ぶうちん村、風わたる。

風の吹くまま、気の向くままなんて、なかなかできませんが、楽しみを見つけながら過ごしたいものです。

国鉄・宮之城線の今 2011冬 ⑩宮之城~佐志間 (1)

2011年02月18日 22時42分17秒 | Weblog
 宮之城駅近辺は特に変化もありません。

 ですが、「国鉄・宮之城線の今」連載中の当時も工事中だった宮之城~佐志間はまだ工事が続いていました。
 しかし、どうやらそれも完了の日が近づいているような印象を受けました。
 
 この宮之城~佐志間については、今日から3回に分けてお知らせしたいと思います。

 まずは、日本特殊陶業の工場の入り口前です。

  

 すっかり工事が完了したかのような風景ですが、かつての踏切跡は跡形もなくなり、ゆるやかな右カーブだけが見えます。

 近づくと、踏切跡のコンクリートはもう全くなくなっていました。

  

 以前、ここは砂利道だったのですが、すっかりアスファルトに覆われています。

  

 橋の向こうの上り坂のアスファルト舗装ももう完了しており、後はセンターラインなどのペイントを待つだけのようです。

 そして、この上り坂がピークに達する辺り、驚愕でした。

 川を渡って登り坂が峠のようになったところから、再びかつての路盤が姿を現し、距離標などがあった区間が、アスファルトの道路になっていたのです。

 かつての遺構はどこにいったのでしょうか。
 いや、かつての車道も姿を消していました。

  

 この写真では分かりませんが、車道の一部は「道路外」の施設として残ってはいましたが、中途半端に残している様に、なんだかなぁ~という感想を持ったのは、私だけではないでしょうね。
 
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うっすら雪化粧の朝

2011年02月15日 23時55分27秒 | Weblog
 起床し、障子をあけると、ウッドデッキはうっすらと雪化粧していました。

 雪の予報じゃなかったのでは・・・と驚きました。

 もちろん、朝5時半、まだ外は暗いのですが、日が差し始めると、八重山も白くなっており、そこに朝日があたり、とても素晴らしい景色を作っていました。

 

 
 さて、この冬の寒さを象徴するのが雪です。

 

 これは日曜夕方の桜島ですが、頂上の北側(写真左側)にはまだ雪が残っています。
 また、さつま町と出水市の間にそびえたつ紫尾山頂上付近の雪もなかなかとけずに、「珍しいことだ」と出水市方面に住んでいる方々も驚いています。
 それだけこの冬の寒さが間断なく続いている証でしょう。

 本当に、早く暖かい春が訪れてほしいものです。
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国鉄・宮之城線の今 2011冬 ⑨船木駅より続く宮之城側

2011年02月15日 21時18分44秒 | Weblog
  

 船木駅を出ると、宮之城線は、わずかに数軒の住宅の横を通り、田んぼの中を走り、すぐに見通しの悪い区間になっていました。

 駅を出てすぐの場所は田んぼ側の築堤がリニューアルしたかなと思いましたが、工事前の写真と見比べてみると、傾斜も景色も変わりません。
 ただ、この先の工事の仕方から推測すると、1mほど削った後に再度土を入れ直して固めているのではないかと思います。

  

 同じ場所から宮之城方面を写しました。
 
 小川の橋はリニューアルされていました。
 また、その先は、築堤が拡幅されるのではないかと思われます。


   

 この先は田んぼの中を走っていきますが、そこにも重機が入り工事を行っていました。
 接近はしませんでした。

 
  

 工事区間はここまでです。
 船木駅から約500mほどでしょうか、工事がぐんぐん進んでいきます。

 ちなみに、この写真を撮影した場所から宮之城駅までの区間はとうに2車線の車道に変身しています。

 
 
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国鉄・宮之城線の今 2011冬 ⑧船木駅

2011年02月14日 22時18分58秒 | Weblog
 薩摩山崎駅の次は船木駅です。

 船木駅跡から約600mほど南にディスカウントの店がありますが、そのすぐ近くに下の写真に写したポイントがあります。
 2009年の夏、偶然ここを通りかかった私が全面通行止の看板に気づき、それから「国鉄・宮之城線の今」という長期間の連載が始まりました。

 その場所は、つい先日も通行止の表示が出ていました。もちろん、2009年当時とは背景になる線路跡の道路の姿が一変しています。
  
  

