風に吹かれてburabura日記

今日も、いつもの暮らしの出来ることに
感謝です。

「世界報道写真展2011」です。

2011年08月10日 | 日記

ここ何年か、毎年8月に「世界報道写真展」が大阪で開かれます。(梅田ハービスホール   8/9-8/18日)

私は、文章による訴求も好きですが、一瞬にして雄弁に物語る、報道写真も好きなので、毎年見に行ってます。

下の写真は今回、世界報道写真大賞2010 を受賞したジョディ・ビーバーの作品です。

「夫の暴力に耐えかねて、嫁ぎ先から実家に逃げ帰った妻(18才)は逃亡の罪で、タリハーンの指揮官から刑を宣告され、

夫によって、鼻と耳を削ぎ落とされた。その後、保護された妻は、アメリカに渡り、カウンセリングと再生手術を受けた」と解説にあります。

毅然としてカメラを見るモデル(妻)と、カメラを向ける写真家の、真剣勝負です。

ニュース、スポーツ、動物、自然など幅広い分野の報道写真が展示されており、写真の持つ可能性を感じさせてくれます。

今回は、特別に「東日本大震災」の報道写真も、展示されてます。テレビのニュースとは、また違った現実の生々しさがあります。


「8月9日・長崎原爆記念日」です。

2011年08月10日 | 日記

昭和20年、8月6日広島へ原爆投下、8月9日長崎へ原爆投下、そして、8月15日 日本は無条件降伏し、終戦となります。

昭和初期から始まった、泥沼の日中十五年戦争から、さらに、太平洋戦争に拡大しての敗戦です。

私の故郷、長崎ではこの日、浦上の平和公園に集まり、原爆投下時刻11時02分、平和を祈ります。

平和公園に「平和祈念像」 があります。(北村西望 という作家です。像の高さ9.7メートル 重さ 約30トン) 

垂直にあげた右手は原爆の脅威を、水平に伸ばした左手は平和を表している、と言われています。

「原爆は要らない、原発も要らない」 改めて、今日の平和を、感謝するばかりです。

そして世界中の子供たちが、誰もが「戦争を知らない 子供たち」になることを、願ってやみません。

昨日のブログに紹介した、「満蒙開拓団」のことが、今朝の(8/9日)朝日新聞、「天声人語」欄に出ています。参考まで。


映画「嗚呼 満蒙開拓団」です。

2011年08月08日 | 日記

以前から話題になっていたものの、見逃していた映画「嗚呼 満蒙開拓団」 (羽田澄子 演出作品)を見ました。

満蒙開拓団とは、1931年の満州事変以後、日本政府の国策によって、中国大陸の旧満州、内蒙古に入植させられた日本移民のこと。

日本政府は、20年間で100万戸の移住計画をたて、1945年太平洋戦争敗戦までに送り込まれた開拓団員は、約27万人と言われている。

入植地はソ連の国境に近かったため、ソ連の参戦、日本の敗戦により、そのうち8万数千人が引き上げ途中に亡くなっている。

この時、置き去りにされたり、現地の中国人にもらわれた赤ん坊、子供たちが、いわゆる中国残留孤児である。

またこの時、日本人開拓団を守るべき関東軍が、自分たち軍人家族を最優先で避難させ、開拓団を現地に置き去りにしたことで、

被害は拡大した。これもまた、歴史上の悲しい事実である。

この映画は、高齢化した体験者に聞き取り調査を行い、現地(中国・方正県)の慰霊碑などに、取材したドキュメンタリーです。

(2008年キネマ旬報 文化映画ベストテン第1位)

こういう映画を見ると、改めて「昭和の近・現代史」をきちんと学ぶ必要があると、感じます。

今朝(8/8日)の朝日新聞、6面に「親日の街に矛先 中国・方正県 慰霊碑撤去」の記事が掲載されています。

他に、中国からの、悲惨な逃避行を描いたものとして、藤原てい作「流れる星は生きている」があります。

藤原ていさんは、作家・新田次郎の奥様、夫は戦地に取られ、子供たちを、満州から連れて帰った、すさまじい逃避行の体験談です。

 

 


「わが町・五月丘の夏祭り」です。

2011年08月07日 | 日記

8月6日 「わが町・五月丘の夏祭り」に、初めからフィナーレまで、初めて参加しました。

夜店の定番、タコ焼き、焼きトリ、フランクフルト、どれも生ビール(300円)によく合います。パークのコーナーもいっぱいです。娘たちも花盛りです。

  

少し暗くなって、夏祭りも盛り上がってきました。 五月丘ソーランでは、子供たちが、飛び上がって踊ってます。生ビールいただきましょう。

 

女性バンドも、東佐井寺小学校の先生バンドも熱演です。アンコールの声がかかります。 もうひとつ、生ビールいただきましょう。

 

