ぶつぶつ地蔵

地蔵 呟く ひーの言葉を。ぶつぶつと…。

コメント大歓迎!BUT訳の解らない書き込みはザクザク消しますッス!

頂きました♪

2008-01-30 17:28:23 | 呟き
自分に関心を持つことが、
ステキになる一番の近道なんだよぉ♪
そして、
好きなものが沢山ある人は、
ハッピーが沢山あるってことだよぉ♪





元気を放出している占い師さんから、本日頂いた言葉。

当たり前なんだけど、忘れているよね。
回りばっかり気にして、誰かの力になろうとして。。。
でも、本当はいつだって『自分』が一番。

自分を磨けない人に、回りを磨けるはずが無い。
自分を素敵にしてる人が、やっぱり素敵な人なんだと思う。


最近はジュエリーに縁があるので、そこら辺を自分に近づけて行こう。
買うって意味ばかりじゃないよ。興味をね、掻き立てようって思うのです。

ジュエリーばっかりじゃなく、好きなものには近づいて行こう。
いいなって思ったら、立ち止まろう。


なーんて思うのでした。

色・形・感触・・・について

2008-01-29 11:08:44 | 思考の森
今、オイラが見ている色が『赤』だとする。
今、あなたが見ている色は何色ですか?


今、オイラが見ている形が『四角』だとする。
今、あなたが見ている形はどんな形ですか?


今、オイラが触った物が『つるつるの楕円』だったとする。
今、あなたが触った物はどんな手触りでどんな形ですか?



二人して同じものを見たときに、そのものさえ知っていれば同じ答えにたどり着く。
例えば、竹林を見たとき、オイラは「緑」と答えるだろう。「それは丸くて節のある、竹だ」と答えるだろう。
そしてあなたも「竹の緑が綺麗だね」って答えるだろう。



でもそれって答えは同じだけれど、「あなた」と「私」が見た(触った)物がまったく同じであるって事にはならない。



光にはいろんな長さがあり、その長さによって、色が存在する。
長く伸びる光(長波光)は赤。
短い光(短波光)は青。
夕日は長い光が到達するから赤く見える。
昼間の空は短い光が到達するから青く見える。
赤いリンゴは、長い光を跳ね返すから赤く見える。
緑の葉っぱは、緑に見える光の長さを跳ね返すから緑に見える。


分析上、同じ数値の光を見ている訳だけど、
果たして、この時の色は同じだろうか。


物の形や手触りも然り。


オイラが見ている『赤』は、あなたが見ている『赤』と同じじゃないかもしれない。
オイラが見ている『ピラミッドの形』は、あなたが見ている『ピラミッドの形』とは同じじゃないかもしれない。
オイラの触った『柔らかいふわふわ』は、あなたが触った『柔らかいふわふわ』と同じじゃないかもしれない。


同じ言葉で表現されて、みんな同じ表現になっても・・・その感覚はまったく違うのかもしれない。


「私」は「あなた」じゃないから、「あなた」の目が見ているものを見ることは出来ない。
「私」は「あなた」じゃないから、「あなた」の感じている感触を感じることは出来ない。
「私」は「私」以外の感覚で物事を捉える事は出来ない。


同じだね、っていいながらも、まったく同じであるとは言い切れないんだなーなんて思うんですよ。


自分以外の『その人の目』『そのひとの手』で見たり触れたりしてみたら、そこには今まで「私」では見られなかったまったく違う世界が広がっているのかもしれない。

さようなら・・・なの?

