2015年初の大津詣では、1月も黄昏近く・・・25日になってから行きました。
っつっても、本当に登るかどうかはギリギリまで思案してたんですが。
とにかく先に決まったていた高松塚古墳の壁画見学会の前に、二上山付近に行くことにしました。
大阪側からの二上山。上ノ太子駅まで来ると、駅やその他の建物と被ってお山がちゃんと見えなかった^^;
いつもは二上神社口からお山を目指すオイラですが、神社口からの登山ルートは階段が多くて厳しい・・・と助言をもらっていたので、登るにせよ登らぬにせよ二上山で下車することに。
しかし、二上山の駅前(山側)は解りづらい道だにゃァ^^;
専称寺さんあたりに来てなお「登ろうかな・・どうしようかな」と迷うオイラ。(←登れよ、オイラ!)
春日さんの境内で、幼稚園位の子供たちを引率する一団と遭遇し、山登り決定。
こんな小さな子が登るのに、オイラも頑張らねばって気分になったのだ。
比較的なだらかな山道です。
うん、神社口から登るとすぐに階段になるもんな。
神社口ルートとの合流地点直前くらいでちょっと急な上りで階段になりますが、こっちのルートの方が断然楽。
今後はこのルートからしか登らんぞ。
一時間半ほどで無事大津の元にたどり着く。
今更ですが「アケマシテオメデトウ。コトシモヨロシクネ」と手を合わす。
この日の大津の空は曇っていた。
あれ~?途中まで晴れてたんだけどな^^;
いつも通りぐるりと一周し、次の場所へ向かうべく大津の元を立つ。
馬の背から見える雄岳。
今回は雌岳へは登らずに、そのまま祐泉寺に下ることに。
雌岳から當麻に下りるルート違って、このルートはかなり急で険しいのです。
登るのは絶対嫌!下りる以外には利用しないコースなオイラの目に飛び込んできたのが、最近お世話になっているFBのコミュの方。
なんでも二上山を登る会か何かで、二上山に登って降りてまた登る・・・みたいなことをしているらしい。元気やなぁ^^;
お互い「何やってんのー?」と声をかけてすれ違いました(笑)
上りのヘロヘロはどこ吹く風?と、軽快に下るオイラ。
お山のお水も気持ちいい~♪
苔むした木も趣あるねぇ。。。
根っこのウネウネ具合もええ感じです。
無事に下山し、鳥谷口古墳に到着。
いつも綺麗なお花を供えてくださってて、ここに来るとほっこりします。
池までくるとお山を振り返らずにはいられません。
「またおいでやー」って、お山さんも鳥谷口古墳さんも言ってくれてる気がするんです。
當麻の街へ下る途中、トラックで八朔を売っているのに遭遇。
迷わず買ってしまった☆
この日のメインは二上山ではなく高松塚古墳の壁画見学です。
當麻寺は境内を通らせていただくだけに止めました。お参りはまた改めて。。。
っつか、今年のお練りにお友達のお子さんがお稚児さんで参加なので、お練に必ず参りますぞ!!!
當麻の駅に向かう途中に柿の葉ずしのヤマトの販売所があるんです。
なので、ここで家へのお土産の柿の葉ずしと自分のお昼ご飯を購入。
當麻の駅前には「どっこいまんじゅう」のお店があります。
2年ほど前かな~?食べた時美味しかったんです。
なので、久々にGETすることに。(お昼買ったのに!)
前回同様、焼きたてを持って駅ナカへ。
駅のベンチでカブリつくのら。
FBでお世話になっているコミュの方オススメの渋皮栗を食べたのですが、めっちゃ美味しいです!!!
