
家の玄関に、とてもちいさな桃の木がある。
鉢植えの、ひょろんとした木だけれど、この春にはそれは美しい花を咲かせてくれた。
小さな実をつけたな,と気づいたのが、梅雨の頃だった。
それが、こんなにちゃんとした桃の実になっている。
ころんと1つ、熟して落ちた。
食べたら、酸っぱいけれど、桃の味がした。

なんだかとても嬉しくなった。
こんな小さな鉢植えの木でも、自然はきちんを実を結ばせるんだな。
自分の現在の宙ぶらりんな心境に重ね合わせてみる。
桃の実を見ていると、自然体でいいんだと言っているようにも、ひっそりと努力を続けなくちゃいけない、と言っているようにもみえるな。

土曜日は、久しぶりに友人たちと食事に出かけた。
体調のせいで、ちょっと外食を控えていたから、とても楽しみにしていたのだ。
今流行りの、「くずし懐石」といわれる料理だ。
汁碗の中に、タルタルソースが入っていたり、すし飯に貝割れ大根が刻んで入っていたり、なかなかアグレッシブな料理だ。
崩し懐石、というよりは、懐石風無国籍料理?
けれど、弾む会話もおいしいスパイスだ。
あれやらこれやら色々な話題に花が咲いた。


なかでも、娘たちの将来についてが話題になった。
みな、娘たちの結婚式や出産を楽しみにしているという。
自分に引き合わせてみると、私は先の事を全然考えなくなっていることに気がついた。
子供たちはもう学生であったり,社会人であったりして、京都にはいない。
彼らが家を出た時点で、私の子育ては終わってしまったようだ。
後は、夫とネコたちと静かに暮らせればそれでよい。
もちろん、家族の様々なイベントに参加できる機会があれば、それに超した事はないけれど。
いつからこんな風に考えるようになったのか。
自分の病気の事が最大の要因だろうとは思うけれど。
私の父も私が二十歳のときに亡くなった。ゆえに、成人式や結婚、出産の場に立ち会うことはなかった。
それでも、その折々に、天国の父に感謝した。
私が父の事をその時々に忘れなければ、それで充分なような気がした。
そんな気持ちが私の根底にあるのだろう。
ブログランキングに参加しています。お気に召しましたら1クリックをお願いします。1日1クリックが有効です。
