どうする家康
で今描かれている、
三方原の戦い
家康はほうほうの体で逃げ回っていたようですが、その家康は徳川の時代を築き、75才まで長生きしますが、信玄はというと翌年には亡くなってしまうんですよね。
三方原の戦いに勝利したはいいけれど、、、、という状況になってしまった武田軍。
三方原当時の信玄は52才。当時としたらもう、かなりの高齢者の部類です。
その時には歩くのも無理になって甲斐に引き返したという事ですが、病気の予兆はなかったのでしょうか❓死因ははっきりしないようです。すぐに亡くなったのか、何日か養生したのか、、。
信玄にとっては、もう無念でしかなかったと思う。せっかくここまで来て、病気に負けてしまうとは。
でも、自分の年齢が織田信長とか家康とか他の当主の武将よりも結構上、という事に生ずるリスクは考えた事がなかったのでしょうか。
52才という年齢であの時代を制するのにはかなり大変のように思う。というのも、信玄にはまだまだ戦う相手がいて、もしも病気にならなくて家康の死亡年齢まで生きたとしても、天下統一は無理だったように思えます。
自分は長生きする、と確信していたのかな❓
ホント、この時に、信玄が家康のように30代で元気だったら、歴史はどうなったのかわかりませんね。
それに信玄の子供たちは勝頼以外は死んでしまったり出家したりしていて、勝頼しかいなかった、というのも、家は続かないという暗示のように思えます。
あの時代、年齢というものも重要と考えて歴史の移り変わりを見るのも面白いです。
徳川家康、30才。関ヶ原まで28年。怒涛の28年を生き抜きます。その後にもいろいろありますけどね。