季節限定のりんごも気になったんだけど。。。限定品のあるうちに、また来れるかなぁ。
當麻の駅から目指すは飛鳥。
飛鳥駅から高松塚古墳へは徒歩10分程度です。
古墳から出土した石室の修復現場は、平成20年から年に2回特別に公開しているそうです。
たまたま、知り合いの方がFBやツイッターにこの公開をアップして下さったので知ることができました。
事前予約制ですが、その回の見学上限人数に満たない場合は、当日受付もしているんですよ。
オイラは14:30~16:00の最終回に申し込んでおりました。
14:30より少し早めについたので、休憩所で遅めのお昼を。
ヤマトさんで購入した「三色そぼろ」。
ポテサラに卵にデザートまで付いて500円はめっちゃお得やと思う!
モリモリ食べて、14:30少し前に受付へ行きました。
14:30以降の見学より1つ早い見学の組に移動させてもらえたのでめっちゃラッキ~☆
冊子をもらって、14:45の回で見学致しました。
最初に高松塚古墳の簡単な説明をスライドを交えてしてもらった後、10分程度の見学。最後にアンケートに答えて、約30分くらいの見学会です。
以下、内部の写真撮影・録画は禁止されておりますのでオイラの覚書。
・昭和47年の発見当初、すでに鎌倉時代に盗掘にあっていた。石が一部壊されており、その隙間から内部が観察できたとのこと。
・古墳の形状はこんもりした山型ではなく、途中に一段弾がある鏡餅型である。
・古墳はいくつもの層になっており、一層づつ土を盛っては突き固めを繰り返して作ったことが伺える。
・江戸時代の南海沖地震の影響でできたヒビが、突き固められた地盤にいくつも見つかっている。
・江戸時代に描かれた図では文武天皇陵と記されているが、現在文武天皇陵は別のところにあるので、被葬者は不明。但し、発見当初、石室内には壊れた柩と人骨があり、45~50歳位の男性であることが判明している。古墳の作られた年代と被葬者の年齢から、数人の候補は上がっているとのこと。
・一日に1cm四方程度しか進まないクリーニングを地道にした結果、黒カビの除去はかなり進み、発見当初に近い復元がなされつつある。
・石室の大きさは1.5帖程度。高さは1m程度。大人二人がしゃがんで入るといっぱいいっぱいになるくらいの小ささ。現在は石室を解体し、石の1面づつクリーニング・修復・研究の作業がされている。
・柩は漆塗りの木製だった。但し、粉々に潰れた状態で発見された。盗掘の際に壊されたのか、その後の土砂で壊れたのかは聞いていないので不明。(しくった!)
・唐で作られた鏡が副葬品として見つかっている。(同じ鋳型の鏡が中国で出土しているらしい。)
・石室内部に施された絵は、1~2cmの漆喰を塗った上に描かれている。
・男子群像にべったりついている赤いものは、盗掘跡の隙間や古墳のクラックから入り込んだ土砂に含まれる鉄分がついたもの。土砂により漆喰ごと剥げ落ちている箇所も。鉄が付いた部分は絵の具が剥げ落ちており、絵の復元は不可能。
・女性群像は比較的色彩がキレイに残っており、美しい。
・描かれている絵に意味があるのか(何か物語になっているとか、エジプトのピラミッドのように死者を守ったりさばいたりする神が描かれてるとかそう言った意味)聞いたところ、唐で流行っていた図柄が、そっくりそのまま描かれているとのこと。しかも唐の石室(墳墓)は大きく、描かれている人物も等身に近い大きさなのに対し、高松塚古墳のものは、数分の一スケールで描かれているとのこと。これは石室に合わせて描いた結果である。
704年に帰って来た遣唐使が持ち帰った図柄であろうと思われる。(高松塚古墳は704年以降に作られているので)
・石の接合部分は切り欠きがされており、平たい面を単にくっつけたのではなく、互い違いに組み合わさるように加工がなされている。
・石は凝灰岩で、非常に脆く水に弱い。二上山の屯鶴峯あたりで切り出されたもの。
・修復後は、現在の技術では古墳の中に戻すことはできない(防カビ対策などができない)ので、しかるべき場所で保存することになる。現在協議中とのこと。(個人的には奈良から出さず、保存していただきたい)
そんなこんなで、奈良満喫の一日でした。
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っつっても、本当に登るかどうかはギリギリまで思案してたんですが。
とにかく先に決まったていた高松塚古墳の壁画見学会の前に、二上山付近に行くことにしました。
大阪側からの二上山。上ノ太子駅まで来ると、駅やその他の建物と被ってお山がちゃんと見えなかった^^;
いつもは二上神社口からお山を目指すオイラですが、神社口からの登山ルートは階段が多くて厳しい・・・と助言をもらっていたので、登るにせよ登らぬにせよ二上山で下車することに。
しかし、二上山の駅前(山側)は解りづらい道だにゃァ^^;
専称寺さんあたりに来てなお「登ろうかな・・どうしようかな」と迷うオイラ。(←登れよ、オイラ!)
