薩摩山崎駅の次は船木駅です。
船木駅跡から約600mほど南にディスカウントの店がありますが、そのすぐ近くに下の写真に写したポイントがあります。
2009年の夏、偶然ここを通りかかった私が全面通行止の看板に気づき、それから「国鉄・宮之城線の今」という長期間の連載が始まりました。
その場所は、つい先日も通行止の表示が出ていました。もちろん、2009年当時とは背景になる線路跡の道路の姿が一変しています。
進入するわけにはいかないので、国道から船木駅方面に向かいました。
接近すると、駅構内にかかる右カーブになる場所は大きく削り取られていました。
こりゃまた、ずいぶんと見通しをよくしてくれたものだと、駅に向かう狭い道を上がっていくと・・・
右側の盛り土の部分がかつてのプラットホームになります。
山手はすっかり削られ、広くなっています。
特段、立ち入り禁止の表示もなかったので、工事現場に入ってみました。
こちらは宮之城駅方面をのぞいてみました。
重機の奥にある土手もかろうじて残ってはいますが削り取られています。
ただ船木駅の場合、旧駅施設の損傷は最低限にとどまったのではないかと思います。
むしろ、山の方を大きく削り取っているわけですから。
年度内には工事も完了するようですが、どんな姿になるのか、残念なようで楽しみでもあります。
高さが5mほどあった木は切り倒されていましたが、そのすぐそばの朽ちた境界標は健在でした。
朽ちた姿で残っているだけ、余計に哀愁を感じてしまいます。
船木駅跡から約600mほど南にディスカウントの店がありますが、そのすぐ近くに下の写真に写したポイントがあります。
2009年の夏、偶然ここを通りかかった私が全面通行止の看板に気づき、それから「国鉄・宮之城線の今」という長期間の連載が始まりました。
その場所は、つい先日も通行止の表示が出ていました。もちろん、2009年当時とは背景になる線路跡の道路の姿が一変しています。
進入するわけにはいかないので、国道から船木駅方面に向かいました。
接近すると、駅構内にかかる右カーブになる場所は大きく削り取られていました。
こりゃまた、ずいぶんと見通しをよくしてくれたものだと、駅に向かう狭い道を上がっていくと・・・
右側の盛り土の部分がかつてのプラットホームになります。
山手はすっかり削られ、広くなっています。
特段、立ち入り禁止の表示もなかったので、工事現場に入ってみました。
こちらは宮之城駅方面をのぞいてみました。
重機の奥にある土手もかろうじて残ってはいますが削り取られています。
ただ船木駅の場合、旧駅施設の損傷は最低限にとどまったのではないかと思います。
むしろ、山の方を大きく削り取っているわけですから。
年度内には工事も完了するようですが、どんな姿になるのか、残念なようで楽しみでもあります。
高さが5mほどあった木は切り倒されていましたが、そのすぐそばの朽ちた境界標は健在でした。
朽ちた姿で残っているだけ、余計に哀愁を感じてしまいます。