コロナ禍で子供から大人まで多くの人が「不安」や「むなしさ」を感じているのではないでしょうか。
特にスポーツ選手は多くの大会が失われていく中で「不安」になり、自粛生活の中で「むなしさ」にとらわれる日々を送っていたものと推察します。
その「むなしさ」はこれまでの努力が生かされないこと、これからの目標が見つからないことから生まれてくる「虚無感」といえます。
コロナ禍というのは異常な事態ですが、私たちの人生は日常的に虚無感にさいなまれています。
小さなことでいえば「つまらないな」とか「暇だな」と何気なくスマホを手に取り、目的もなくTVをつけたりするとき人はすでに「虚無」にとらわれているといえます。
今回は新型コロナウィルスという未知なる病原体が人々に大きな「虚無感」をもたらしました。
コロナウィルスと人類の戦いは「虚無」との戦いでもあります。
虚無の構造を明らかにし戦い方を示したのが、私の座左の書といえる『虚無の構造』(西部邁著)です。
西部氏によると「虚無」は「不安」から生まれ、すべてが疑わしく信じられるものがなくなったときにとらわれるものです。
「虚無」の先に待ち構えているのは「孤独」であり、最後は「絶望」に陥ることになります。
スポーツ選手にあてはめると、多くの大会が中止となり目標を見失いことで「不安」になり、練習ができない状況で「孤独」となり、ついには「絶望」して競技をやめてしまうということになります。
ではどうしたらコロナウィルスという目に見えない「不安」と向き合い、「虚無」を取り除いて「活力」ある毎日を取り戻せるのか。
詳しい内容は『虚無の構造』にゆずりますが、日大豊山水泳部ではやる気の出ないむなしさを取り除くために自粛中もオンラインで毎日トレーニングを行い、先行きの見えない「不安」を消すために独自で大会を開催しました。
人は信じられるものがなければ、すぐに「不安」になり「虚無」にとらわれ「絶望」してしまいます。
「虚無」は手ごわい敵です。
しかし、それだからこそ人間の知恵を結集してこの難敵と戦わなければなりません。
公民科の教員として哲学を学んできたことが現場に生かされていると実感しています。
竹村知洋