃんのシーンは、「現実」だと思うんですよ。
孫娘も居る現実(スマホを使う現代)から、
夢のようだった過去を振り返るかたちの物語なわけですから、
この頭としっぽの「現実」には、ファンタジー要素は入れちゃいけないと思うの。
あくまでもここがしっかり「現実」だからこそ、
チョルスとの過去が夢のように輝くわけでね。
中途半端なファンタジーは邪魔だと思うんだよなー。
チョルスとの再会は、あくまでばあちゃんの願望で、
寝て起きたらそこはほこりだらけの汚い納屋で、
あの置手紙はそのままそこに置かれていました、ってラストじゃないと。
そいでばあちゃんが泣かないと。
だけど孫娘との帰り道、どこかで遠吠えをするオオカミの声をきく。
そこで初めておばあちゃんは、顔を上げて、家を売らないと言うべきじゃないのかな。
もちろんそんなラストはベタ中のベタだと思うよ。
だけど、キラキラしたふたりの日々を無心に味わうためには、
そのへんベタで納めてもらった方が気持ちよく終われたかな、って感想。
もっと言えば、山の中でチョルスを追い払うシーン。
あそこでスニに「待て」と言わせるべきだった。
ものすごい重要な単語だったじゃん、この映画の中で。
ここで言わせるべきだよ、スニに。
たいした理由もなく、チョルスを放置したまま戻らず、しあわせに年をとったスニ。
最後の命令も間接的な「手紙」にして、ぼんやり置いてきたスニ。
問題の悪人は死んじゃったし、博士も好意的だし、
軍部も隠蔽に賛成だし、帰ってこれない理由なんてひとつもないはずなんだけどな~。
なんですか、監督。
スニには汚れ仕事させたくなかったんですか?
痛みを背負わせたくなかった?
でもそのおかげで、最後の最後でひでぇ女になっちゃってません?
もうチョルスの将来がすごく心配だもん。
スニばあちゃんが死んじゃったら、どうなるんだろう?って。
ばあちゃんは孫娘に話すのかな?
チョルスは不死身なのかな?
誰か助けてくれた人がいるのかな?
ばあちゃんは、晩年をチョルスと過ごすために越してくるのかな?
このモヤモヤは、余韻とは違う気がするんだよな。
本来残らなくていいはずのモヤモヤが残った分、残念な気持ち。
でもラストまではすっごくすてきだったからいいかな……。
自分までウキウキと恋をしているみたいだったから。
驚くべきことに、この人たち完全プラトニックですから。
抱きかかえられたり、
ドア一枚ごしに寄り添って寝たり、頭なでたりはありますけど、
意図的に手をつなぐことすら一切ありません。
もうかわいらしいったら。
ドロドロやグログロに疲れた心におすすめしときます。
いや、台詞がいっさい無い間のソン・ジュンギがいいから。
ものすごくいいから、そこおすすめです。
最初のチョルスが一番好きだなぁ。
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