4回シリーズで行われた「女性たちの祈りの美のおはなし」。
オイラは女性神職様のお話の2回を拝聴いたしました。
(女性のご住職様の2回が聞けなかったのが非常に残念)
第一回目は、璉珹寺さんの下間景甫ご住職様のお話。
毎月一回の京終さろんでお世話になっている璉珹寺さん。下間ご住職様にも良くしていただいているのに、お話を聞きに行くことが叶わず残念。
聞いた話だと、阿弥陀様や仏様のお話だけでなく読経をしていただいたとか。。。。くぅ!!
第二回目は葛木御歳神社の東川優子宮司様のお話。
ちょっと早めに市美に到着し、祈りの美を見る。
清水公照様、杉本健吉さん、平山郁夫先生。。。もう、盛りだくさんすぎて一時間半程度では観きれないボリュームです^^;
オイラ、杉本健吉さんの作品って全く知らなかったのですが、ちょっと感動でしたね。
そんな展示の感動を抱えながら向かうは「女性たちの祈りの美のおはなし」の会場です。
東川とかいて「うのかわ」と読みます。
なぜ東が「う」なのかと言いますと、東の方向が卯の方向だからなのですよ。
そう言ってお話を始められた東川宮司様は、奈良盆地を見守る北向きの神社、御歳神社の宮司様です。
荒れ果てた神社の再建の着手をされた方です。
土地の神様が宮司様を引き寄せ、その力に引き寄せられるように協力の方々が集ってくる様子を嬉しそうに語る宮司様。
神がかっているとはこういうことなのだな、と思いました。
御歳神社の「みとし」の「とし」とは、みのり・稲の意味。
「ええとしやったなー♪」って豊作を喜ぶ「良い年」=歳なのだそう。
歳神様は田の神様なのです。
その田の神様が来られるお正月には、鏡餅を飾る。
奥つ御年。(おきつみとし)
田の神様からいただいた大切なものの意味。
歳神様から分けていただいたお餅をのことを指して「お年玉」と言うのだそうです。
御神体は御歳山。(もちろん禁足地です。)
そのお山に抱かれて、自分も自然の一部として自然の中に身を置いていらっしゃる宮司様。
11月23日には奥山清浄があるのだそうです。
「祈り」とは、神様に対し「意」を述べること。
お願いではなく、自身の道を明らかにする決意表明だと宮司様はおっしゃいました。
言霊でもって、有言実行する。
言うことによって、その方向へ自ら行こうとする行為。
それが祈り。
神社ではお祓いをする。
これは魂にこびりついた悪いものを、ささっと払い落とし、神様からの元気をダウンロードすることなのだそう。
だから神社では、神様に甘えていいんだよっておっしゃってました。
最後に「ひふみのりと」と言う祝詞を上げてくださり、講話は終了。
宮司様のウフフな話し方、倉橋さんの話を引き出す絶妙な合いの手。
とても濃密で楽しい時間でした。
あまりにホクホク気分で嬉しかったので、帰りにことのまあかりさんにお茶しに寄りました。
このホワホワした気分にはお酒だ!ってことで、これ、何飲んだんだっけ?
鑑真だったかな。家持だったかな。。。^^;
とにかく一杯引っ掛けて帰ったのでありました。
第三回目は聖林寺の倉本明佳ご住職様のお話。
ご本尊の子安地蔵さまをめぐるお話や、国宝十一面観音さまが聖林寺に来られたいきさつを映像とともに話してくださったようです。
奇しくも、お寺さんの2回を聴講できずとゆー。。。(´д`)
最終回は賣太神社、藤本眞喜子禰宜様の話。
この日はちょっと寝坊したけれど、薬師寺さんへ立ち寄ってから行くことに。
いつも早くに咲く桜。きれーいと思いつつ写メしていると、「これ河津桜というのよ」とお寺の職員さんが教えてくださいました。
梅が盛りを迎えており、とても良い香りです。
夜はもしかするとむせ返るほどかもしれませんね。
竜王社横の日光月光の梅も順調に成長しているようです。
毎度この木の花の名前が覚えられないのですが。。。多分、山茱萸(サンシュユ)。
個人的に好きな空間。
お天気いい日の金堂はほんと惚れ惚れしちゃいますね。
参拝者もチラホラ。良い感じです。
時間的に微妙でしたが、チョー超特急で食べると自分に課して、穀雨さんへ。
ずっと狙っていた「酸辣湯麺」を注文♪
細麺に、山椒と辣油の効いたトロトロスープが絡んで。。。めっちゃ熱い!!!(笑)
でもうま~い(*´∀`*)
ハフハフしながらお汁まで一気にいただきました。
興福寺さんを一気に抜けて、目指すは市美。
そして目的地到着。
藤本さんは、賣太神社の禰宜様で奈良県女子神職会会長でもあるのです。
「女子なんですね~」なんて倉橋さんから突っ込まれて「女性にすればよかったかな」なんてお茶目な回答をしながら、お話スタート。
まずは女性神職さんのお衣装の話。
着ていらっしゃるのがその衣装で、ねじまち袴というそうです。
字は「捻襠切袴」と書くそう。難しい^^;
裾がちょっと絞ったような感じに見えましたが実はそうでもないかも。
稗田阿礼を主祭神に、配祀に天鈿女命・猿田彦を祭っている賣太神社。
今でこそのんびりとした場所となっていますが、創建当初は条里制の基本となった下ツ道に面しており、橋梁の跡が発掘されているところから水陸両方の主要幹線に面した超エリート地に建てられた神社であったことがわかるのです。
さて、この阿礼様。どんな方かご存知か。
古事記の編纂に携わった飛鳥~奈良時代の方。
本居宣長は添上の郡に鎮座する男と言い、平田篤胤は天鈿女命の末娘と説いたらしい。
稗田は、朝廷の祭祀に携わった猿女君のお住まいとのこと。語り部の多くが媼であったこともあり、阿礼ちゃんは女子・・・?
