ぶちょうほうの画(え)日記(一語一画(え))

亭主「ぶちょうほう」の身の周りのいろいろな風物を「画(え)日記」ふうに綴っています。

回想の山路 1992年9/12~9/13日 後立山連峰:唐松岳・五竜岳・鹿島槍ヶ岳・爺ヶ岳 

2017-01-24 14:17:05 | 草花
後立山連峰のうち、唐松岳から南の稜線部分を爺ヶ岳まで歩いたのは、今から24年以上前のことでした。
「こんなに月日が経っていたのか・・・?」という思いが強いところです。

交通手段は、車で信濃大町まで行き、そこで一夜を明かしました。寒い夜でした。
翌朝早くに起き出しましたが、前の晩に山では(9月というのに)早い雪が降ったということで、とにかく半端ない寒さでした。
JRの信濃大町駅から白馬駅まで電車で移動して、バスでゴンドラの八方駅まで行きました。

位置図 ↓


実行図 ↓

青い線は乗り物を使った部分で、赤い南下する線は山道を歩いた部分です。扇沢まで下ってから、バスで信濃大町駅まで戻りました。

断面図 ↓


信濃大町駅前 ↓

9月12日。
皆さんは駅前でバス待ちをしていますが、小生は一人、JRの電車で移動します。



車窓から ↓

翌日歩くことになる山の頂が見えています。


走る電車の、窓ガラス越しに白馬三山が見えています。



白馬駅 ↓

ここでバスに乗って、ゴンドラ駅まで移動します。



ゴンドラ ↓

駅で順番待ちをしている間にトイレを使ったら、その間に列が動いてしまい、せっかくの順番は最後尾になっていました。
満を持して?このゴンドラに乗り込みました。



リフト ↓

ゴンドラの後にリフトを二つ乗り継いでいきます。



山道始まる ↓

八方池山荘のところがリフトの終点だと思いましたが、そこから山道が始まります。
歩き始めはここでもビリだったと思います。



八方池 ↓

有名な八方尾根を歩いているのでしょうね。眼下に池が見えましたので、水面まで下りて行きます。



丸山ケルン ↓

実に豊富に現れる高山植物を見ながら歩いて行きます。
この丸山ケルンあたりまでは、冬期のスキーシーズンで人が入るのではないでしょうか。



唐松岳と以北の不帰の嶮 ↓

やがて稜線に交差すると右手に唐松岳があり、その奥には不帰の嶮が見えます。



唐松岳の山頂 ↓

稜線交差点から唐松岳の山頂まで往復することにしました。



五竜岳 ↓

唐松岳の次に登る五竜岳は翌日回しになりますが、その峰が迫力ある山体を見せています。
その山に近づいて行くことになります。



大国岳あたり ↓

唐松山荘から五龍山荘までの尾根は険しい岩稜帯が続き、緊張の連続でした。
そのためにビデオカメラを構える余裕がなかったようで、映像も少なかったです。



五龍山荘 ↓

その晩の宿舎の五龍山荘には早い時間についてしまいました。
小屋の中でいろいろな話を聞いていて、前年に皇太子殿下が五龍岳に登られて、その際にこの小屋に泊まったということも聞かされました。