2008-01-28 11:44:40 | おさるさんの事
去年の暮れに、岩田山のボスとなったオプレスが行方不明らしい。

一月の中旬頃から調子が悪そうだったらしいんだけど、とうとう展望台に姿を見せなくなってしまったとの事。
24日から姿を見せていないらしく、HPで書かれている園の方のお話では、きっと死んでしまったのだろう・・・って。

こういう時に、自然の厳しさを感じます。

オプレスはシロが怪我で調子の悪かったときに、自然とシロと順位が入れ替わったお猿さん。
シロがボスだったので、結果的に順位が入れ替わるとボスになってしまった・・って感じらしい。
お猿さんにも適材適所・・・とでも言うのでしょうか、合う合わないってのがあるらしく、オプレスも『ボス』という位置が合わず、それゆえに体調を崩し、そのまま復活できなかったのでは・・って事です。

ボスは一番最初にご飯にもありつけるし条件は絶対的にいいはずなのに、体調を狂わすほどのプレッシャーもあるって事でしょうね。

自然の中で生きるって言うのは、ちょっとした事で命を落とすって事。
命を落としたのがボスでも、この群れはちゃんといつも通りに餌場に来て、いつもと同じ生活をする。
人間はその事柄を感傷的に見るけれど、彼らにとっては自分が「生きる」ために餌場にくるんだよね。



今日もお山は寒いらしい。。。
おサル達は、互いの身を寄せ合って『さるだんご』になって寒さをしのいでいる。


オプレス・・・ちゃんと見分けられないまま「さよなら」なのかな。

存在とは・・・

2008-01-25 14:46:56 | 思考の森
新しいカテゴリーを作ってみました。
うーん・・・ちょっと自分の中で思っていることを、呟きとは別に引き出してみようかなって。
イタイ考えとかあるので、温かい目で見守ってもらえると嬉しいな(笑)


記念すべき第一回目は・・・『存在とは・・・』であります。



中学生頃からずっと気になっていた事なんだけど、「世の中に存在しているものは本当に存在しているのか。」って事。
たとえば「私」という存在があって、「あなた」という存在がある。
たとえば「私」という存在があって、「日本・・・しかも大阪の町・・・更にはオイラの家、学校、職場」って存在がある。
「私」は「あなた」に触れることも話すことも出来る。やる気があれば、生き物すべてと触れ合うことが出来る。
「私」は電車に乗って、大阪城にもいけるし、通天閣にだって登れる。

・・・でもそれって、本当に存在しているの?

実は自分を取り巻く全ては、オイラが見ていない時には空気の抜けた風船のようにしぼんでしまって、本当は存在してないんじゃないか・・・と。

一緒に話したり、耳をそばだてている時には音を出し、動き、見える。(存在しているような気がする)
でも「私」が聞いていないとき、見ていないとき・・・それらは本当に動き、存在し、そこにあるのだろうか。

くるっとオイラが目をそらした瞬間、「あー疲れた!」とか言って、ぷしゅ~っと萎んでいることはない?
くるくるぽん!って消えちゃってることはない?

すんごい急いで振り返ってみても、それらは今までそこに在ったかのように、空気を入れて膨らんでいるんだとしたら・・・
オイラが振り返るのをいち早く察知して、ずっとココに存在してたわよって顔して、復元されているのだとしたら・・・

自分以外、実はまったく存在するものは無い・・・って考え。
自分以外のものが、まるであるかのように見えてるだけで、実は騙されている・・・って考え。
・・・まぁ、騙すって誰が?って話なんですがね(笑)

見てない空間の存在を、立証できないから浮かぶ考え
もし、世の中に自分しか存在しないんだとしたら・・・



なーんて、考えちゃったりするんだよね^^;
今でもたまーに考えて、急いで振り返ってみたりする(笑)
まぁ、自分の歩いていた道も風景も、すれ違った人達もちゃんといるんだけどね^^
でもさ、もしかしたらめっちゃ慌てて復元してるんかもしれんしな(爆)


呼び方を忘れてしまったんだけど、こーゆー『自分以外の何ものも存在していない』って考えって、ちゃんとあるらしい。
呼び名を思い出したら、書き添えておきます。

遊煩悩林現神通

2008-01-22 15:06:12 | 呟き
最近お気に入りブログを見つけた。
「唯吾足知」を調べていて見つけたブログなんだけど、イラストなんかもスンゲー可愛くって、人目でファンになってしまったのだ。
浄土真宗のお坊様のブログで、本当にいろんな事に気づかせてくださいます。
ただいま過去に遡って日記を読んでいる中なんですよ。(おかげで仕事が手につかない^^;って、ダメダメやん!!!)