ウチの母、女性として習ったそうです。
しかし古事記の序文に、「時に舍人、有り。姓は稗田、名は阿禮。年はこれ廿八。」とあり、舎人は男性職の名称なので、やっぱり男性・・・?
と、未だに決着はついていないそう。
墳墓などの決定的証拠発見まで、貴方の思う阿礼様が本当の阿礼様で良いとのことでした。
因みに賣太神社の歌の中に「あれさまじゃ、あれさまじゃ、ひえたのあれさまじゃ。おはなしのかみさまじゃ。わしらのじいさまじゃ」とあるそうで、一応、男性の神様として祀っておられるそうです。
お話の神様として確立したのは、大正末期~昭和初期。
小学校の先生を中心に童話を語る会が設立。日本のアンデルセンと言われた久留島武彦らが日本にもアンデルセンのようなお話の神を祭ろうという流れになり、第一回童話祭に稗田阿礼を選んだとのこと。
この童話祭は1945年の8月16日にも開催されており、童話への思いが深く込められているとのことです。
阿礼は聞いたことを自分の中で咀嚼し、自分の言葉にする力を持っていたのだろうと禰宜様は考えておられます。
そうして阿礼がまとめ上げた伝承を、太安万侶が漢文ではなく日本語として書いたのが古事記。
まだカナのない時代なので、その文章は音がひらかなを表しており、非常にむつかしく平安以降江戸時代まで、なかなか研究がなされなかったのではないかとのことでした。
最後の方に少し内緒の話として、明治期に「二十歳以上の男子」と定められた神職でしたが、昭和に入り戦争などもあり女性も神職となることを公に許されたとのこと。
しかし伊勢の祭主を見ても分かるように、古来より神様のお側に使えるのは女性なのですよ、って。
禰宜様が資格を取られた頃には男性の笏法しかなかったそうですが、今では笏法と扇法とがあるそうです。
扇法は女性神職の作法なんだそうです。
お写真で持っておられるブレブレなのは笏。遷宮の際に出た木材で作られた笏なんだそうです。
扇も見せてくださいましたが、朱塗りで美しかったです。扇には絵が描かれているようでしたが、広げて使うことはないそうです。
禰宜様はおっしゃいます。
神さんはいつでも見てくれてはる。そういうふうに大きくなりました。
神の道と書いて神道。
古来より日本人は、自然よりめぐみを受けて生きていることに手を合わせてきた。
仏教の経典やキリスト教の聖書のような教えはない。
自然の中から自然発生的に生まれたので、もの挙げ言挙げをしないのが神道である。
生命が今を生きる確率は、宝くじの一億円が1万回連続して当たるに等しい奇跡。
「今中」(いまなか)
浄明正直(じょうみょうせいちょく)=清らかに明るく誠の心で生きる。
多くの祖先の上に生きる「私」は子孫へとつながっていく。その「今、私が生きている一瞬」これが今中。この一瞬を感じて生きるのが、人の生き方として大切である。
じんわりと心に響く言葉をいただき、「女性たちの祈りの美のおはなし」は終了したのでした。
そしてやっぱりかえりにことのまさんへ寄るオイラ。
カヌレと古墳コーヒーのアイスラテをいただき、心もお腹も大満足したのでした。
↑ 知らない世界、自分以外の人の考え、生きること、祈ること。3.11の翌日に、「祈り」について改めて考えたシリーズ最終回だったのでした。ポチよろしく☆
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オイラは女性神職様のお話の2回を拝聴いたしました。
(女性のご住職様の2回が聞けなかったのが非常に残念)
第一回目は、璉珹寺さんの下間景甫ご住職様のお話。
毎月一回の京終さろんでお世話になっている璉珹寺さん。下間ご住職様にも良くしていただいているのに、お話を聞きに行くことが叶わず残念。
聞いた話だと、阿弥陀様や仏様のお話だけでなく読経をしていただいたとか。。。。くぅ!!
