う〜ん、ブログを書いてそのままにして、投稿しようとしたら、全て消えてしまっていました❗️



おまけ)
また、もう一度❓と、悶々としていたところです。きちんと保存しておかなければいかないですね。
ということで、
どうする家康
今回は、設楽原の戦いが怖く描かれていました。



3000丁もの火縄銃を設楽原に持ち込んだ信長軍の圧勝に終わったこの戦。家康はじめその家臣らは、火縄銃による新しい戦い方を目の当たりにして、天と地がひっくり返るほどに驚いたとともに、信長に従わざるを得なくなったのです。
が、ドラマを見て疑問が。それは、
家康は信長が戦に火縄銃を使う、ということを本当に知らなかったのでしょうか。
家康は、信長が大量の火縄銃を使った事に驚いたのか、火縄銃の威力に驚いたのか、どっちなのでしょうか❓或いは、信長が火縄銃を使うなんて、聞いてないよ〜〜〜〜、という状況だったのでしょうか。
だって、3000丁ですよ。その量の火縄銃を設楽原に運び込んだわけですから、家康が知らないわけはないと思うのですが、、、。それとも、家康にもバレないように秘密裏に運び込まれたのでしょうか。
それに、どうする家康では、家康は火縄銃を見るのも初めて、のような感じに見えたので、、。
そこで、この頃の家康は火縄銃に対する知識はどれくらいものだったのか興味が湧きます。
家康チームの戦略は、火縄銃を使って、ということは全く頭にないような感じです。この頃の日本は、種子島に鉄砲が伝来してから20年ぐらい経っていると思うのですが、すでに50万丁もの火縄銃があったらしい。世界一の軍事国家になっていたようです。
日本の刀匠の腕前は一流ですね。
家康はそういう世間の移り変わりは全く頭になかったのでしょうか❓井伊谷の人だって、鉄砲を探していた、と思うのですが。
ドラマのように、「家康とその仲間たち」のような描きかただと、家康自身は戦略については、何も考えていないように思えるんですが、、、。
信長が多くの銃を手に入れていることや、硝石も海外から購入しているようなことも、全く知らなかったのでしょうか。
この頃の家康、火縄銃のことは知っていても、戦に使うことは全く頭になかったのか、それとも、経済的に手に入れることができなかったのか、、。
そういう家康ですが、関ヶ原では大砲を使っているし、江戸時代には10万丁の鉄砲を所持していたようですが、世の中が平和になったので、銃を所持することは禁止したということです。
それにしても、なぶり殺しの設楽原の戦いを見ていると、
ラストサムライ
のあるシーンがすぐに思い浮かびます。
それは官軍vs 渡辺謙トムクルーズ軍の戦いで、官軍のガトリングガンが渡辺謙チームをなぶり殺した戦い。
刀が終わり、ガトリングガンという新しい武器が登場した時代です。
この時も、武士の皆さんは、ショックだったでしょうね。
【ガトリング砲】
— 映画、ドラマ、ゲームに出てくる武器紹介bot(投稿休止中) (@1AJr8Cw2nUUENZw) February 13, 2021
登場作品『ラスト・サムライ』
帝国陸軍の装備する本銃が「新式銃」という名称で登場する。
四斤山砲の砲撃とライフル部隊の銃撃にも耐え、防衛戦を破ってきた薩摩軍の騎馬隊に向かって使用され、圧倒的な制圧力を見せつけた。
(画像はimfdbより引用) pic.twitter.com/5EWw2U6YYe
おまけ)
火縄銃だけで終わってしまった日本の武器開発。
江戸時代が平安な時代で良かったです。もしそうでなかったら、今の日本はなかったのかも、、、。