そこで見つけた言葉。
親鸞聖人様がお名前の一字を頂いたと言う中国の高僧、曇鸞大師(どんらんたいし)様という方のお言葉です。


「遊煩悩林現神通」(ゆう ぼんのうりん げん じんずう)

言葉の意味は、
「お念仏を唱え極楽に往った人は仏様のお姿となり、煩悩の林(私達の今いる世界)で、遊ぶようにその神通力で衆生を救う立場になる」
ということらしい。

人は死んだ後、極楽へ必ず行ける・・・というのが浄土真宗の教えで、そこで言われる極楽って言うのは、光に包まれてのほほんと楽しく過ごす場所ではなく、人を救うことを第一の喜びとしている場所なのだそうだ。
煩悩の森で迷える(もしくは迷っていることさえ解っていない)我々を、導くことを無常の喜びとする。
死んだって楽にならない。むしろ、救わなければいけない人がワンサカいて、バリバリ働かないといけない。
でも、それが喜び。

死に挑み、人はその恐れを拭うことは出来ない。
ただ、死後、浄土へと赴いた魂は仏と姿を変え、一番楽しい事をするんだって。


昔の浄土真宗を信じる人たちは、死に際し、恐れを抱きつつも「忙しくなるぞ」って思われたとか。
だから遺族は死に行く身内に不安を抱えながらも、お葬式にはお赤飯なんかを炊いちゃって見送ったんだそうな。本当の意味で、生きている私達を救える立場となる故人を。


なんだかね、考えさせられるというか、なんと言うか。。。
とりあえず、大好きな人やご先祖様が、自分を導くために仏様となって近くにいらっしゃる・・・って思えるのが嬉しいなぁなんて思って、この言葉を読んだオイラなのでした。





仏教とは、「人は仏になる。そのための教え。」と言うことらしい。

冬の絵空

2008-01-19 16:52:32 | 舞台関係
再演が決定している~~~!
って、大阪は2008年12月だけど。
サンケイホールブリーゼの杮落とし公演なんだって。

遠い昔に観たよ。

キャストが気になるけれど、とりあえず、現状決まっているキャストは生瀬さんだけです。
当時のキャスト・・・何人かは出るんだろうか。

うーん。
観にいきたいぞ。(でも、年末まで覚えてられない自信がある^^;)

宣教師

2008-01-19 15:11:25 | 舞台関係
一人でも多くの人に観てもらいたい~。
・・・と、観劇後、ずっとウズウズしている。

北海道の人~。雪で大変でしょうけれど、是非是非観てほしいんです~!!!
『夢のひと』
公演日程を書いておきます。
少しでも気になった方は、ぜひぜひ観にいってください!!!


2008年1月19日(土)
苫前町公民館
http://www.town.tomamae.lg.jp/icity/browser?ActionCode=content&ContentID=1196412929109&SiteID=0000000000000&FP=toppage

2008年1月21日(月)
富良野市文化会館
http://www.city.furano.hokkaido.jp/Contents/ePage.asp?CONTENTNO=2874

2008年1月23日(水)
幕別町百年記念ホール
http://www.town.makubetsu.lg.jp/makubetsucho/hyakunenkinenho-ru/mirukikuhoru/tyougei/suteiji.jsp

2008年1月25日(金)
中標津町総合文化会館
http://www.zncs.or.jp/lifemap/life0712_1.html

2008年1月27日(日)
湧別町文化センター
http://www1.ocn.ne.jp/~sazanami/

2008年1月29日(火)
美深町文化会館(COM99)
http://www.hfca.or.jp/cgi-bin2/bunka/cgis/performance_calendar.cgi

2008年1月31日(木)
あさひサンライズホール
http://phobos.aurora-net.or.jp/jigyokyoku/pub/ref.php?id=2025

2008年2月2日(土)
深川市文化交流ホール(み・らい)
http://www2.plala.or.jp/f_mirai/miraiindex.html

お問い合わせは、【北海道公演】北海道演劇財団(011-520-0710) または、各劇場にお問い合わせいただいても大丈夫だと思います!