第二回目は葛木御歳神社の東川優子宮司様のお話。
ちょっと早めに市美に到着し、祈りの美を見る。
清水公照様、杉本健吉さん、平山郁夫先生。。。もう、盛りだくさんすぎて一時間半程度では観きれないボリュームです^^;
オイラ、杉本健吉さんの作品って全く知らなかったのですが、ちょっと感動でしたね。
そんな展示の感動を抱えながら向かうは「女性たちの祈りの美のおはなし」の会場です。
東川とかいて「うのかわ」と読みます。
なぜ東が「う」なのかと言いますと、東の方向が卯の方向だからなのですよ。
そう言ってお話を始められた東川宮司様は、奈良盆地を見守る北向きの神社、御歳神社の宮司様です。
荒れ果てた神社の再建の着手をされた方です。
土地の神様が宮司様を引き寄せ、その力に引き寄せられるように協力の方々が集ってくる様子を嬉しそうに語る宮司様。
神がかっているとはこういうことなのだな、と思いました。
御歳神社の「みとし」の「とし」とは、みのり・稲の意味。
「ええとしやったなー♪」って豊作を喜ぶ「良い年」=歳なのだそう。
歳神様は田の神様なのです。
その田の神様が来られるお正月には、鏡餅を飾る。
奥つ御年。(おきつみとし)
田の神様からいただいた大切なものの意味。
歳神様から分けていただいたお餅をのことを指して「お年玉」と言うのだそうです。
御神体は御歳山。(もちろん禁足地です。)
そのお山に抱かれて、自分も自然の一部として自然の中に身を置いていらっしゃる宮司様。
11月23日には奥山清浄があるのだそうです。
「祈り」とは、神様に対し「意」を述べること。
お願いではなく、自身の道を明らかにする決意表明だと宮司様はおっしゃいました。
言霊でもって、有言実行する。
言うことによって、その方向へ自ら行こうとする行為。
それが祈り。
神社ではお祓いをする。
これは魂にこびりついた悪いものを、ささっと払い落とし、神様からの元気をダウンロードすることなのだそう。
だから神社では、神様に甘えていいんだよっておっしゃってました。
最後に「ひふみのりと」と言う祝詞を上げてくださり、講話は終了。
宮司様のウフフな話し方、倉橋さんの話を引き出す絶妙な合いの手。
とても濃密で楽しい時間でした。
あまりにホクホク気分で嬉しかったので、帰りにことのまあかりさんにお茶しに寄りました。
このホワホワした気分にはお酒だ!ってことで、これ、何飲んだんだっけ?
鑑真だったかな。家持だったかな。。。^^;
とにかく一杯引っ掛けて帰ったのでありました。
第三回目は聖林寺の倉本明佳ご住職様のお話。
ご本尊の子安地蔵さまをめぐるお話や、国宝十一面観音さまが聖林寺に来られたいきさつを映像とともに話してくださったようです。
奇しくも、お寺さんの2回を聴講できずとゆー。。。(´д`)
最終回は賣太神社、藤本眞喜子禰宜様の話。
この日はちょっと寝坊したけれど、薬師寺さんへ立ち寄ってから行くことに。
いつも早くに咲く桜。きれーいと思いつつ写メしていると、「これ河津桜というのよ」とお寺の職員さんが教えてくださいました。
梅が盛りを迎えており、とても良い香りです。
夜はもしかするとむせ返るほどかもしれませんね。
竜王社横の日光月光の梅も順調に成長しているようです。
毎度この木の花の名前が覚えられないのですが。。。多分、山茱萸(サンシュユ)。
個人的に好きな空間。
お天気いい日の金堂はほんと惚れ惚れしちゃいますね。
参拝者もチラホラ。良い感じです。
時間的に微妙でしたが、チョー超特急で食べると自分に課して、穀雨さんへ。
ずっと狙っていた「酸辣湯麺」を注文♪
細麺に、山椒と辣油の効いたトロトロスープが絡んで。。。めっちゃ熱い!!!(笑)
でもうま~い(*´∀`*)
ハフハフしながらお汁まで一気にいただきました。
興福寺さんを一気に抜けて、目指すは市美。
そして目的地到着。
藤本さんは、賣太神社の禰宜様で奈良県女子神職会会長でもあるのです。
「女子なんですね~」なんて倉橋さんから突っ込まれて「女性にすればよかったかな」なんてお茶目な回答をしながら、お話スタート。
まずは女性神職さんのお衣装の話。
着ていらっしゃるのがその衣装で、ねじまち袴というそうです。
字は「捻襠切袴」と書くそう。難しい^^;
裾がちょっと絞ったような感じに見えましたが実はそうでもないかも。
稗田阿礼を主祭神に、配祀に天鈿女命・猿田彦を祭っている賣太神社。
今でこそのんびりとした場所となっていますが、創建当初は条里制の基本となった下ツ道に面しており、橋梁の跡が発掘されているところから水陸両方の主要幹線に面した超エリート地に建てられた神社であったことがわかるのです。
さて、この阿礼様。どんな方かご存知か。
古事記の編纂に携わった飛鳥~奈良時代の方。
本居宣長は添上の郡に鎮座する男と言い、平田篤胤は天鈿女命の末娘と説いたらしい。
稗田は、朝廷の祭祀に携わった猿女君のお住まいとのこと。語り部の多くが媼であったこともあり、阿礼ちゃんは女子・・・?