 進入するわけにはいかないので、国道から船木駅方面に向かいました。

 接近すると、駅構内にかかる右カーブになる場所は大きく削り取られていました。

  


 こりゃまた、ずいぶんと見通しをよくしてくれたものだと、駅に向かう狭い道を上がっていくと・・・

  

 右側の盛り土の部分がかつてのプラットホームになります。
 山手はすっかり削られ、広くなっています。

  

 特段、立ち入り禁止の表示もなかったので、工事現場に入ってみました。
 こちらは宮之城駅方面をのぞいてみました。

 重機の奥にある土手もかろうじて残ってはいますが削り取られています。

 ただ船木駅の場合、旧駅施設の損傷は最低限にとどまったのではないかと思います。
 むしろ、山の方を大きく削り取っているわけですから。

 年度内には工事も完了するようですが、どんな姿になるのか、残念なようで楽しみでもあります。

  

 高さが5mほどあった木は切り倒されていましたが、そのすぐそばの朽ちた境界標は健在でした。
 朽ちた姿で残っているだけ、余計に哀愁を感じてしまいます。

 
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国鉄・宮之城線の今 2011冬 ⑦薩摩山崎駅

2011年02月13日 20時25分47秒 | Weblog
 先日の椿越トンネルへの探検の時には通過しなかったので、全く気にもとめていなかっただけに、薩摩山崎駅跡の変貌ぶりには驚きました。
 
 駅構内近くの住宅のために、駅前広場はそこまでいかないと見えません。

 見えた瞬間、思わず、ええっ!!っと声をあげてしまいました。

  


 整地どころかコンクリートがうたれ、重機もあります。
 何事が起こったのかと驚きました。

 反対側から駅前の商店側を見ると、こんな感じです。

  
 

 2枚目の写真を撮った私の足元には・・・・・


  
 
 車輪と記念碑が移動させられていました。
 工事現場のすぐ隣りですから、多分、何らかの形で生かされるんでしょうが。


 工事現場の道路よりのところに工事の概要が紹介されていました。

  

 事業名は「にぎわい回廊整備工事(さつま1工区)」と書かれており、県の商工労働水産部の観光課が発注者で、地元の業者が工事を請け負っていました。

 工事は昨年12月22日に始まり、今年3月17日に終わるようです。

 さつま1工区ということは2校区、3工区もあると思うのですが、もしかすると、宮之城~佐志間がそうなのでしょうか。

 さつま町に入って、いきなりの大変化に戸惑い、驚きました。


 ただ、私が願うのは、楠元駅のように、線路の向きなどかつてのイメージを損なったり誤解を招くようなことはしてほしくないのてす。
 
  

 駅構内の枯れ草は焼かれていました。
 右側にプラットホームが見えていますね(^^v
 

 

 
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国鉄・宮之城線の今 2011冬 ⑥入来町・中組

2011年02月12日 08時55分29秒 | Weblog
 入来駅を出発したら、2車線の車道になった線路跡を登っていきます。
 T字の交差点先で右へ入る道路が宮之城線の跡です。

 しばらく木が生い茂った区間を進み、突然、田園風景が広がったところから、境界標が両サイドに多数見られるようになります。
 
 これだけ楽して、たくさんの境界標を見られる区間も少ないと思うのですが、この突然開けた場所の左側に側溝の工事を予感させる姿が現れました。

  

 楠元町同様に、現在残っている境界標はどうなってしまうのでしょうか。

 
 ここから少し先までが薩摩川内市です。
 薩摩川内市内は、川内駅の立体交差事業が大きな工事で他はわずかな変化でしたが、この先、さつま町は驚愕の変化を遂げようとしていました。

 次回をお楽しみに。
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またもや・・・

2011年02月12日 08時38分55秒 | Weblog
 週末の天気予報は雨だったはずでしたが、いつの間にやら雪に変わっていたようです。

 今朝は、風が窓を叩く音で目を覚ましました。目は覚ましても、そのままふとんに包まれて、寝ていましたが。
 6時くらいかなと思ったら、障子が明るくなっています。

 7時過ぎでした。

 障子を開けると、横殴りの雪です。周囲はすっかり白くなっています。
 気温-2℃。


  

 写真では木の陰になっている道路が黒くなっていますが、ここも20分もしないうちに真っ白になってしまいました。

 午前中でとけてしまうとは思いますが、またもやの雪です。
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国鉄・宮之城線の今 2011冬 ⑤上樋脇~入来間

