この歴史民俗鉄道記念資料館の展示は、どちらかというと山野線にウェイトが置かれています。
それだけ、旧大口市にとっては山野線の方がメインの公共交通機関だったということが言えるのだと思います。
確かに、先に大口まで開通したのも山野線。宮之城線開通後も鹿児島までの距離・時間は山野線有利。地域のつながりとしても山野線。
経済的・政治的にも大口は、川薩地区よりも姶良地区とのつながりが濃厚だということは明らかです。
この展示を見ながら、宮之城線の存在意義を改めて問い返してしまいました。
あればあったで「不便ではない」宮之城線。
でも、「あってほしい」「あるべき」宮之城線ではなかったのではないでしょうか。
川薩地区の人々にとっては「あるべき」路線だったということは、特別編で縷々述べてきました。
が、川薩地区の人々が考えるほど、全体像としては、宮之城線の存在意義は薄かったのではないかと思わされたのが、このふれあいセンターの展示でした。
それだけ、旧大口市にとっては山野線の方がメインの公共交通機関だったということが言えるのだと思います。
確かに、先に大口まで開通したのも山野線。宮之城線開通後も鹿児島までの距離・時間は山野線有利。地域のつながりとしても山野線。
経済的・政治的にも大口は、川薩地区よりも姶良地区とのつながりが濃厚だということは明らかです。
この展示を見ながら、宮之城線の存在意義を改めて問い返してしまいました。
あればあったで「不便ではない」宮之城線。
でも、「あってほしい」「あるべき」宮之城線ではなかったのではないでしょうか。
川薩地区の人々にとっては「あるべき」路線だったということは、特別編で縷々述べてきました。
が、川薩地区の人々が考えるほど、全体像としては、宮之城線の存在意義は薄かったのではないかと思わされたのが、このふれあいセンターの展示でした。