春日さんの境内で、幼稚園位の子供たちを引率する一団と遭遇し、山登り決定。
こんな小さな子が登るのに、オイラも頑張らねばって気分になったのだ。
比較的なだらかな山道です。
うん、神社口から登るとすぐに階段になるもんな。
神社口ルートとの合流地点直前くらいでちょっと急な上りで階段になりますが、こっちのルートの方が断然楽。
今後はこのルートからしか登らんぞ。
一時間半ほどで無事大津の元にたどり着く。
今更ですが「アケマシテオメデトウ。コトシモヨロシクネ」と手を合わす。
この日の大津の空は曇っていた。
あれ~?途中まで晴れてたんだけどな^^;
いつも通りぐるりと一周し、次の場所へ向かうべく大津の元を立つ。
馬の背から見える雄岳。
今回は雌岳へは登らずに、そのまま祐泉寺に下ることに。
雌岳から當麻に下りるルート違って、このルートはかなり急で険しいのです。
登るのは絶対嫌!下りる以外には利用しないコースなオイラの目に飛び込んできたのが、最近お世話になっているFBのコミュの方。
なんでも二上山を登る会か何かで、二上山に登って降りてまた登る・・・みたいなことをしているらしい。元気やなぁ^^;
お互い「何やってんのー?」と声をかけてすれ違いました(笑)
上りのヘロヘロはどこ吹く風?と、軽快に下るオイラ。
お山のお水も気持ちいい~♪
苔むした木も趣あるねぇ。。。
根っこのウネウネ具合もええ感じです。
無事に下山し、鳥谷口古墳に到着。
いつも綺麗なお花を供えてくださってて、ここに来るとほっこりします。
池までくるとお山を振り返らずにはいられません。
「またおいでやー」って、お山さんも鳥谷口古墳さんも言ってくれてる気がするんです。
當麻の街へ下る途中、トラックで八朔を売っているのに遭遇。
迷わず買ってしまった☆
この日のメインは二上山ではなく高松塚古墳の壁画見学です。
當麻寺は境内を通らせていただくだけに止めました。お参りはまた改めて。。。
っつか、今年のお練りにお友達のお子さんがお稚児さんで参加なので、お練に必ず参りますぞ!!!
當麻の駅に向かう途中に柿の葉ずしのヤマトの販売所があるんです。
なので、ここで家へのお土産の柿の葉ずしと自分のお昼ご飯を購入。
當麻の駅前には「どっこいまんじゅう」のお店があります。
2年ほど前かな~?食べた時美味しかったんです。
なので、久々にGETすることに。(お昼買ったのに!)
前回同様、焼きたてを持って駅ナカへ。
駅のベンチでカブリつくのら。
FBでお世話になっているコミュの方オススメの渋皮栗を食べたのですが、めっちゃ美味しいです!!!