炭鉱節、河内音頭、五月丘音頭、盆踊りで夏祭りは盛りあがりってます。 この人の踊りは上手い! もうひとつ、生ビールいただきましょう。

 

夏祭りは21:00でお開きです。 運営委員のみなさま、ご苦労さまでした。 さて、生ビールは何杯飲んだでしょう。


「京都・嵐山その3・お寺散策」です。

2011年08月06日 | 日記

若いころから、嵐山のお寺の庭や、山道を散策するのが好きでした。

天竜寺から仏野念仏寺にかけての道は、昔は歩く人もまばらでしたが、今では若いカップルや観光客が増えました。

そこで、大河内山荘や常寂光院、竹林の道など人の少ない道を選んで、風に吹かれて歩くことにします。

天竜寺の曹源池、ここの裏庭はおススメです。ハスの池です。自然の風の涼しい竹林の道を通り、大河内山荘へ向かいます。

   

下の写真は、私の好きな化野(あだしの)念仏寺です。「あだし」とは、はかない、むなしいとの意味です。石を積む供養塔は、一重つんでは父の     ため、 二重つんでは母のため…とあるように、さいの河原を表します。何もないお寺ですが、落ち着くせいか、若いころから来ています。

 

毎年、8月23日24日は千灯供養が行われます。(下の写真)    改めて、今日という日を、元気に迎えられたことに、感謝するばかりです。

久しぶりの京都・嵐山の旅、このへんでお開きです。

 

 


「京都・嵐山その2・鵜飼い」です。

2011年08月05日 | 日記

「鵜飼い」と言えば、長良川が有名ですが、ここ京都・嵐山でも、鵜飼いを見ることができます。

「夏の風物詩、嵐山の鵜飼いは、千年の昔から行われてきました」とパンフにあります。すごいですねぇ。

ふと見ると、嵐山・吉兆の前から、きれいな芸者さんを何人も侍らしたお客さんを乗せた、料理人付きの屋形舟が出ました。

カメラを向けると、きついダメ出しです。政治家さんとか、何か、写真に撮られると、まずい人だったのでしょうか。 それはともかく、

こちらも屋形舟を船頭さんが、こぎだします。約1時間のコースです。 みなさん、浴衣などでくつろいでます。船の提灯が、鵜飼いのマークです。

  

鵜飼いの船に近ずきます。鵜匠のあざやかな手さばきとかけ声、燃えるかがり火が、夜の嵐山を照らしだします。

 

いやぁ、初めて見ましたが、うまくあやつるものですねぇ。近くで見ると、かがり火の火の粉が、バチバチと飛んで迫力があります。

今宵は冷たいビールが、おいしいでしょう。京都・嵐山の旅、まだまだ続きます。

 

 

 


「京都・嵐山その1・保津峡下り」です。

2011年08月04日 | 日記

久しぶりに、亀岡から京都・嵐山まで船で下る、保津峡下りを楽しみました。

保津峡下りの歴史は古く、1606年からといいますから、405年くらい続いてる事になります。

たしか、1603年が関ヶ原の合戦でしたから、歴史を感じますね。

全長16キロメートル、定員30名、2時間弱の川下りを楽しみましょう。

左: 前にふたり、後ろにひとり、三人の船頭さんが、船をあやつります。途中「カエル岩」「ライオン岩」など、笑いを入れて、ガイドもしてくれます。

中: 夏休みに入ったせいか、少年・少女たちが、カヌーを使ったトレーニングをしています。

右: 見上げると、トロッコ列車です。なぜかみなさん、しっかり手を振ります。おじさん(私)も振りましたけど…。

  

自然の風が心地よいです。急な下りや、狭い岩の間を通るたびに、水しぶきがかかり、けっこう迫力もあります。

浴衣を着た若い娘さんの、キャアキャアという歓声が上がります。いいですね、夏の風情があります。

 

楽しんでいるうちに、渡月橋が見えて嵐山に着きます。さぁさぁ、おまちかねの、冷たいビールをいただきましょう。


「新世界・道頓堀」です。

2011年08月01日 | 日記

久しぶりに、新世界・ジャンジャン横丁から道頓堀をぶらついてみました。

日曜日とあって、観光客、若いカップルでいっぱいです。

難波-新世界間は、こんな無料バスが走ってます。 「くいだおれ太郎」も節電してます。法善寺横丁の水かけ不動です。ここもカップルはかり。

  

お昼はやっぱり、お好み焼きに、冷たい生ビールです。高いところからマヨネーズを振りかけるパフォーマンスで、きれいな波模様を描きます。

 

道頓堀・千房本店のおススメ「道頓堀焼き」の出来上がりです。さぁ、生ビールをグーっと行きましょう。コテコテの一日でした。