唐松岳 ↓

先ほど頂上に立っていた唐松岳を振り返ります。



一夜明けて
9月13日。
早朝にヘッドライトを灯して歩きだします。
穂高岳と槍ヶ岳 ↓

五竜岳の山頂で日の出を見たいと思い、早や出をしたのですが、雲が低い位置にあります。
穂高岳と槍ヶ岳が墨絵のように見えていました。



頸城山塊 ↓

頸城の山々も見えています。



白馬岳方面 ↓

振り返る方角で白馬岳の山塊も見えていました。



鹿島槍ヶ岳 ↓

これから行くことになる鹿島槍ヶ岳も正面に見えています。
あの山には北峰と南峰(本峰)の二つの峰がありますが、その二つの間に、遠く・小さく常念岳が見えています。



五竜岳の山頂 ↓

山頂に着き、ここで日の出タイムになります。



富士山 ↓

こういうのを高曇りというのでしょうか、朝焼けの雲の上に富士山が見えていました。



剱岳 ↓

モルゲンロート(夜明け前に高い尾根筋がまず太陽の光を受けて赤く輝くこと)に染まった極上の剱岳です。



立山と剱岳 ↓

モルゲンロートの最上の刻ではないでしょうか。
これを見てから五竜岳の山頂を後にして、鹿島槍ヶ岳に向かいます。



剱岳 ↓

剱岳のモルゲンロートは無くなり、初雪が残っては居ますが、普通の剱岳の佇まいとなっています。
これからあとはガスが上がってきて視界はさっぱり駄目になってしまいます。



八峰キレット ↓

五竜岳と鹿島槍ヶ岳の最低鞍部付近に小屋がありますが、これから先にも八峰キレットという緊張を強いられる場所が出て来ます。




鹿島槍ヶ岳 ↓

鹿島槍ヶ岳の山頂に立つ頃あたりにはガスが立ち篭めていました。



北峰 ↓

550mほど先には北峰が見えています。あの根元を巻いて歩いて来たので、敢えて行く気にはなりませんでした。



爺ヶ岳 ↓

これから歩く爺ヶ岳を見下ろします。



山頂付近 ↓

爺ヶ岳の山頂直下に来ました。



爺ヶ岳山頂 ↓

五竜岳からは富士山が見えるほどでしたのに、ここでの視界は全く得られないほどになってしまいました。

この後は種池山荘を経由して、扇沢まで下りて行きます。

扇沢からはバスで信濃大町駅まで戻り、そこからは車を運転して帰宅の途につきます。
コメント (6)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

回想の山路 1996年8/11~8/14 中央アルプスを大雑把に縦走 越百山から木曽駒ケ岳まで稜線を北上

2017-01-23 10:42:01 | 草花
ブログのネタ探しで、外を歩き回ることもしなくなりましたが、体力維持のために適当に運動をしては居ます。
昨日は自転車で遠出して、最遠点で自転車を置いて、今度はその付近を歩き回り、自転車を置いた場所に戻ります。
自転車での帰途に雨に遭い、しこたま濡れてしまいましたが、ネタ探しのためではないので、カメラを持ち歩かなかったのは幸いでした。
そんな程度の運動量なら今のところは維持しておりますので、老人ボケがやって来るのもしばらくの間はスローペースになりそうです。

今回の「回想」は1996年のお盆休みに行った中央アルプスですが、この時は標高2800メートルくらいの高さの稜線を歩いているのに、暑くて暑くて・・・初期の熱中症にかかり、ひどい目に遭いました。

実行図 ↓

地図の南(下)から北(上)に歩き抜けました。



鳥瞰図 ↓

こうしてみると稜線上を歩いているので、涼しそうなものですが、この時は風が無くて、それはいやらしい暑さに悩まされました。



断面図 ↓

一旦稜線の高みに到達すると、あとはもう、大きくは上下していません。



須原駅 ↓

8/11日。
自宅を朝の5時過ぎに出て、その頃は未だ運行していた、東海道本線の長距離鈍行「ながら」に乗ったところ、全席が詰まっているのでびっくりしました。
名古屋からは中央西線で、この須原駅までやってきました。ここでタクシーを呼んで、登山口まで運んでもらいます。