季節限定のりんごも気になったんだけど。。。限定品のあるうちに、また来れるかなぁ。
當麻の駅から目指すは飛鳥。
飛鳥駅から高松塚古墳へは徒歩10分程度です。
古墳から出土した石室の修復現場は、平成20年から年に2回特別に公開しているそうです。
たまたま、知り合いの方がFBやツイッターにこの公開をアップして下さったので知ることができました。
事前予約制ですが、その回の見学上限人数に満たない場合は、当日受付もしているんですよ。
オイラは14:30~16:00の最終回に申し込んでおりました。
14:30より少し早めについたので、休憩所で遅めのお昼を。
ヤマトさんで購入した「三色そぼろ」。
ポテサラに卵にデザートまで付いて500円はめっちゃお得やと思う!
モリモリ食べて、14:30少し前に受付へ行きました。
14:30以降の見学より1つ早い見学の組に移動させてもらえたのでめっちゃラッキ~☆
冊子をもらって、14:45の回で見学致しました。
最初に高松塚古墳の簡単な説明をスライドを交えてしてもらった後、10分程度の見学。最後にアンケートに答えて、約30分くらいの見学会です。
以下、内部の写真撮影・録画は禁止されておりますのでオイラの覚書。
・昭和47年の発見当初、すでに鎌倉時代に盗掘にあっていた。石が一部壊されており、その隙間から内部が観察できたとのこと。
・古墳の形状はこんもりした山型ではなく、途中に一段弾がある鏡餅型である。
・古墳はいくつもの層になっており、一層づつ土を盛っては突き固めを繰り返して作ったことが伺える。
・江戸時代の南海沖地震の影響でできたヒビが、突き固められた地盤にいくつも見つかっている。
・江戸時代に描かれた図では文武天皇陵と記されているが、現在文武天皇陵は別のところにあるので、被葬者は不明。但し、発見当初、石室内には壊れた柩と人骨があり、45~50歳位の男性であることが判明している。古墳の作られた年代と被葬者の年齢から、数人の候補は上がっているとのこと。
・一日に1cm四方程度しか進まないクリーニングを地道にした結果、黒カビの除去はかなり進み、発見当初に近い復元がなされつつある。
・石室の大きさは1.5帖程度。高さは1m程度。大人二人がしゃがんで入るといっぱいいっぱいになるくらいの小ささ。現在は石室を解体し、石の1面づつクリーニング・修復・研究の作業がされている。
・柩は漆塗りの木製だった。但し、粉々に潰れた状態で発見された。盗掘の際に壊されたのか、その後の土砂で壊れたのかは聞いていないので不明。(しくった!)
・唐で作られた鏡が副葬品として見つかっている。(同じ鋳型の鏡が中国で出土しているらしい。)
・石室内部に施された絵は、1~2cmの漆喰を塗った上に描かれている。
・男子群像にべったりついている赤いものは、盗掘跡の隙間や古墳のクラックから入り込んだ土砂に含まれる鉄分がついたもの。土砂により漆喰ごと剥げ落ちている箇所も。鉄が付いた部分は絵の具が剥げ落ちており、絵の復元は不可能。
・女性群像は比較的色彩がキレイに残っており、美しい。
・描かれている絵に意味があるのか(何か物語になっているとか、エジプトのピラミッドのように死者を守ったりさばいたりする神が描かれてるとかそう言った意味)聞いたところ、唐で流行っていた図柄が、そっくりそのまま描かれているとのこと。しかも唐の石室(墳墓)は大きく、描かれている人物も等身に近い大きさなのに対し、高松塚古墳のものは、数分の一スケールで描かれているとのこと。これは石室に合わせて描いた結果である。
704年に帰って来た遣唐使が持ち帰った図柄であろうと思われる。(高松塚古墳は704年以降に作られているので)
・石の接合部分は切り欠きがされており、平たい面を単にくっつけたのではなく、互い違いに組み合わさるように加工がなされている。
・石は凝灰岩で、非常に脆く水に弱い。二上山の屯鶴峯あたりで切り出されたもの。
・修復後は、現在の技術では古墳の中に戻すことはできない(防カビ対策などができない)ので、しかるべき場所で保存することになる。現在協議中とのこと。(個人的には奈良から出さず、保存していただきたい)
そんなこんなで、奈良満喫の一日でした。
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