ぶうちん村、風わたる。

風の吹くまま、気の向くままなんて、なかなかできませんが、楽しみを見つけながら過ごしたいものです。

粛々と「国労問題」の解決を望みます。

2010年04月11日 23時40分14秒 | Weblog
 やっと「国労問題」に解決の光が差し始めました。
 政権交代の成果でしょう。

 「国労問題」というのは、現在のJR、かつては国鉄と言いました。
 莫大な赤字を抱えた国鉄は、国家戦略として分割・民営化されました。
 ただ、この問題は経営が厳しいからの民営化という単純な問題ではありません。

 昭和の終わり頃、当時の自民党にとって最大の政治的な「敵」は日本社会党でした。その日本社会党の有力な支持団体は「総評」と呼ばれる労働組合の連合体でした。公務員から民間の多くの労働組合を束ねるこの組織の選挙における機動力・集票力は自民党が目の敵にしていました。

 「総評」の中核部隊は国鉄労働組合、国労でした。

 自民党は総評の戦闘力をたたきつぶすために、赤字再建という大義名分を立てて、国鉄の分割・民営化に取り組みます。
 「組合員は勤務時間中に入浴している」などというキャンペーンをはり、国民の意識を誘導します。

 その中で、組合内部は混乱し、利益誘導もなされ、単にまじめにやっていただけの組合員はJRへの採用を拒まれてしまいました。指導者ではなく、一組合員が、です。


 そして、収入を絶たれた彼らの苦闘が始まりました。

 これは国家的な不当労働行為です。
 しかも、自民党の重鎮で首相経験者の中曽根康弘氏はNHKの番組で「総評つぶしのために国鉄分割・民営化をやった」とも明言しています。

 私もバザーの手伝いをしたりして彼らの生活支援をしてきましたが、今回の問題解決への一歩前進はとてもうれしく思います。

 
 自民党は未だに自治労・日教組という民主党支持の労働組合を徹底的に叩いて、支持基盤を切りくずそうとしていますが、以前も述べましたが、政党間の政策論議なら徹底的にやってもいいのですが、その支持団体叩きまでするのは、国民の間に分裂をもたらすだけです。

 私はこんな政治手法には絶対に反対です。

 したがって、民主党が自民党の支持基盤である農協叩きをしようとしていることにも反対です。
 今日は公民館の運営委員会でしたが、ひとしきり終わった後の懇親会で農協関係者がきわめて強い不安を語っていました。

 政策で、それらの団体の気持ちを引きつけてほしいと願います。


 そして何より、30年近くも苦しみ続けてきた彼らに「国鉄マン」としての誇りを取り戻させてほしいと願います。

 政治は一票一票の積み重ねですが、その一票は「期待」の一票であって、「怨恨」の一票にしてはなりません。

 その意味で、民主党・自民党には「おとなになってもらたい」と思うのです。
 
 繰り返しになりますが、もう一度言います。

 支持団体叩きを、選挙戦術にしないでください。
 
 そして、粛々と「国労問題」が解決されるよう心から望みます。


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国鉄・宮之城線の今 【薩摩永野のスイッチバックの謎】  その15

2010年04月11日 21時46分53秒 | Weblog
 4日に船木駅前後の線路跡の拡幅工事が完了した様子をアップしましたが、これは船木駅の南側部分だけで、船木駅のすぐ近くは森の伐採などまでしか進んでいませんでした。
 そんな景色の中に、境界標が捨てられたかのように、土手にひっかかっていました。
 わびしい気持ちにさせられます。

 では、連載のお話へ・・・ 
 永野まで線路を引っ張り込んで西太良方面へ向かうともなれば、永野の盆地は狭いので、当然、その線形をどうするのかということは重要な問題になってきます。
 盆地という表現を用いましたが、厳密に言えば谷と言った方がいいかもしれません。東西に細長い谷は南北の幅は最大で500m程度ですから。

以前も紹介した吉田氏の
南川に沿って南東方向に進み、池山という集落のあたりから左に曲がって500メートルほどのトンネルを掘れば
という案もあるのですが、これは氏自身が
現地を訪れてみると、意外なほど川内方・薩摩大口方の両者の線路跡に高低差がある。特に、大口方の線路跡の道路の築堤は、これでも鉄道時代から削られているからなおさらである。勾配上の理由も相まって、スイッチバック線形を選択したような印象を受けた。
と、自身の案を否定していることに、私も同感です。


 なぜなら、池山という集落の辺りからトンネルを通した場合、谷の狭さのために、どうしても永野の駅は市街地よりかなり西側になってしまいかねません。
 しかも、半径200m程度のカーブの中にプラットホームを建設せざるをえなくなってしまいます。これはかなり急です。さらに、プラットホームの北側と南側の標高差が大きく、全体として傾斜したホームになってしまいます。
 もちろん、池山よりももっと東側の集落からトンネルを掘れば、カーブはもう少し緩やかにはなりますし、プラットホームの傾斜の問題も解決できそうです。
 どちらにしても、トンネル内は大きなカーブを伴うことは必至です。これが、当時の建設技術からして現実的だったのかどうかは私には判断できません。
 (建設のプロの方、教えてください。)

 ただし、そこまでして、永野の駅の通行をスムーズにするだけの価値があったかと問われれば、NOと答えざるをえないと思います。

 石炭や鉄鉱石などの輸送の鉄道であれば、大量の貨物列車が必要で車長が長くなり、スイッチバックは百害あって一利なしです。
 ところが、永野は金山の町で地元に精錬所があったわけですから、鉱物自体の貨物駅である必要性はありません。年間の産金量は人間数人分の重さですから。

 ですから、スイッチバックにしても問題はなかったのです。
 結果、資金のかかるトンネルを、線路を迂回させてまで建設するよりは、観音滝方面から真っ直ぐに線路を延ばす方が都合がよかったと判断されたのではないかと私は考えます。
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