今朝沢出会い ↓

ここでタクシーから降りて、少しの間林道歩きです。



福栃沢出会い ↓

この場所から山道に入っていきます。



樹林帯 ↓

こういう樹林帯の中でしたら、ひどくは暑さを感じないで済みます。



越百小屋 ↓

この小屋は男性が一人で切り盛りしていましたが、山小屋としては好印象でしたね。
夜はきれいな星空でした。



越百山 ↓

8/12日。
小屋を早朝に出ます。
目の前にこれから登る越百山が雄々しく聳えています。



越百山頂上(2613m) ↓

山頂は横から来る朝日で輝いています。



行く手 ↓

これから向かう峰が近くに見えます。



富士山 ↓

富士山が雲海に浮かんでいます。



南アルプス ↓

南アルプスと富士山の関係はこうなっています。
さぁ、これから稜線を北上していきます。



南駒ヶ岳(2841m) ↓

ここに来るまでに仙涯嶺(2734m)の岩峰を過ぎて来ましたが、その間は高山植物の姿を主に追っていました。



空木岳と赤梛岳 ↓

これから歩く稜線が良く見えています。 
このあたりで暑さを感じ始めてきました。
今から考えると、日差しを遮るものの無い稜線上ですので、風の無い時には辛いですね。



赤梛岳(あかなぎだけ=2798m) ↓

ガスが巻いて、暑いし・蒸すし・・・・・結構耐え難くなってきています。



空木岳(2864m) ↓

空木岳の山頂には午前11時頃には着きましたが、暑さにヘバりました。
これから先にはとても歩けそうもないので、その日の行動を停止することにしました。
眼下にある山小屋に行きます。



駒峰ヒュッテから空木岳山頂 ↓

8/13日。
駒峰ヒュッテに一晩お世話になり、翌朝はすっかり体力回復して縦走に戻ります。
昨日降りてきた山頂に登り返していきます。



木曽殿越 ↓

空木岳から北に下ると、東川岳との鞍部にこの小屋があります。
この場所は木曽義仲が越えて行ったという伝承があります。




恵那山 ↓

木曽殿越あたりから振り向いたところで、恵那山が近くに見えていました。



前日に歩いた部分 ↓

南駒ヶ岳が遠のき始めました。



東川岳(2671m) ↓

木曽殿越からそう歩かないで東川岳の山頂に着きます。



宝剣岳 ↓

遠くに宝剣岳が見えていましたので、ズームして確認します。
この日は前日とは違って、雲が出ていますので、暑さはそれほどでもなかったようで、行動は捗り、あの宝剣岳のもっと先まで歩いています。



空木岳を振り返る ↓

間に木曽殿越という鞍部を置いて、距離1.3km先に見返す空木岳は、200mほどの高度差があり、迫力があります。



赤梛岳と南駒ヶ岳 ↓

空木岳の右隣りには、赤梛岳と南駒ヶ岳が連なります。




木曽御嶽 ↓

東川岳からもう少し北上したところで、木曽御嶽も近くに見ることが出来ました。



エーデルヴァイスの一種 ↓

桧尾岳を通り過ぎて、宝剣岳に向かって歩いて行く途中で、エーデルヴァイスの一種を見ました。
ここではコマウスユキソウといっていますが、一般的にはヒメウスユキソウというようです。



宝剣岳(2931m) ↓

宝剣岳のこの穂先に登ってから、なおも北上していきます。



木曽駒ヶ岳(2956m) ↓

宝剣岳からこの山頂に来る間、稜線上にたくさんのコマクサを見ました。
ここのものは赤い色が濃くて、ずいぶん派手に感じました。
しかし、これより以前(1980年頃)に、この頂上小屋に泊まった時には「この山域でコマクサを見かけた人が、それを知らせて呉れたら賞金を出す。」というお触れ書きがあったのを記憶しています。
つまり、新田次郎の小説「聖職の碑」の時代には、この付近に自生していたコマクサは、その後、人によって薬草として採取され尽くし、絶滅してしまったようなのです。

それが、ほんの15年ほどの間にびっくりするほどの生育振りですから、これは怪しいと思って、この時に宿泊した山小屋でこのいきさつを話したところ・・・・・・・、
「実は他の地方(東北の方)から持ってきて移植した」ということが判明しました。
だから赤い色が濃かったのですね。これは環境の攪乱ですが、見る人が楽しむならそれも仕方のないことなのでしょうか。