白百合の花に戯れたい宵もある

2008-01-16 12:05:34 | 好き・応援
日ごろお邪魔しているブログ、夕日に赤いママの顔さんのトコロで、晋作のことがちょっと前に話題になっていた。
やっぱ、幕末オタク(しかし、知識の泉は浅い・・・)のオイラといたしましては、晋作を見て見ぬフリは出来ませんでしょう?あまりにも有名なお方だし。ファンも多いし~(笑)

で、伝家の宝刀。
幕末語るにゃ『敬天愛人』(笑)
コレが一番楽だで^^

もちろん、高杉の歌もございます。

 ↓↓こんな感じ↓↓


高杉晋作

 大儀という名の 角振りかざす
 鼻ぐりのない 暴れ牛
 天衣無縫の 晋作だけど
 春の野に咲く 白百合の
 花に戯れたい 宵もある

 三千世界の 烏を殺し
 あの娘と朝寝 したくても
 大和島根を 取り巻く海じゃ
 国を呑みこむ 大鮫の
 黒い背鰭が 群れちょるに

 時代は生ちょる 道理は死ぬる
 槍は鉄砲に かなわない
 来いよ若者 呑もうじゃないか
 命束ねて 回天の
 夢に賭けるぞ 奇兵隊

 作詞:星野哲朗



軽快なメロディーに面白すぎる歌詞。
土方や勇さんの歌はぜんぜん覚えてないけれど(←覚えてないのか?佐幕派のくせに)、高杉の歌は歌えるぞー(笑)
ってか。
敬天愛人の中の歌で歌えるのって、松陰先生と慎太と高杉くらい・・・っつーか、尊皇倒幕派の歌ばっかり。あ、総ちゃんは歌えるか。。。

そんな高杉は、オイラの中ではイメージばかりが先行していて、実はあんまり史実を知らない^^;
高杉のイメージ・・・馬面でー。狐目でー。酒飲みでー。労咳持ちでー。。。
大きな事を言うんだけれど、本当はすんげー神経質・・・みたいな。そんなイメージを持ってます。
んで、腰巾着は利助ね。「晋作さーん」なんて言いながら、チョロチョロ高杉の回りをうろうろする利助。「邪魔やき、向こうへいっちょれ。」とか言いつつ、利助が可愛い高杉・・・なんて妄想が(笑)

実のところ、激昂する松陰先生をなだめて破門状態になっちゃったり、結構常識人だった高杉。むしろ、松陰先生のチャッカマン的な性格を色濃く受け継いだのは久坂だしな。

結局のところ、維新の夜明けの先駆けではあったけれども、大政奉還・明治を見ることなく志半ばの27歳で病没した高杉。

辞世の句は
「おもしろき こともなき世を おもしろく」
と伝えられている。


本物の高杉のちゃんとした情報はこちら(笑)
 ↓  ↓  ↓
高杉晋作

夢のひと -感想-

2008-01-15 22:06:12 | 舞台関係
一昨年に吹田のメイシアターにて公演した『近松劇場FAINAL』の再演。
初演の時に観に来られていた渡辺いっけいさんの熱いラブコールが実っての再演かどうかはわかりませんが、ちゃっかり再演の時に自分がその場にいらっしゃるアタリ、ナイスですよね。いっけいさん^^

ふっこさんが手を加え厚みの増した物語を、再度マキノさんが練り直して仕上がった再演。
キャストや物語が微妙に変わる再演って、どうしても初演と比べてしまうんだけど・・・確かに好みはあるかもしれないけれど、すっごく深い物語になっていたと思う。(←偉そう^^;)

それに、初演の時には特に気にしなかった部分が気になったり・・・いろいろな発見のあった1月12日の再演観劇だった。


※ここよりネタばれありですので、北海道公演をごらんになられる方は、ご注意を!


