ぶうちん村、風わたる。

風の吹くまま、気の向くままなんて、なかなかできませんが、楽しみを見つけながら過ごしたいものです。

もう一発、「子どものために」に関する問題

2006年10月26日 00時06分31秒 | Weblog
 福岡でいじめによる自殺事件が話題になっている。
 教育委員会もかなりぴりぴりしているようで、生徒指導に関する公文でも「児童生徒の自殺など」という言葉が挿入されていた。
 いじめに関するアンケートが実施されているが、1学期ゼロだった本校ではプロレス技で痛い目にあったなどといった事例が出てきた。数字の上で実態ゼロが実態のある学校になってしまった。校長・教頭はあわてた。
 市内のある小学校では大規模校並の数字が出たらしい。そうしたところ、教育委員会がやってきて実情を把握した上で指導をしたという。
 個々の実態把握は大事だ。それは担任が一番よく分かっている。結局、スキンシップでプロレスごっこをする子が多いのだが(1年生は6年生に向かっていく)、力かげんでちょっと痛いことがあり、アンケートに該当する項目があったから記入をしただけで、子ども自身には「いじめ」の自覚は全くない。
 しかし、校長・教頭は「どんな小さいことでもそれが発端になるから指導を」とのたまう。私も他の担任も「スキンシップの内容まで言わないといけないのか」と反論したが、どこまでやらないといけないのか。
 ・・・・・分かった。指導をしよう。スキンシップであれ、なんであれ、「いじめの原因にされかねないから」友だちにふれるのはやめよう。「裁判で負けるとたいへんだから」格闘技もやめよう、競走もやめよう、学力テストもやめよう。
 そういうことになる。誰だって裁判だなんだと面倒なことは嫌だ。
 でも、そんなバカな議論をするおとなが子どもの力を奪っているんだと思う。いじめはあってもいいじゃないか、暴力もあっていいじゃないか。要は、その時に裁判だ、人権侵害だと大上段に騒ぐのではなく、どうしてそうなったのか原因をじっくり考えること、その上で対策を考えること、その手続きを丁寧にする力が子どもにもおとなにも求められているはずなのに。
 人間はそんなに上等に生き物ではないし、生まれてくる子どもに既にそんな経験と知識があるわけではない。みんなゼロから出発している。なんで100から出発しようとしているのか分からない。
 でも、それが時代の要請だと言うのなら、みんなで徹底してやろうではないか。スキンシップでもプロレスごっこはやめなさいと。一時が万事全てかくのごとくに。
コメント
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