8/14日。
駒ヶ岳の山頂部にある小屋で一泊して、下山する日となりました。玉ノ窪小屋から木曽駒高原スキー場に向かって下ります。
高原スキー場に着いてから、備え付けの電話で、タクシーに来てもらい、木曽福島駅まで行って、中央(西)線、東海道本線にて帰宅しました。
コメント (6)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

回想の山路 1994年8/7~8/12 南アルプス南部縦走:茶臼岳・上河内岳・聖岳・赤石岳・荒川三山・小河内岳・本谷山・塩見岳

2017-01-21 14:40:18 | 草花
1994年のお盆休みに、5泊6日掛けて南アルプスの南部を歩きました。
本当は北部にも足を延ばすつもりでしたが、塩見小屋に着いた時に、靴底の剝がれに気づき、そこから先を断念せざるを得なくなりました。
今から考えると、靴と底を紐で括ってでも歩き通せばよかったと悔やんでもいますが、それ以後の天気が下り坂でしたので、無理を通さなかったのは正解だったかもしれませんね。

この時は新幹線で静岡まで行き、そこからはバスを乗り継いで入山しました。
塩見岳からの下山は伊那側にして、JR飯田線、東海道本線を利用して帰ってきました。

北半分 ↓


南半分 ↓




行程断面図 ↓

歩いた距離は、実際には70kmを超えていたようです。




背負ったキスリング ↓

この頃はすでに、こういうキスリングスタイルは古くて、珍しくなっていました。(三日目の朝撮影)



大井川鐡道井川駅 ↓

バスは、これからあと、なおも山の中に入っていきます。(8月7日)



畑薙大吊橋 ↓

ここでバスから降りたのは小生一人だけで、乗り合わせた他の登山者たちは皆もっと奥まで入っていきます。
この橋は全長181.7メートルで、幅20センチとありました。随分狭い幅ですが、これは木の板の幅のようですね。
下は畑薙湖で、湖水面の標高は936mです。



ウソッコ沢小屋 ↓

最初の晩はここに泊まりました。その日の晩は丼蕎麦で軽く済ませました。翌朝からは行動食になります。(8月7日泊)



茶臼岳 ↓

8月8日。南アルプスで、最初の高みは茶臼岳(2604m)でした。ここから稜線を北上していきます。




上河内岳 ↓

上河内岳(2803m)の頂上では登山者が一人、昼寝をしていました。
このあとから激しい雷雨がやって来て、小生は命からがら樹林帯に潜り込んで雷の遠のくのを身を縮めて待っていましたが、あの、午睡者は急にやって来た雷雨からどう逃れたのか未だに気がかりです。



聖平小屋 ↓

雷雨に打たれて、やや濡れた体を小屋に入れましたが、ここでは食事の提供はなくて、自炊専門でした。



聖岳頂上 ↓

8月9日。聖平小屋から恐らく3時間ほどだったと思いますが、聖岳の山頂(3013m)に着きます。



赤石岳 ↓

山頂では、目の前に赤石岳が根張り大きく・太く構えています。



富士山 ↓

この日は午前中、富士山が良く見えました。



赤石岳を目指して長い道のり ↓

聖岳の次に目指すは赤石岳ですが、山が大きくて、この日のうちには近づくだけです。
手前の山をひとつづつ越えて行きます。



百閒洞山の家 ↓

ここでは珍しい思いを二つ体験できました。
一つは、トイレが沢水を跨いでいるので、完全な”水洗”のトイレであったことでした。
もう一つは、食事がフランス料理であったことでした。スタッフにその経験者がいるとかで、なかなかのものでしたね。



赤石岳に取付く ↓

8月10日。 まだ暗いうちから歩き出し、赤石岳の大きな山体に取付いています。
木曽の御嶽が、中央アルプスの背後に見えました。



富士山 ↓

この日も富士山は良く見えました。



赤石岳 ↓

赤石山脈の大親分たる赤石岳(3120m)に着くと、そこには畑薙大吊橋のところでバスから降りた小生と別れた他のパーティの人が来ていて、小生のことを覚えていてくれました。昔風のレトロなキスリングで歩く人間を多少なりとも奇異に感じて、記憶に残っていたのでしょうね。
挨拶を交わして、お別れします。