物語的に追加されたり変わっている部分は、手代の林の出生や息子のエピソード。
初演ではラストに出てくる写真屋さんを物語りに組み込んだこと。
椿姐さんと明美ちゃんの間にワンクッション的な役(名前を忘れちゃった!ごめんなさい)を置いている。。。くらいしか気づきませんでした^^;
キャスト的には、メインの牧岡少尉の役を、野田さんからいっけいさんへ。
あとは、ストーリーの幅が厚くなった分のキャストが増えていたり・・・ですね。(たぶん)

個人的には、写真屋さんの使い方は初演の方が好きだったかなぁ・・・
明美ちゃんと知り合いでいるより、声のかけ方が「お嫁さん?」って言うほうが、なんだかよりリアルな気がしたのだわよ。


すごく変わったなって思ったのは、千代。
初演では痩せた大柄なガシガシした女の子って感じだったのが、沙也加ちゃんは小さくてふくよかな柔らかいイメージだったんだよね^^;それにあわせて、千代の設定もある程度変わっている感じでしたが。

そしてオイラの大好きな椿姐さんもずいぶん変わっている。
初演では、お客と接していないときの素の女郎のピュアな感じが前面に出ていたのだけれど、四條さんの役どころが年齢的にも雰囲気的にも明美ちゃんと椿姐さんとの間らへんなので、姐さんは初演よりより艶やかな大人の女郎さんとなっておりました。あまりに艶っぽいので、ドキドキしちゃいましたもの*^^*(もちろん、かわゆい仕草も健在です♪)
写真のシーンでは、ボロッボロに泣いているオイラが、ボロッボロに泣いている椿さんを見ていた。なんか不思議な感じ(笑)

酒井の親父さんは、初演より更に風格のある・・上手くいえないけれど落ち着いた感じになってました。やっぱり、おやじさんのセリフにはボロボロと泣かされたし。
染香おかあちゃんの大阪弁は更に更にツルツルと口から零れ落ちる。素敵過ぎます。こんなに粋な言葉遣いってあるんでしょうか。めっちゃ好きです。あずきさん!!

今回の再演で一番気になったのは、実は初演ではほとんど興味を持っていなかった(ごめんなさい!)洋さんと千代の物語。
洋さんのセリフに大泣きているオイラがいた^^;
「人は死ぬまで生きなあかん」
せやねん。自分で死ぬところを決めたらあかんのん。って、何度も頷いてしまった。
洋さんってホンマに深い深い懐の人だったんだなぁ・・・って改めて認識。
升さん切なくって素敵過ぎます。

そして、何気に洋さんの妹さん・・・好きなんです。「私に出来ることは、今、関わることだけですから」
この言葉を大事にしたいなぁって思う。繋がるチャンスは『今』しかないことを知っている。人は人と関わってしか生きていかれない。どう関わるかは自分しだいなんだよね。

いっけいさんの牧岡は、野田さんの牧岡とはぜんぜん違って、なんだか熱い牧岡だった。野田さんはもっとクールな登場で、ワタワタとのギャップが面白かったの^^野田さんの牧岡とはタイプが違ったのが良かったのかも。似てたら比べちゃってるかもだもん。
ぽたぽた落ちるいっけいさんの汗にも見とれてしまいました~☆

今回は、戦争の寄せた皺なんかも描かれていて。(前回はそこまで描いていなかった)
人が人として生きることが難しかった時代でもあったことを再認識する。

この物語は大阪の言葉だから、関西人には余計に心にすっと入ってくる。
なんで?せやねん!ほんでどうなんの!って心の中で突っ込みを入れつつ、受け答えつつ・・・の観劇をしてしまう。


人が生きることの難しさ。
繋がる人の心の強さ。
人が生きることの美しさ。
幾重にも重なる人と人の想いが、いろんな色を紡ぎだしている。
そんな物語。

観るたびに好きになる。
思い出すだけで涙が溢れる。
そんな物語。


残すところ、1/17~2/2の北海道公演のみです。
北海道の方、是非是非観て何かを感じてください。