内田鉄道大臣が1933(昭和8)年に発表した宮之城~大口間の2つのルート案では、永野から西太良を目指す案と、薩摩求名から西太良を目指す案が示されていました。
どちらにしても、西太良を目指すとなれば、その前に針持を通過しなければなりません。
直線距離に直せば、針持まで薩摩求名からは7㎞、薩摩永野からは6㎞です。通常ならば、これだけ距離があれば途中に一つくらい駅があってもよさそうなものですが、どちらも駅を設置して旅客・貨物の取り扱いをするほどの集落はありません。それほどの山岳地帯です。
まず、薩摩求名から針持へのアプローチを検討してみたいと思います。
薩摩求名駅は標高80m台にあります。針持駅は標高200m台です。この120mの高低差をどう克服するのかが最大の課題です。
一つのルートは現在の国道267号線をたどるものです。最高標高が求名小学校狩宿分校の近くの240m台です。単純計算で平均約31‰の勾配を駆け上がらなければなりません。これは線形にカーブを加えるなどして若干の調整で乗り切れる勾配でしょう。
しかし、求名の中心部から狩宿までは、手の届くような狭い谷間をはじめは少しずつ登っていきますが、搦という集落の辺りから急激に上りにかかります。そこからの勾配は65‰と計算しました。
もちろん、これを克服するために当時の建設技術で不可能ということではありません。
求名川の南岸の急斜面を徐々に高度を上げていくために長さ200m程度のトンネルが2~3は必要でしょう。高さが30~50mで長さ200m級の長大な鉄橋が一つ。そして500m級のトンネルを1本。狩宿分校近くの地下を通す最後のトンネルによって若干勾配が緩和されるとしても平均勾配30‰の維持は必要です。
・・・ この案では、トンネル建設はもとより200m級の長大な鉄橋建設の方のコストがかなりあがりそうです。
もう一つの案は、搦の辺りから国道とは分かれ、山の向こうの高塚・堂山集落に向かって直進するルートです。これだと200m級のトンネル5本と700m級のトンネル1本で事足りると思われます。
国道沿いの案より現実的ですが、トンネル建設に当たっては急斜面途中に工事現場があるだけにコストがかかる点は見逃せません。
他に、求名小学校に西側から回り込むルートなど検討してみましたが、途中どうしても60‰の急勾配区間を設定せざるをえず、ルートの候補としては断念しました。
どちらにしても、西太良を目指すとなれば、その前に針持を通過しなければなりません。
直線距離に直せば、針持まで薩摩求名からは7㎞、薩摩永野からは6㎞です。通常ならば、これだけ距離があれば途中に一つくらい駅があってもよさそうなものですが、どちらも駅を設置して旅客・貨物の取り扱いをするほどの集落はありません。それほどの山岳地帯です。
まず、薩摩求名から針持へのアプローチを検討してみたいと思います。
薩摩求名駅は標高80m台にあります。針持駅は標高200m台です。この120mの高低差をどう克服するのかが最大の課題です。
一つのルートは現在の国道267号線をたどるものです。最高標高が求名小学校狩宿分校の近くの240m台です。単純計算で平均約31‰の勾配を駆け上がらなければなりません。これは線形にカーブを加えるなどして若干の調整で乗り切れる勾配でしょう。
しかし、求名の中心部から狩宿までは、手の届くような狭い谷間をはじめは少しずつ登っていきますが、搦という集落の辺りから急激に上りにかかります。そこからの勾配は65‰と計算しました。
もちろん、これを克服するために当時の建設技術で不可能ということではありません。
求名川の南岸の急斜面を徐々に高度を上げていくために長さ200m程度のトンネルが2~3は必要でしょう。高さが30~50mで長さ200m級の長大な鉄橋が一つ。そして500m級のトンネルを1本。狩宿分校近くの地下を通す最後のトンネルによって若干勾配が緩和されるとしても平均勾配30‰の維持は必要です。
・・・ この案では、トンネル建設はもとより200m級の長大な鉄橋建設の方のコストがかなりあがりそうです。
もう一つの案は、搦の辺りから国道とは分かれ、山の向こうの高塚・堂山集落に向かって直進するルートです。これだと200m級のトンネル5本と700m級のトンネル1本で事足りると思われます。
国道沿いの案より現実的ですが、トンネル建設に当たっては急斜面途中に工事現場があるだけにコストがかかる点は見逃せません。
他に、求名小学校に西側から回り込むルートなど検討してみましたが、途中どうしても60‰の急勾配区間を設定せざるをえず、ルートの候補としては断念しました。