北の方角 ↓

行く手には3000m級の山々が見えています。



恵那山 ↓

西の方角には雲の上に恵那山が見えています。



振り返り ↓

振り返ると、歩いて来た、聖岳や兎岳が見えています。
赤石岳の山頂から下り、小赤石岳を目指します。



赤石岳を振り返る ↓

小赤石岳まで来て、先ほどまで居た赤石岳を振り返ります。大きな山体ですね。



穂高岳と槍ヶ岳 ↓

遠くに穂高岳と槍ヶ岳も見えていました。



荒川岳(前岳) ↓

赤石岳の山頂から5時間近く後になって、荒川岳の前岳(3061m)に着きました。人が誰もいなかったので、そこでは雷鳥の雛が砂浴びをしています。早くも雲が出て来ていて、これからの天気はあまりよくなさそうです。



中岳と避難小屋 ↓

前岳からそう離れていない距離に中岳(3069m)があり、そこには立派な避難小屋があります。
この小屋は無人ですが、夕方近くに、他所の場所から年配の男性が、小屋使用料を徴収にやってきます。




悪沢岳(=東岳) ↓

中岳の小屋に荷物を置いて、悪沢岳まで往復することにします。眼前の大きな山体に正対します。



悪沢岳の山頂 ↓

悪沢岳の山頂(3141m)までは中岳の避難小屋から小一時間歩いたような気がします。
3141メートルという高さは半端ないものですね。あたりはガスが立ち篭めていました。
これからあと、中岳避難小屋に戻り、一夜を過ごします。



小河内岳 ↓

8月11日。中岳避難小屋から稜線を北上して塩見岳に近づいていきます。
荷物は日を追うごとに軽くなり、身体は山慣れして快調です。天気は午前中は未だ日が差しますが、お昼過ぎ夕刻が近づくと、確実にガスって来るのがパターン化しています。
小河内岳(2802m)は通過点の一つで、しっかりと記憶には残っていないのが残念です。
2800メートル超えという高さは侮ることはできないのですが、重鎮たちの中にあると埋没してしまいますね。



甲斐駒ヶ岳 ↓

これは烏帽子岳(2726m)あたりから写したものでしょうか。甲斐駒ヶ岳が良く見えています。



塩見岳 ↓

三伏峠から北に延びる稜線上から撮ったものでしょうか。これから向かう塩見岳が大きく聳えています。
稜線上は日差しが強くて、随分暑い思いをしました。



塩見小屋 ↓

塩見小屋に着いた時も暑さのさなかでした。ここでリュックをおろし、身の回りを片付けている時に、山靴の底のゴムが剥げてペラペラしていることに気づき、それが修復不可能であることから、これから先のハードな山行は無理であると判断して、この小屋での泊りを最後にして、下山することを決意しました。


白根三山 ↓

夕刻には小屋から外に出て、こんなに見事な景色がありました。
(この景色を最後にして、翌日は朝から天気が怪しくなります。)



仙丈岳 ↓

仙丈岳も、この山行中では一番姿を良く現わしていたようです。

翌12日の早朝、ガスの中を塩見岳山頂を往復しておいて、それから下山の途につきます。
靴底がしっかりして居たら・・・・・なんてことを考えることなく、サッパリと諦めをつけて下った山道でした。
コメント (8)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

回想の山路 1993年3月7日、20日 藤原岳 セツブンソウ フクジュソウ スハマソウ

2017-01-18 11:54:00 | 草花
東三河のあるお寺さんの境内でもうセツブンソウが咲き始めたということです。
小生も過去に何度か行ったことのあるところですが、そこはお寺の前庭にびっしりとセツブンソウが生育していて、たくさんの花があたり一面に咲いていました。