ウチの母、女性として習ったそうです。
しかし古事記の序文に、「時に舍人、有り。姓は稗田、名は阿禮。年はこれ廿八。」とあり、舎人は男性職の名称なので、やっぱり男性・・・?
と、未だに決着はついていないそう。
墳墓などの決定的証拠発見まで、貴方の思う阿礼様が本当の阿礼様で良いとのことでした。
因みに賣太神社の歌の中に「あれさまじゃ、あれさまじゃ、ひえたのあれさまじゃ。おはなしのかみさまじゃ。わしらのじいさまじゃ」とあるそうで、一応、男性の神様として祀っておられるそうです。
お話の神様として確立したのは、大正末期~昭和初期。
小学校の先生を中心に童話を語る会が設立。日本のアンデルセンと言われた久留島武彦らが日本にもアンデルセンのようなお話の神を祭ろうという流れになり、第一回童話祭に稗田阿礼を選んだとのこと。
この童話祭は1945年の8月16日にも開催されており、童話への思いが深く込められているとのことです。
阿礼は聞いたことを自分の中で咀嚼し、自分の言葉にする力を持っていたのだろうと禰宜様は考えておられます。
そうして阿礼がまとめ上げた伝承を、太安万侶が漢文ではなく日本語として書いたのが古事記。
まだカナのない時代なので、その文章は音がひらかなを表しており、非常にむつかしく平安以降江戸時代まで、なかなか研究がなされなかったのではないかとのことでした。
最後の方に少し内緒の話として、明治期に「二十歳以上の男子」と定められた神職でしたが、昭和に入り戦争などもあり女性も神職となることを公に許されたとのこと。
しかし伊勢の祭主を見ても分かるように、古来より神様のお側に使えるのは女性なのですよ、って。
禰宜様が資格を取られた頃には男性の笏法しかなかったそうですが、今では笏法と扇法とがあるそうです。
扇法は女性神職の作法なんだそうです。
お写真で持っておられるブレブレなのは笏。遷宮の際に出た木材で作られた笏なんだそうです。
扇も見せてくださいましたが、朱塗りで美しかったです。扇には絵が描かれているようでしたが、広げて使うことはないそうです。
禰宜様はおっしゃいます。
神さんはいつでも見てくれてはる。そういうふうに大きくなりました。
神の道と書いて神道。
古来より日本人は、自然よりめぐみを受けて生きていることに手を合わせてきた。
仏教の経典やキリスト教の聖書のような教えはない。
自然の中から自然発生的に生まれたので、もの挙げ言挙げをしないのが神道である。
生命が今を生きる確率は、宝くじの一億円が1万回連続して当たるに等しい奇跡。
「今中」(いまなか)
浄明正直(じょうみょうせいちょく)=清らかに明るく誠の心で生きる。
多くの祖先の上に生きる「私」は子孫へとつながっていく。その「今、私が生きている一瞬」これが今中。この一瞬を感じて生きるのが、人の生き方として大切である。
じんわりと心に響く言葉をいただき、「女性たちの祈りの美のおはなし」は終了したのでした。
そしてやっぱりかえりにことのまさんへ寄るオイラ。
カヌレと古墳コーヒーのアイスラテをいただき、心もお腹も大満足したのでした。
↑ 知らない世界、自分以外の人の考え、生きること、祈ること。3.11の翌日に、「祈り」について改めて考えたシリーズ最終回だったのでした。ポチよろしく☆
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奈良が大好きなんですね、ひ~ちゃんは。
修二会の時期は月の内、10日は奈良に出没してるとゆー。。。^^;
おかげで、春というのに懐は極寒です。