2011年02月11日 14時19分34秒 | Weblog
 上樋脇駅を出ると、次は昨年末にもお知らせした上樋脇駅~入来駅間の工事の場所です。
 上樋脇駅から約500m程度入来駅よりの場所です。


  

 路盤へ上がるコンクリート舗装の道を覆っていた枯れ草は払われただったので、そのまま中へ入りました。


  

 路盤上にはバラストは見られず、シラスに覆われていました。
 本当にどこかの工事現場への入り口のようです。
 
 晴れた日だったので入る気になりましたが、雨の日には入りたくないですね。

 どんどん奥へ進んでいくと、両サイドが杉木立にはさまれようとする寸前の場所で行き止まりになりました。

  

 どこかの工事現場の残土なのでしょうか。それとも、路盤より低くなっていた左側の土地を埋め立てて、畑にでもしようというのでしょうか。

 ちなみに、線路跡は右側の杉木立の左端に沿ってゆるやかに左カーブをとっていきますが、この先は以前訪れたように枯れ草に覆われていたので、あえて入ることはしませんでした。


 元の道に戻り、入来川鉄橋跡をはさんだ対岸に移動しました。

 すると、入り口にあった進入禁止柵がなくなっていました。しかも、簡単な舗装を施した区間よりも鉄橋側の方が見通しよくなっています。
 草が枯れてぺしゃんこにつぶれてしまったのには明るすぎです。

  

 舗装されていなかった路盤を覆っていた枯れ草や木は伐採・除去されており、「地籍調査」と印刷されたピンク色の布が何ヵ所にも立っていました。
 上の写真でも中央に立っているのが確認できると思います。

 鉄橋のあった場所まで来ると、見事に草木が伐採されており、道のようになっていました。

  
 
 ここに鉄橋が通っていた姿を想像しながら、この場所を後にしました。
 今でないと、この景色を見ることはもうできないでしょうね。


 
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国鉄・宮之城線の今 2011冬 ④上樋脇駅跡

2011年02月09日 21時54分06秒 | Weblog
 楠元町を後にすると、吉野山駅跡や樋脇駅跡、その区間は特に目立った変化はありませんでした。

 このまま一気に・・・と思っていたところ、意外なところに「伏兵」がいました。

 上樋脇駅です。
 
 他の駅のように、駅舎が車道や公園になっているのと違い、ここは道路もすぐに行き止まりとなり、ほとんど個人の住宅の出入り口にしかなっていないために、大きな変化はないはずだと私は考えていました。

 ところが、その個人の都合が変化を作っていました。
  
  

 プラットホームを削って、庭への出入り口になっているのは従前通りなのですが、プラットホームの部分に真新しいコンクリートが見えます。

 一昨年・昨年、来た時にはこうはなっていなかったのに、いつの間に・・・

 
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国鉄・宮之城線の今 2011冬 ③川内・楠元町

2011年02月08日 22時24分20秒 | Weblog
  

 楠元駅跡を出発し、次の吉野山駅後までは、まず2車線の車道で始まり、途中で築堤がそのまま残された区間を抜け、再び車道となって吉野山駅跡へ続いています。
 この築堤に現在では最も巨大な鉄橋である戸田川の鉄橋が残っています。連載記事でも述べたように、2006年の水害で洪水に遭った楠元町や中村町の人々にとって水没しない道路の確保は重大な関心事であり、鉄道遺構の保存とは簡単な天秤にはかけられない問題です。
とはいえ、この鉄橋が最後の巨大な遺構ということもあり、なんらかの形での保存をしてほしいという思いに変わりはありません。


 さて、楠元駅と戸田川鉄橋の中間辺りにしみず運送という会社があります。その建物の道路(線路跡)向かいで側溝工事が行われようとしていました。

  

 よく通る道路なのですが、意識しないと気づかないものですね。

 そう言えば、この辺りは境界標がけっこう残っている区間です。
 工事現場の辺りに残っていないか確かめてみると・・・・・

 ありました。


  

 
 側溝が積み上げられているそのちょっと先に朽ちた境界標が残っていました。

 この境界標も工事が始まれば、場所が場所だけに撤去されてしまうのでしょうか。

 わずか一本、小さな一本の境界標ですが、この積み重ねが宮之城線の姿を確実に消していくのです。

 決して特筆すべきことでもありませんが、「物事が壊れる」とはこういうことだということを象徴しているようです。
 
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