それまでは山中でポツリ、ポツリ・・・・というレベルで咲いている姿しか見たことが無かったのでこの繁殖密度の濃さについては驚かされました。

小生とセツブンソウとの初めての出会いは、1992年の3月7日に藤原岳に来て、9合目の雪の中で、同行者の映像をビデオに撮っている時にズームして居たら突然この花が画角に飛び込んで来た時でした。
全くだしぬけの登場で、この時の喜びの大きさは今でも忘れることが出来ません。

セツブンソウの花追いはこの時から始まりました。それからきっちり一年経った同じ日にまたこの場所に来て雪の中でセツブンソウに出逢っています。
その時と、それから約2週間後にまた藤原岳にやって来て、今度はフクジュソウに出逢っていますので、それを回想しながらレポートします。
大貝戸登山口 ↓

藤原岳に来た初期のころはここから入って行きました。



セツブンソウ ↓







セツブンソウはこの山の裾から山頂付近にまでかなり広く生育しているようです。



オニシバリ ↓

こんな花も見かけます。



マンサク ↓

鈴鹿ではこの頃からGWのころまで、散発的に見ることが出来ます。



カンアオイ ↓

この山ではカンアオイにそれほど多くの回数で出会うことはないように思いました。
三河で見るものとは種類が違うようです。



フクジュソウ ↓













3月7日に来た時には未だ蕾でしたが、20日に訪れた時には、きれいに開いた花に出逢えました。



山中 ↓

8合目から上部ではまだ雪が残っていて、踏み抜き踏み抜き歩きました。



展望丘山頂 ↓

雪の積もった中、ガスと風に包まれています。



スハマソウ ↓





この頃は、山中でもスハマソウをたくさん見ましたが、最近は数が少なくなっています。
コメント (6)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

雪の朝 

2017-01-15 12:26:43 | 草花
昨日、夕方から降り始めた雪は、深更には一時止んでいましたが、今朝はまたすぐに融けてしまいそうな雪が降りしきっていました。
積雪量は精々5センチくらいでしょうか。

雪を纏ってあたりの景色は白く丸くなっていました。
お昼頃から日が差してきていますので、この雪もどんどん融けて行っています。
久しぶりの積雪ですので、今の時間でも交通機関に混乱が生じているようです。

この雪が、昨日は全国の大学受験生を狙い撃ちしたかのようなことでしたので、交通機関の乱れはお気の毒でしたね。


雪の朝独り干鮭を噛み得たり 芭蕉

いつの間にかナンテンの実がすっかりなくなっていました。



雪の朝二の字二の字の下駄のあと 田捨女

玄関わきのマキの木の植え込みにも雪が載っています。




葬る日の朝より雪の別れかな 安原葉

一か月前に幼馴染を亡くしていますので、葉を落としたモクレンの木を見て一層寒さを感じます。




雪の朝無用の用をにくみけり 調和 選集「板東太郎」
庭全体が丸っこくなったように感じます。



つね憎き烏も雪の朝哉 松尾芭蕉

松尾芭蕉翁もカラスは好きではなかったようですね。


木屋町の旅人訪ん雪の朝 蕪村遺稿

庭の隅・・・・とはいっても東南の角なんですが、コンポストの上にもちゃっかりと載っています。



雪のほかは見る物がなき雪を掻く 菅 裸馬

シキミの木に蕾が付き、大きさを増しています。




ちらと雪ちらちらと雪雪又雪 坊城俊樹

菊の花も頑張ってくれました。



雪ふれば女子大もつくる雪達磨 山口青邨

思わぬ雪に水仙も驚いているのか、むしろそれを喜んでいるのか・・・・



バッハ聴く雪は音なく雪を追ひ 橋本榮治 麦生

奥穂高岳からの帰りの山道で、新穂高温泉の手前で拾った実を育てたトチノキは我が家では枝を伐られてこんなにこじんまりとしています。



我が雪とおもへばかろし笠の雪 其角

隣との境界線で、これ見よがしに残っている雪も、明日にはもうなくなっていることでしょう。



 
コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする