前回の
ということで、それで儲けたらしい。
青天を衝け
「フランスで4万両‼️⁉️」
という言葉が印象に残りました。
確かにあの時代、フランスで4万両も儲けた、なんて話には誰でも驚くと思います。が、一体どうやって⁉️
たしかドラマでは、幕府からのお金も少なくなり、質素倹約で宿泊のホテルなどにも困っていたように描かれていましたが、そんな中で一体どうやって❓
また、その前だかの回でも2万両だかが余った、というような話も出ていたと思いますが、このお金はどこから湧いて出たの❓あんなに倹約していたのに、と不思議に思っていたのです。
実は、そのお金は、
フランスの公債証書と鉄道債権を買っている
ということで、それで儲けたらしい。
それも、鳥羽伏見の戦いで幕府が負けてしまう1ヶ月も前に。
というのも、渋沢栄一さんは既に幕府瓦解をフランスに行く前から予想していたらしい。
それで資産運用❓して初心者なのに利益ばっちり、というのもすごいです。
にしても、ほんの2年たらずのフランス留学なのに、西欧の経済システムなどに対する理解力はものすごいと思います。この2年の間に吸収した事がそっくりそのまま新生日本国に生かされているわけですから。
経済だけではなく、病院にまでも、この時の経験が生かされています。
適材適所とは良く言いますが、適材適時代、とでも言えるくらいの、この時代に必要なのは渋沢栄一さんしかいない❗️とでも言えるような存在です。
若いうちの海外旅行というのは、それほど影響がある事なんですね。特に、外国とは海で隔たれている日本に住んでいるものにとっては。今でもそうだから、あの時代の海外旅行、海外留学は、日本の社会にまで多大な影響を与えてしまうようなものだったと思われます。
のちに証券取引所も開設する渋沢栄一さん。
慶喜にも株式の指南をして、配当金で生活できるようにしていたようですが、(これって許されるのかなあ❓)今の時代に渋沢栄一さんがいてくれたらなあ、と、私的には思ってしまう。
これが買いだ❗️と言ってくだされば、すぐにでも買いますよ❗️資産運用にとっても便利に思えてしまう渋沢さん。なんて、、。
それにしても、渋沢さんがいなかったら日本はどうなってしまったのか、考えてしまう。経済的に今のようになるには100年くらいかかったかもしれない。五大さんが、その代わりができたのかどうか、、、。
あるいは、外国資本が日本にたくさん入ってきて、今の日本とは全く違った日本になっていたかもしれません。ね。
まさに適材適時代の人物です。